第2ー10話 夜叉子と虎白の夜語り

 人々の仕事が、会社員ではなく農民や商人で、警察ではなく武家だった頃。夜叉子は十五歳の少女だった。

 しかし時代は違えど、悪人とは時代を問わずいるものだ。村一番の美少女だった夜叉子は、川遊びをするために、一人村から離れた。


「母上と父上に美味しいお魚釣ってあげよう!」


 毎日農業に追われる両親の役に立ちたい。夜叉子はそんな純粋な思いから、川で釣りをしていた。母からは、口うるさく、一人で出歩くなと言われていたにも関わらず、両親を喜ばせるために、言いつけを破ったのだ。


「きっとお魚をたくさん釣れば、許してくれるよね」


 怒る親の顔を思い浮かべ、魚を見せて笑う親の顔を思うと、楽しみで仕方なかった。

 早速虫を釣り針に刺して、川へ投げ込んだ。釣り竿から感じる魚の衝撃を、今か今かと心待ちにしている。

 だが夜叉子は、直ぐに異変に気がついた。


「あ、あれ? 村の方からだ」


 森の先にある、村から煙が上がっているのだ。夜叉子は、さほど気にする様子もなく平然と村へ戻っていった。

 きっと村長が、刈った雑草でも燃やしているのだろう。夜叉子は、その程度の軽い気持ちで村へ帰った。

 だが、そこに広がっている光景は、夜叉子の思っていたものとはかけ離れていた。


「や、夜叉子! 逃げなさい!」

「は、母上!」

「ほら奪え! 若い女は殺すな! 男は皆殺しにしろ」


 眼の前で、絶叫する母の背中から、真っ赤な血液が吹き出した。母は、倒れると、動かなくなった。

 視界の至る所で、無惨な殺され方をしている見慣れた村人達。同世代の友達が、軽々と肩に担がれて、連れ去られていく。

 それはまるで、地獄だ。


「おい! そこにも若い女がいるぞ! おお? こりゃ大層な美貌じゃねえか! 高く売れるぞ!」


 恐怖のあまり、夜叉子の体は動かなかった。舌を出しながら、好物を食べる獣のように近づいてきた男らは、夜叉子の綺麗な顔を躊躇ちゅうちょすることなく殴ると、肩に担いだ。



 布を被せられ、どれほどの時間が経ったろうか。次に視界が開いた時には、薄暗い部屋の中に、村の友達達と押し込められていた。

 それは身の毛もよだつほどの恐怖だった。友達の女の子は、一人、また一人と着物を破かれては、男共に抱かれている。悲鳴を上げようが、何をしようが、どうすることもできず、男共の餌にされていった。


「さあてお次は、この上物と行こうか」


 やがて男共の魔の手は、夜叉子へと向いた。


「失礼します。 兄貴」

「なんだ京之介。 今お楽しみの最中だぞ? お前らは、まだ後だ」


 男共に京之介と呼ばれた若い青年は、兄貴分達が楽しんでいる姿を静かに見ている。しかし何か様子がおかしい。

 そして次の瞬間、京之介は兄貴分の背中を刀で斬り裂いたではないか。これを見た他の兄貴分達が、一斉に京之介へ斬りかかると、驚くことに彼は、一人で兄貴分達を全て斬り捨てた。


「大丈夫か!? ここから逃げよう」

「で、でも......」

「俺達は山賊だ......でも若い女子おなごを食い物にする外道じゃない」


 京之介は、夜叉子を連れて走った。それについて行く以外に助かる道はないと、村の友達も京之介に続いた。

 小汚い小屋から飛び出すと、そこには京之介の仲間であろう、若い山賊衆が刀を持って立っていた。


「怖かったよな......村も焼かれ、君達は売り飛ばされる所だった。 本当にすまないことをした......せめてもの償いの気持ちとしてこれを見てくれ」


 仲間の山賊に頷くと、兄貴分から山賊の頭に至るまでの首が運ばれてきた。京之介は、反乱を起こして、山賊衆を乗っ取ったということだ。

 しかし平穏に暮らしているだけであった、村の若者達は、恐怖のあまり我先に山を降りていった。


「君は逃げないのかい?」

「眼の前で母上が殺された......村も焼かれた......もう私に帰る場所なんてない」

「そうか......じゃあ俺達と来いよ! 今日から俺が頭だ! 俺は、武家から略奪をするんだ! そして飢えた村人達にも配るんだぜ」


 この青年との出会いが、夜叉子の運命を大きく変えたのだ。



 それから十年後。夜叉子は、京之介の妻となり、山賊衆も巨大組織へと進化していた。「狩人の京」と武家に恐れられる一方で「救いの京様」と農民達からは、崇拝されていた。


「さあて次は、あの武家を襲うぞ。 連中、高い年貢を農民に収めさせて、自分達は毎晩のように遊び呆けている。 許せねえ!」


 年貢とは、今で言う税金だ。高すぎる税金に苦しむのも、いつの時代でも変わらないようだ。

 京之介は、そんな連中が、農民の指導者であることが許せなかったのだ。弱きを助け、強きを挫く京之介は、弱者の希望であり、強者にとっては害だ。


「おい野郎共! 明日は存分に略奪しろ! 今晩は、その前祝いだ!」


 それが京之介の最後の言葉になった。



 翌朝、木に吊るされている京之介を発見したのは、夜叉子だった。無惨に斬り裂かれている喉には、木札が差し込まれていた。

 絶句しながら木札を見ると、そこには武家からの最後通告が書かれていた。


「解散、もしくは、我らの敵勢力の土地への移住。 さもなくば、山ごと焼き払う。 我らには、腕利きの忍びがいるのでな」


 昨晩は夜叉子が最後に愛する夫を見たのは、宴会の時だ。楽しむ皆を見て、満足げに笑った京之介は、決まって一人で笛を吹きに行くのだ。

 今宵も、綺麗な音色が聞こえてくる。夜叉子は、いつものように夫の背中を見て、微笑んだ。しかし、それが間違いだった。


「どうして......いつも、私の近くにいる人は死ぬの......」


 京之介の亡骸を丁重に埋葬した夜叉子と仲間達は、武家へ最後の戦いを挑んだ。そして相討ちとなって、武家は滅び、夜叉子と山賊衆も滅んだ。



 これが、夜叉子の第一の人生での経験だ。


「そうか......天上界で夫には会えなかったのか?」


 虎白が尋ねると、夜叉子は夜空に浮かぶ月を見ている。月の神が浮かべる天上界の月は、いつだって三日月だ。

 夜叉子は黒髪を風になびかせて、三日月を見ている。そして小さい声で、問いに答えた。


「会えたよ」

「今どうしているんだ?」

「私が殺したさ」


 夜叉子は、静かに煙管を吸い始めた。

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