Chapter 6. Loss (喪失) 7
ジョナサンと寄り添うようにしてベッドに腰かけたルースは、息をついた。
「退屈ねえ」
「本当だね。みんなどこかに行ってるだけなら、外に出ても良いんじゃないの?」
「だめよ。みんながいないから、ここで襲撃されたら終わりなのよ」
「ふうん?」
ルースは得も知れぬ不安を感じていた。フェリックスもジェーンも出ていき、ジョナサンと二人で宿に取り残されている気がしてしまう。今日中に帰ってくるはずだとわかっていても、不安が湧いてきた。
「どうせなら、パパたちのところに行った方が良かったわね」
「お兄ちゃん呼んでくる?」
「――大丈夫よ。むしろ、そのために外に出るのは危険」
「ふうん」
ジョナサンは、いまいち危機感を覚えていないらしい。
仕方のない子、と呆れた表情でルースがジョナサンの髪を撫でたとき、ピアノの音が階下で響いた。
「ジョナサン。暇だし、下に行きましょう。誰かが演奏してるわ」
「うん」
二人はいそいそと、部屋を出た。
階下で演奏していたのは、セシルだった。古ぼけたピアノはお世辞にも調律が合っているとは言えなかったが、暇を持て余した人々は喜んで聴いていた。
ルースとジョナサンも、テーブル席に着く。町に残っている人自体が少数なので、観客もまばらだった。
(そういえば、サルーンはクビになっちゃったのよね。ここで雇ってもらったのかしら)
演奏が終わり、セシルが一礼すると、まばらな拍手が起きた。
そのままセシルは、なぜかルースとジョナサンのいるテーブルへと歩み寄ってきた。
「やあ」
「どうも」
セシルはそれが自然なことであるかのように、ルースの正面に腰かける。セシルの元に、ウェイトレスが瓶とグラスを運んできた。どうやら休憩時間らしい。
「ここで雇われたの?」
「期間限定でね」
セシルは短く答えて、煙草を吸い始めた。煙のせいで、ジョナサンがこほこほ咳き込む。
弟の背をさすってやりながら、ルースはセシルに向かって尋ねた。
「あなたは、みんなと一緒に行かなかったのね」
恋人を殺されたのだから、てっきり行ったと思っていた。
「ああ――。僕は銃もナイフも使えないからね。情けないだろう?」
何とも返答に困る、問いかけだった。
「さあ。それなら、あたしだって使えないもの」
「君は良いじゃないか。あの用心棒が付いてる」
セシルは何かを思い出したように青ざめ、首を振っていた。
「僕にも、前はベティがいた」
自嘲にも似た呟き。表情に滲んだ哀しみは、煙でも隠しきれなかった。
ベティ。ジェーンが言っていた、ブラッディ・レズリーに殺されたセシルの恋人。
「酒を飲んでも煙草を吸っても、いつまでも満たされない。このまま、渇望しながら死んでいくんだろうね」
セシルは言葉通り飢えたように、煙草をせわしなくふかす。それにしても、セシルの目には生気がなかった。
「あの、大丈夫?」
「ああ……。次の曲を弾かなくちゃ」
まるで幽霊のごとくふらふらと立ち上がってピアノの元に行ってしまう彼は、どう見ても尋常な様子ではなかった。まるで糸の切れた人形だ。
(あの人、大丈夫かしら……)
他人事ながら、ルースは心配だった。
セシルの演奏は、昼間で終わりだった。夜は、別の演奏家を既に雇っているらしい。
今日は特別として、昼間の演奏は張り合いがない。夜に比べると、客自体が少ないからだ。
セシルはベッドに横たわり、ふと枕元に置いたベティの鞄を思い出し、起き上がる。彼女が死んで以来、全く触っていなかった。
鞄を手にして、セシルは彼女との出逢いを思い出した。
サルーンで、練習でピアノを弾いていると、いきなり少女が近づいてきたのだ。
「あなたが、噂のセシル? 流浪のピアニストの?」
茶色いふわふわの髪に、小さな体躯。ホルスターに収まった、二丁の無骨な銃。
なんだかアンバランスな少女だ、と思ったことを覚えている。
「流浪のピアニストなんて、そんないいものじゃないよ。ピアニスト志望、というだけ」
「ふーん。あたし、ピアノなんて初めて聴いたかも! すごいね」
彼女の笑顔はまるで、太陽のように明るかった。
告白も彼女からで、ふたりは自然と同じ家に暮らすようになった。
ベティは小柄な体格ながら体術も身につけていて、銃の腕も正確だった。
彼女は定期的に町を出ては賞金稼ぎを捕まえ――ときには殺し、賞金を得て帰ってきた。
「君は、どうして賞金稼ぎなんてやってるんだい」
いつか、思わずそう聞いた。
荒くれ者のなかでも、ベティは明らかに浮いて見えたから。
「簡単だよ。セシルと一緒」
「一緒?」
