3-2 落ち込み、そして立ち直る
レッドの怒声が響く
「このドカスが!」
「うぅぅ……」
「ふふっ」
弟子入り志願をしていたときとは真逆な状況に、上杉は思わず笑ってしまう。
今日の訓練は、椅子に縛られている冤罪でも無い極悪人な死刑囚の頭を、銃で弾くだけという簡単なものだった。
だが、まぁ、皆月にできるはずがない。苛立ったレッドが死刑囚の足の甲を撃って煽りもしたが、結果は変わらない。
レッドは溜息を吐き、皆月がビクリとする。
「もうあれだ。実戦でやっていこうぜ? ほら、アンダーにこいつを残して、一ヶ月後くらいに迎えに行くってのはどうだ?」
「アンダー、ってなんですか?」
「人工島ですよ。存在は秘密裏にされていますが、住んでいる人間のほとんどがマーダーです。アンダー内の規律は三つの大組織が管理していまして、夜の国もその一つですね」
「へぇー……。でもそんな場所に置いていかれたら、わたし殺されませんか?」
「死ね」
「嫌ですよ!」
蟻の巣に角砂糖を置くような所業を提案されたが、当然のように皆月は断る。強くはなりたいが、そんなところに放り出されれば死ぬのは確実だと分かっていた。
煙を揺蕩わせながら、レッドが言う。
「……例えばだけどよぉ。てめぇの能力が封じられて、相手の身体能力が自分以上だったらどうする?」
「え? それは、普通に負けるんじゃないですか?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
過去最大の溜息に、皆月は動揺を隠せない。
レッドは額に手を当てたまま言った。
「だからてめぇはダメなんだ。戦闘中に負けるか? いや、そんなことはあり得ねぇ。負けるのは、
メンタルの弱さは考え方のせいだという、その言葉を皆月は否定できなかった。力はあるのにそれを活かせないのは、自分のメンタルに問題があると気付いていたからだ。
そして、レッドもそれに気付いていた。鍛えてやると言った以上、手抜きをする気は無い。四六時中、考えたくもない皆月のことを考え、彼女の弱さを見抜いていた。
ガリガリと頭を掻いたレッドは、諦めたように言った。
「……もういいか」
「え?」
「戻るぞ」
「はい」
皆月に背を向け、歩き出すレッドと付き添う上杉。
「あの、待っ――」
必死に手を伸ばしたが届くはずもない。二人の姿は消え、皆月を絶望が包んだ。
牢獄の中へ戻ったレッドの顔は、別段いつもと変わらない。
壁に背を預け、上杉が聞いた。
「良かったんですか?」
「仕方ねぇだろ。ここまでやってダメなんだから、能力の向上だけさせておいたほうがいい。敵の能力だけ抑えられるようになれば、後はオレが殺せばいい」
「なら、そう言ってあげればいいじゃないですか。皆月さん、見捨てられたと思っていますよ?」
そうなのか? とレッドは考えたが、確かに上杉の言う通りかもしれないと気付く。
だが、だからどうしたというのか。別に、そこまでレッドが気遣ってやる理由は無い。心が折れたというのなら、それだけの話だ。
「……そうなんだが、あれが強くなってくれねぇと、それはそれで腹立つんだよなぁ」
「負けたからですか?」
「負けたからだよ」
チッと、レッドは強く舌打ちした。
上杉の予想通り、皆月は死ぬほど落ち込んでいた。
――見捨てられた。
いや、むしろよく付き合ってくれたと言うべきだろう。未熟なマーダーである皆月を鍛えようとしてくれていたのに、その期待に彼女は全く応えられなかった。
仇を討ちたい、胸の内にはどす黒い炎が燃えている。だがそれとは別に、人を殺すことへの躊躇いは捨てきれなかった。
そんな中で、皆月は無理矢理に笑みを浮かべた。
目前に迫っていたクレープは、ギリギリのところで止まった。
「うーん、残念!」
「いや、知らない人の顔にクレープを押し付けたらダメだよ……?」
知っている人でもダメなのだが、知らない人ならば余計ダメだろう。例えそれが、彼女なりに元気づけさせようとしているとしても、だ。
パーカーの少女はクレープを食べながら言う。
「そういえばさっき、蟻の巣の周りに溝を作って、氷を落としておいたんだよね。そろそろ溶けてるんじゃないかな? 一緒に見る?」
「いやいや、小学生じゃないんだから。蟻がかわいそうでしょ?」
「……ふーん。つまらないことを気にするんだね」
なにを考えているのか分からない少女の言葉に、皆月は苛立つ。特に今は、より気分が優れないこともあり、我慢できずに言ってしまった。
「悪いけど、今はあなたと話している気分じゃないの! 仕事で色々あって、その、落ち込んでるの!」
ただの八つ当たりだと分かっていながらも、それが抑えられなかった。
皆月は自己嫌悪に陥ったが、少女はケロッとした様子で言った。
「なら、返上するしかないね」
「……いや、返上するのは汚名で……合ってる、かな? でもこの場合、挽回のほうが正しい気がするかも?」
「どっちでもいいよー。じゃあ、挽回すればいいんじゃない?」
釈然としないものを皆月は感じていたが、彼女の言うことは間違っていない。
そもそも、見捨てられたというのなら、また頭を下げればいい。弟子入りを頼んだときは、何日もそうしたではないか。
初心を取り戻したというわけではないが、皆月はやる気を取り戻した。
やり方はともかくとして、それは彼女のお陰だ。
「あの、ありが――ちょっと待ってね。はい、皆月です」
『仕事です。ここ最近多発していた、女性を氷漬けにする事件を起こしていたマーダーを見つけました。すぐに戻ってください』
「分かりました! ……仕事だから戻らないと。でも、ありがとう! 少し元気が出た!」
「よく分からないけど良かったねー」
立ち去ろうとしたが、皆月は足を止める。
「そうだ、良かったら名前を教えてくれる? わたしは、えっと……皆月だよ」
偽名を名乗ることに気まずさを覚えたが、規律を破るわけにはいかない。仕方なく、”皆月”と名乗った。
それを聞いた少女は、アハハと笑いながら軽く手を振る。
「悪いけど、ボクの名前は認めた相手にしか教えられないんだよね」
レッドと似たようなことを言うな、と皆月は思う。だが、そういうこともあるのだろう。似た考えをもつ人間がいることだって、良くある話だ。
青パーカーの少女は手を振りながら立ち去って行く。皆月もまた、自分の向かうべき場所へ向かうことにした。
――夜。
三人が向かったのは、とある冷凍倉庫だ。
犯人は夜になると、この倉庫へ戻って来る。その姿は確認されており、今はもう中にいることが分かっていた。
「本部ではこの事件を、”アイスマン事件”と呼称しているようです」
「アイスマンってトラフィックライトのですか!? レッドさんの同僚じゃないですか!」
「あいつは同僚じゃねぇよ」
「なら、話をすれば説得できるかもしれませんね。わたしも頑張ります!」
「話を聞いてねぇな……」
気合を入れている皆月を見て、レッドと上杉は小声で話し始める。
「なんかこいつ、妙にやる気じゃねぇか? 頭でもぶつけたのか?」
「よく分かりませんが、元気なのは良いことです」
「まぁ、そうか」
「なにをしているんですか! 早く行きましょう! 先陣は任せてください!」
この先にいるのはマーダーで、そこにあるのは氷漬けの遺体だ。
それを事前に読んだ報告書で分かっていながら躊躇を見せないところから、皆月の感覚も少しずつズレ始めている。だが本人はそれに気付かず、倉庫の扉を勢いよく開いた。
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