Chapter 6. Loss (喪失) 4





 白金の髪をなびかせ、前を歩く女がいた。


 ――姉さん!


 ルースは彼女に向かって走る。だけれども追いつけない。それどころか、どんどん遠ざかる。


「ルース」


 キャスリーンは振り返る。胸から、赤い血を流して。


 銃声が、耳をかすめた気がした。




 浅く覚醒し、うめくルースの額に優しい手がそっと当てられた。


「ルース、大丈夫だ。大丈夫だから」


 フェリックスが眉をひそめ、自分を見下ろしている。


 まなじりに、涙が伝う感触が気持ち悪い。濡れた頬を指で拭われた。


「銃声で思い出したのか……」


「何、を?」


 思考が混乱して、フェリックスが何のことを言っているのか、さっぱりわからなかった。


「いや、良いんだ。大丈夫か、ルース」


 ルースは頷き、横に顔を向ける。二人に挟まれたジョナサンは、すやすやと眠っている。


 頭が、ぼんやりしている。とにかく、胸に哀しみが溢れていた。


「哀しい――」


 涙をほろほろ零すルースを見下ろし、フェリックスはルースの頬に手を当てた。温かい手だった。普段焼けつく弾丸を放つ銃を扱う手は、今はひどく優しい。


 ルースは少しだけ安心して、再び眠りへと身を委ねた。




 窓から差し込む朝日で目が覚める。ルースはうんうんうめく声を耳にして不思議に思ったが、どうやらジョナサンにまたしがみついてしまっていたらしく、ジョナサンが苦しさのあまりうめいているのだった。


「あらやだ」


 ルースはパッと手を放し、身を起こした。


「ジョナサン、起きて」


「――うー。寝苦しかったあ……。何でだろ……」


 自分のせいだとは言えず、ルースは頬をかいた。


「あれ、フェリックスは?」


「さあ。あたしも今、起きたばかりだから」


 ルースは、ジョナサンの隣にぽっかり空いた空間に目をやった。


 ルースがベッドから降りたそのとき、激痛が頭を襲った。


「お姉ちゃん!?」


 あまりの痛みにうずくまったルースの顔を、ジョナサンが心配そうに覗き込む。


「大丈夫?」


「え、ええ……」


 荒い呼吸を繰り返していると、段々と収まってきた。


(一体、何なのかしら……)