「セシルはピアノが弾けるから、ピアニスト。あたしは、銃が撃てて悪党をやっつけるのが得意だから、賞金稼ぎ。答えは、シンプルだよ」
「……そうか。君は、賞金稼ぎって職業を気に入ってるんだな」
「まあね! あたしの小さな頃の夢は、“正義の味方”だった。夢を叶えていると思わない?」
「たしかに――。ベティは、すごいな」
「すごいでしょ!」
底抜けに、明るい少女だった。
だからこそ、信じられなかった。郊外で、無残な姿で見つかったと聞いたときは――
「ベティ……」
シーツで覆われた体に近づきかけたところで、ジェーンがセシルの腕を引っ張る。
「やめなさい。あなたには耐えられないわ、セシル。ベティは、ブラッディ・レズリーの流儀で殺されている」
「ブラッディ・レズリーの流儀?」
「“女はめった刺し”――よ。顔はわかるぐらいだけど、ひどい状態よ。遺体確認なら私がやったから、あなたは見ちゃだめ。心を壊すわ」
ベティの姉貴分ジェーンが言うのなら、間違いないのだろう。
セシルが呆然としている間に、賞金稼ぎ仲間の手によってベティの遺体は運ばれていった。
過去に浸っていたセシルは、急に我に返った。
のろのろと立ち上がり、鞄の中身を小さな机の上にぶちまける。
大したものは入っていない。空になった財布と、賞金首が記載された手配書の束。手作りの写真入れに、大切そうに仕舞われている写真たち。家の鍵と、何に使うのかわからない鍵。
「そういえば……」
ベティが、いつだったか上機嫌で帰ってきたことがある。
『すごいもの手に入れたよ。さいっこーに気持ち良くなる薬だって。でも飲んじゃだめなんだって』
そんなことを、言っていた気がする。
その薬は、どこにあるのだろうか。ふと、家の鍵でない方の鍵に目を留める。
ベティが使っていた小さな机に、鍵のかかる引き出しがひとつあったはずだ。
部屋の隅に置かれた机に向かい、一番上の引き出しに鍵を差し込むと、あっさり開いた。
中には、綺麗な小箱やセシルが贈ったペンダントなどが仕舞われていた。その中で、小さな薬瓶が異彩を放っている。
ベティは丈夫が売りの少女で、もちろん持病などはなかった。薬を飲んでいるところなど、見たこともない。
セシルは胸の痛みを押さえ、その瓶を手に取る。液体が入った薬瓶のコルクを抜いて開け、中身を飲み干した。
大して意味のある行動では、なかった。ベティの遺品だから口にしてみただけで、それが危険なものでも、このまま死んでも良かった。
――ただ、それだけだったのに。
ルースは、ふとセシルが座っていた席に何か置かれていることに気づいた。
女物のブレスレットだ。手に取ると、鎖がしゃらんと鳴った。
(もしかして、ベティの遺品……とか?)
届けないと、とルースは立ち上がる。店の主に尋ねると、セシルはもう自宅に帰ってしまったという。
「何なら、送ってってやろうか」
店に残っていた屈強そうな男が、申し出てくれた。
「ええ、お願いするわ」
男にブレスレットを託すという手もあったが、ルースはセシルの様子が気になっていたので見にいきたかったのだ。
辿り着いた家の扉を、付き添ってくれた男が乱暴に叩く。
返事がない。
「いないのかしら」
「ねー」
ルースとジョナサンは顔を見合わせ、首を傾げた。
「どうする?」
男に問われ、ルースは帰ろうとしたが、家の中で立てられた物音を耳に留めて動きを止めた。
「中には、いるみたいだわ」
そっとドアノブに手をかけたが、鍵がかかっていなかったようで簡単に開いてしまった。
「――セシル、入るわよ」
もしかしたら、倒れているかもしれない。先ほどの彼は体調が悪そうだったし、有り得る話だ。
ルースが恐る恐る入り、男とジョナサンが続いた。
居間に進んだところで、室内の様子に愕然とする。強盗に引っかき回されたような荒れ様だ。
「お姉ちゃん……あれ」
ジョナサンに手を引かれて部屋の隅に目をやり、ルースは息を呑んだ。
セシルが倒れていた。
「ちょっと! あなた大丈夫――」
駆け寄りかけたところで、セシルが目を見開いた。赤い、瞳孔に射すくめられる。どうしたことか、ルースもジョナサンも男も一様に動けなくなってしまった。
セシルは起き上がり、男に向かって手を一閃させる。男は吹っ飛び、後ろ向きに倒れた。
喉の奥から悲鳴が漏れ、それを境に再び動けるようになったルースは、ジョナサンの手を引っつかんで走り出した。
振り向かなくてもわかっていた。セシルが追ってきていることが――。
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