第12話 決闘

 10月に入り、山の風は少し肌寒く感じられるようになってきた。


 約束の31日後、剣聖エルヴェイティの修行場である。


 修行場ではエルヴェイティが仁王立ちであった。数人の彼の弟子たちとともにコンコスールとビシドもいる。しかしアカネの姿はない。


 表情からイライラしていることが見て取れるエルヴェイティの前にアカネが小走りで近づいてきた。


「いやー、ごめんごめん、緊張しておなか下しちゃって…」

 へらへらと笑いながらアカネが剣聖の前に立った。


 時間は午後1時、昼飯時をとうに過ぎているがエルヴェイティ達はまだ昼食をとっていない。


「こんなことなら時間の指定もしておくんだったな…」

 口調からもイライラしていることが見て取れる。


 エルヴェイティ達が午前の鍛錬を終えた後、そろそろ昼飯にしようか、と準備を始めるころにアカネたちはやってきた。なんとも間の悪い時間の訪問である。


 わざとこの時間になるよう見計らっての訪れたのだ。中途半端な時間に来られて昼飯をとれなかった剣聖達は空腹でイライラしているのだ。


 アカネたちの作戦としては、これも狙ったものである。自分たちは当然すでに軽食を済ませている。胃に負担がかからないよう蒸かした芋を少し食べただけであるが。


 さらに到着したアカネは長々と慇懃無礼な口上を垂れて時間を稼いでいた。その上で「腹が痛い」と厠に駆け込んだのである。


「あ!!」

 アカネが思い出したように声を出す。


「今度はなんだ!!」

「ああ~、ちょっとさ、緊張でのどがカラカラで…水貰っていい?」

 さらに時間を稼ぐ。そのうえで剣聖を前に緊張している小物、という演出も忘れない。

 盤外戦はもう始まっているのだ。


「母屋の裏に井戸がある、さっさとしろ!!」

 眉間にしわを寄せる剣聖。もはやイライラという領域ではなく、激怒している。


「それにしてもてめえら、毎日毎日山の中で大声で喧嘩しやがって!おかげで鍛錬に集中できなかったぜ!」

 剣聖が悪態をつくが、これは狙ってない。勇者パーティーの日常である。


 ここまでくれば作戦はもうわかったであろう。1か月前の初接触で分かった通り、剣聖は短気である。怒るだけ怒らせてスキを作ろう、というのだ。


 わざと遅れてきて相手の冷静さを失わせる、といえば日本人ならすぐに宮本武蔵が思い浮かび、そうはいくか、と構える。しかし異世界人にはそんな知識はない。


 この1か月間アカネはひたすら筋トレと剣術の修行に打ち込んできた。途中からは『集気法』と『発気法』を覚えてトレーニングに組み込んだ。『発気法』で身体操作の能力を上げ、筋肉疲労を『集気法』で癒す。

 日に30時間のトレーニングの完成である。


 途中からは「得るものはない」と、ビシドに命じた剣聖の偵察もやめさせ、乱取りの相手もさせた。コンコスールと組ませて2対1での乱取りも行った。


 しかしそれでも相手は『剣聖』である。部活程度の鍛錬、と言ってもそれを40年続けているのだ。実戦の数も多かっただろう。

 本当にこの『剣聖』にアカネは勝てるのか。


「いやー、待たせちゃったね。ごめんごめん。」

 アカネが小走りで駆けてきて形ばかりの謝罪をした。


「さっさと始めるぞ!こっちゃ腹が減ってるんだ!!」

 剣聖は激怒の感情を隠そうともしない。


「あ、待って!その前に」

 アカネはまだ何かするつもりのようだ。


「あのさぁ、ここまで来てアレなんだけど…こないだのこと許してもらえないかなあ?

