Chapter 4. Cradle Song(子守唄) 4



 今度こそ、本当に目を覚ます。窓が開け放たれていて、フェリックスがその傍に立っていた。彼は、窓の外に広がる夜空を眺めていた。


 そうして真剣な顔をしていると、やはり彼の兄ビヴァリーに似ていると思ってしまう。実際、似ているのだ。ビヴァリーの方が金髪の色が薄く、プラチナブロンドに近い色だった。目の色も、ビヴァリーの方が薄い。


 何から何までそっくり、というわけではない。だが、二人が並べばすぐに兄弟だとわかるぐらいには、似ていた。


 フェリックスは目覚めたルースを認め、こちらに近寄る。


「ルース、平気か?」


「うん……。ミザリーさんは、どうなったの?」


「聖水が利いて、今は寝込んでるよ。悪魔に憑かれていたが、幸い初期だったみたいだ。災難だったな」


「ええ――。あの人、どうして悪魔に? 赤ちゃんがどうとか言っていたけど」


 ルースが首を傾げると、フェリックスは事情を語ってくれた。ミザリーが子を流したこと。怪しい薬を買いに行ったこと。そうして、悪魔に憑かれてしまったこと。


「ねえ、フェリックス。どうして、薬で悪魔が憑くの?」


「……瓶か何かに、悪魔を封じているんだろ。飲んだ瞬間、憑かれるって寸法さ」


「誰が、そんなことを」


 呟きながらも、ルースはなんとなくわかってしまった。


 西部の悪党――ブラッディ・レズリーだろう。彼らはなぜか、悪魔の出現する事件に絡んでいる。悪魔を商品として扱っていると考えるならば、納得がいく。


 顔を上げ、じっとフェリックスを見る。


 だが彼は特に反応を見せず、水差しからグラスに水を注いでルースに渡してくれた。


(まあ、一番わかってるのはフェリックスよね)


 仮にも悪魔祓いなのだ。ブラッディ・レズリーと悪魔の関連性に、気づいていないはずがないだろう。


「気分はどうだ?」


 水を飲むルースに、フェリックスは静かな問いを放つ。ルースは片手で腹を押さえた。先ほどまでの、のたうち回りそうな痛みは引いている。気分がいい、とまではいかなかったけれども。


「大分、まし。明日には出発できると思うわ」


「それなら、よかった」


 フェリックスは手を伸ばして、ルースの髪を撫でた。その手つきがあまりに優しいものだから、つい聞いてしまった。


「……ねえ、フェリックス」


「ん?」


「あなたはどうして、娼婦を買わないの?」


 質問して、ルースは後悔した。どうしてこんな、はしたないことを聞いてしまうのだろう。


 しかし、フェリックスは気を悪くした様子もなく肩をすくめた。


「俺も小さかったから、あんまり覚えてないんだけどな。酒浸りになった親父が、よく女を連れ込んでたんだ。知らない女と一緒にいる親父を見た記憶がある。それで、母親がヒステリー気味に怒って、叫んでいたこともな」


「……そうだったの」


「ああ。そのときはわからなかったけど、あれは娼婦だったんだろう。そういうわけで、気が乗らないだけさ」


 なるほど、とルースは頷いた。共感して、胸に哀しみが満ちる。


 フェリックスが、過去を語ったのは初めてだった。ふと疑問に思って、その透徹な目を見やる。フェリックスの蒼い目は静かだった。いつも通り、何もかも見透かしてしまうような視線に、思わずルースは目を逸らす。


(フェリックスは、あたしが過去の映像を見たこと……覚えているのかもしれないわね)


 そうでなければ、さっきのことを語ってくれていない気がした。


 でも、ルースはそのことは言わない心づもりだった。少なくとも、今は。


 フェリックスも敢えて追及する気はないのか、それ以上は語らずに沈黙していた。


 どのぐらい、静寂が続いただろう。沈黙を破ったのは、ルースのくしゃみだった。


「寒いか? 寝ながら暑い暑いってうめいてたから、窓を開けてたんだが。もう閉めるか?」


 問われ、ルースは小さく頷いた。


 暑い、なんて言った覚えはない。寝ている間なら、覚えていなくても仕方ないのかもしれないが。


 フェリックスはパタンと窓を閉め、小さなテーブルに置かれたランタンを持ち上げる。


「俺は隣の部屋だから。何かあったら呼べよ」


「え、ええ」


「おやすみ、ルース」


 おやすみ、と言ったところでフェリックスが部屋から出ていく。


「……」


 散々眠ったのだろうが、まだ眠い。


 色々考えないといけないのに、思考が働かなかった。グラスをテーブルの上に置いて、ルースはもう一度ベッドに横たわった。


 眠りに落ちかける前に、女とフェリックスの話し声が聞こえてきた。なんだかもやもやしたが、その気持ちを意識する前にルースは眠りの世界に入っていた。




 翌朝、ルースとフェリックスは娼館を発つことにした。


 娼館の前で、皆に別れを告げる。


 今日の荒野は、強い風が吹いていた。


「世話になったな、シャーロット」


「いいや、あたしの方こそお礼を言わないと。ミザリーが、悪魔に取り憑かれてたなんてね。また、いつでもおいで。あんたの師匠にもよろしくね」


「はいはい。俺がよろしくって言う前に、カルヴィンはここに来ると思うけど?」


 茶化しつつ、フェリックスはシャーロットと軽く抱き合う。シャーロットが、赤い唇でフェリックスの頬にキスをした。他の娼婦も、シャーロットと同じように、フェリックスに抱擁と頬へのキスを残す。


 その光景をぼんやり眺めながら、ルースは馬に少しもたれて手綱をぎゅっと握った。また、気分が少し悪くなってきた。


「嬢ちゃんも、またね。居心地悪かっただろうし、ミザリーがあんたに悪いことしたけど……」


「いえ、大丈夫です。私こそ、お世話になりました」


 頭を下げると、シャーロットは鷹揚に笑ってくれた。




 ルースは少し気分が悪いとはいえ、一人で馬に乗れないほどでもなかったので、娼館から出発してからは一人で馬にまたがっていた。


 馬は心地のいい速さで、走り続ける。


 ふと、ルースは薄い青色をした空を仰ぐ。


(ブラッディ・レズリーの出るところに、悪魔が出る。でも、もしかして)


 自分もそうなのではないだろうか、と考えたところで背筋に悪寒が走った。考えてはいけないことを、考えてしまった気がする。


「ルース、どうかしたか?」


 先を行くフェリックスが振り返ったが、ルースは「何でもないわ」と答えた。


 フェリックスは本当に聡い。


 彼は透徹な視線でルースをじっと射る。


 見透かされてしまいそうで、ルースは目を逸らす。


「前を見ないと、危ないわよ」


「……はいはい」


 ようやくフェリックスの首が元の位置に戻り、ホッとしてルースは彼の後ろ姿を見つめる。


 フェリックスは、“ルースとの約束があるから言わない”と言った。でも、もうそんなことを言っていられないのではないだろうか。


(あたしは、真実を知るべきだわ)


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