桜の精が結んだ恋

睦月

第1話

 夜の公園の桜の木の下、俺は一人4年前のあの日の事を思い出していた。





 高校を卒業し、仲のよかった友人6人が就職や進学でバラバラになることから、壮行会と称して花見をするために集まったあの日。

 自分の気持ちを伝えないまま、東京の大学に行くあいつを俺は笑顔で見送った。


 2年間の淡い想いに蓋をして初めての恋を諦めた俺は、その後の大学生活をそれなりに楽しんだ。

 友人に誘われ合コンにも行ったし、可愛い彼女が出来たこともある。

 だけど、心の片隅にはいつもあいつがいた。


 皆から少し離れたところにある樹齢300年を越えると言われる桜の木を二人で見上げ『桜の精とかいそうじゃない?』と照れたように言ったあいつの笑顔が、いまでも胸に焼き付いて離れない。


 いつもは気の強いあいつが見せた、はにかんだ笑顔。

 あの時、俺は少し泣きそうになってしまい『バカじゃねぇの?』と笑って誤魔化した。


 淡いピンクの花びらがヒラヒラと枚散る中、風に靡くあいつの髪についた桜の花びらに気付き手を伸ばすと、彼女はキョトンとした顔で俺を見上げた。

 少し背の低い彼女の髪についた花びらを取ってやると、耳まで顔を赤くしてあいつは全力で俺に腹パンしてきた。


『なんで怒んだよ。花びら取ってやっただけだろ。そんなに俺に触られたくないのかよ!?』

『そんなんじゃないわよ!』


 見慣れているはずの怒った顔はいつも見せる顔とは少し違い、おれの胸をより一層苦しくさせた。


 もしかして?


 そんな想いが一瞬頭をもたげたが、そんな訳はないと自分に言い聞かせ、彼女を抱き締めたいという感情を俺は抑え込んだ。


 仲のいい友人関係が壊れるのが怖くて気持ちを伝えるのを躊躇っている内に2年が過ぎ、明日にはこの街を出ていくあいつに、俺は最後まで気持ちを伝えることが出来なかった。

 例え想いが届いたとしても、遠距離恋愛になることは決まっている。

 遠距離になっても彼女を好きな気持ちが変わるとは思えなかったが、彼女にずっと好きでいてもらう自信が俺にはなかった。


 一度手に入れた幸せを手放すくらいなら、初めから手に入れないほうがいい。

 傷つくことを恐れて、ほんの少しの勇気を出すことさえも出来ずに諦めた恋は、今でも俺の心の中で燻り続ける。





 月明かりに照らされた桜の木はどこか妖艶で、あいつが言ったように桜の精がいるのではないかと思わせるような不思議な雰囲気を醸し出している。


「本当に桜の精がいるなら、もう一度あいつに会わせてくれねぇかな」


 無意識にポツリと呟き近くにあった大きめの石に腰を下ろすと、あの日二人で見た桜の木を俺は一人寂しく見上げた。

 春と言っても夜はまだ肌寒く、少し冷えた体を擦りながら俺は何時間もその場を離れずに、ただただ桜の木を黙って見つめ彼女の事を想っていた。


 もう一度会いたいと......。




 どれくらいの時間が過ぎたのだろうとスマホを取り出し確認すると、あの日と同じ日付は既に終わっていた。

 そして重い腰を上げて帰ろうとした時、少し離れたところで木の枝を踏んだようなパキッという音が聞こえ、ゆっくりと振り向くと青白い月明かりに照らされほのかに輝く人影が目に入った。


