第67話 ステファンデイケアセンター

 その日の朝、ナクカジャはいつも通り髭を整えてから髪を揃え、鏡を見ながら衣服を正した。


「これでよし」


 そう自分に言い聞かせるように呟いて自室を出ると、近衛兵が扉の外で待っていた。


「よろしいですか?」

「うむ」


 短い言葉を交わして城の前の広場に出て行った。


 広場には高さ2メートルほどの広い台座がしつらえてあり、さらに踏み台があって、門構えの構造物の頂上から首吊りロープがぶら下がっていた。

 台座への階段を上るその手前に一人の身長の低い男が佇んでおり、ナクカジャに声をかけてきた。


「何か言い残すことはありますか?」


「デディ・マヌンガルか…

 君には特にない。精進したまえ。

 これから大変な戦いになるだろう。心の折れることのなきよう。」


 ここでみっともなく取り乱していれば、恨み言の一つでも吐いてくれれば、おそらくマヌンガルが心の内に抱えていた迷いも晴れていただろう。


(本当に、これで正しかったのか)

 マヌンガルはどこまでが自分の意志で、どこからが他人の意志なのか、その他人とは誰なのか?大きなうねりの中で自分の立っている場所に確信が持てなくなっていたのだ。


 壇上に登ると死刑台の横にミコール・ミカイが待ちかまえていた。彼女はマヌンガルと対照的に自信に満ちあふれた爽やかな笑顔をしていた。


 ナクカジャは彼女を一瞥してそのまま死刑台に上り、自ら首にその縄を掛けた。それを見届けると、死刑執行人が後ろ手に縄を掛けた。


 自らの手でその縄を首にかける死刑囚など前代未聞である。


 死刑台の前には大勢の観衆が歓声を上げながら待っていた。これから貴族が、その親玉が、自分たち庶民と同じように首をつって死ぬのだ。遙かな高みにいると思われていた王が、雲の上にいると思っていた貴人が、そこいらにいる野良犬と同じように括り殺されるのだ。これほどの見せ物があろうか。


 通常、貴族は死刑になることはあっても絞首刑ではなく斬首となるが、ミコールのたっての希望があり、庶民と同じ絞首刑と相成った。


「最期の言葉はある?市民ナクカジャ?」

 満足げな顔でミコールがナクカジャに問いかけた。


「おそらくこの過程が君たちの目指す国家にとっては必要な儀式なのだろう。私はそれに対しては何もない。君たちを恨んでもいない。

 しかし、国民よ!」


 ナクカジャはひときわ声を大きくして野次馬たちに語りかけた。


「敵を間違えてはならない。敵は隣人ではない。備えるのだ。今こそ手を取り合ってこの先起こる国家の危機に…」


 言葉の途中だったが、ナクカジャのあまりに堂々とした態度に危機感を覚えたミコールが執行人に指示を出して床板を外させた。


 ナクカジャは自分の全体重が首の一点にかかった衝撃で頸椎が破壊され、一瞬で意識を失い、物言わぬ振り子と相成った。

 あまりに唐突な一瞬の出来事に民衆も歓声を上げるのを忘れ、しん、と静まりかえる。


 ミコールの失態である。本来ならナクカジャの最後の言葉を聞いた後ミコールが観衆に語りかけ、テンションが最高潮になったところで死刑を執行する手はずであったが、王の唐突な死に、観衆はかえって冷静になってしまった。


 一部の市民は大きな歓声を上げていたが、それもまばらで、多くの者は逆に自分達がとんでもないことをしてしまったのではないか、と不安を胸に広場を去っていった。



「インデクト、とうとう国王の死刑が執行されてしまったよ。まだここで待機しているつもりなのか?」


 国王の処刑のニュースはステファン達が滞在している村にもすぐに入ってきた。宿に戻ってきたステファンがインデクトに問いかけると、彼もやはり焦っているような表情をしてステファンに受け答えをした。


「ええ、私の方にも情報は入ってきました。しかし、ここまでの大事になってしまうと、もはや私たちだけの判断では動けません。

 勇者の剣はそれだけの武力を持っていますから。」


「一国の軍隊にも匹敵する力、か…」

 ステファンが腰に差している勇者の剣の感触を確かめながら呟いた。実際彼は今回の旅のあらゆる場所でこの剣の絶大な力をその身に感じていた。そしてその「一国の軍隊にも匹敵する」というのが決して大げさな表現ではないことを知っていた。


