6-3 開花
サラマンダーに、どこぞのゲームにいる魔王のような遊び心は無い。
初手から自分の真の姿を曝し、最善を尽くしていた。
負ける気は無い。必ず勝つ。
そう宣言した皆月は目を泳がせた後、自分の頬を強く叩いた。
こんなの反則だ、とグリーンへ振り向きたい気持ちを押し殺し、拳を強く握る。
現実逃避をしている時間などは無く、誰かのように、あるがままを受け入れると決めた。
そこへ、サラマンダーが炎を吐く。彼には、勝負を楽しもうという気持ちも、長引かせようという考えもない。
今すぐにでも終わらせようと、行動で現わしていた。
「っ!?」
本部の前は戦闘も考え、八車線の広い道が敷かれている。だが、その全てを覆うほどの炎が押し寄せており、逃げ場などは無い。皆月にできることは、全力で炎を無効化することだけだ。しかも、失敗すれば死ぬことが確定していた。
彼女が今までに見てきたレッドの炎よりも、範囲が広く強い炎。
これを防げることが、サラマンダーと戦う最低条件であった。
こうなることは予想できていたのだろう。グリーンは氷の壁を展開し、炎を防いでいる。だが、相手はサラマンダーだ。油断することはできない。力を送り続け、さらに氷の密度を上げていた。
皆月は、押し寄せる炎を防ぎ切れず、炎に包まれながらも前を見続ける。そうすることしか、皆月にはできなかった。
サラマンダーは眉根を寄せる。
絶え間なく炎は吐き続けている。彼の予想では、とうに力尽きているのが道理だ。
……なのに、まだ皆月の姿は炎の中に健在で、それどころか少しずつ炎を打ち消す範囲が広がっていた。
手加減などはしていない。例えなにがあったとしても殺せるよう、最善の攻撃を選んだ。
無効化できないほどの炎を吐き、万が一に耐えたとしても、息ができずに窒息するか、体が保てずに焼死するほどの炎だ。この選択が間違っていたとは、サラマンダーは微塵も思っていない。
しかし、なにが起きているのかは分からずとも、結果として間違っていた。それは認めるしかなく、炎を吐くのを一度やめ、大きく息を吸い込む。戦法を変えるためでもあったが、それ以上に酸素を補給する必要があった。
サラマンダーの炎は、酸素を取り込んで放たれる。
それは巨大なトカゲになっても変わらず、いつまでも放ち続けられるわけではない。
だがその唯一ともいえる隙を、皆月も逃すわけにはいかなかった。
「今、だ!」
皆月が、炎に晒され続けたとは思えない速さで飛び出す。
――体が軽い。
あり得ないことだが、皆月はあのような状況に置かれていながら、さらに身体能力を上げていた。
勢いのままに、サラマンダーの体へ拳を叩きこむ。目で見て無効化もしており、確実に通ったと彼女は疑わなかった。
「痛っ……」
拳の皮が裂け、血が噴き出している。皆月の拳は、サラマンダーの分厚い鱗に阻まれてしまった。
それを見て、サラマンダーは僅かに安堵する。
「……?」
だがすぐに、自分が安堵していたという事実に気付き、歯を強く噛み合わせた。
相手はイレギュラーな存在だ。どんなことがあるかは分からない。だがそれでも勝てる相手であり、楽に殺してやると決めていたのに、あろうことか気圧されていたのだ。
サラマンダーは雄叫びを上げる。せっかく取り込んだ酸素を無駄にする行為だが、それでも叫ばずにはいられなかった。
皆月は耳を塞いでいたが、やがて雄叫びが終わり、手を放す。
「能力とは、己が身に近ければ近いだけ、その強さを増す。つまり、我が身に最も近いこの鱗を、お前の能力で超えることはできない!」
自分を鼓舞するためだったのか、相手を諦めさせるつもりだったのか。もしかしたら、その両方だったのかもしれない。
しかし、皆月は冷静で、サラマンダーが動揺していることを見抜いていた。
理由を考え、鱗へ触れられたことだと判断する。あの鱗は思っているほど頑丈ではなく、このまま殴り続ければ割れるのかもしれない、と。
皆月は相手を殴った手を振る。大丈夫だ。多少の痛みはあるが、すでに血も止まっている。
この瞬間、グリーンとサラマンダーが目を見開いた。
「逃げ続けろ!」
「そういうことか!」
グリーンの思わぬ言葉と、サラマンダーが苛烈へ攻め込んで来るのは同時だった。
皆月はまだ気付いていないが、二人はほぼ理解していた。
彼女の、皆月の能力を、誰もが見誤っていたことに。
◇
無効化能力者。過去に、マーダーに存在したことが無い能力だ。
しかし、同時に皆月は、身体能力も強化されている。トワイライトの例を除けばあり得ないことだ。
だからこそ、誰もが色めきだった。
彼女の情報は隠されているが、拡散されるのは時間の問題だ。そしてそうなったとき、彼女を手に入れた者は、三大派閥をも上回る組織を作り上げるだろう。
あらゆるマーダーの天敵であり、二つの能力を有したイレギュラーな存在。……だと思われていた。
だが今、それは間違っていたことが分かった。