心咲みさき?」


 会いたいと思っていた彼女が突然目の前に現れ、鼓動が弾けて俺の胸を苦しくさせた。

 それなのに、口から出た言葉は......。


「お前こんな時間になにしてんだよ。女がこんなとこ一人で来たら危ないだろ!」

「4年ぶりにあった友達に言うこと、他にあるでしょ!?」

 髪が伸び少し大人っぽくなった彼女は、呆れたような顔をして俺を見つめてくる。


「あっ、久しぶり!」

「こんな時間に何してたの?」

「(お前と一緒に見た)桜の木を見てた。お前こそ、どうしたんだよ。

 ってか、帰ってたんだな」

「うん。こっちで就職決めたの。

 ......親に帰って来いって言われたから」


 彼女がこっちで就職すると思っていなかった俺は、心の中で思わずガッツポーズを決めてしまった。 これでまた、心咲に会えると。


 それにしても心咲の声が少しだけ震えているのは、気のせいかだろうか?


「で、なんでここに?」俺はもう一度彼女に問いかけた。

「何となく呼ばれてる気がしたから? ......なんてね」

「桜の精に?」


 クスリと笑いながら思い出を言葉にすると「そんなこと覚えてるの?」と驚いた顔を見せる心咲みさき


「覚えてるよ。お前らしくないこと言うから笑ったこと」

あの日交わした心咲みさきとの会話は、ずっと俺の中の温かい場所にある。


「じゃあさぁ、これは覚えてる?」

 彼女はそう言って3m以上もある桜の木の幹に抱きついた。


『二人で囲んだら手、届くかな?』


 あの日、二人で両手を精一杯伸ばして、桜の幹に抱きつき付いたことを再現する彼女。

「そんなこともしたな」そう言って俺も桜の幹に腕を回す。

 あの時、ほんの少しだけしか触れなかったはずの右手が、何故か今日は彼女の左手に半分くらい重なっている。


奏斗かなと、背伸びたね」

「大学入って5cmくらい伸びたかな。お前は小さいまんまだな」


 そう言って揶揄うと「うるさい!」懐かしい口調で心咲に怒られた。

 重なり合った手を放したくないと思いながらも、いつまでも桜の木に抱きついている訳にもいかず、ゆっくりと体を離そうとした時「あのね」と暗闇に消え入りそうな程小さな声で心咲が呟いた。


「ん?」

「あたし......あの頃奏斗のこと好きだったんだよ」


 突然の心咲の告白に、抑え込んでいた彼女への思いが溢れだした。

 重なり合った手に想いを込めて、彼女の手を包み込むように握ると「......俺は、今でも心咲のこと好きだよ」と精一杯の想いを言葉で紡いだ。


「でも、お前はもう過去形なんだな」

 締め付けるような胸の痛みを抑えて、絞りだした言葉。


「違う! そんな訳ないでしょ!?」

 強い言葉を返してきた彼女の手をしっかりと握り、引き寄せるようにして抱きしめると、何も考えられないままに俺は心咲の唇を奪っていた。

 唇に感じる互いの温もりを確かめるように、俺達は思い出の桜の木の下で何度も何度も深いキスを交わした。



 駅の近くの繁華街にあるホテルの前。

 繋いだ右手をギュッと握ると「本当にいいのか?」俺は心咲にもう一度問いかけた。

 恥ずかしそうに俯いたまま黙って頷く心咲を見て、今まで感じたことがない程の衝動に駆られた俺は、空いている部屋を適当に選ぶと部屋へと向かった。

 黙ったままの心咲を気遣いながらも、逸る気持ちを抑えられない。


 部屋に入ると俺は直ぐに心咲をベッドに押し倒した。

 彼女のふっくらとした柔らかな唇に啄むようなキスを繰り返すと、俺の胸を強く推して唇を離した心咲。


「シャワー浴びたいんだけど......」

 普段の勝気な彼女からは想像できない囁くような声に、胸の奥が疼き始める。


「後でいい。そんな余裕ないんだ」

 甘く絡み合った視線を解かぬままに再び顔を近付けると、俺の事を愛おしそうに見つめていた瞳は閉じられた。

 

