シーズン5最終話 誰も愛さない忌み子
思い出とは儚いものだ。
どんな思い出であろうと、記憶によって脳内に収納される過去の出来事は二度と取り戻す事のできない財産である。
一度経験して過ぎ去れば、同じ出来事を真似る事はできても完璧に同じとはならない。
花見の思い出とて時と場所を合わせても、散る花びらの様子は毎年変わる。
幸福な思い出は記憶という引き出しから蘇らせればまた戻りたいと願うものだ。
しかし忘れたくても忘れる事のできない思い出も記憶によって残されてしまうのが、皮肉な点である。
消したくても消す事のできない最悪な思い出を忘れる事のない者らは、その惨劇を繰り返さない様に歩むものだ。
だが惨劇によって本来培うはずの観点が欠落してしまうという事もある。
ウィッチは自身が体験した親からの嫌悪によって人を愛するという観点を含める、様々な感情が欠落してしまった。
皮肉な事に彼女の異常性は特殊部隊で才能として発揮される事となった。
言葉にする事すら悍ましい尋問の数々で引き出した情報は数知れない。
上層部への報告は結果のみで過程は報告しなければ、手段において罰せられる事もなかった。
もはや殺しそのものが彼女には趣味の様になっていた。
そんなウィッチという魔女を見続けてきたマシューは、彼女の中にある深い悲しみも理解していた。
同時に彼女の歪みきった夢も。
クズが全員死ぬ事によって実現される平和な世界を目指したのは、自身というクズの生い立ちを呪っての事だ。
暴力を振るう母親と、性的視点で触れ合ってくる父親というクズによって形成されたウィッチという人間性。
自身をクズと自覚した上で掲げる平和のあり方は、あまりに強引で無差別であった。
クズでなくても邪魔する者は根絶やしというわけだ。
結果として不死隊は亡きアルテミシアの熱き想いと共に壊滅した。
だがそこまでしてでも叶えたい夢の実現を控えるウィッチは目的を達成した後に死ぬとまで言っていた。
マシューはどうしてもそれだけが気がかりであった。
生きてやり直そうと。
マシューは心の中で、想いを寄せてしまった魔女が女になれる日を夢みていた。
黒い瞳に写るウィッチが見ている視線の先には、部下達を容易く斬り捨てて迫ってくる化け物の群れだ。
「あいつらの強さはクレイジーだ・・・」
「・・・・・・」
「ウィッチ逃げよう!! 仲間もみんな殺られちまった」
迫る神の軍団を前にマシューはこれ以上の戦闘は絶望的と判断していた。
見事に天上軍を中間地点にまで誘い込んで、砦からの銃撃によって翻弄していた所までは完璧と言えた。
かの軍勢が現れるまでは。
もはやこれまでと諦めたマシューはウィッチを連れて、冥府へ逃げようとしていたが彼女は動かなかった。
しかしマシューはどうにかして逃げようと、必死に砦の周囲を見渡して天上軍が迫っていない方角を探した。
すると冥府方面には天上軍が今だ展開されていない事に気がついた。
マシューはウィッチの手を引いて、ロープを下に垂らした。
特殊部隊である彼女らはロープで壁を下る事も容易い。
しかしウィッチが動かなかった。
ロープの下で流れる川は緩やかに流れている。
今直ぐ逃げれば川を泳いで、天上軍の包囲前に冥府へ脱出できる。
焦るマシューはウィッチのくびれた腰にロープを結びつけて、担いで降りようと準備を始めた。
するとウィッチは静かに口を開いた。
「私に言いたい事ないの?」
「そ、それは・・・冥府に戻ったら言うつもりだ・・・」
「仮に逃げてもあの化け物の追撃は凄まじいよ・・・逃げられるわけないよ」
ウィッチはこの状況でも現実的であった。
仮にロープで脱出しても、周囲を取り囲む宮衛党こと天上軍に捕まるのは明白。
彼らはシベリアン・ハスキーの半獣族なのだ。
遥かに人間より長く、速く走れる。
だがそんな事はマシューとて承知している事だった。
ウィッチにどうにかして生きてほしいという願いだけであった。
「念のため言ってよ・・・」
「わかった。 ウィッチ、俺はずっとお前の事が・・・」
好きだ。
そう言うのは賢いウィッチなら当然わかっている。
だがそれを言われたとて欠落しきった観点では男女として上手く生きていけない事も彼女はわかっていた。
長年純粋な気持ちに気がついていたウィッチは、マシューが気持ちを伝えきる前に口づけをした。
初めて感じる柔らかく滑らかな甘い唇に驚きを隠せないマシューは、目を見開いたまま、脱力している。
だが次の瞬間だ。
マシューは体が落下していく感覚を覚えた。
ウィッチの甘い香りから一変して感じるのは川の匂いが近づいてきいる。
