第10ー10話 虎白の思い

虎白は朝目を覚ますと隣で気持ちよさそうに眠っている竹子と甲斐にキスをすると着物を着て部屋を出ていった。



まだ早朝だろうか。



城の中は静寂に包まれて夜間警備の白王隊が任務を終えて交代の時間を待っている。



虎白に気がついた衛兵達は丁寧に一礼している。





「昨日は飲みすぎたな。 最高に楽しかったなあ。」





朝焼けを見ながら1柱でそうつぶやくと笑みを浮かべていた。



長年の苦労が実を結んだかの様に平和な時間が訪れていた。



近頃の天上界では白陸の勢力が強すぎるがために周辺国も軍事行動を起こせずにいた。



東西南北を虎白が心許す者達が統治して円の中心に白陸がいる事によってどこへでも出陣できる。



長年の悲願である戦争のない天上界は実現しつつあった。





「後はジアソーレだけか。」





天上界は平和だ。



しかし冥府が攻め込んでくればたちまち騒乱となる。



虎白は一度味わってしまった平和という甘い蜜が忘れられずにいた。



この甘味を覚えると戦争という刺激物は苦痛でしかなかった。



戦神魔呂やウィルシュタインといった戦う事が生きがいとも言える彼女らは今の平和な天上界の方が退屈なのかもしれない。



だが元は戦う事が苦手であった虎白は本来あるべき自分へと戻っていっている様だったのだ。





「暑苦しい熱気と殺気・・・大勢の悲鳴と怒号・・・刀で斬る肉と骨の音・・・死にゆく双方の生命の灯火・・・勝利して得る空虚な気分・・・」





虎白はそれを考えると気が乗らなかった。



城の中へ戻った虎白は妻達の部屋を覗いて回っていた。



まだ朝焼けが登り始めている早朝だからか、昨日の宴で楽しみすぎたか、妻達は皆が熟睡していた。



そのあまりに愛おしい寝顔を見ている虎白は「天使だな」とつぶやくと扉を閉めて彼女らを安眠させていた。



美しすぎる愛妻の天使の寝顔を見れば見るほど、彼女らの愛おしい笑顔や温もりを感じれば感じるほど。



戦いに行きたくなかった。





「怖えよ。 ジアソーレの仮面から覗かせる瞳は復讐心で満ちていた。 俺に対しての我を失うほどの復讐心が。」



虎白が手にした幸福とはあまりにかけ離れているジアソーレという男。



もはや存在そのものが邪悪で怒りに満ちている。



だがそれも虎白は家族のために必死に戦ったがために産まれた復讐心だった。



愛する家族を守るために殺していったあの不死隊の生き残りがメテオ海戦で戦死した彼の兄弟達の無念を晴らすためにこうして現れた。



目を細めて下を向く虎白はため息をついた。





「どこかで止めないとな・・・まさかあの不死隊の生き残りが冥王になるとはな・・・」





小さくつぶやいて政務室へと歩いていくと背後から衛兵が走ってくると耳打ちをしていた。



話を聞く虎白は呆れた表情で政務室へ入る事を止めて足早にどこかへ向かった。



衛兵が話した内容は昨日の出来事だ。



天上界中が新たな傑物の誕生を祝っている中で起きた暴力事件だ。



宮衛党の総帥メルキータが白陸の皇太子白斗を殴り飛ばしたという事件はやはり直ぐに白王隊の耳に入った。



そして夜が明けて朝になる頃には虎白の耳にも入ったというわけだ。



宮衛党へ訪れた虎白は半獣族の兵士達が困惑した様子で立ち尽くしている城門を蹴破る勢いで入ると「メルキータはどこだ?」と兵士に尋ねた。




「し、城の執務室で待っています!! あ、あの虎白様ああ!!」





半獣族の衛兵は虎白にすがる様にして駆け寄ってくると涙目で話していた。



「どうか許してください」と産まれたての甲介の様に泣き出す半獣族を見て虎白が「まあ落ち着け」と頭をなでていた。



まずは何が起きたのか聞いてみない事には虎白も判断ができないからだ。



半獣族の衛兵を落ち着かせると城へと入っていった。



執務室へ入ると驚くほど冷静な態度で出迎えたメルキータが両手を前に出して逮捕される事を覚悟していた。





「いいよ。 まあ話そうぜ。」

「話す事はないよ。 私が殴った。 殿下は何もしていない。」




事態を荒立てないために弁明すらしないメルキータを見ている虎白は目を細めていた。



変わらずメルキータは両手を前に伸ばしていた。



すると虎白はメルキータの胸元を力強く押して椅子に座らせた。



驚きが隠せない様子で目を見開いて唖然としていると虎白は「お前よお」と口を開いた。





「一度大きな過ちを犯して罪だと感じた者は再び罪を犯そうとする時に必ず思い悩む。 だがそれでも罪を犯す者はよほど譲れない理由がある時だ。 そうなんだろメルキータ。」




