第2ー14話 史上初の皇帝という凄み
始皇帝と虫の王が見つめているのは巨大な収容所だ。
虎白以下の仲間達はこの場所に辿り着く事ができなかった。
まるで何かの会場かの様に大きな場所で人々が作業をしている。
長い髭をすらすらと撫でる様に触っている嬴政は確信していた。
「間違いなく鈴はここにいる」
始皇帝の言葉にうなずいている虫の王は今にも突入してしまいそうだ。
触覚を様々な方向へ動かして、黒くて大きな瞳は一点を見ている。
やがて半透明な羽が背中から開くとばりばりと音を立てて空中へ浮き上がった。
嬴政は直ぐに固く尖った足を掴んだが、蛾苦は飛び始めた。
「ま、待て!! 虎白達もいないのだぞ!!」
「もう耐えられないんだ嬴政・・・きっと妻は鞭を打たれて今も泣いている」
空中で異様な音を出しながら飛来する蛾苦は収容所へ向かい、背の高い鉄網を飛び越えた。
足に掴まっている嬴政は鉄網の中に落下すると、冥府軍の衛兵が何事かと近づいてきたではないか。
一方で虫の王は妻を探して飛んでいる。
この世界の住人ではない事に気がついた冥府軍は武器を構えて近づいてくる。
「蛾苦のやつめ・・・」
「動くなっ!!」
衛兵が叫ぶと、更に声を聞いた冥府兵が集まってくる。
周囲を見渡すと既に嬴政は囲まれていた。
日焼けをしている褐色が渋い顔を強張らせて、腰に差す宝剣に手を当てた。
「やるしかないのか」と絞り出す様な声を小さく発して宝剣を抜こうとしたその時だ。
暗く不気味な空を見上げると、何かが落下してくるではないか。
身構える始皇帝は落下してくる異物を見ていると、重力に従っている何かは形をはっきりとさせた。
それを見た嬴政は慌てて近くの冥府兵を宝剣で斬り捨てると一目散に走り始めた。
飛来してきた異物はドラム缶で、火を吹いているのだ。
悲鳴にも聞こえる雄叫びを上げる伝説の始皇帝は爆発に巻き込まれまいと懸命に足を動かしていると体が空中に浮き上がる感覚を覚えた。
するとばりばりと聞き慣れた不快な音が耳に入った。
ふと上を見上げると蛾苦が腕を掴んで飛び立っていた。
「あ、危ないだろ!!」
「聞いてくれ嬴政。 ここで俺が騒ぎを起こすから妻を見つけてくれ」
そう話すと嬴政を冥府兵がいない方向へ降ろして走らせた。
妻を救いたいという感情が抑えきれない虫の王は変わらず異音を鳴らして爆発で黒煙を上げている現場へと戻っていった。
巨大な昆虫を見送った嬴政は言われるがまま、収容所の建物へ近づいた。
「ええい・・・六番隊の副官がいれば」
音を立てれば冥府兵が手柄を求めて殺到してくるのは明白。
こんな時、甲斐の副官にして優子に赤面している忍者さえいればと小麦色の眉間にしわを寄せていた。
お初や虎白達はこの場所にいないが、蛾苦は既に長年押し殺していた感情が引火した燃料の様に爆発している。
人前に立って万民を導く事に長けている嬴政に隠密行動とは彼の壮絶で輝かしい人生で経験の少ない事だ。
困惑した表情で建物の扉に手をかけて中へ入ると衛兵が呑気に会話をしながら歩いている。
そして室内ではまるで家畜の様に厳しすぎる規律に縛られた人間達が無数にいた。
目を凝らしてみれば人間だけではなく半獣族もいるではないか。
外で大暴れをしている蛾苦の妻はイタチのヒューマノイドだ。
音を立てて気がつかれない様に慎重に歩いていく嬴政は眼前で呑気に話している冥府軍が振り返らない事を祈った。
だが次の瞬間、祈りも虚しくどんな理由で振り返ったのか冥府兵が嬴政に気がついた。
「お前何をしている!!」
「やはり俺は目立つ事に才能でもあるのか・・・」
室内で襲いかかってくる冥府兵を相手にする事になった始皇帝は見事に光り輝く金色に塗装され、ダイヤの様に眩しい石が埋め込まれている宝剣を抜いた。