「前も言ったでしょ。 馬鹿正直なあんたが生きないと・・・世界でたった一人信じてくれてありがとうね。 さようなら私のマシュー」
絶叫しながら川に吸い込まれて、消えたマシューを見届けるとウィッチは凍りついた瞳から涙が一滴だけ流れた事に驚いていた。
私も泣けるのかと笑みを浮かべたウィッチは喧騒がやがて静寂に変わっていく事に気がついた。
そして振り返ると、整列する化け物の軍団の先頭で刀を二本持ったまま立っている男がいた。
「鞍馬虎白。 それが俺の名だ。 お前は?」
「ウィッチよ魔女って意味よ」
「酷え名前だな。 自分でそう名乗っているのか?」
彼女の名前はウィッチ。
これは特殊部隊の頃に名乗っていたコードネームだ。
問いにうなずいたウィッチを見た虎白は嫌悪感を示した。
そして刀の刃先を向けると、斬り捨てようと近づいてきた。
「お前は殺しすぎた。 天上界の罪なき者を大勢な」
「殺しは趣味なんだよねえ」
「はあ・・・クズだな」
その言葉を聞いたウィッチはけらけらと笑い始めた。
頭のおかしい異常者ではないかと嫌悪感をあらわにする虎白は今にも斬り捨てそうな雰囲気を放っていた。
笑い続けるウィッチの瞳から涙が流れた。
泣くほど大笑いをしているウィッチを見た虎白は、刀を鞘に収めると不気味な沈黙を保った。
やがて笑い疲れたのか、ウィッチも静まり返った。
「クズって言われてそこまで笑うのか。 知っているから面白いってか?」
「そうそう。 私はね。 クズがいない世界を作りたいの」
「お前含めてか?」
クズのいない世界は平和になる。
根拠も確証もない、虚言に等しい言葉を聞いた虎白は黙り込んだ。
つまる所、自身すら死んでも構わないと話しているウィッチの言葉がもし本心だとするならば彼女は何者なんだと疑問に感じる虎白は首をかしげている。
しばらく沈黙を保った虎白は、ゆっくりと近づいてくるとウィッチに顔を近づけた。
「自分がクズなのもわかっているか。 何があった? 何がお前をそうさせた」
虎白がそう尋ねた刹那。
ウィッチは懐に隠していたナイフで虎白の首元を斬り裂こうとした。
神業を有する虎白は緩やかに動く世界の中でウィッチを斬り捨てるために刀を抜いた。
緩やかに動く世界の中でウィッチが見せた顔は殺気に満ちた魔女のそれではなかった。
どこか儚く、虎白に返り討ちに合う事を理解した者の清々しい表情であった。
虎白は瞬時に第七感を持って彼女の腹部を斬り裂いた。
血を流して倒れる彼女の隣でしゃがみこんだ神族は落ち着いた眼差しで見ていた。
「ヘクサ・・・私の本名はヘクサだよ。 結果魔女ね」
「忌み子ってわけか。 親に愛されなかったのか?」
「まあね。 きっと世界にも神にも愛されていなかった。 でも満足・・・世界も神も私を嫌っても相思相愛にだけはなれたから・・・」
死にゆく忌み子は罪もないのに、誰にも愛されず嫌悪されて生きた。
だがマシューという馬鹿正直な男だけは彼女を愛してくれた。
ヘクサはそれで満足だったのだ。
心残りはクズのいない世界を作れないという事だ。
哀れんだ目で見ている虎白は彼女の本名を聞いて、クズのいない世界を作りたい理由がわかった気がした。
「親はクズだった。 クズを根絶すれば、第二のお前が生まれないってわけか」
「話早いね。 賢いじゃん」
「俺の夢は戦争のねえ天上界だ。 誰も悲しまない世界を作りたい」
「似てるね・・・・・・・・・」
そう笑みを浮かべたウィッチは眠る様に息を引き取った。
虎白は彼女の亡骸を哀れんだ目で見たまま、立ち上がると静かに一礼した。
砦には喧騒が消え、宮衛党の
皇国軍も恋華の合図で歓声を上げている。
だが虎白だけは静寂を保ったまま、彼女を見ていた。
「お前の夢・・・俺が請け負った。 ゆっくり安め。 到達点にいる我が兄上がお前の闇を洗い流してくれるだろう」
虎白は悲しき忌み子の亡骸を砦の近くに埋葬した。
冥府軍総大将であるウィッチの戦死と冥府軍の壊滅という結果を持って、この戦いは終結した。
ウィッチが築いた砦の位置が中間地点のアーム区域と呼ばれる、川が腕の様に左右に伸びている地域で決着がついた事から、この戦いを人は「アーム戦役」と呼んだ。
虎白はメテオ海戦に続き、二度も天上界を救った英雄となった。
当人は新戦力となった許嫁の恋華と、配下の皇国軍三千を連れて凱旋した。
しかし英雄の胸に刻まれたのは、悲しき忌み子の世界を相手にかけた復讐劇の壮絶な顛末であった。
彼女の想いを胸に英雄は、戦争のない天上界へとまた一歩近づいたのだ。
シーズン5完
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