第5ー3話 忘れられない記念日

 春風の様に暖かく優しい風が人々を包み込む天上界は先のメテオ海戦の終結によって落ち着きを取り戻した。



だがあの戦いによって深い悲しみに暮れている者が白陸には多くいる。



厳密にはメテオ海戦よりも前からだ。



 虎白はそんな者達の傷ついた心をどうにしかして癒やす事はできないのかと考えながら城の最上階で黄昏れていた。



天守閣の手すりに頬杖をついている虎白が振り返って机に置かれている書類を手に取った。




「やるかあ。 本当は白陸の建国に合わせてやりたかったなあ」




 そうつぶやきながら手に取った書類には祭りの開催に向けて帝国内の臣民からの準備完了報告が書かれていた。



悲しみに暮れる仲間や臣民のために密かに民達と準備を行っていたのだ。



だが既に虎白はメテオ海戦からの疲労で限界に達していた。



 純白の女の様な顔立ちが台無しになるほど目元には青黒いくまができ、髪の毛は酷く乱れている。




「ああ、眠てえ・・・最後に寝たのはいつだったかな・・・」




 連日に渡って民と準備を行っていた虎白は城に戻って仲間達が眠りにつくと、部屋で何度も祭りの確認を行っていた。



そんな苦労もあって祭りはいよいよ開催といった所までこぎつけたのだ。



この事実を仲間達に話そうと、部屋を出て仲間達が漫談をしている食卓へと薄暗い廊下を進んだ。



 すると連日の疲労からか、ふらふらと千鳥足になりながら壁に手をついたではないか。




「もう少し・・・寝るのはいつでも寝れる。 まずはみんなが楽しんでからだ」




 やがてその場に座り込んだ虎白はぼんやりとした視界の中で人影が近づいてくる事に気がつくと、慌てて着物の懐に書類を隠した。



すると、そのまま倒れ込んで眠ってしまった。



そんな虎白を見つめている人影の正体が目の前にしゃがみ込むと、白い髪の毛を優しくなでている。



姿を自在に変える事のできる神族の狐はかつて中間地点で皆が凍死する寸前に陥った時に大きな狐となって温めた事がある。



 だが今はその逆で、疲労困憊となった虎白はヒューマノイドの姿を維持する事はできずに子犬ほどの小さな姿になって眠っているのだ。




「もう・・・気がつかないふりするの大変だったんだよお? いつも無理してばっかりねえ」




 そう透き通る声を小さく発して子狐を抱きかかえると、しくしくと小さな頭をなでているのは竹子だ。



心地良いのか竹子の滑らかな手を舌で何度も舐めている。



竹子に抱き抱えられたまま、虎白は彼女の部屋で眠った。



そして虎白が密かに行ったつもりだが、筒抜けとなっていた祭りの開催を竹子が行い、白陸の町は灯籠が灯された。



 灯籠の静かに燃える小さな炎はどこか儚くも見えるが、街道に立ち並ぶ屋台の活気が見事に調和している。



やがて甲斐や夜叉子といった仲間達は鮮やかな浴衣に着替えると、白陸の町へと出ていった。



 しかし眠る虎白を膝の上に置いて、なでている竹子は着替える事すらできずに健気に待っている。




「せっかく頑張ったのにねえ。 起きられる? りんご飴食べたいなあ」

「あ、ああ・・・バレてたか・・・お前らに隠し事はできねえなあ」




 数時間もの間眠っていた虎白がやっと目を覚ますと、あくびをして大きく伸びをした。



すると竹子は目の前で着物を静かに脱ぎ始めたのだ。



驚いた虎白は自身の羽織物を脱いで竹子の前にやると目をつぶった。




「いいよ。 一緒に着替えようよ。 みんな待ってるよ」




 そう話す竹子は薄暗い部屋に差し込める灯籠の明かりのせいか、赤面している様にも見えた。



虎白はあまりの可愛さに顔を近づけた。



真剣な表情で見つめ合う神族と人間の距離は更に近づき、潤いのある滑らかな唇が交わろうとしていた。




「おーい虎白はまだ寝てるのかい!!!! 早く来いよお!! 焼きそばうめえぞ」




 慌てて離れた二人は顔を見合わせて笑っている。



間の悪さに気がついていない甲斐は部屋の扉をぶっきらぼうに何度も叩いていた。



急いで浴衣に着替える竹子と甚平に着替えた虎白は扉を開ける前に再び見つめ合うと、笑顔を溢している。




「いつかゆっくりな」

「う、うん・・・は、恥ずかしかったよお・・・」




 赤面しながら頬に手を当てて微笑む竹子の頭をぽんぽんと何度かなでた次の瞬間だ。



虎白の真っ白な唇は竹子の薄くて綺麗な唇に添えられた。



驚きのあまり目を見開いて顔色を沸騰させている竹子はその場に立ち尽している。



すると扉を開けて甲斐が食べている焼きそばをつまみながら歩いていった。



 竹子はその場に立ったまま、しばらく真顔で硬直していたが、歩いていく虎白の背中を見て満面の笑みを浮かべると後を追いかけたのだった。









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