Chapter 6. Thousand Crosses Hill (千十字架の丘) 3



 頭が、ずきずきと痛む。


 オーウェンはふらふらする頭を振って体を起こし、今の状況を把握しようとした。


「どこだ……」


 見覚えがある。そうだ、ここは――自分の家――自分の家と定めた家だ。


 そして今、自分はベッドの上にいた。


「ティナ?」


 オーウェンはベッドから降りて、扉へと近づいた。そして扉を開いて息を呑む。


 家は、闇の中に浮かんでいたのだ。


「ここは……どこだ。ティナ! どこにいるんだ!」


 悲鳴にも似た叫びをあげても、ティナは来なかった。








 フェリックスは、突然背後から凄まじい邪気を感じて銃を抜いた。


 久しく相対していなかったほどの、上級だ。油断をすれば、こちらがやられるだろう。


 フェリックスは振り向きざまに、銃を撃った。


 悪魔は避けもせず、弾丸を手で受けた。貫通はせず、僅かな血を飛ばして弾丸が手の平に埋まる。


「あら、何だ。あんたは妹じゃあ、ないわね」


「俺のどこを見たら、妹に見えるってんだ?」


「余計なことを言いにきた、妹を殺しにきたのよ。どこにいるの?」


「妹って――」


 ルースのことか、と気づいたフェリックスは目の前の悪魔を凝視した。


 長い三つ編みに、素朴な容姿。目に立ち上るのは、激しい怒りだ。


「オーウェンは、私の夫よ」


「えっ。兄さんてば、俺たちが必死に捜してる間に、君とそんな仲に?」


 思わずふざけてしまったが、少女は全く笑っていなかった。


「私が捜しているのは、あなたじゃないわ」


 そして地面が揺らぐ。フェリックスは引き金を引いたが、重心が揺らいでいる状態で弾が当たるわけもなく、弾丸はティナの肩をかすめただけだった。


「くそっ、ルースのところに行く気か……!」


 フェリックスは幾度もつまずきそうになりながらも、地震などないように先を歩くティナを追った。








 ぞわりと寒気を感じたルースは、腕をさすった。


「どうした?」


 フィービーに問われ、ルースは首を振る。


「いえ、何か寒気が――」


 そして振り返ったルースは、床に人が倒れていることに気づいて悲鳴をあげた。


「えっ!? どうなっているの!?」


「落ち着け、小娘。こいつらは今いきなり現れただけだ」


「だから、それで驚いているんじゃない!」


 ルースは寒気の正体を、すぐ知ることとなる。


「伏せろ!」


 フィービーに突き飛ばされ、ルースは床に転がる。その上を、鋭利な刃物がかすめた。


「女。手を上げろ! 私は連邦保安官だ!」


 フィービーが両手に銃を構えて警告した先には、一人の少女が立っていた。


(姉さん……? いえ、違うわ。全然違う人だわ)


 昔の姉を彷彿ほうふつとさせる少女は、手にナイフを構えていた。そして警告に従うこともなく、少女はフィービーに向かってナイフを投げつける。


 舌打ちして、フィービーが身をひるがえしてナイフを避ける。


「話が通じる相手では、ないようだな。小娘、起きろ。テーブルの向こうに隠れろ」


「え、ええ」


「逃がさない。あなたが、妹ね――」


 少女は人間離れした動作で、壁に張りつき天井を這った。


 絶句するルースとフィービーの傍らに、彼女が降り立つ。


「死んでしまえ!」


 ルースに少女がナイフを振り下ろさんとしたとき――銃声がとどろいて、弾丸が少女の腕を貫いた。


 入口に、銃を構えたフェリックスが立っていた。


「ルース、逃げろ! フィービー、連れてきてくれ!」


「ああ! 行くぞ小娘!」


 フィービーはルースを引きずるようにして、フェリックスの立つ入口へと走った。


 その間、呆然としていた少女はようやっと三人を振り返る。


「私の腕、動かなくなっちゃった」


 血まみれの腕から、ナイフが滑り落ちる。


「二人で逃げてくれ。後から追う」


 フェリックスは銃を構えたまま、二人に告げた。


「でも、フェリックス!」


「大丈夫だから! フィービー、ルースを頼んだぞ!」


「任せろ」


 フィービーは抵抗するルースを肩に担いで、サルーンから出た。


「待って! 兄さんも見つかってないのよ!」


「黙れ。お前がいては、庇って戦わなくてはならない。安全なところに逃げるのが先だ」


 フィービーの叱責に言い返すこともできず、ルースは唇を噛んだ。




 フィービーに連れられ、ルースはサルーンから遠く離れた家屋に入った。


「あなたは、加勢には行かないの?」


「私が離れては、あの男と交わした約束が果たせんだろう」


「あ……」


 納得がいくと同時に、自分が情けなくなる。


 しばし、気まずい沈黙が降りる。


「あの、あなたは怖くないの?」


 突然とも言える質問に、フィービーは眉をひそめる。


「だって……異常な状況だもの」


 フィービーは悪魔のことを知らないはずだ。それなのにこのような状況に放り込まれても、全く動じていないのが不思議だった。


「確かに異常だが――だからといって、混乱して怯えていては何にもならない。私は、切り抜けるだけだ」


「……そう」


「それに、異常な事態はブラッディ・レズリーの事件にはつきものだ。慣れた。今回のことにも、あいつらが絡んでいないとは言えまい」


「ブラッディ・レズリーが絡んでる!?」


「可能性の話だ」


 言葉とは裏腹に、フィービーは半ば確信しているような表情で虚空を睨んでいた。




 フェリックスは弾を補充しながら、縦横無尽に跳び回る悪魔を睨みつけた。


 乗り移っているのが少女だからなのか、嫌になるほど敏捷だ。


「悪魔を見る男よ。お前の弾は当たらぬぞ」


 少女の喉から出ているとは思えぬほど深みのある声で語りかけ、悪魔はカウンターの上に軽やかに降り立った。


 必殺の早撃ち――“西部の伝説”を使ってすら、当たらない。


(これは、ただ早いだけじゃないな……。そうか、自分の周りの空間を歪めているのか?)