「よりによってルウル・バラがいないときにこんな事態になるなんてな…」

 そう呟いたのは現在このパーティー1の危険人物と目されるテーム・エーララである。彼が発言するとステファンの表情が恐怖にゆがみ、尻を押さえる。


 王都との連絡は基本的にルウル・バラの式神で行っていたため、彼がいない現在、その連絡は早馬などに頼るしかないのだ。


 国王の処刑があったのが既に二日前の出来事である。しかし、早馬を使ってもオムニア地方経由で王都と連絡を取った場合、どんなに早くとも10日はかかる。


「いったん状況を整理しない?このあとどう動くにしても、政府からどんな指示があるにしても、ここまで状況が流動的だと、どうしても情報の齟齬が発生するだろうし、こっちはこっちで状況をまとめといた方がいいでしょ?」

 そう発言したのは女魔導士ベルコ・ノルノであった。テームのカミングアウト以来ここ数日は大分調子を取り戻している。


「そうだな…」

 そう言うとインデクトはテーブルの上に紙を広げてインクとペンで状況をまとめだした。このパーティーのリーダーはステファンであるが、作戦や方針の決定は実質的にインデクトが行っている。


 まずはこの国に展開している各勢力を列記する。大きな枠組みでは民主化勢力と王党派に分かれる。民主化勢力の中には自由ノルア党と自由革命軍が存在する。

 ここまで書いてインデクトの手が止まった。


(思ったほど書くこと無いな…)


 実を言うと、彼はこういったまとめ作業が苦手であった。政府への報告書を書いているのは彼なのだが、基本的に日々起こったことをあらかじめ用意してある日報の書式にまとめるだけなのでそれほど苦労していないのだ。


「なんでそんな大きな枠組みを左側にまとめて書いちゃうのよ。目録書いてんじゃないんだから。

 スペース広いんだから左側に民主化勢力、右側に王党派、でいいでしょ。」

 ベルコの指導が入った。


「あ、はい」

 インデクトは言われるがままに修正する。


「それぞれの組織の中心人物を書いた方がいいですね。自由革命軍の中心人物は知らないですけど。」

 スフェンがアドバイスをする。


 自由ノルア党側にマヌンガル、ミコール、王党派の側にナクカジャの名を書く。


「ナクカジャ王は亡くなられたからバツ印を打とうか。彼には有力な王子とか、子供はいるのかな?」

 ステファンがアドバイスしながらインデクトに尋ねる。


「確か、18歳の王子のスオムルと、10歳の王子のナスルディンがいるはず…あ、そうだ!」

 何かを思い出したようにインデクトが叫んだ。


「スオムルが北部方面軍の大将を務めていて、自由革命軍と交戦中だったんだが、クーデターの3日後に大敗北を喫して、行方不明らしいんだ。

 未確認の噂だが、戦死したんじゃないかって話もある。」


「超重要情報じゃないのよ!そういうのをすぐ書きなさいよ!」

 ベルコは『あの一件』以来急に切れることが多くなった。更年期障害だろうか。

 インデクトがあわててスオムルの名前の横に(行方不明)と書き加える。


「となると、王党派の拠り所としてはナスルディンになりますよね?

 彼は今どこにいるかわかりますか?」

 『もはやインデクトを介護する会』の様相を呈してきているが、スフェンが彼に尋ねる。


「王宮に軟禁されているらしい。」


「となると、今後のキーマンは彼になるね。自由ノルア党が彼も処刑するつもりなのか、イルセルセがこれに絡んでくるのか、ここがポイントだね。」

 ステファンがそう言った後、ふと、気になったことがあったらしくテームが口を開いた。


「そう言えば、アカネ達は今どこにいるんだろうな?」


「言われてみれば、あの後全く会ってませんね。どこにいるんでしょう?インデクトさん、知ってますか?」

 スフェンの言葉に全員がインデクトの方を見ると、彼は一生懸命紙の端に「アカネ(行方不明)」と書き加えていた。


「行方の分からない、今回の件に関わってもいない人間を勢力図に書いてどうするつもりなの…?」

 ベルコが困惑しながらインデクトに訪ねると、インデクトはびくっとしてあわててそれを二重線で消した。


 いままで有能だと思われていたこいつは実は本格的にやばかったのかもしれない。全員が不安を覚えた。

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