第3ー17話 虎白の胸の中

 体が上下に揺れている。一定間隔での揺れが、どうにも心地よい。そして、腕に包まれ、胸元が当たっている感触が非常に安心できるのだ。

 竹子は目を覚ました。しかし、その場所がまさか虎白の腕の中だとは思っていなかった。


「あれ......」


 ふと顔を上げると、凛々しい表情で前を見て歩いている虎白の顔がある。下から見る愛する者の顔は、日頃では見ることのできないとっておきの角度ではないか。

 どの角度から見ても、良い顔立ちだなと惚れ惚れしている。そして悩んだのだ。


「このまま、気を失ったふりをしていれば、ずっと抱きかかえてくれるかなあ......」


 日頃は、建国したばかりの白陸の職務もあり、なかなか虎白に思いを伝えることも甘えることもできない。この時ばかりは、気を失った方が得だと考えた。

 あざとい考え方をするのは、竹子らしくないが、せめて今だけは虎白の腕の中に包まっていたいのだ。


「気がついたか竹子」

「え、ええ!?」

「おい動くな......このまま白陸まで連れて帰ってやるから。 それに、何も語らなくていい。 どうか、俺の話しを静かに聞いてくれ......」


 虎白の声は非常に小さい。周囲には、笹子や莉久、夜叉子に秦軍の兵士までいる。だが、この吐息程度の声は竹子にだけ聞こえている。


「怪物みたいな将軍を相手によく頑張ってくれた......おかげでノバは倒せたよ。 ツンドラは吸収して、白陸になった。 犠牲者は最小限で終わった」


 相づちも打たずに、静かに聞いている。気を失ってから、何が起きたのか知らなかったから、竹子は安堵した。命を懸けた甲斐があったと。

 しかし不思議なのは、虎白だ。素晴らしい戦果を上げたのに、嬉しそうではないのだ。変わらず前方を見たまま、話しを続けた。


「この先、もっと大勢が死ぬことになる。 俺は戦争のない天上界を創るために、戦争をするんだ。 冥府軍は、戦争が目的だからな......俺はそのために、ツンドラを吸収した。 彼らを死ぬかも知れない戦いに連れていくために......」


 竹子は察しがついてきた。そう、虎白は自分の計画が、いかに恐ろしいことなのか理解している。これから死なせるために、今回は死なせなかった。

 生還できたと安堵しているツンドラの民は、後に来る冥府軍によって再び絶望の淵へと落とされるのだ。


「じゃあどうすればいい? 冥府軍に戦争はやめてと頼むか? それとも連中の言いなりになるか? 戦わねえと、みんな死ぬぞ......俺だけじゃ冥府軍なんて止められねえ......ツンドラには、悪いと思っているよ。 全て終わったら、いくら恨まれたっていい」


 虎白は、自分が悪人だと思っているようだ。賢いがために、遠くの未来が見えてしまう。そして、最悪を招く前に、必要な犠牲まで割り出せてしまう。

 冥府軍が天上界に来て、蹂躙じゅうりんすれば無抵抗の民が大勢殺される。ならば、その前に兵士の犠牲を持って冥府軍を撃退するべきなのだ。だが、戦死した兵士の遺族は、虎白を恨むだろう。

 全て承知の上で、虎白は冥府軍と戦う準備をしているのだ。しかし時に、自分の考えが冷酷で、嫌気が差してしまうようだ。


「誰が死ねば最善なのか計算する。 冥府軍襲来時は、俺や軍隊が先に死ぬしかない。 そうしないと、ただ必死に生きているだけの民が死ぬからだ。 ああ、わかってるよ竹子......俺はお前が思っているような、いい男なんかじゃねえよ。 未来の死者を計算して、目的を達成させる男なんだ」


 竹子は、腕に包まれながら静かに話しを聞いている。虎白は自分自身を嫌いにでもなったのか。

 虎白は何も言うなと言っていた。しかし竹子は、口を開いた。


「誰かがやらないといけない......誰だって自分は良い人であろうとするよ。 でも、誰かが悪いとわかってでも、やらないといけないことがあるの......虎白が悪人になって、兵士達を戦場に連れて行くなら、私だって一緒に悪人になってこの先も命を奪うよ......」


 それは一蓮托生いちれんたくしょうというわけだ。死んでも二人で共に、同じはすの花の上で巡り会いたい。例え、結果がどうなろうとも、虎白と共に運命を共にしたい。

 竹子はそんなことを、天上界に来るよりも前から決心していた。死ぬとしても、虎白と一緒なら本望だと。


「聞いてよ虎白......私には虎白の頭の中はわからないよ。 ずっと先のことを考えているんでしょ? それが怖いのでしょ?」

「............ああ、怖い」

「私も怖いよ。 それは、虎白に失望されることや、置いていかれることだよ......それが何よりも怖いの......」


 だから支え合っていきたい。竹子は言いかけたが、拒まれることが怖かった。覚悟を決めた虎白は、いつだって振り返ることなく走っていく。

 虎白の見えている未来には、自分は置いていかれているかもしれない。実際に、知略も剣技も遠く及ばない。家臣の莉久を連れて、消えてしまうかも。

 所詮、自分はその程度の人間で、虎白には必要ではないのかもしれない。その事実を受け止めるのが、怖かった。


「虎白は、気にせず走ってよ。 私は一生懸命追いかけるよ......」

「............」

「ダメかな?」

「離れないでくれ」

「え?」

「お願いだから、何があっても俺から離れないでくれ......迷った時にお前を見れば、光が見える。 俺の生きている理由は、戦う理由はお前を守りたいからだよ......」


 驚く竹子の頬に雫が落ちた。口では、戦争のない天上界と言っているが本心では、見ず知らずの他人のためではなく、いつだって近くにいる竹子を守りたいのだ。

 しかし民を守ることも自分の義務だと思っている虎白は、こうして重荷を自ら背負って歩んでいる。


「そうだよ。 別にお前を連れて逃げればいい。 だが必ず思うさ......冥府軍によって殺される亡骸を見るたびに、俺が逃げたせいだってな」

「うん......わかっているよ。 だから逃げないよ。 一緒に歩もうね虎白......」


 こんな時だと言うのに、竹子は嬉しかった。虎白の胸の内を自分だけに話してくれたのだ。同時に、涙も溢れた。どうしてそんな優しいのだろう。顔も名前も知らない他人を死なせたくないから、どれだけ嫌われようとも、重荷を背負う虎白の覚悟に感極まったのだ。


「ねえ言ってよ虎白。 そ、その......あの日に言ってくれた......」


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