それはあのアーム戦役での大失態の話だ。



優奈を守るためとは言え、虎白に相談もせずに無断で決断して虎白と白王隊を殺しかけた。



まさに裏切りとも言えるこの大失態でメルキータの信頼は白陸軍から皆無となった。



だが一方で活躍を続けるウランヌの存在もあり今日まで宮衛党は白陸軍の国防軍として残ってきた。



皆がメルキータへの信頼をなくす中でも虎白はしっかりと彼女を見続けていた。



軍部からの信頼がまるでないメルキータが今日まで総帥として宮衛党にいられたのは国民からの信頼が絶大だったからだ。



宮衛党領内で暮らす半獣族の民は皆が口を揃えて「メルキータ様」と話していた。



冷静な表情でメルキータを見ている虎白は「お前パクったら半獣族が暴動を起こすぞ」と口角を少しだけ上げていた。





「それにお前は軍事は苦手だが馬鹿じゃねえ。 理由もなく白斗を殴り飛ばすはずもねえし、もし殴るにしても半獣族が大勢いる前でやる事はしねえよな。 つまりあの場でやるしかないぐらい重大な何かがあったんだろ?」





あまりに的確な虎白の見解にメルキータもたまらず「やっぱダメかあ」と諦めた様子だった。



同時にメルキータは「ずっと見守ってくれてありがとう」と続けた。



それからしばらく黙り込んだメルキータは遠くを見て小さくつぶやいた。



「私にできる事は少ない。 竹子達の様に優秀じゃないから。 でも虎白の夢の実現を邪魔するなら例え殿下であっても私は譲らない。 自分が罪人として処分される事で夢の実現がなるなら喜んで。」





