Chapter 5. Dirty Juliet (穢れたジュリエット) 7
保安官事務所に入ると、既に連邦保安官が戻っていた。
「小娘、こんなところに来て良いのか」
「かえって、ここの方が安全でしょ。フィービー、ブラッディ・レズリーはみんな逃げたの?」
「姿は消した。だが、どこに潜んでいるかわからんぞ。ただ取引をしに来ただけならさっさと引き上げるだろうが、今回は取引に失敗しているから報復に出る可能性もある」
フィービーは大袈裟にため息をついてから、椅子にどっかと座った。傍らのエウスタシオが眉を上げ、オーウェンに肩を貸されている保安官をじっと見た。
「どうしたんですか?」
「部下に殴られたらしいのよ」
「部下? まさか、あの副保安官?」
エウスタシオは信じ難いといった表情で、肩をすくめた。
「何で殴るんだ。ボイコットか?」
フィービーが、とんちんかんな質問をしてきたので、ルースは思わず肩を落とした。
「あのね、もうちょっと考えてよ」
「ふむ」
連邦保安官はエリートなのだからフィービーも頭は悪くないのだろうが、どうにもそうは思えない。
「タイミング的には、取引絡みですかね……」
エウスタシオの発言に、誰もが神妙に頷いた。
(フィービーの代わりにこの人が考えるから、フィービーがどんどん考えなくなっていったのかもしれないわね。どんなものも、使わなくちゃ錆びるもの)
そう考えて、ルースは自分一人で大いに納得してしまった。
「どういうことだ。取引とは、何だ」
ウィルソン保安官が、エウスタシオの言葉に反応した。
「――そもそも、あなたに私たちが来た理由を話していませんでしたね」
そうしてエウスタシオは“エデン”の存在を語った。聞く内に、保安官の顔がさっと青ざめる。
「“エデン”……まさか」
「心当たりがあるのか?」
「ああ――そんな名前かは知らないが、一時期……噂になったんだ。最高に気分を良くする薬があると。そのときは酒ではなく薬と聞いたんだ……。どこからかマイルズが手に入れたらしい」
「じゃあやっぱり、マイルズはブラッディ・レズリーの一味なんじゃない!」
ルースが噛みつくようにして言ったが、エウスタシオは冷静に首を振った。
「いいえ。違うでしょう、保安官。あなたはマイルズがそれを手に入れたという情報を、誰から聞いたのです?」
恐ろしいほどの沈黙の後、保安官は絶望したように口を開いた。
「……副保安官だ」
「息子さんは否定しなかったのですか?」
「したが――わしは、信じなかった」
保安官は打ちひしがれたように、傷ついた頭を抱えて呻いた。
「ブラッディ・レズリーの一味……または協力者は、副保安官だ。だが、あいつは失敗した。消されるのも時間の問題――。おそらく、ブラッディ・レズリーの襲撃に怯えて逃げたのだろう」
「なら、殺人犯もあいつってことなのか?」
オーウェンの質問に、フィービーは考え込んで腕を組んだ。
「いや……あいつが犯人かつブラッディ・レズリーの一味なら、なぜブラッディ・レズリーは冤罪を主張するんだ?」
「それもそうだわ」
そこでルースは、とあることに気づく。
「ねえ、フィービー。フェリックスは?」
「知るか」
にべもない返事だった。
「フェリックスは、何か勘づいたようだったわ。フェリックスは、犯人が誰かわかったのよ」
ルースは今にも駆け出しそうだったが、兄にぐっと手首を握られて驚き、顔を上げた。
「外は危険だ。お前はここにいると良い」
「その通り。様子なら私たちが見にいってやろう。行くぞ、エウ」
フィービーは恩着せがましく言って、エウスタシオを引き連れ、駆けていってしまった。
「不甲斐ない……。本当ならば、私が行くべきだろうに」
保安官は呻いて、フィービーたちが去った方向を見やった。
そこは、町を見下ろせる丘だった。フェリックスは佇む美女の背に向かって、名前を呼んだ。
「オーレリア」
彼女は、ゆっくりと振り向く。
どうして殺されたはずのオーレリアがここにいるのかを疑うこともせずに、フェリックスは彼女に一歩近づいた。
「マイルズは、どこだ?」
「――私も知らないの」
夕闇に、しんと冷えたような空気が漂う。
フェリックスは微かに目を伏せ、銃をホルスターから抜いた。
「誰を殺したんだ、オーレリア」
「……不思議な人ね。どうして、私がなぜ生きてるかって先に聞かないの」
「君に会ったとき、微かに悪魔の気配を感じたからさ。悪魔に憑かれた人間は、簡単には死なない。悪魔に殺される前に、死んだりしない。悪魔が、依り代を守るから」
オーレリアは静かな目で、会って間もない男を見つめた。
「悪魔?」
「そう、悪魔。だからこうして、気配を追ってこれた。君は、あの子を殺してしまったんだろう。――マイルズのために?」
オーレリアの形相が変わり、その背から突き出るものがあった。黒い、翼だった。
「殺すつもりなんて、なかったのよ。ただ、マイルズと――恋人になったっていうその子を見て、頭が真っ白になっただけ」
