Chapter 4. Ghost (ゴースト)  4



 サルーンに足を踏み入れた途端、町人の視線が突き刺さった。


 こういうことがあるから、オーウェンはサルーンが好きではなかった。サルーンは町の交流場でもあるため、よそ者が入ってくると嫌でも目立ってしまうのだ。


 フェリックスは慣れた様子で、カウンターに近づいた。


「兄さん、あんまりきょろきょろしない。怪しいぜ?」


 注意されてむかっ腹が立ったが、フェリックスの方がサルーンには詳しいだろうから、敢えて何も言い返さずに黙って従うことにする。


「兄ちゃん、見ない顔だね」


 歯の欠けた老人が、フェリックスに近づいてきた。


「旅芸人の用心棒なんだ」


「あー道理で。ひひひ、そしたらあそこに住んでるんだね。ひひ」


 老人は、おかしくてたまらないといった様子で、笑いをこらえていた。


 何がおかしい、と胸倉をつかみそうになったところでフェリックスが口を開いた。


「じいさん、あの家のこと知ってるんだ?」


「知ってるさあ。ありゃ、何十年前のことになるかね……あのときから、あそこにはずっと幽霊が出るんだ」


「どんな幽霊か知ってるか?」


「さあてね。しかしみんな、違う幽霊を見てしまうんだ」


 老人はちびちびとウィスキーを舐めながら、ぼんやり呟いた。


「みんな違う幽霊?」


「ああ。そして、気が触れる者もいる。気の毒さね」


 それを聞いて、フェリックスとオーウェンは思わず顔を見合わせた。


「行方不明になる奴もいるんだ。せいぜい、気をつけるこったね」


 老人はそう言い残して、席に戻っていってしまった。


「畜生。あの町長め――殴ってやらないと気が済まない」


「まあまあ、兄さん。一人だけに話を聞いたって仕方ない。他の人の意見も聞いていこうぜ」


 フェリックスにたしなめられ、オーウェンは渋々頷いた。


 フェリックスが動き出したのを見て、オーウェンも一人で飲んでいる客に、さりげなく話しかけてみることにした。




 結果、得られた証言はどれも似たようなものだった。


「その一、見る者によって幽霊は違うってこと。その二、気が狂う人や行方不明になった人も存在するってこと。その三、最近幽霊は現れていなかったこと」


 フェリックスの説明に、ルースとジョナサンは身を震わせた。


「冗談じゃないわ。すぐに出ていきましょうよ」


「うん、賛成」


「パパとママにも言わなくちゃね」


 ルースは立ち上がりかけたが、鷹揚に構えるフェリックスを見て眉をひそめた。


「どうしたのよ、フェリックス」


「別に。ただ、明日には解決するつもりだから」


 にっこり笑ったフェリックスの横顔を、オーウェンはつい凝視してしまう。


「おい待て、用心棒」


「何?」


「もう解決したってことか?」


「まあね。確証も得たし。ところで兄さん、俺と男同士の話しない?」


「もちろん断る」


「まあそう言わずに」


 オーウェンに冷たく跳ねつけられても、フェリックスは引き下がらなかった。


「幽霊退治に関係のあることだから」


「――本当か?」


 ルースやジョナサンには聞かせられない話、ということなのだろうか。オーウェンはいぶかしみつつも、フェリックスに続いて外に出た。




 月のない、暗い夜だった。


 町外れに立つ屋敷は、町よりも荒野に近い。コヨーテの獰猛な鳴き声が、どこか遠くで響いていた。


「――兄さん、さ」


 フェリックスは家から大分遠ざかったところで、ようやく足を止めた。


 ほの暗い光の中でも、彼の表情は手に取るようにわかる。――不可思議な自信に満ちた笑みを、浮かべているのだろう。


「ルースのこと、好きなんだろ?」


 思わず、むせた。何も口にしていないのにむせるなどおかしい、と冷静に考えながらもオーウェンはフェリックスを睨みつけた。


「どうして、わかるかって? そりゃあ、家族は気づかなくても他人の俺から見たら、あからさますぎてさ」


 馬鹿にしているのかと怒りそうになったが、それにしてはフェリックスの声音はいやに優しげだった。