 そんで当初の予定通り稽古をつけてもらうってのは…?」


 ここにきてもさらに相手の神経を逆なでするようなことを言う。当然自分を過小評価させる発言も忘れない。野盗と戦った時と同じ作戦である。


「そんな選択肢は…ねぇよ…」

 もはや剣聖は血管が切れそうである。表情もひきつっている。


「人生最後の稽古をせいぜい楽しむんだな!!」

 剣聖は言い終わらないうちにアカネに襲い掛かってきた。


 アカネと剣聖の間には10歩ほどの間合いがあったが、剣聖はこれを一歩で詰めて切りかかってきた。外見から判断できる筋力ではできそうにない芸当である。


(発気法!?)

 心の中で驚愕しながらアカネは相手の剣をいなして間合いを取った。


 予定にはなかったが、予想はしていた事態である。前情報では剣聖は魔法の修練を積んだことはない、とは聞いていたが、あるいは『剣聖』であれば独自の鍛錬でそれと知らずに、その『領域』に達しているかもしれない、と思っていたのである。


 日課の中に『瞑想』があったのも「それ」を予想させる材料ではあった。


「この距離でも一足一刀の間合いなのか…それなら!!」

 今度はアカネが距離を詰めて乱打戦を挑む。


 剣聖の得物はアカネよりも刃渡りの長い両刃の片手剣である。一方アカネは相変わらずのマチェーテであるが、それを両手で握っている。

 手の小さいアカネならではの使い方だ。これによって打ち込みあいになっても力負けはしない。


 剣聖は戦闘の最中に楽しくおしゃべりしたりはしない。そこはさすがにアマチュアの野盗とは違うところである。


 もしそんな場面になればアカネはさらに精神を削るようなセリフをいくつか用意していたが、これはどうやら無駄足に終わったようだ。


 乱打戦の中、アカネは最小の動きで相手のすねを蹴りながら重心を崩す。


 さらに、乱打戦であれば魔力の集中が必要になる『発気法』は使いづらい。


 スタミナの削り合いになれば年齢の若い自分の方が有利である、という思いもある。

 一般に心肺機能は筋力よりも成長が早い。この1か月で剣聖に対抗できる力があるとしたらそこである、という考えも持っていた。


 なるべく相手の得意手は使わせたくない、というアカネの工夫であるが、それでもやはり剣聖が一枚上手であった。


 一瞬、剣聖の体勢が崩れたかと思うと、前蹴りがアカネの腹部を襲った。


 前腕を振り下ろして鳩尾をガードしたが、蹴りはへその少し上辺りに入った。2メートルほどアカネと剣聖の距離が開く。


 急所ではないためダメージは少ないが、間合いが開いた。


(しまった、発気法がくる!!)


