3-3 アイスマン
カードキーを通して扉を開けば冷気が流れ出す。
ブルリと、皆月は体を震わせる。レッドは特に反応を見せず、上杉はいつの間にか防寒着を羽織っていた。
自分の分も用意しておいてくれたらいいのに、と思いながらも、皆月は足を進ませる。今の彼女の脳内は、名誉挽回、汚名返上、の二つで埋め尽くされていた。
奥へ進むと、無理矢理に棚を退けて作られたであろう広い空間に当たる。
そこには、流した涙もそのままに氷漬けとなっている、美女たちの彫像が所狭しと並んでいた。
水を掛けてそのまま凍らされたような彫像を見て、皆月の背筋は冷たくなり、同時に胸が熱くなった。
皆月はどちらかと言えばヒーロー気質だ。明らかな悪人がいることを今さらながらに理解し、正義の心を滾らせる。先ほどまであった挽回や返上などという言葉は、頭に微塵も残っていなかった。
一体の彫像を撫でていた男が、来訪者に気付いて目を向ける。モヒカン、顔に刺青、悪人面。見るからに、こいつが犯行に及んだマーダーだと分かる見た目だった。
「……男はいらねぇ。女を残して死ね。お前たちも、アイスマン様と戦いたくはないだろぉ?」
アイスマンと名乗った男の言葉に、レッドは眉根を寄せる。
「こいつ、オレのことを知らねぇみたいだな。もしかしてだが、オレってあまり名前が売れてないのか?」
「まさか。こいつが頭の足りない雑魚なだけですよ」
「聞こえてんだよぉ!」
自称アイスマンが手を振り、氷柱が二人へ襲い掛かる。
しかし、それは忽然として姿を消した。
「絶対に、許さない」
能力を発動させた皆月を見て、アイスマンはほうっと声を出す。
「綺麗な目をしてるなぁ。こっちに来いよぉ。お前もコレクションにして愛でてやるからさぁ」
やる気になったのか、アイスマンは股間のジッパーを上げる。
氷の彫像を見ながらナニをしていたかを理解し、皆月は憤慨した。
「レッドさんたちは手を出さないでください! 昔の仲間かなにか知りませんが、こいつは絶対に許しません!」
「そりゃ構わねぇが、そいつは――」
「行きます!」
レッドの言葉を最後まで聞かず、皆月は駆け出した。
しかし、その動きが止まる。いつの間にか、足が氷漬けにされていた。
一目見て、氷を打ち消す。顔を上げるより早く、次は体の一部が凍っていた。
「くっ」
「なぁるほど。オレ様と同じタイプかぁ」
皆月と同じ視界の範囲内へ自由に能力を発動させられるタイプ。
……それはつまり、皆月には不利な相手だった。
背中へ強い衝撃を受け、呻き声を上げる。氷の礫が床へ落ちた。
頭を、腹を、背中を、腕を、足を。あらゆるところから氷の礫が襲いかかるが、その全てを打ち消すことはできない。自分の体を凍らせようとしている氷を打ち消すことが、なによりも優先されるからだ。
徐々に皆月のダメージは蓄積されていく。この状況を打開する手が、経験不足な皆月には思いつかない。
しかし、それでも。あの中にまだ生きている人がいるかもしれないと、氷の彫像へ能力の打消しを試みる。パキンッと良い音が倉庫内に響く。
だが、彫像は変わらず氷漬けのままだった。
「なん、で?」
「だから考えろって言ってんだろ。凍らせた後に水でもぶっかければ、普通に凍る。能力じゃないものは、能力じゃ打ち消せない。頭を使え」
レッドの言葉に、皆月は歯ぎしりをする。助けたかった、なのに助けられる命は無い。それがたまらなく悔しかった。
このままでは、皆月はなすすべなく殺されるだろう。……だが、レッドも上杉もアドバイスをするようなことはしない。
この程度の雑魚に殺されるのであれば必要無いと思っているのか、もしくは――。
「くっそぉ!」
大きく皆月が後ろに下がる。
狙い通りだと、アイスマンは能力を発動させ、氷柱で全方位から皆月を狙った。
強く、強く皆月は踏み込む。
そして、前から来る氷柱だけを打ち消し、そのままの勢いで突っ込んだ。
「は?」