「ていうか、俺への嫉妬が――ね。しかし兄さんも辛いね」


「お前に、何がわかる」


 オーウェンは舌打ちした。


「さあ。俺はウィンドワード一家の一員じゃないから、外からの目しか持ってない。兄さんに比べたら、そりゃわかってないさ」


 でもさ、とフェリックスは続けた。


「中から見てもわからないことだって、あるんだぜ?」


 フェリックスは目を細め、オーウェンに一歩近づいた。


「俺以外に、そのこと誰か知ってるか? いや、知っていたか?」


 フェリックスは、過去形に言い換える。


 オーウェンは答えなかったが、フェリックスは自然な様子でその名前を口にした。


「キャスリーン?」


「……なっ」


 図星だった。もう一人の義理の妹キャスリーンは、感情に聡い女だった。指摘され、慌てるオーウェンにキャスリーンはこう言ったのだった。


『オーウェン。私でよければ相談に乗るから。そんな顔しないで』


 変身とも言える変化を遂げるまで、キャスリーンは至って地味な女だった。しかし誰よりも気がつく、優しい人でもあった。


「ああ、やっぱりな。それで附に落ちたよ」


 一体何が、と質問する前にオーウェンは目を見張った。自分の腹に、フェリックスの拳が沈み込んでいたからだ。


 ずるり、と膝が崩れる。


「安心して、兄さん。あんたは間に合うよ。気づくのが早くて良かった」


 フェリックスの笑顔を見上げるようにして、オーウェンは大地に倒れ込んだ。




 ――兄さん兄さん、大丈夫?


 うるさい用心棒の声が聞こえる。


 ――今は、夢うつつってところかな。


 その通りの状態だった。ふわふわとしていて、自分が覚醒しているのか、それとも深い眠りの中にいるのか、皆目わからない。


 ――お兄ちゃん、大丈夫?


 これはジョナサンの声だ。用心棒と違って、声を聞くと安心する。


 ――良かったね、お兄ちゃん。牧師様が悪魔を祓ってくれたんだよ。


(ジョナサン? 一体、何を言っているんだ)


 ――オーウェン。あんたは悪魔に取り憑かれてたんだ。このごろの嫉妬、異常だったろ?


(そういえば俺は――そうだ、ひどくお前に嫉妬していた。気持ちを抑えることができなかった)


 ――幸い初期だったからさ、牧師の祈祷と聖水で祓うことができた。早く気づけて良かった。


(何だと? 俺に悪魔というのは本当なのか)


 ――残念ながらね。あの屋敷の幽霊も、正体は悪魔だったんだ。悪魔は誰かに取り憑き、力を得る。そして他の人たちに幻を見せたんだ。


(何のために、そんなことを)


 ――悪魔は人間の魂が好物なんだが、同時に負の力も好きらしくてさ。あの幽霊を使い、悔恨を呼び覚ましたようだな。悔恨の悪魔ってのは珍しい種類なんだが、やることが凝ってた。


 悔恨……。


 ――人の死に関する悔恨ってのは、悔恨の中でも強力だ。エレンさんも、ヘイリーさんの死に対して何らかの悔恨を抱いていたんだろう。


(母さんが? まさか……。あの二人は仲が良かったんだ。なぜ死んだのかとは思っただろうが、自分を責めたりは……)


 ――まあ、それは兄さんの意見だよ。少なくとも、エレンさんには何らかの悔恨があったんだ。それを兄さんに取り憑いた悪魔は、喜んで摂取したってわけ。


(俺に憑いた、悪魔が……)


 ――安心してくれよ。もう悪魔はどっか行ったからさ。でも、今後は気をつけた方が良い。


 後半でフェリックスの声が、にわかに真剣味を帯びた。


 ――兄さんは、嫉妬しやすいみたいだな。相手が相手だけに。悪魔は“嫉妬”が好きなんだよ。七つの大罪の一つだからな。


(用心棒……。お前は、何者なんだ)


 ――ここまで言って、わかんないかな。兄さん。


 胸に降りた一つの呼び名があった。悪魔を見透かし、悪魔を葬る存在――その名は、悪魔祓い。


 ――信じるも信じないも、兄さん次第だけどね。不快だったら忘れても良いよ。


 オーウェンの意識はそこで、途切れた。


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