 剣聖は初撃と同じように一瞬で間合いを詰めて、その勢いで剣を振り下ろす。片手剣を無理やり両手で握っている。乾坤一擲の大技である。


 それにしても「ここぞ」で頼る大技がただの上段振り下ろしである。以前に語った『剣の神髄』に嘘偽りはなかったのだ。


 アカネも発気法で上半身に魔力をためてこれを受ける。


 エルヴェイティの剣をアカネが受け止めた状態、鍔迫りの形で両者が固まる。この形はまずい。

 アカネのマチェーテには鍔がないのだ。このまま力任せにエルヴェイティが剣を下にスライドさせればアカネの五指は宙を舞うこととなる。


 しかしその瞬間、アカネの頬がぷっと膨らんだと思うとエルヴェイティが大きく顔を逸らした。


 「何事か」と周りの人間が驚くころにはエルヴェイティの鳩尾にアカネの右膝がめり込んでいた。


 さらに時を置かず、アカネの右ひじがエルヴェイティの人中を捉える。

 怯んだエルヴェイティに下半身タックルを仕掛けて押し倒すとマチェーテが彼の首筋にあてられた。


 先ほどまで鉄と鉄のぶつかり合う騒音に包まれていたベイヤット山に静寂が訪れた。

「ま、…参った」

 エルヴェイティ敗北の宣言である。


 「そんなバカな!」「生きて帰すな!」エルヴェイティの弟子たちが憤怒の形相でそれぞれの得物を抜くが、その瞬間澄んだよく通る声が山中に響いた。


「全員動くな!!」

ビシドである。


 いつの間に移動したのか、母屋の屋根の上から矢をつがえている。


「動けば私の神速の矢が心の臓を貫くぞ!!勝敗はすでに決した!勇者の勝利だ!!」


 ビシドは戦闘前にアカネと打合せをした通りに行動していた。

 なんとアカネは、剣聖に勝利するかどうか、だけでなく、勝利した後のことまで視野に入れて作戦を立てていたのである。


 アカネはよろよろと立ち上がると、少し動いて近くにどしっと腰を下ろした。

 その瞬間、アカネの足元に矢が撃ち込まれた!


「動くなって言ってんだろ…」

 ビシドである。殺し屋の目をしている。


「え…全員って…アタシも含まれてんの…?」

 ほかならぬアカネ自身が指示した内容をビシドは忠実に実行した。

 確かに、アカネが勝利した場合、全員の安全が担保されるまで高所から矢を構え、指示に従わない者あらば即座に矢を射ろ、と指示はしたのだが。


 ただ、計算外だったのはビシドの頭の足りなさである。なぜそんなことをするのか、なぜ必要なのか、を考えずにただ言われたとおりにするだけなので、こんなとんちんかんな行動をする。


 その異様な光景に「やべぇ、コイツわけ分かんねえ上に本気だ」と、エルヴェイティの弟子たちは固まってしまった。


「やめろてめぇら…これ以上俺に恥をかかす気か…」

 起き上がって胡坐をかいているエルヴェイティが静かに語った。


 左の眼の下で、とげを抜くようなしぐさをしながら続ける。


「こんなもんまで用意してやがるとはな…実力では俺の方がまだ上だと思ったんだがなぁ…

 盤外戦も含めて、この日の為に十分な準備をしてたんだなぁ…」

 さびしそうな口調で呟いている。


「勇者様!!」

「アカネちゃん!!」


 まだ息を整えているアカネのもとに二人が駆け寄る。


「まさか本当に倒すなんて…」

 指示通りに行動しておいてなんだが、ビシドが驚愕の色を隠せない表情で呟く。


「最後の剣聖が顔を逸らした時、いったい何をしたんですか?何か魔法を…?」

 誰もが思っていた疑問をコンコスールが口に出す。


「これよ…」

 息を整えてから、アカネが口から何かをぺっと吐き出した。


 コンコスールは嫌そうな顔でハンカチを取り出すと、吐き出された『それ』をハンカチ越しにつまんで目の高さに持ってきた。ちょうど刑事が証拠品を扱うような感じである。

 コイツちょっと失礼じゃないか。


 『それ』は長さ3センチほどの細い筒状の棒であった。


「これは…?」

 状況を呑み込めないビシドがアカネに問いかける。


「含み針!」

 アカネがにかっと笑いながら言った。


「汚ねぇぇぇぇぇ!!!!」

「こいつ本当に勇者かあああぁぁ!!」


 ビシドとコンコスールが口々にアカネを罵倒するが、勝利の余韻に酔いしれるアカネには何の効果もない。


「アンタたちにも話してなかった私の秘中の秘よ!

 もし鍔迫り合いなんかで至近距離で顔が近づいたら、かましてやろうと思ってずっと口の中に入れてたのよ!!」

 アカネは一点の曇りもないさわやかな表情で言い放った。何が悪いのか全く分かっていないのだ。


「殺し合いにルールなんてねぇよ。やったもん勝ちだ!」

 剣聖エルヴェイティがアカネをフォローした。


「あ~あ、俺の剣の道もまだまだだなあ!今日は勉強になったぜ!ありがとよ!

 勇者アカネ!!」

初めて会った時や試合開始前のような怒りに心を曇らすような顔ではない。

 それはまさしく『剣聖』らしい晴れ晴れとした表情であった。


 ベイヤット山中にはさわやかな秋の訪れをを告げる風が吹いていた。

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