5-1 薬を持った少女
訓練場で、皆月は毎度のごとく泣き言を言っていた。
「指を使わず範囲を狭めるとかできませんよぉ」
「いいからやれ」
「うぅぅ……」
炎と氷が皆月へ襲い掛かる。能力の制御は、まだ彼女の課題として残っていた。
指を使い、視界の範囲を狭めれば力を集中し、強化することができる。だが、指無しで視界を狭めることなどはできるはずもなく、何度やってもうまくいかなかった。
「制御ってなんですかー!」
「常識に捉われ過ぎだ。ここは、手から火を出せるやつがいる世界だぞ? 大抵のことはまかり通る」
「通りませんよおおおおおお!」
クジラは空を飛ばない。そんな常識に捉われている皆月は、能力の制御が下手だ。レッドならば目の前にクジラが飛んでいたとしても、そういうこともあるだろうとしか思わない。
この、どこまでの幻想を許容できるかも、能力の制御には大切なことだった。
くじけそうになっている皆月の肩に、グリーンが手を乗せる。
「グリーンさん……」
「成長しないミジンコの相手は飽きたからクレープ食べに行こうよ。皆月ちゃんの奢りで」
「慰めてよおおおおおおおお!」
皆月の絶叫と共に、この日の訓練は終了した。
すでに切り替えたのだろう、皆月は機嫌よくクレープを平らげ、グリーンは三つ目を注文している。彼女はよく食べるため、皆月の財布は日に日に薄くなっていた。
「立ち直りが早くなったのは成長だと思わない?」
「そうだねー」
「私も頑張ってるんだよ?」
「そうだねー」
「そうだよね、グリーンさんは分かってくれてるもんね。よし、私は頑張ってる!」
「そうだねー」
興味の無い会話にはとことん興味を持たないのがグリーンである。
雑な相槌を打つだけだったが、皆月にはそれで充分らしく、満足げに頷いていた。
機嫌を良くした皆月とグリーンが家へと帰る途中、薄汚れた服装の少女がフラフラと歩いて来る。皆月が心配そうに見ていると、少女はそのまま倒れてしまった。
慌てて駆け寄った皆月は、少女へ声を掛ける。グリーンは罠を疑い、周囲を警戒していた。
「大丈夫!? 救急車を――」
少女は皆月の手を強く掴む。
そして、弱弱しい声で言った。
「ダメ、救急車は……。お願い、助けて……」
「――任せて」
逡巡なく答えた皆月を見て、少女が気を失う。グリーンは理解できないなぁと肩を竦めた。
少女を家へと連れ帰り、服を脱がせる。特に怪我などは無く、体をタオルで拭いてやり、シャツを着せてやった。
眠っている少女をどうすべきか。皆月が悩んでいる間に、グリーンは少女の鞄を引っ繰り返していた。
「ちょ、無断でダメだよ!」
「マーダーかもしれないじゃーん」
「そんな誰彼構わずマーダーだと疑うのは良くないと思うよ? 身元が分かるようなものは入ってた?」
とはいえ、彼女が何者かを知りたいのは皆月も同じである。自分から鞄を開こうとまでは思えなかったが、グリーンが開けてくれたことは助かってもいた。
鞄の中には大したものが入っていない。少女がどこかで拾ったシャツやタオル、ゴミ箱を漁って手に入れた僅かな食料などだった。
それを見た皆月は、少女が虐待にでもあったか、家出をしているのだろうと予測する。
しかし、グリーンは鞄の内ポケットへ入っている瓶を取り出し、ジーッと見ていた。
「どうしたの? ただの風邪薬でしょ?」
瓶には、どの薬局にでも売っているような風邪薬のラベルが貼られている。中身も錠剤で、特に怪しいところは見受けられなかった。
だがグリーンは一粒取り出し、少しだけ砕いて舐めてから飲み込む。……そしてすぐに指を突っ込み、その場で吐き捨てた。
「えええええええええ!? 大丈夫!? トイレ行く!?」
「この子、早く捨てたほうがいいよ。これドラッグだ。覚えがある」
「だから、風邪薬でしょ?」
見た目が明らかな外人であるグリーンが言ったこともあり、ドラッグを薬のこととしか皆月はとれない。
しかし、そうではない。グリーンの言っているドラッグとは、ハイになってしまうやつで、違法なブツのことだった。
「とりあえず、口の中を注いでくる」
「その判断ができるなら、ここで吐かないでほしかったなぁ……」
涙目で皆月が吐瀉物を片付ける中、グリーンは洗面所へ向かう。