傷を癒せるマーダー、再生能力を有したマーダーはかなりの人数がいる。しかし、皆月はここには当てはまらない。
二人が思い浮かべたのは、ごく少数しかいない能力を吸収するマーダーだ。稀に存在する彼らは、例外なく力が弱い。吸収した力をどうしたのかも分からぬ内に、殺されたものがほとんだ。
この世界で吸収という能力は雑魚の証である。それと同時に、未知の能力でもあった。
マーダーとして覚醒するのは、人が死んだときである。
そのほとんどは殺人者であり、マーダーという存在について知っているものが多い。彼らは自然と、その異能を受け入れる下地があった。
しかし、皆月は違う。彼女はただの女子大生だった。裏の世界の話など知らず、殺人者としての経験などあるはずもない。
だが異例であるから、彼女は吸収という能力を開花させることに成功していた。
皆月が最初に出会ったマーダーはサラマンダーだ。その炎の中で生き残れたのは、マーダーとして覚醒し、彼の炎を吸収して耐性を得たからに他ならない。
それからも彼女の身近には、より上質な力を持った最上位のマーダーがおり、無意識とはいえその力を吸収し続けていた。
なにかを吸収しなければ0でしかない弱い異能は、知らぬ間に最高の育成環境で育てられていた。
ただマーダーが視界内にいるだけで成長し続け、相手の能力に対する耐性までも得る未知の異能。 それが最弱と言われていた、
皆月はその力を、今このとき開花させていた。
叩きつけられた手を避け、吐かれた炎を吸収し、己の力へ還元する。
皆月は混乱しながら逃げているだけだが、それだけで二人の実力差は狭まり続けていた。
見誤ったサラマンダーに、じんわりと焦りが浮かんでいる。
すでに手遅れだが、最初に最強の一撃で仕留めるべきだった。だが今行えば、更に糧を与えるだけとなってしまう。
今でこそ分かることだが、サラマンダーの炎を無効化しきれていなかったのに、その炎に晒され続けて耐えることなどできるはずがない。過去、吸収していたからこそ耐性を持っていた。ならばあの行為は、ただ餌をやり続けていただけに過ぎない。
巨大なトカゲとなっているサラマンダーは、ふぅっと炎の混じった吐息を出す。
落ち着け、自暴自棄になるな、まだ勝機はある。このまま戦えば相手を強くするだけだ。冷静に勝利する方法を考えるべきだと、一度距離をとった。
しかし、皆月はそれを許さない。サラマンダーを勝る速度で距離を詰め、拳を繰り出す。
まだ、強固な鱗は貫けない。だがそれも時間の問題だ。いずれ、必ず通る。
今しかないと、サラマンダーは体を人型へ戻す。
必要なのは巨大な体、広い攻撃では無い。この、たった一人を殺すために凝縮した力だった。
皆月の拳を受けながら、サラマンダーは自分の体を変質させる。ビキビキと音が鳴り、肌が裂けて血が吹き出し、体へ鱗が現れ始めた。
やったことはないが、薄っすらと気付いている。こんなことをすれば、最早、人には戻れないだろうと。
「だが、それでも!」
サラマンダーの強い意志の籠められた瞳に、皆月はほんの少しだけ気圧される。
しかし、歯を食いしばり、攻撃を続けた。
負けられないのは皆月も同じだ。この日のために、彼女は生きて来たのだから。
皆月の吸収が相手を勝るのが先か、サラマンダーが人の身を捨て、皆月を殺すのが先か。
……結末はそのどちらでも無かった。
突如、サラマンダーが大きく血を吐き出す。その胸からは、小さな腕が生えていた。
「マーダー・マーダーを殺そうとしたな? ……とても、とても残念だ。お前のことは、本当に気に入っていたのだよ?」
全身が血で赤く染まった皆月は、崩れ落ちるサラマンダーを呆然と眺めている。両目は大きく開かれており、この理解できない結末を、無理矢理どうにか受け入れようとしていた。
クイーンの先に見えていた茜色の空は青色に染まり、青紫、紫と急速に色を変えていく。
空が完全に黒く染まると同時に、皆月の前には、大量のアンデットと、鎧を着た騎士たちが忽然と現れていた。
数万、いや数十万の軍勢が現れたことへ驚くも、それ以上にサラマンダーとの勝負へ水を差されたことが許せない。
怒りのままに、皆月が叫ぶ。
「どうしてこんなことを!」
「あぁ、心配するでない。できるだけ望みは叶えてやろうと思っている。心配せずとも、最後までやらせてやろう」
パチリとクイーンが指を鳴らす。
サラマンダーの背中が裂け、膨張した内臓が飛び出し、なにかを形成していった。
全高5mほどの、爛れた皮膚を持つそれを見て、皆月は恐怖よりも怒りを滲ませる。
だがその感情をクイーンは理解できない。それは遥か過去に失った感情だ。
よって、ただ満面の笑みで言った。
「では、第二ラウンドといこうか」
アンデットとなったサラマンダーと、集められた質の良いアンデット。そしてホーリーセイバーの騎士たちは、皆月へ向けて動き出した。
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