「君は、疑いもしなかったんだな。マイルズが、自分を愛しているということを」
たちまち、オーレリアの白い顔が、不健康な赤さに染まった。
「マイルズは、私に間違いなく心酔していたわ」
「だが、女としては見ていなかったのかもしれない。とにかく、君は怒り狂ったんだ。本当は、マイルズを愛していたんだろう」
愛されていると信じていた。疑いもしなかった。だからこそ、「裏切られた」と思って憤怒を自分でも止められなかったのだろう。
「信じられないわ。気がついたときにはマイルズの銃を奪って、私はその子と止めに入った護衛たちを殺していた。初めは決して、ブラッディ・レズリーの手口を真似したつもりはなかったのよ」
ただ、その女の顔を滅多刺しにしてしまっただけだった――と、オーレリアは主張する。
「怯えて逃げたマイルズを追う前に、私はブラッディ・レズリーのせいにしようと考えた。ちょうど、近々取引に来るってお父様から聞いていたからよ」
オーレリアは顔を上げ、首を振った。
「町長が、“エデン”を買おうとしていたんだな」
だがオーレリアがブラッディ・レズリーに殺されたと勘違いし、町長は取引を断ったのだろう。そして激昂したブラッディ・レズリーは代わりに、サルーンの店主に売ろうとした……。
「ええ、そうよ。知ってる? この町の副保安官は、ブラッディ・レズリーに通じているの。あの人も、私に心酔していた……。サンプルだといって、秘密の酒“エデン”をこっそり私にくれたの。ちょうどあのとき、私は気が塞ぎがちだったから……。せがんだら、すぐにくれたわ」
微笑み、オーレリアは話題を変えた。
「マイルズの恋人は背格好も似てたし、私の服を着せてあげたからみんな気づかなかったのね」
オーレリアは艶然と笑ったが、フェリックスは表情を動かさなかった。
「娘の不在を、心の底から心配している親がいるだろうに。なぜ、君は笑える?」
「笑えるわよ――」
ずるり、背中から翼が重そうにまだ抜け出してくる。赤黒い血が、ぽたぽた大地に落ちる。
「良い気味よ、本当に……」
低級の悪魔は人間の体に上手く同化できないため、体に変化を起こさせる。オーレリアに憑いている悪魔も、低級のようだった。
今喋っているのは、オーレリアなのか悪魔なのか。
オーレリアは大地に手と膝をついて、苦しそうに喘いだ。全身から血が流れている。同化が上手くいかず、苦しんでいるのだ。
「哀れなオーレリア。その魂までもが歪められてしまう前に、終わらせてやるよ」
真っ直ぐに構えた銃の銃口が、火を噴いた。
弾丸はオーレリアの腕に払われてしまい、フェリックスは息を呑む。顔を上げたオーレリアの目は、血走っていた。
フェリックスが後ずさると同時に、オーレリアはゆらりと立ち上がる。全身から血を流してもなお、彼女は美しかった。たとえ白目が血走り、青かった目が赤く光っていても。
口が裂けるほど大きく開けて、その白い牙を見せてフェリックスに飛びかかろうとしたが――彼女は戸惑って自分の足を見下ろす。上半身はもがくのに、足が動かないようだ。
フェリックスは哀しい気持ちになって、告げた。
「そうか、オーレリア。少し……意識が残っているんだな。かわいそうに。痛いだろう」
オーレリアは獰猛に唸ったが、下半身は頑なに動かなかった。
「マイルズを…………私は愛していたの。上手く、伝えられなかった。愛されることには慣れていても、愛することには慣れていなかった。マイルズも、取り巻きと同じように扱ってしまった……。だからマイルズは、他に恋人を作ったのね……」
彼女の目から、涙が伝った。
「痛くて苦しいわ。私はもう、助からないんでしょう? ……終わらせて、フェリックス」
「……望み通りに」
今度こそ、フェリックスの放った弾丸はオーレリアの胸を貫いた。苦悶の声が漏れ出て、オーレリアはぐったりと首を垂れる。――そうして、砂になって消えてしまった。
フェリックスは苦い気持ちを押し込めるように、乱雑にホルスターに銃を仕舞う。
(オーレリアは、“エデン”を飲んだのか……。悪魔に憑かれたときと、時期は近かったはずだ。何か関係があるのか?)
考えこんでいると足音がして、フェリックスは振り返る。
フィービーとエウスタシオが、厳しい顔をして立っていた。
「先ほど、銃声がしたようだが?」
「ああ……物音がしたから、ブラッディ・レズリーかと思って、撃っちまったんだ。誰にも当ててない」
「ふむ? ――おい、あの小娘が心配していたぞ。戻ってやらないのか」
「ルースが? それは大変!」
フィービーの話を聞いて、フェリックスはこれ幸いとばかりに走り出し、フィービーたちの横を通り過ぎた。背中に刺さる視線が痛かったが、気にしないようにした。
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