 目を凝らすと、悪魔の輪郭が微かにぼやけていることに気づいた。


「さすが上級悪魔だな。戦い甲斐がある!」


 大口を叩き、フェリックスはジーンズのポケットを探った。


(聖水……よし、あるな)


 小さな硝子瓶ごと悪魔に向かって投げつけると、悪魔は悲鳴をあげた。


 さすがに、効いたようだ。


 だがフェリックスの弾丸が捕らえる前に、その姿は虚空に消えた。


 舌打ちをした後、フェリックスは銃を下ろす。


「おい、あんた……」


 声をかけられ、振り返るとカウボーイハットをかぶった男がテーブルの陰から様子をうかがっていた。


「ああ……あんたは、失踪者か?」


「そうだ。どうやら、俺は保安官らしい。記憶はないけどな」


「記憶はない?」


「ここにいるみんな、そうだよ。オーウェンは初め記憶があったが、消えたと言っていた」


 男は立ち上がり、フェリックスに手を差し出した。


「あんた一人じゃ大変だろ。手伝うよ」


「それは助かる」


 有り難く、フェリックスは男の手を握った。


「ニールだ。さっきも言ったように、どうやら保安官」


「俺はフェリックス。悪魔祓いだ」


 ニールはフェリックスの職業に驚いたようだったが、すぐに納得したように頷いた。


「なるほど、悪魔か。あの人間離れした動き……それだと、説明がつくな」


「ああ。しかも、上級だ。――他の失踪者たちは、どこにいるんだ?」


「まだ気絶してるよ」


 ニールが顎で示した通り、三人の男女が床に横たわっていた。


「俺も今さっき、気がついたところだ。ティナは疑った途端に、恐慌状態になってな……」


 ニールは、先ほどティナを問い詰めた話を語った。


「あの悪魔――いや少女は、ティナって言うんだな」


「そうだ。そのときオーウェンもいたはずなんだが、いなくなっている。ティナが連れていったんだな。ティナは、妙にオーウェンのことを気に入ってたからか」


「何だって? ったく、兄さんてば悪魔に好かれやすいんだからっ!」


 やきもちを焼く女のような口調で毒づいた後、フェリックスは、はたと思い出した。


『オーウェンは、私の夫よ』


 ティナは、そんなことも言っていた。


「とにかく――悪魔を捜そうと思う。協力してもらえるか」


「ああ」


「この人たちは、悪いけどこのままでいてもらおう」


「そうだな……」


 フェリックスとニールは、会話を交わしながら外に出た。


 町は静まり返っている。


 二人は警戒して銃を構えながら、速足で町を歩いた。


(ルースとフィービーは、どこかに隠れているはずだ……)


 フィービーが付いているなら、とりあえず心配はないはずだ。いくら滅茶苦茶でも、フィービーは連邦保安官だ。ルースを守ってくれるだろう。


「だけど、悪魔にしても――どうして、こんなことをしたんだか」


 フェリックスの独り言に、ニールが反応した。


「それなんだよな。――っていうか記憶失くしたって言ってたけど、ちょっと思い出してきたぞ」


「本当か?」


「ああ――断片的に、だが。この町の記事を見たことがある」


 ニールは眉間に皺を寄せて、ゆっくりと語った。


「元々、この町はウィンディ・ヒルっていう町だったんだ。その名の通り、風が強く吹く丘があったんだとさ」


「――で。ハリケーンで町が全壊したんだな」


「何だ、あんた知ってるのか。ああ、そうだ。最近、新聞にその記事が載ったんだよな。回顧録って形で。生き残りの少女に、インタビューをしてたんだ」


「生き残り?」


「それが――ティナという名前だった」


 ニールもそれをたった今思い出したとばかりに、首を振った。


「そうだ、あの子だったんだ。違う町の親戚の家にたまたま預けられていたから、難を逃れたんだよ」


「なるほど。で、その記事には何が書いてあった?」


「“本当の家族が欲しい”、“町に戻りたい”と――」


 それだけで、ティナがどんな思いをして育ったのかがわかってしまう気がした。


「親戚の家じゃ、上手くいってなかったのかな」


「だろうな。もしかすると、アンバーやライナスが連れてこられたのは、父親と母親に……ってことだったのかもしれない」


「なるほど。あんたと、もう一人は?」


「兄、じゃないだろうか。その記事では、兄二人も失ったと書かれていた。俺は……そうだ。失踪者が出たから捜査に向かったんだった」


 ニールはどんどん、記憶を取り戻しているようだった。


「そうか! あんたの記憶が戻っているのは、悪魔の力が削がれているからだ」


「何だって……?」


「あんたは最初しばらく、記憶があったって言ったな? それって、あんたが最近来たからじゃないのか?」


「ああ、そういえば――オーウェンに次いで俺が二番目に新しいな」


 ニールは、そこでハッとしたようだった。


「オーウェンも記憶を失くしてなかった。失ったのは、ついさっきだ」


「そうか、それなら兄さんは……あの血筋だから、気に入られやすいのか……?」


「何だって?」


「いや、こっちの話だ」


 フェリックスは何でもないように話を打ち切ったが、その顔は若干青ざめていた。


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