そして、鏡に映った自分の目が、一瞬だけ赤く光っていたことに気付き、目を細める。
ほんの一瞬ではあったが、レッドのような赤く燃える瞳だった。そしてそんな効能をもたらすドラッグを、グリーンは一つだけ知っていた。
「これ、『ハローワールド』? ……っ」
その事実に気付いたグリーンは洗面所を飛び出す。
ハローワールドとは、三大派閥の一つである『エクスタシー』が作成している、マーダー御用達のドラッグである。常用することで能力は強化されていき、死にかけているときにもっとも強い力を発揮できるという代物だ。
瞳が赤く染まるのはハローワールドの特徴であり、使用者は見ただけで判別ができた。
「あれ? どうしたの?」
皆月がキョトンとしていることも無視し、グリーンは少女へ能力を放つ。一瞬で少女の体は氷に包まれ……そして砕けた。
だが、それはグリーンの能力で少女ごと砕けたわけではない。先に皆月が能力で打ち消したのだ。
「……なにをしてるの?」
「こいつは殺す。邪魔しないで」
「ダメだよ。理由を話して」
「だから、そんな場合じゃ――」
「うちでは私がルール!」
こいつから先に殺してやろうか。グリーンの脳裏にはそんな考えも過ったが、頭をガシガシと掻き、諦めて話すことにした。
胡坐をかきながら、グリーンは面倒そうに言う。
「『エクスタシー』って名前は知ってるよね?」
「マーダーの三大派閥の一つでしょ?」
「そう、アンデッドの夜の国。狂信者のホーリーセイバー。薬中毒者のエクスタシー。この三つだねー」
「うんうん、聞いてるだけで頭が痛くなりそうだね」
しかし、皆月は気付いていない。この頭のおかしい三大派閥の全てから恐れられていた、僅か三人のチームがトラフィックライトであり、その一人がアイスマンことグリーンであることに。
目の前にいる脅威へ気付かず、皆月は話の続きを促す。
「それで、この瓶の中身が、エクスタシーの作成している薬で、えっと」
「ハローワールド。常用することで徐々に能力を底上げしていく代わりに、必ず死に至る薬だよ」
「……ヘブンズドアといい、ハローワールドといい。どうして碌でもない物ばっかり考えるのかなぁ」
そういったものとの関りがなかった皆月には分からない話だが、グリーンからすれば有り触れている話だ。
能力の底上げが無くとも、人は教会に通って救いを求める。ドラッグを使用し、快楽へ逃げる。より欲求へ素直な分、マーダーのほうがマシだろうと考えているくらいだった。
しかし、グリーンは皆月を否定しない。彼女の甘すぎるように感じる考えは優しさで、ひどく真っ当な感性であるということくらいは知っていた。
「でも、この子はどうしてハローワールドを持ってたの? マーダー、なのかな」
歳は十歳くらいだろう。そんな子がマーダーかもと考え、皆月は憂鬱になる。
「……なるほど、これが普通かぁ」
「普通? 私のこと?」
皆月の問いに、グリーンはへらりと笑う。
あまり普通と呼ばれることを喜ぶ人間はいない。だが、普通であることこそがもっとも素晴らしいことだ。その普通になれない人間がどれほど多いかを、皆月は知らない。
グリーンは、皆月を真っ当な感性をした普通の人間でありながら、
サラマンダーのことを知っているマーダーならば、彼に立ち向かおうと考える者は少ない。夜の国へ属したときに、勢力図が書き変わるかもしれないと恐れられたほどのマーダーと戦って死ぬなど、本当にくだらないことだ。
そんな相手へ、皆月は復讐を果たそうとしている。グリーンからすれば、それはやはり狂気以外のなにでも無かった。
「……とりあえず、上杉さんに電話をするね。この子に手を出したらダメだからね」
「目の前で守られていたら、ボクじゃどうにもできないよー」
実際は嘘で、グリーンの力ならばどうとでもなる。
しかし、まぁレッドの認めた女であり、グリーンもそれなりに気に入っている相手だ。今は言うことを聞いてやっても良いかと、そう思っていた。
電話を掛けていた皆月が目を瞬かせる。
「あれ? 電話が繋がらない」
――やっぱり殺したほうがいいかもしれないなー。
あまりにも都合の良い状態に、グリーンは嫌な予感を覚えていた。
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