「皇帝だからって戦えないわけではないぞ」と小さく独り言を発した嬴政は宝剣を構えると鋭く突き出された槍の刃先を防ぐと、斬り返した。
二人の冥府兵をあっという間に仕留めると自慢げな表情で「かつてはよく暴れたもんだ」と自身の武勇が衰えていない事に高揚している。
捕虜からの拍手を聞いている始皇帝は「鈴という女を知らないか?」と声を上げた。
すると半獣族が二匹近づいてくると「知っていますよ」と答えたではないか。
ホワイトタイガーの半獣族とサーベルタイガーの半獣族という非常に珍しい二匹はどちらも女だ。
ヒューマノイドである彼女らは嬴政を見るなりはっと口に手を当てた。
「まさか嬴政様ですか?」
「そうだが。 お前らは誰だ?」
「私達はテッド戦役で捕虜になりました。 かの戦いであなたを見かけました」
二匹の半獣族はそう話すと右拳を左手で覆う「拝手」という作法を見せた。
うなずいた嬴政は「名前はなんだ女」と皇帝らしく偉そうに尋ねると、ホワイトタイガーは「シフォン」サーベルタイガーは「ルメー」と答えた。
すると彼女らは足早に嬴政の着物を引いて案内を始めたのだ。
「鈴様はこちらです。 ですが衛兵が・・・」
「お前らは戦えないか?」
嬴政がそう尋ねると顔をきょろきょろと動かしている。
すると蛾苦の揺動で無人となっている鉄骨の監視塔に目をやった。
互いに顔を見合わせてうなずくと監視塔の足を殴り始めた。
『第六感!!』
同時に放った言葉は以前に甲斐も発した。
すると鉄骨の監視塔は大きな音を立てながらへし折れて倒れていく。
「やるなお前ら」と感心した様子を見せる嬴政は決して驚いてはいない。
倒れた鉄骨の破片を手に取ると剣でも持ったかの様に「これで戦えます」と力強い眼差しをみせた。
そして嬴政とシフォンとルメーは背後で聞こえてくる怒号と爆発音を聞きながらも鈴の救出へ向かった。
何棟にも別れている収容所の建物を越えて進むとシフォンが白い耳を立てて何かを聞いている。
隣では口元から伸びる鋭い二本の前歯が特徴的なルメーが鼻をひくひくと動かして匂いを嗅いでいるのだ。
「どうしたんだお前ら」
「鈴様が移動している。 こっちです!!」
すると次は嬴政が立ち止まって彼女らの女らしく細くも半獣族らしい筋肉質な腕を掴んだ。
何事かと首をかしげる彼女らを真剣な眼差しで凝視する目立つ才能の塊は何か思いついたのか口角を上げた。
「暴れてやればいい」と声を発した伝説の男は近くの収容所の建物の扉を蹴破った。
驚く冥府兵に落ち着かせる時間すら与えずに斬り捨てるとシフォンとルメーに「全ての収容所を解放しろ」と声を上げたのだ。
「この際だ。 捕まっている全ての捕虜を解放して戦の一つでも始めてやるか。 どうせ俺は静かには動けないんでな」
日頃は虎白や甲斐が天真爛漫で大人しく見えているがこの男。
彼は歴史上で始めて皇帝と呼ばれたとてつもない傑物なのだ。
既にシフォンとルメーを従える始まりの皇帝は二人で潜入した収容所で軍勢を作り上げるのだ。
「戦え!! ここは冥府だ!! お前達の居場所は天上界だぞ!! ここが死に場所ではないぞ!!」
迷いの森が静観する収容所では爆発音と冥府軍の悲鳴に異音が響いている。
やがては大勢の生命の叫び声が怒号となった。
たった一人で軍勢を作り上げた伝説の皇帝は宝剣を高々と突き上げて叫ぶ。
不思議なまでに彼の声を聞く者達は胸が熱くなり、勇気が沸騰したお湯が如く湧き上がるのだ。
天上界の捕虜達は僅か数分にして冥府へ攻め込んだ天上軍となったのだった。
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