気がつけばメルキータは良い表情をする様になっていた。



戦場で立ち尽くす情けない表情とは異なり、今の彼女の表情は固い決意と熱い思いを胸に秘めている者の顔だった。



「お前がパクられたらみんな悲しむぞ」と返した虎白に対して力強い眼差しで凝視すると彼女は冷静な口調で口を開いた。





「私が捕まろうが死のうが宮衛党はびくともしない。 仲間がいる。 そして民は宮衛党のために頑張ってくれる。」





彼女は天上界で一番の努力する凡才なのかもしれない。



確かにウランヌやましてや神話達に並ぶ天性の才能があるわけではない。



だが凡才であり、弱者だからこそ民の気持ちを良く理解できていた。



そんなメルキータの民に寄り添う政策は半獣族達から高く評価され、心の底から愛されていた。



一方で紛れもない天才である虎白は一見すると目立たないメルキータの才能を確かに見抜いていた。



だからこそ今日まで宮衛党の総帥として置いてきたのだ。



虎白は信頼する者を良く観察する性格だ。



つまりメルキータの一連の行動を知った虎白は何か重大な事を隠していると推測したのだ。



メルキータの力強い眼差しを見て「ペデスと揉めたか」と話した。





「やっぱりお見通しかあ・・・」

「兵士の前で揉めたんだな?」

「どうしようもなかった。 ウランヌが気がついた時にはもう始めそうだったんだ・・・」





話を聞いた虎白は「ありがとうな」とメルキータの頭をなでると執務室を出ようとしていた。



すると「逮捕は?」とメルキータが尋ねた。



ドアノブに手をかけて背中を向けたまま虎白は黙っていた。



すると「ヒヒッ」と小さく笑うと大きく息を吸った。






「長かったよな。 多くの犠牲の上にここに立っている。 夢は叶えるがお前らがいてくれねえと無理だ。 だからメルキータ。 これからも宮衛党を頼んだぞ。」





そう言うと執務室を出ていった。



メルキータは深々と頭を下げていた。



そして誰もいなくなった執務室で静かに敬礼をしていた。


「お任せを」と力強く言葉を発するといつもの様に民に寄り添う政務を再開した。

























謹慎させられている白斗の部屋の前に立つ虎白は衛兵に言って部屋の中に入った。



すると不貞腐れた表情で座っている白斗が「父上」と駆け寄ってきた。



言葉を発する事なく静かに息子を見つめる虎白の瞳は何を意味しているのか。



動揺する白斗は「すいません」と小さい声で話した。





「焦る気持ちはわかる。 だがお前は俺の息子だ。 弟や妹ができたからってお前がいらねえってわけじゃねえ。」

「どうですかね。 次の皇帝は恋華叔母上の子でしょうな。」





どうしても皇帝になりたい白斗の気持ちが焦りを生み、悪い方向へ進んでいく。


虎白はそれを指摘するが白斗は怒りをあらわにしている。



「父上だって軍太さん殴ったじゃないですか」と声を上げては「ペデスは甘いんですよ」と不満げな表情だった。



今の白斗は出世を焦るばかりに何もかもが不満に思えている。



それを良く理解している虎白は「落ち着け」と話していた。





「じゃあペデスを押してジアソーレの討伐に出るのかよ?」

「ええ。 俺は父上と共に冥府を叩きます。 そして俺が天王を継ぎます。」

「はあ・・・悪いが冥府との最終戦争に白陸を出すつもりはない。 俺の嫁にはもう一滴も血を流してほしくない。」





これは既に内々で話されていた事だった。



高天原を含む日本神族の皆は今日を迎えられた最大の功績を白陸のおかげと考えていた。



そしてその事で忘れていた記憶が蘇った日本神族は自らが始めたこの戦いを終わらせるために冥府の完全粉砕に乗り出すつもりだった。



つまり白斗は言うまでもなく竹子達すらも出陣する事はなかった。





「まあ出ても後方支援だな。」

「ここまでやってきたのは叔母上達じゃないですか!! それなのに最後の戦いは神族だけなんて!!」

「お前よお。 メリッサに血を流させる事に胸は傷まないのか?」

「今は有事です。」




白斗には出世が一番というわけだ。


だがこの姿勢を虎白は評価するわけにはいかなかった。



妻の気持ちも理解できない者に天王という重責が担えるはずもないからだ。



呆れた表情の虎白は「もう少し周りを見ろ」と返した。






「なあ。 お前がもし俺の後を継ぐって言うならまずは周囲の者の気持ちを理解する事だ。 俺は嫁を愛している。 あいつらに危険な事はさせたくねえ。」

「で、ですが叔母上達は・・・」

「ああ。 そうだ軍人として誰よりも優秀だ。 それでも俺はもう戦わせたくねえ。」





それは常々虎白が思っていた事だった。



愛する妻の美しい体から流れる血を見るたびに胸を痛めていた。



だが天上界の平和のために妻達と戦うしかなかったというわけだ。



それが今では強力な日本神族の出現もあり、妻を最前線に連れて行く必要性はなくなったと言える。



虎白が今、妻に任せているのは領土の発展だけだ。






「それが妻が安全であり、賢い俺の嫁なら領土を発展させられるからだ。 戦いは俺ら神族がやればいい。 つまり何が言いたいかわかるか白斗。」





虎白の問いに困惑する白斗は「さ、さあ」と言葉を濁して黙り込んでいた。



これから始まるのはまさに新時代。



もはや刀が物を言う戦乱の時代ではないという事だ。



虎白が白斗に言いたいのは天王になるなら大切なのは武力よりも政治力だと話している。





