第一話 アリアドネ(18)
窓ガラスが割れる直前、空気の抜ける音がした。
その音で、日下部は狙撃であると同時に、
反射的に屈めていた身をそのままに、目の前の軽自動車の陰に隠れる。
このままでは、青年が春花を連れ出すことができない。
相手は、発電設備を爆破した相手と同じ。
だとすれば、正面から立ち向かっても勝ち目はない。
思い出すだけでゾッとする。
絶対的な死をもたらす存在――あれは死神だ。
それでも、日下部はやると決めたのだ。
青年は、春花を守ると言った。
その言葉通りに、今も春花を守っている。
だったら、自分もやるしかない。
軽自動車のリア側へ移動し、そこから奥へと並ぶ駐車された車を見やる。
できる限り足音を殺してひとつ奥の車へと移動し、車と車との間へと身を晒し、銃口を向ける。
そこに狙撃銃を構える射手がいないのを確認すると、また次の車の間へと移動する。
そして黒のワゴン車に貼りつき、リア側をまわって向こう側を覗き込むと、
(いた)
そこに、駐車場の地面にうつ伏せになり、狙撃銃を構える後ろ姿があった。
日下部は一度だけ意識して深呼吸をすると、身を乗り出し、銃口をその無防備な背中へと向けた。
「動くな」
囁くような警告に、狙撃銃を構えていた青年は、両手をそれから離すと、肘をついた状態で両手を挙げた。
やけにあっさりと降伏する相手に、日下部は拍子抜けしてしまった。
だがそれこそが、相手が狙っていたことだったのだ。
青年が動いた。
左手を地面に叩きつけ、その反動で振り返りざまに右足を蹴り上げてきたのだ。
意表を突かれた相手の回し蹴りに、日下部は右手の甲に踵を叩きつけられ、そのままオートマチックを飛ばされてしまった。
武器を失った瞬間、優位性が消えた。
回し蹴りから流れるような動きで仰向けになった青年が、そこから起き上がると同時に流れを止めることなく左拳を繰り出してきた。
咄嗟に背中を反らした日下部の鼻先を、青年の拳がかすめる。
ひやりとしたが、それが日下部の闘志に火を点けた。
下がった足を踏み留め、カウンターとばかりに右拳をその顔面めがけ繰り出す。
だが、青年の手が日下部の拳を流すように外へと促し、空振りの終わった日下部の無防備な右頬に今度こそ左拳をめりこめせた。
容赦も手加減もないその拳は、喧嘩慣れしていた日下部でさえも一撃で戦闘不能に陥らせるほどに重いものだった。
たった一撃――ただ振りかぶって繰り出されたかのような力任せのそれは、しかし日下部の脳を確実に揺さぶるように打ち込まれたものであり、それをまともに食らった日下部は、もはや己の意志とは関係なく、膝をつかざるを得ない状態となっていた。
「くそっ」
よろめきながらも、倒れないように千鳥足のようにふらつく日下部に、青年が歩み寄り、背中を丸める日下部の服の肩部分を掴むと、そこから右膝を鳩尾に食い込ませた。
「――ぇ!」
えずくような声が漏れる。
それでも日下部は倒れず、むしろ踏ん張るようにして青年の脇にしがみついた。
そこから押し倒すなりするべきだったが、脚に力が入らないどころか、その状態を保つだけで精いっぱいだった。
そんな日下部の行為に、青年は至極冷静に対応していた。
今度は右肘を下にして、日下部の背中へと振り下ろしたのだ。
「ぁ――」
もはや声も出ず、日下部はコンクリートの地面に伏した。
青年が腰に手を回し、オートマチックを取り出す。
(くそっ……)
すぐには動けず、日下部は青年を動きを見ていることしかできなかった。
青年がオートマチックを手に、銃口を日下部に定めようとする。
そして、人差し指がトリガーにかかり、絞り切る――寸前、
「空木!」
その叫び声に、空木と呼ばれて振り返った青年が銃口を後ろへと向けた。
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