Chapter 2. A Red Headed Girl(赤い髪の少女) 3
扉を開けると、中にいたエレンが振り返った。
「フェリックスじゃないか! 何だか久しぶりだねえ」
「本当に。エレンさんにも心配かけたな」
「とんでもない。ところでジョナサンは今、眠ってるよ」
「じゃあ起きたら話すから、交代ってことで」
フェリックスが片目をつむってみせると、エレンはフェリックスの肩を叩いて扉に向かった。
人の温度が残った椅子に腰を下ろし、フェリックスはジョナサンの寝顔を見下ろす。前に目にしたときよりも、顔が青白い。
「どうしちゃったんだよ、ジョナサン」
呟いて、髪をそっと撫でてやる。
「フェリックス」
ルースが、そっと扉から顔を覗かせた。
「ジョナサンは?」
「寝てる。起こすのも忍びないな、と思って」
「あのね、あんた……ここで生まれ育ったんでしょ。新大陸特有の伝染病とかにも詳しいの?」
「うーん、どうかな。医者には見せたんだろう?」
ルースはこくりと頷き、ジョナサンにそっと近づいた。
「三人も別のお医者さん呼んだけど、みんな原因がわからないって……お手上げだったの」
「何だって?」
「それに、お医者様が見たときには、多分なかったんだろうと思うんだけど――不気味な痣ができてたの」
布団に入った腕をそっとつかんで外に引き出すと、フェリックスの目が見開かれた。
「何だ……これ」
すると、腕を引かれた感触で起きたのかジョナサンが目を開いた。
「――フェリックス!」
ジョナサンはがばっと起き上がり、久方ぶりに会った用心棒に体当たりするかのごとく抱きついた。
「心配かけたな、ジョナサン。――どうしたんだ。泣いてるのか……」
滅多に泣いたりしない子だというのに、とフェリックスは息を呑んだ。
「ジョナサン。どうした? どこか痛いのか?」
「……ううん。あのね、これね」
ジョナサンは痣が走る腕を持ち上げた。
「フェリックス。あの青い薔薇があった町、覚えてる?」
「ああ。――まさか」
フェリックスは、さっと青ざめた。
「あれが体内に入ったのか!? あのとき、俺が抜いたはずだ!」
「うん。でもちょっとだけ、残ってたみたい。たまに、“どくどく”って心臓みたいな音がしてたの」
ジョナサンの告白に、フェリックスは頭を抱えた。
「――どうして言わなかったんだ」
「気のせいだと思ったんだ」
「ああ、どうして俺も気づかなかったんだ――。だが、お前から悪魔の気配はしなかった……いや、待て」
フェリックスはジョナサンの目を真っ直ぐに見た。
「嘘だろ……ああそうか、根を張ったのか……」
「待って! どういうことなの!?」
ルースが鋭い語調で口を挟むと、フェリックスは虚ろな目で首を振った。
「以前、ジョナサンは青い薔薇のような魔物に襲われて、もう少しで養分になるところだったんだ」
「もしかして、楽園から荒野に変わった町……?」
そういえば、とフェリックスが魔物の説明をしていたことを思い出す。
「ああ。それに襲われたときに、欠片がジョナサンに入ったらしい。原因はわからないが――眠っていたそれが、急にジョナサンの体に適応してしまったんだろう。まだ微かだが、ジョナサンから悪魔に近い気配がする」
「嘘……嘘でしょう!?」
ルースはがくがくと、フェリックスを揺さぶった。
「ジョナサンは、どうなるの!」
「わからない。わからないんだ――」
悔しそうに歯を食いしばる彼を見てルースは手を放し、零れ落ちそうになる涙を留めた。
「俺は人に取り憑いた悪魔を殺してきたが、魔物が取り憑いた例は初めてなんだ。ちょっと――考えさせてくれ」
フェリックスは席を立ち、部屋から出ていってしまった。
「……お姉ちゃん。ごめんね」
「どうして、あんたが謝るの」
「僕が、フェリックスに早く言えば良かったんだ。でも気のせいだ、気のせいだ、ってずっと誤魔化していたから――。フェリックスのせいじゃないよ」
「――わかってるわ。さあ、横になりなさい。ともかく原因はわかったんだから、何とかなるわよ」
ぎこちなく笑ってみせると、ジョナサンもホッとしたように表情を緩めた。
ジョナサンがもう一度眠ったことを確認して、ルースは部屋から出た。廊下でフェリックスが佇んでいて、ぎょっとする。
ぶつぶつと、何事か呟いている。
「畜生――どうして肝心なところで役に立たないんだこの目は……」
自責というよりもむしろ、呪詛のようだった。
ルースはぞっとして、思わずフェリックスの腕を引っ張った。我に返ったように、フェリックスはルースを見下ろす。
「ああ、ルース。どうした」
「どうした、じゃないわよ。あんた大丈夫?」
「何がだ?」
まさか自覚なしに呟いていたのだろうか、とルースは眉を上げた。
「……何でもないわ。それより、どうしたら良いのかしら。手術で、入りこんだものを取り除くことは可能なの?」
「無理だ。お前にもあれがはっきり見えたのは、ジョナサンの肌を通しているからだ。肌を裂いたら、普通の人にはきっと見えない」
フェリックスがきっぱり言い切ると、ルースは悔しげに床を見つめて首を振った。
「でも、ジョナサンは魔物に襲われそうになったって言ってたわね。そのときは、どうして見えたの?」
