糸杉
* * *
「ご愁傷さま」
久々に会う親戚が、父の亡骸をみてそう呟くのを鈴花は聞いた。
死を悼んで発せられた言葉のはずなのに、鈴花(すずか)の胸に湧き上がるのは妙な感情だった。例えるならそれは怒りであり、憤り。喪服のスカートの裾をぎゅっと握りしめた拳で、鈴花は目の前の親戚を殴ってやりたいという気持ちを必死で堪えていた。
(若いのに、あの子は可愛そうにねえ)
(あの人も病気とはいえ、気の毒に)
遠くで遠い親戚の女が二人、声を潜めて話している。
女の目がちらりと鈴花をみると、鈴花はついに我慢がならず、弾丸のように葬儀場の外へと駆け出した。
遠くで母親が鈴花の名を呼んだが、鈴花は止まらなかった。
葬列に並ぶ何人もの男女が、走り去る彼女の背中に哀れみの視線を向けていた。
誰ひとり、鈴花の行動を制止できなかった。誰もが、鈴花の存在を悲しみ深い少女という【記号】として認識し、それを疑わなかった。
父親を早くに亡くした少女。十七歳の彼女にとって、それはとうてい耐えられる重さではないと、皆そう思い込んでいた。
糸杉が街路樹のように植えられた通りの真ん中で、鈴花は立ち止まった。
自分の左腕につけていた腕時計をむしり取ると、鈴花はそれを道路の上へ叩きつけた。
(ハア……、ハア)
荒い息が鈴花の口から漏れていた。
季節は八月で、あたりは蝉か何かの泣き声がやたらとうるさく、目眩がしそうになる。
鈴花は低く叫んだ。
「うるせーんだよ……」
喉に血の滲むような声だった。鈴花が自分の喉に触れると、じっとりとついた汗が指の間を流れて落ちた。
鈴花はしばらくそれを眺めたあと、地面に落ちた腕時計へそっと腕を伸ばす。
鈴花が腕時計を拾いあげようとしたその瞬間、誰かの指先が先に腕時計を拾い上げ、それは視界の外へと消えた。鈴花が顔をあげると、腕時計は目の前の雪のように白くしなやかな指の中に握られていた。
その指の持ち主は、見知らぬ黒い女だった。
「……誰?」
突然現れたその女に対し、鈴花は眉をひそめた。
黒いベールを頭から足の爪先まですっぽりと被り、目元だけをのぞかせた女が、ベールの隙間から飛び出した手に腕時計を握っている。
真夏の気温におよそ似つかわしくないその姿に面食らうも、鈴花はすぐに血相を変えた。
「返して」
「……」
「返してったら!」
鈴花が掴みかかろうとすると、ベールの女はひらりと身をかわし、一目散に駆け出した。
黒い布がふわりとひるがえり、大きなゆらめく影のように鈴花の視界を覆う。女は逃げ出した様子だった。鈴花もすぐに後を追う。
「待ちなさいって!」
糸杉の並木を縫うように、ベールの女は走ってゆく。足が早く、鈴花が必死に後を追うも距離はなかなか縮まらない。
やがてベールの女は薄暗い路地へと身を滑り込ませる。鈴花は女を見失わないよう、走り慣れない足を必死に動かしながら「待て」と繰り返した。
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