皆月の強さは、能力を打ち消すこと……だけでは無い。驚異的な身体能力も彼女の強さだ。自身を弾丸として、ただ突っ込むだけのタックル。
しかし、その単純な攻撃こそが怖いのだ。
アイスマンは避けることすらできずにタックルを受け、壁に叩きつけられる。ダラリと舌を出し、意識を失っていた。
「や、った?」
偉業を成したと言わんばかりの顔を皆月はしていたが、レッドは肩を竦める。
「最初からそれをやれよ。身体能力もそうだが、後ろに下がれば視界が広がる。そういう戦い方をもっと学べ。……いや、チンチクリンは頭を使わないほうが強いのか?」
厳しい物言いではあったが、皆月は驚いていた。なんせ、あのレッドが一言も罵倒していないのだ。クズとも、カスとも、ゴミとも言われていない。つまり、ほんの少しだけとはいえ期待に応えられたのだ。
「やった……!」
皆月は両手を握って喜ぶ。
だがそこへ、無数の氷柱が襲い掛かった。
「くたばれやぁ!」
「だから、雑魚相手でも油断するなって言ってんだろうが」
皆月の前へ炎の壁が現れ、氷柱が全て霧散する。
アイスマンは目を白黒させていたが、レッドは目も暮れていなかった。
「殺せ殺せ。そうすれば反撃はできねぇ。いや、クイーンは別か。だが、あぁいう特殊なやつ以外は、殺せば大人しくなる。まぁ、てめぇには無理だろうけどな」
「うぅ……油断してすみません……」
挽回したと思った瞬間の失態だ。皆月は小さくなる。
完全に存在を無視されているアイスマンは、怒りのままに吠えた。
「舐めんじゃねええええええええええええ!」
無数の氷柱が倉庫内のどこにも逃げ場が無いほど現れ、三人を囲む。……まぁレッドが軽く手を振れば全て霧散するのだが、アイスマンからすれば限界を超えた能力の行使だ。勝ったと勘違いしてしまうのも仕方ないことだった。
しかし、レッドは炎を出すこともせず、チラリと一点を見る。
「……もういいだろ、
「あぁ?」
「てめぇのことじゃねぇよ。まさか、こんな中途半端な冷凍マグロを並べて、本物のアイスマンになったつもりだったのか?」
皆月も、男も目を瞬かせる。レッドの言葉の意味が分からない。
だが、その答えはすぐに現れた。
氷の彫像の一つがバキバキと音を立て、その腕で男を掴んだ。
猫耳のついた青いパーカーの少女は、なんとも楽しそうに笑みを浮かべた。
「バァッ」
「え? あなた、あの、あれ?」
見知った姿に皆月は、レッドと少女を何度も見る。
しかし、その隙を逃さずに男が動いた。
「誰も動くな! こいつを殺すぞ!」
仲間だと思ったのだろう。人質にできれば逃げ出せるとも思ったのだろう。それが、最悪の相手だとも気付かずに、自称アイスマンは笑う。
だが、動けたのはそこまでだった。
「ボクさぁ、これでもこだわりが強いほうなんだよね。なのに、このきったねぇ凍らせ方はなにさ。やるなら、もっと美しくやってよね」
「なに、を……っ!? か、体が凍っていく! クソッ! 解除できねぇ!」
氷かけていた男へ少女がフッと息を吹きかけると、そこにはクリスタルのような美しい氷が残る。中には、絶望の表情を浮かべている男がいた。
周囲にある氷漬けの遺体とは違い、宝石と見紛う美しさ。これこそが、本物の”アイスマン”の力だった。
「まぁ、お前いらないけどさ」
少女が容赦なく蹴りを入れると、氷ごと男の遺体は粉々に砕け散る。倉庫内に氷の結晶が舞い、光を反射してどこか幻想的な空間となっていた。
ここでようやく、皆月の停止した思考が事態に追いつく。
彼女は口を大きく開いたまま、少女を指差した。
「ア……アイスマン?」
「会うのは三度目かな? でも面倒だし初めましてでいいか! 初めまして、仕事で失敗して泣いていた人! ボクがアイスマンだよ!」
それに対し、皆月が言えたことは、
「……な、泣いてはいないから!」
くらいなものだった。
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