「狙われて、幻惑されていたからさ。本当なら見えなかっただろう。お前には見えないだろうが――腕以外にも、達している。それこそ、内臓にも……。ぼんやりと、見えるよ。手術が無理なのは、そういう理由もある」
「……じゃあ、どうしたら良いのかしら」
ぽたり、と床に小さな染みが広がった。
ずっと我慢していた涙が、とうとう零れてしまった。
「ルース、泣くな。方法を捜してみる」
フェリックスが手を伸ばして、親指でルースの涙を拭った。不可思議な既視感を覚えながら、ルースはしゃくりあげをこらえて言葉を紡いだ。
「どうやって?」
「それはまだ考えてるけど、ジョナサンは必ず助けてみせる」
「――ありがとう。……ねえ、フェリックス。気になってることがあるの」
ルースは礼から間を置かずに、浮かんだ疑問を口にした。
「ジョナサンに憑いているのは、悪魔ではないの?」
「違う。あれは魔物であって、悪魔じゃない」
「……そう。あとね、フェリックス。ジョナサンがあんたを怒るな、って言ってたの。だから、あんたも自分を怒っちゃだめよ」
フェリックスは虚を突かれたような表情になってから、微笑を浮かべていた。
取り調べ室にやってきたジェームズ・マッキンリーは、中で待っていたフィービーとエウスタシオを見て目を丸くしていた。
「ど、どうも。クリスティを殺した犯人は、捕まったのか?」
「悪いが、逃げられた。真実を突き止めるためにも、協力してもらいたい。まあ座れ」
フィービーの指示に従い、ジェームズはぎしぎし軋む椅子に腰かけた。
「クリスティがあの屋敷で働いていたことは、お前のせいではないんだな?」
「ああ……。“恋人だった”と言った通り、俺たちは今は付き合っている状態とは言えなかった。別れた後、あそこで働き始めたと聞いたんだ」
「それがなぜか、見当はつきますか?」
今度はエウスタシオが、質問した。
「俺と、よりを戻したかったのかもしれない……」
「あなたから振った形で、別れたんですか?」
「まあ、そうなるかな。親父の財産が乗っ取られてから、俺は荒れた。クリスティは我慢強く付き合ってくれてたけどさ、正直もう……俺はあいつと結婚できる余裕なんてのも、なかったんだ」
ジェームズは頭を抱え、ため息をついた。
「なるほど。クリスティは、お前に証書を取り返してやりたかったんだな。お前が易々と侵入できたのも、そのせいか」
「ああ。手引きもしてくれたよ。だけど証書は、なかなか見つからなかったんだ。よほど巧妙に隠していたらしい」
「だが、殺人のあった夜に見つけた?」
フィービーに確認され、ジェームズは小さく頷く。
「クリスティが渡してくれた。でも、さっき
室内に緊張が満ちた。
「クリスティが偽物を見つけたのか、それとも元々偽物を渡すつもりだったのか」
フィービーの発言に、ジェームズが顔を上げた。
「どういうことだ?」
「お前が手を引くように、かもしれん。ブラッディ・レズリーが関わってるかもしれないんだ。そんな中、証書を捜し続けたら殺される可能性もある。おそらくクリスティは何かを見たか、見つけたか……」
フィービーは腕を組んで、天井を仰いだ。
「だけどクリスティは、俺を庇うためだけに偽証したんだろうか?」
「そこも疑問なのですけどね。最初、ブラッディ・レズリーが罪をなすりつけるために脅して偽証させたんだと思ったのですが、それだと辻褄が合わない部分もあるのです」
エウスタシオが身を乗り出し、ジェームズに顔を近づけた。
「殺すまでが、早すぎたんですよ。クリスティは証言を翻し、保安官事務所に行くまでに殺されました。それまで、ブラッディ・レズリーらしき影は見ていません。屋敷にいたのかもしれませんが、それにしたって伝達が速すぎる」
「そ、それもそうだな」
ジェームズも納得したようだった。
「じゃあ、クリスティは初めから殺される予定だった?」
「……そう考える方が、しっくり来ます。証言者であるクリスティが死ぬ予定だったなら、偽証は一時の効果があれば良かったんでしょう。しかもクリスティは、ブラッディ・レズリーの代名詞とも言えるライフルで殺された」
「わけがわからないなあ。そんな一時的な偽証で、ブラッディ・レズリーに得があったのか? しかも、裁判の前だったってのに」
「得はないな」
フィービーがきっぱり告げた後、話題を変えた。
「ま、ブラッディ・レズリーの魂胆云々はお前には関係ない。話は変わるが、お前はクリスティから何か聞いてないのか? ブラッディ・レズリーの何かを目撃したとかなんとか」
「何も言ってなかったが……。ブラッディ・レズリーについてじゃないが、最近やたら侵入するのを止めろって言ってきたのは確かだな。クリスティが何か見たんだったら、わかる気もする」
「そうか。取り調べは、これで終わりだ。協力に感謝する。しばらくはこのまま牢屋入りだろうが、その後は落ち着くまで
フィービーがそこで話を打ち切ったので、ジェームズは頷き、ゆっくりと立ち上がった。
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