Chapter 6. Loss (喪失) 8



 人気のない町をがむしゃらに駆け、ようやく宿屋に飛び込む。


 扉を閉めて肩で息をすると、何事かと支配人が歩み寄ってきた。


「どうしたんですか」


「あ、あ、セシルが――」


「セシル? ああ、あのピアニスト」


「大変なの。あたしと一緒にセシルの家に行ってくれた男の人を、セシルが吹っ飛ばして……」


 ルースが息も絶え絶え説明すると、男たちは顔を見合わせて、血相を変えて外に出ていった。


「災難でしたね、お嬢さん、坊や。さあ、こちらの椅子に座って落ち着いて」


 支配人は、入り口の扉をしっかりと施錠をしてから促す。ルースとジョナサンが腰かけようとしたそのとき、扉が蹴破られた。


 入ってきたのは、セシルだった。


 あの赤い瞳孔はそのままだ。


「――ジョナサン!」


 ルースはジョナサンの手を引き、二階に上がろうとした。先ほど宿に残っていた男たちは、外に行ってしまった。セシルと行き違ったのだろう。残っているのは老いた支配人と、女たちだけだ。


 セシルの力は尋常ではなかった。扉が吹き飛んでしまっている。


「ばっ、化け物……!」


 支配人が震える手で銃を撃ったが、銃弾はかすりもせずにセシルが手を一振りしただけで銃が吹き飛ばされる。


 床を滑った銃を、ルースはとっさに手を伸ばして拾う。


「こ、来ないで!」


 ルースは銃を構えた。撃鉄は支配人が先ほど起こしたはずだから、いつでも撃てる状態だ。――それが、恐ろしかった。


 急に、セシルが目を押さえてうずくまる。ルースはその隙を見逃さず、ジョナサンと一緒にセシルの横を走り抜けた。


「みんな、早く!」


「あ、ああ!」


 支配人も他の者たちも、一斉に宿を飛び出した。




 外に出て、ルースは異常に気づく。散発的な銃声があちこちから響いている。町の外にしては近すぎる――。


「まさか、ブラッディ・レズリーか!?」


 まばらに現れた覆面の男たちを見て、誰かが悲鳴をあげる。


 ルースとジョナサンは、先導されるがままに逃げた。




 逃げた者たちや、一旦宿の外に出ていた者たちは教会に立てこもった。牧師が怪訝そうに、扉を閉めて息をつく者たちに近づいてくる。


「何かありましたか」


「牧師様、大変なんだ! セシルがいきなり暴走するわ、ブラッディ・レズリーが現れるわ……」


 息も絶え絶えに一人が説明すると、牧師は不安そうな面持ちで指を組んだ。


「よりによって皆が留守のときに……。ともかく誰か、町の外に行った者たちを呼び戻してきてください」


「わかった!」


 牧師の指示に、三人ほどの男が頷き、立ち上がった。


「――セシルは、説得に応じるでしょうか」


 牧師が嘆くと、宿の支配人が応じた。


「絶対、無理です。聞いたことがあります。悪魔憑きって、あんな感じなんでしょう?」


 “悪魔憑き”という言葉にルースは反応したが、それがなぜかはわからなかった。


「悪魔……。参りました。私は牧師になったばかりだし、悪魔祓いのことはよく知りません」


 そのとき、ジョナサンが何か言おうとして慌てて口をふさいでいた。


「ジョナサン?」


「う、ううん。ね、牧師さん。ちょっと来て」


 ジョナサンに手を引かれ、牧師は戸惑いながらジョナサンに付いて奥に行ってしまった。


 少し経って、牧師が一人で戻ってくる。


「そこの二人、ちょっとお願いが」


 牧師に手招かれ、屈強そうな男が二人呼ばれていった。また奥に行き、しばらくして戻ってくる。


「それでは、この二人を……」


 牧師が説明を始めた途端、ジョナサンがルースの腕を引っ張った。


「ジョナサン、何よ。あたしも、説明を……」


「良いから! こっち来てーっ」


 強く引っ張られ、ルースは仕方なしにジョナサンの指示通りに付いていった。だが、すぐに腕の力は弱まる。そしてルースが振り向いたときにはもう、説明は終わっていた。


「もう、聞き損ねちゃったじゃない」


 さっきの男二人が、恐る恐る教会から出ていこうとしているところだった。


 ルースはつかつかと牧師に歩み寄って、彼を見上げた。


「どうして、あの二人は外に出たの?」


「それは……外の仲間を呼びにいったのです」