 心咲の柔らかな唇を舌で優しく舐めると、彼女が唇を薄っすらと開けて俺を誘い込む。

 誘われるままに差し込んだ俺の舌が彼女の甘い舌を探し当てると、それを待っていたかのように俺を求めてくる心咲。

 時々漏れる心咲の吐息に、高鳴る鼓動が抑えられなっていく。


 彼女が着ていたシャツを捲り上げ、思っていたよりも白く滑らかな肌に唇を寄せると、心咲の体がピクンと小さく弾けた。


「電気消した方がいいか?」

 恥ずかしそうに顔を背ける彼女に問いかけると、彼女は少し考えたあとで「大丈夫」と答えを返す。


「恥ずかしそうにしてるけど、いいのか?」

「恥ずかしいけど、いいの。奏斗に愛されてるって実感したいから」

 そんな可愛いことを、顔を真っ赤にしながら呟く彼女が愛おしくて堪らない。

 俺はベッドサイドにあるボタンで明かりを少し落とすと、彼女の白い柔らかな胸に顔をうずめた。


 唇で優しく触れるたびに、少しずつ色づいていく彼女の体。

 滑らかな肌は俺の気持ちに答えるように熱を帯びていき、俺はそれが嬉しくてまた彼女の体にキスをする。

 言葉だけでは伝えきれなかった想いを届けるように、俺の中の激情を少しずつ少しずつ彼女の体に教えていく。


 本当はもっと強く彼女を求めたい。

 だけど俺はそんな感情を押し殺し、ゆっくりと味わうように心咲の体に舌を這わせた。

 漏れ出す甘い吐息を我慢するように唇を噛み締める心咲の唇に、俺は何度も何度も優しいキスを繰り返す。


 彼女の肌に優しく指を滑らすと心咲の体が時々強く弾けだし、愛しい気持ちはついに抑えられなくなってしまった。

 二つの体が一つになると、心咲が口を噤んで辛そうにしている事に気が付いた。


「もしかして、初めてだった?」

「当たり前でしょ。だってずっと奏斗の事が好きだったんだから」

 彼女の言葉に、強い罪悪感が生まれた俺。

「ごめん」

「......謝られる方が嫌なんだけど」


 心咲はそう言った後、少し笑いながらキスを求めて俺の頬を引き寄せた。

「これからは、私だけにしてね」

 可愛い彼女の言葉に俺はキスで返事を返すと、彼女と二人で溶けるように抱き合った。


 彼女の体を労わりながらも、抑えきれない程の衝動に駆られてしまう。

 そして彼女の吐息が少しずつ甘さを増していくと、俺は抑え込んできた衝動を彼女の中に解き放ち、二人汗ばんだ体で抱き合いながら、何度も優しいキスを繰り返した。


 少し潤んだ瞳で俺を見つめ、柔らかな笑顔を見せながら「大好き」と言って俺の胸に顔をうずめてきた心咲。

そんな彼女の体を俺はもっと強く抱き締めた。


「俺の方が好きに決まってんだろ。6年間の片思いなめんなよ」

「残念でした。私なんて7年ですぅ!」

「は? 1年の時から俺の事好きだったのかよ。それなら早く言えよ」

「そっちこそ、早くいいなさいよね。男のくせに!」


 憎まれ口を叩きながら笑う心咲にキスをすると、突然訪れた幸せに俺は不思議な感覚を覚えた。


「お前さぁ、あの桜の木の下になんで来たんだ? 深夜に公園に行くなんて普通しないだろ!?」

「う~ん、わかんない。なんでか、あそこに行けば奏斗に会えるような気がしたの。よくわからないけど、本当に誰かに呼ばれた気がしたんだよね」

 心咲が嘘を言ってるとも思えず、俺は本当にあの桜の木が俺達を合わせてくれたように思えた。


「本当にいるのかもしれないな」

「誰が?」

「う~ん、......内緒!」

 俺はそう言って、自分の腕の中にある幸せをもう一度優しくギュッと抱きしめた。



おわり。


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桜の精が結んだ恋 睦月 @tukinokurage0228

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