「ああ、こういうときにキャスリーンお姉ちゃんがいたらな。看病、得意なのに」


 キャスリーンの名前を耳にすると、また頭に鋭い痛みが走った。


「お姉ちゃん、休んでおいてよ。僕、フェリックス呼んでくるよ。きっと下にいるから。ね?」


 ジョナサンはルースが頷いたことを確認してから、素早く着替えていってしまった。




 しばらく待っていると、扉が開いた。入ってきたのはエレンだった。


「大丈夫かい、ルース」


「ママ……? どうして、ここに」


「フェリックスに呼ばれてね。さあ、横になりな。看病するから」


 エレンは有無を言わさず、ルースにベッドに入るよう促した。


「頭が痛いんだって?」


「痛みは引いたわ。大丈夫」


 ルースは立ち上がって、首を振った。本当に、嘘のように痛みが消えていたのだ。


「でもね、ルース」


「ママ。元気なのに寝込んでいたくないわ。早く出発しましょう」


「……具合が悪くなったら、すぐに言うんだよ」


 心配そうなエレンを安心させるように、ルースは気丈に笑ってみせた。




 階下の食堂に、家族が勢揃いしていた。もちろん、フェリックスとジェーンもいる。


「お騒がせしました。あたしは、もう大丈夫よ」


 ルースが座りながら言い切ると、安心したような空気が流れた。


「じゃあ、朝食を取りながら話しましょうか」


 ジェーンが宣言して、ウェイターを手招く。朝食にしては遅い時間なので、人の姿はまばらだった。


「兄さんたちも、まだ食べてないの?」


「ああ。どうせなら、朝食を取りながら話し合いをしたいって、この――女賞金稼ぎが言ってな。ここに来たんだ」


 呼び方に困ったらしいオーウェンは、ジェーンをそう呼びながら説明してくれた。


「話し合いって何なの?」


「まあまあ、お嬢ちゃん。すぐに話すわよ」


 ジェーンは勿体ぶって、コーヒーが運ばれてくるまでは話を始めようとはしなかった。


 ようやくコーヒーが来てから、ジェーンは微笑んだ。


「直球で言うけど、今はこの町を出られないと思って」


 ウィンドワード一家は全員、動きを止める。


「昨夜、町の外を見回っていた仲間がブラッディ・レズリーに一旦捕らえられたの。彼は、『命が惜しければブラッディ・レズリーに町を明け渡せ』という警告を伝えろと命じられ、戻ってきた。……だから、この町は封鎖体制に入るわ」


「封鎖の前に、出ていくことは?」


「ブラッディ・レズリーと出くわすことになるかもしれないけど、それで良いの?」


 アーネストの質問に対し、ジェーンは反対に聞き返した。


「長くても一週間よ。その間、ここに滞在してくれれば良い。無理にでも今出るとなったら、住民と多少は言い争うことも覚悟して」


「――わかった。しばらく滞在しよう」


 アーネストは決断を下した。




 仕方ないこととはいえ、しばらく滞在しなければならないと聞いてルースは憂鬱だった。


 この町は危険すぎるから一人では歩けない。きっと公演もできないだろう。


「あー、退屈」


 頭痛のことを心配され、することもないのだからとルースは母に宿に戻された。宿屋で一日過ごす羽目になりそうだ。


(でも……本当に、あの頭痛は何だったのかしら)


 そういえば、と思い出す。昨日の夜、泣いて目を覚ました気がする。


 とても、哀しい夢を見てしまった気がする。どんな夢かは、忘れてしまったが。


 ルースは退屈で、窓から外を見下ろした。雑多な町並みの中、歩いている人はあまりいない。


(みんなは下で、お喋りかしら……)


 ルースは、ここで一週間も滞在する羽目になったときのことを考えた。公演がその間できないのだから、収入はない。


 この宿は高級に見えない割に、案外宿賃が高かった。


(うーん。サルーンで歌わせてくれないかしら?)


 サルーンで歌っている人は、たまにいる。ただ、問題はルースが子供という点だろう。サルーンにいては、目立つ。


「お嬢ちゃん、具合どう?」


 キィ、と音を立てて扉が開き、ジェーンが入ってきた。


「もう、すっかり良いんだけど……」


 ジェーンはベッドに腰かけ、ルースの顔を覗き込んだ。


「あら、退屈そうな顔ね」


「だって、何もできないんだもの。――ねえ、ジェーンさん」


 ルースは早速、先ほどの思いつきを口にした。


「歌なら、いつでも歓迎だと思うわ。でも……ここの客は、柄が悪いわよ」


「わかってる。でも、このまま何もせずに滞在してるのって……嫌なの」


 旅芸人は気楽に見えても、楽な暮らしではない。稼げるときに稼いでおかないと、飢えてしまう。


「話をつけてあげても良いけど?」


「お願いします」


「お父さんとお母さんは、許可してるの?」


「――まだ、言ってないです」


 ルースの答えを聞いて、ジェーンは呆れたように肩をすくめた。


「なら、許可を取ってからね」


 しかし、アーネストがそう簡単に了承するとは思えなかった。




 怒鳴られると思ったのだが、案外、父の反応は普通だった。


「ああ、そうだな――。しばらく無収入なのも辛いしな。お前さえ、よければ……。だが、サルーンは柄の悪い客が多いぞ」


「うん、わかってる。だから歌ってるときは、フェリックスかジェーンさんに傍にいてもらおうと思って」


「――なら、大丈夫か。ジョナサンとオーウェンもか?」


「ううん、そのサルーンには元々契約してるピアニストがいるらしいの。その人のピアノに歌を合わせる感じだから」


「そうか。悪いな、ルース」


「良いの」


 父は申し訳なさそうだったが、ルースは歌える場所があることに喜びを感じていた。

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