 牧師は歯切れ悪く答えて、ルースから目を逸らした。目を逸らす前に明らかにジョナサンの方を見やっていたことを、ルースは見逃さなかった。


 大体、その前にも仲間を呼びに三人の男が行ったはずだった。


「ジョナサン。あんた、何か隠してない?」


「何にも?」


 ジョナサンはルースの追及を、空々しくかわす。


 ルースが椅子に座ると、ジョナサンが隣に腰かけてちらっと様子をうかがってきた。他の人々も不安を隠しきれない様子で、各々教会の椅子に腰かける。


 どのくらい待ったのか、じりじりと手持無沙汰な時間を過ごしていると、教会の扉が開く音がした。


 入ってきたのは、なんとフェリックスとジェーンだった。


「おお、あんたが悪魔祓いか!」


「頼むぜ!」


 人々が口々に声をかける――フェリックスに向かって。


(悪魔、祓い……?)


 隣で、ジョナサンが頭を抱えている。


 フェリックスは牧師に近づいて、何事かを素早く囁いた。牧師は慌てて奥から、何やら大きな瓶を取ってくる。


 その瓶を携え、フェリックスは行ってしまおうとした。


「待って、フェリックス」


 だがフェリックスはルースの声に足を止めることなく、駆けていってしまった。その後にジェーンが続く。


「フェリックス!」


 ルースも教会から出て叫ぶが、声は届かない。もう、後ろ姿が小さい。


(あんた一体……何なのよ)


 そのとき、いきなり腕を引かれて悲鳴をあげる。――赤い、瞳孔が見えた。


 セシルが、ルースの腕を強い力でつかんでいたのだ。


「お姉ちゃん!」


 追ってきたジョナサンが、セシルの腕に噛みつく。セシルが手を緩めた隙に、ルースは飛びずさって尻餅をついた。凄まじい力で引かれたためか、腕がじんじんと痺れている。


 しかし、セシルは代わりにジョナサンの首をつかんでしまった。


「ジョナサン……!」


 自分がつかまれたときよりも慌ててルースは身を起こし、片手に銃を握り締めた。


「その子を放して!」


 ルースは銃を構えて脅しを口にした。セシルは銃など見えていないかのように、ジョナサンの首をつかんだままこっちに近づいてくる。


「放してぇっ!」


 銃を持つ手が、がたがたと震える。その間にも、ジョナサンの顔は青くなっていく。


(――もう、誰もいなくならないで――!)


 心の底から叫びがほとばしる。意識の外から溢れた、心の絶叫だった。


 ルースは渾身の力をこめて引き金を引こうとしたが、どうしてもセシルを撃てず、空に向かって一発撃った。


 耐え切れない衝撃で、銃が手から滑り落ちる。そこに、聞き覚えのある声と風を切る音が響く。


「セシル! あんた何やってんのよ!」


 ナイフは見事にセシルの腕に刺さったが、痛みを感じないのかセシルはジョナサンから手を放さない。


「退いて、ジェーン」


 フェリックスが手にした瓶を思い切りセシルの頭に叩きつけた。瓶が割れた瞬間悲鳴があがり、シュウシュウとセシルの肌に染みていく。


 悲鳴をあげて転げ回るセシルの傍らに放り出されたジョナサンをジェーンが抱き留める。


 セシルは呻きながらも、ルースに手を伸ばした。


「ルース!」


 駆け寄り、セシルから離すようにルースを抱き上げたフェリックスは、焦って尋ねてきた。


「このこだわりは異常だ。何か持ってないか?」


「何か? ――あ」


 ルースは慌ててずっと握り締めていたブレスレットをフェリックスに渡した。フェリックスはすぐに悟ったようにルースを降ろしてから、さまようセシルの手にブレスレットを握らせた。


「それ、ベティの形見だわ」


 ジェーンがブレスレットを見て、呟いていた。


 セシルがようやく安堵したように、手を下ろす。


「フェリックス! 他のウィンドワード一家は、私が先導するわ。先にお嬢ちゃんと、この子を連れていって」


「ああ。……ジョナサン、立てるか」


「うん」


 フェリックスが優しく尋ねると、ジョナサンは未だ青い顔をしながらもジェーンの腕から降りた。


 呻き声に、ハッとする。セシルが起き上がったところだった。

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