「この先は刀よりも会話が大事な時代だ。 問題ってのは時代によって形を変える。 戦乱の時代に会話が得意なやつがいても戦えるやつがいなければダメだからな。」

「つまり平和になっても武力は必要という事では?」

「ああ。 だが武力は天王の役目じゃねえ。 最高権力者が武力でなんでも解決するんじゃ平和とは言えねえ。」





時代の流れが変わっている。



ゼウス政権下の様に多くの冥府軍を討伐すれば出世する時代ではない。



これからはどれだけ民を幸せにできるかが、有能な君主かどうかというわけだ。



まさに戦争のない天上界であり、人の上に立つものが本来やらなくてはならない義務なのだ。



虎白は息子の白斗にその重要性を話している。



今の様にペデスと喧嘩をする様な荒々しい者はこの先の天上界の舵取りに相応しくないという事だ。





「じゃあ俺は刀を扱わずに話し合いで天王になれと?」

「本当に俺の後を継ぐなら大事な事だ。 恋華や竹子の様に落ち着いて話せる力が必要であって魔呂や甲斐の様に武力を扱うなら天王ではない。」




その点、虎白の妻達は適材適所と言えた。



難しい会話が必要なら恋華や竹子が対応できて武力が必要なら魔呂を始めとする戦神までいたのだ。



そして虎白という絶対君主の元で皆が一つになりここまで辿り着いた。



白斗はどうかと言えばそれは明白。



更に続けた虎白が話した事はペデスとの喧嘩未遂ではなく今後の事だった。





「お前は出生の儀に来てくれなかったな。 それも気持ちはわかる。 だがどうだ? 俺にとって竹子は全てを理解してくれる最高の戦友であり、家族であり良妻だ。」

「だから俺には叔母上の子供達を束ねろと?」

「俺がした様にな。」





だがその言葉こそ白斗にとっては聞きたくない内容だった。



何故なら恋華の子供である紅恋は正当な皇国の血だけで産まれてきている。



逆立ちしても敵わないのは考えなくてもわかる事だった。



すると白斗はその場に座り込んで大きなため息をついた。





「わかってるんです本当は。 俺じゃ白陸を継げないって事を。 だって叔母上の子供に勝てるわけないもの。」

「別に天王になるのがお前の義務じゃねえぞ。」

「じゃあ俺はなんのために!!」




そう白斗が激昂した瞬間、虎白は力の限り抱きしめた。



「生きてさえいてくれればいい」と声を震わせて話すと虎白は静かに泣いていた。



我が子の存在価値は能力や有能かどうかではない。



生きていてくれる事こそが価値であり、正しい方向へ導くのが親の義務だ。



虎白は当然わかっている。



白斗が天王なんて器ではない事を。



だが息子として共に生きていてほしいだけだと。





「無理に天王なんぞにならなくていい。 お前の特技は他にもたくさんあるはずだ。」

「俺は何ができるのかな・・・」

「それをゆっくり見つけていけばいい。 話した事なかったが俺はガキの頃、酷いもんだったんだぞ。」






日本神族が天上界に戻って以来良く口にしている言葉がある。



最大の功労者とも言える虎白に対して「弱すぎる皇帝」と。



それは日本神族達が皆、幼馴染であり幼少期の虎白を良く知っているからこそ愛嬌を込めて言っている。



決して愚弄しているわけではない。



この弱すぎる皇帝こそ紛れもない虎白の事だった。



虎白の言葉に驚く白斗は「父上が?」と弱すぎる皇帝に対して驚いている。






「そうだ。 槍を持てば重くて倒れていたし、弓を引けば弦が重くて上手く飛ばせなかった。 学問も兄貴達より遅れていたし。 まあ酷いもんだった。」





今では想像もつかないが虎白は日本神族の中でも圧倒的に劣る存在だった。



9柱の兄弟である鞍馬家の者達は皆が順調に成長していったが、何故か虎白だけは遅れていた。



その劣等感から逃げ出したくもなったと話す虎白に驚きが隠せずにいる。






「記憶が戻った俺は人間の気持ちをもっと理解できる気がする。 いくら頑張っても結果が出ない事なんて珍しくなかった。」

「そ、そうだったんですか・・・」

「だが俺は皇帝として第九軍と民を導かなくてはならなかった。 だがお前にはもっと選択肢がたくさんある。」





才能もないのに困難な問題に取り組み過酷さを誰よりも知っていた虎白は白斗に自由な生き方を提案している。



それは虎白達と共に引退して妻のメリッサと平穏に暮らす時間を作るという事も含まれている。



冷え込んだ夫婦関係の修復が大事だと話す虎白の言葉を聞いてもなお納得がいかない様子だった。



白斗は虎白の過去を知ってむしろやる気が増していたのだった。



「つまり才覚がなくても父上の様に諦めなければ結果がついてくるって事ですよね。」

「え、いや、だからそうじゃなくて。」

「俺はやってみますよ父上!!」

「お、おい!!」





それだけ話すと白斗は走り去っていった。



困り果てた顔で立ち尽くす虎白は空を見ていた。



ため息をついて独り言をつぶやく虎白は「子育ては何よりも難しいな」と顔を歪ませていた。



そしてその後、白斗をメルキータが殴ったという問題は「格闘術の稽古だった」と双方が話した事により大事にはならなかった。



虎白は城に戻るといよいよジアソーレとの最終戦争に向けて本格的に動き始めた。



日本神族による最後の戦いが始まろうとしている。

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