第9話 男が与えられる幸せ

 何時間も歩き続けた。しかし長い道のりの道中は、決して苦しいものではなかった。笹子と新納の漫談を、聞きながら歩く道中は穏やかで、束の間の平和を感じられた。

 一同の眼前に広がる、青くて広い大海原にはこの世とあの世の境界はない。ただ美しく、波が寄せては返している。


「やっと着いたな」

「おおー! 綺麗ですね姉上! こうなったら泳ぎましょうよ!」

「ちょ、ちょっと笹子何言っているの!」


 笹子は、そそくさと鎧を脱ぎ捨てると、着物すらも脱ごうとしている。着物から覗かせた、白くて細い肩を見たとんがり帽子や虎白らは、慌てて視線を海へと向けた。

 たまらず竹子が取り押さえるが、どうしても泳ぎたい笹子は、着物を脱ぎ捨てようとしている。


「止めなさい! はしたないでしょ」

「今さら何を言っているのですか姉上? さあ脱ぎましょう!」

「お、おい新納、お前なんとかしろよ。 目のやり場に困る......」

「それはわしもじゃ......鞍馬どんこそ、神族なんですから、なんとかしてくださいや」


 笹子の露出を止めるのに、神族ということが何か関係あるのか。虎白は、そう思いながらも今にも胸元まで出てきそうな、笹子を抑えると、竹子が着物を着させた。

 年齢以上に出来上がっている豊満な胸元が、後少しのところで着物に包み直されると、複雑な心境であるとんがり帽子達が微かにため息をついた。


「笹子いくらなんでも天真爛漫すぎる」

「だってせっかく海に来たんだよお? 泳がなくていいのー!?」

「海ってのは......きっと眺めるもんだ。 泳ぐのはたぶん魚達だけなんだよ」

「水泳って言葉があるのに!?」

「あ、ああ......魚の楽園を邪魔しちゃいけねえよ......」


 苦し紛れの理屈を語る虎白の目は、優雅に大海原を泳ぐ魚達に負けないほど泳いでいた。明らかに不満げな笹子の手を引いて、新納の元へ連れて行くと、足早に海から去ろうとしていた。


「ま、まさか俺達がいるのに、脱ぐことへ抵抗がないなんてな」

「こげなことは今までに何度もあったと......そのたんびに必死に止めましたわ」

「お前も苦労するな。 あいつの父親代わりってのはよ」


 隙を見て、砂浜へ走っていく笹子を追いかける竹子が、なんとか露出を食い止めている。そんな姉妹の攻防を眺めている虎白と新納は、あの天真爛漫すぎる笹子の話しをしている。


「そもそもお前はどうして笹子を拾ってきた?」

「もういつだったかな。 わしにも本当の娘がおったと。 病弱でなあ......お嬢ぐらいの歳には死んでしまったわ」

「霊界で再会できたのか?」

「まあなあ......」


 新納は言葉を詰まらせた。笹子の無邪気な笑い声と、竹子の悲鳴混じりの声が、波音と共に霊界に響いている。

 そんな愉快な空間の中、新納は大きく息を吸い込むと、実の娘との話しを始めた。


「お嬢に負けず好奇心旺盛な子じゃった。 霊界で再会できた時には本当に安心したんじゃ。 もう病気で倒れることもなか。 思う存分に遊ばせてやろうと思ったわ」

「それでどうしたんだ?」

「たまたま近くで佇んでおった怨霊に触れてしまったとじゃ......連中は何もせんかったら何もしてこん。 娘は触ってしまったんじゃ。 それで......」

「殺されたのか......」


 新納は静かにうなずいた。そして虎白の顔を見た。まるで獣のような鋭い眼力で見ている新納は、絞り出すような声を発した。


「もう二度とこげな思いはしたくなか。 そう思うちょった時じゃ。 お嬢に出会ったのは......わしらがお嬢の敵じゃったのは生前の話しじゃ。 この霊界で敵は怨霊だけじゃ」


 笹子もまた、新納の娘と同様に怨霊に触れて襲われていた。なんとか逃げ切った笹子だったが、既に自力で歩行するこもできないほど弱っていたのだ。

 そんなかつての敵国の少女を見た新納は、弱っても生きようとしている眼差しや、可愛らしい外見から亡き我がを連想した。


「あの娘も必死じゃった。 光熱でうなされても、嘔吐おうとして血を吐いても......いつだって生きようと目で言っておった。 なのにわしは......生前でも霊界でも何もしてやれんかった......だからせめてお嬢だけは幸せにしてやろう決めたんじゃ」


 新納の溢れ出るほどの後悔の念を感じている虎白は、哀れんだ目で遠くを見ている。瞳に反射している無邪気な笹子の姿は、新納がどんなことがあっても守りたいという存在だ。

 不甲斐ない自分へのけじめの思いと、無邪気なまま生きていてほしいという親心。


「きっと幸せだったぜお前の娘はよ」

「そげなことなか。 何もしてやれんかった」

「親が愛してくれるってのが一番子供にとっては幸せなことだろうよ。 俺は消えた記憶の中で、新たに刻まれた記憶もある。 俺は見てきたぜ。 金や食い物に不自由しなくても、愛が足りないから幸せを感じねえガキをよ」


 それは祐輝のことだ。彼の父親は、一流の経営者だ。父親の手にかかれば、高級な寿司も焼き肉も食べ放題で、高級品とていくらでも買えた。

 しかし祐輝は、それを求めてはいなかった。求めるのは、父親からの愛であった。少年時代に、喧嘩をしたり、警察に迷惑をかけた過去も全ては、父親からの愛を求めた結果だった。

 だが祐輝の父親が、息子に語った言葉は「お前に会社は譲れない」という一言だ。


「あいつは、そんなもんどうでもよかったはずだ。 殴られてでも、親父の愛ってのを求めていたはずなんだ。 だから新納よ。 お前の溢れるほどの愛を感じていた娘はきっと幸せだった」


 父親からの愛が不足していたがために、祐輝自身も息子への愛が足りなかったのではと失ってから後悔していた。

 虎白は見続けていた。だからこそ、新納の愛は深く、無邪気な娘も感謝していたはずだと。


「いいよな男ってのはよ。 てめえの生き方が正しかったのか、自問自答して強くなっていくんだな。 そうやって背負って成長していくもんだな」


 虎白は新納の被る黒い毛皮を掴んで、下に引っ張った。そして新納の目が見えなくなるまで下げると、立ち上がって笹子の元へ歩き始めた。

 今は目が見えなくて構わない。男が涙を流し終えるまでは。

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