第124話 D.C.(ダ・カーポ)

 それからも電車は停車と出発を繰り返し、乗客の色もだいぶ変わってきた。

 電車内がスーツの社会人より浴衣を着た若年層の方が多くなり、紗季の行きたい場所が少しずつ分かっていく。

 夏、夜、浴衣と聞いてピンとこない日本人はいないだろうが、夏の風物詩は他にも多くあって気づくのに時間がかかってしまった。


「人が多そうだなぁ……」


 今の車内の状況からそのイベントのことを考えていると、誰に聞かせるわけでもなく弱音が出てしまった。


「しょうがないよ」

「えっ?」

 

 誰にも聞こえていなかっただろうと思っていた独り言に返答が来て、思わずその声の方を見た。


 そこには当然紗季がいた。

 声の高さ、綺麗さで見るまでもなく分かっていたことだが、少し調子がおかしい。

 顔は苦しそうに歪んでおり、体がプルプルと震えてしまっている。

 そのうえ距離が近い。体が触れるか触れないか程の近さだ。

 

 朝の電車で事故での抱擁を除けば一メートルほど開けていたのに、今では体が触れるか触れないか怪しいラインにまで来てしまっている。


「ごめんね、ちょっと電車が混んできて」

「いや……、それはしょうがない。けど、大丈夫か?」

「だ、大丈夫だよ」


 紗季は俺の表情から俺の考えていることを読み取って、すかさず断りを入れてくる。

 その姿はパッチリとしている目が少しばかり伏し目がちになり、体の震えは先ほどより大きくなっている。

 本当に紗季は俺のことを理解していると感服しながらも、その震えが紗季が俺の方に倒れてこないように踏ん張っていることによるもだと気づく。

 

 帰宅ラッシュの時間は過ぎていても乗客は増え続けおり、いつしか今朝の電車より混んでしまっている。

 そんな地獄のような環境でも俺は長男で耐えられているが、女子である紗季にはこの状況は少しばかりきついだろう。

 現に、電車が止まる度に乗ってくる乗客で紗季がいる方はおしくらまんじゅうになっていて、紗季はいつも負けてしまっていた。


 それを見て俺は軽く紗季から距離を置き、両手を開けて向かい合う。

 

「俺の方に来ていいぞ。まだ少しはスペースあるから」

「で、でも……」

「いいから、ほら」


 せっかくの俺の親切を、複雑な表情で断ろうとする紗季。

 

 まぁ、紗季のことだからここは遠慮するだろうと思っていたので、俺は奥の手を早速使うことにする。

 

 紗季のつり革を握っていた右手を片手で外させ、もう片方の腕を紗季の腰に回して抱き寄せる。

 その結果、紗季は体を支えるものが無くなって、俺の下に倒れるしかなくなる。

 そしてそれを俺が優しく抱きしめたらあら簡単、熱く抱き寄せる抱擁が出来上がりました。

 

「ちょっ、ちょっと……!」

「なに」

「やめてよ! 朝より人が多くなって、衆人環視なんだからっ!」

「へー」

「それに、あれは恣意的だったのに対してこれは心の準備ができてないしっ、汗かいてるしっ」

「あーうるさいな。今混んでるから静かにな」

「~~っ!」


 そんな姿勢に紗季は動揺と共に苦情を言いながら、俺の背中に回していた手で軽くたたいてくる。

 これがプロレスならもう離してあげているところだが、ここは電車内。

 悪いが目的駅に着くか、スペースが空くまではこのままにしてもらおう。


「別に朝もしただろ。もう慣れっこ――」

「そういうことじゃないわよっ、ばかっ」


 このまま耐えてもらうために紗季に許しを請うも、すごい至近距離で睨まれてしまった。

 ただその顔は赤く、目も少し涙ぐんでいたのでそこまで怖くなかった。

 

◆◇


 そのまま耐えること十数分。

 他の乗客の目的地も俺らと同じ花火大会だったので、目的駅まで俺たちが解放されることはなかった。


 そうして駅を出ると、人だかりは多いままで、みんなして花火が上がるであろう川の方に歩いているのが見えた。

 これなら、いちいち地図アプリを開かなくても、お目当ての花火は見れそうだ。


「周りも花火目当てだろうから、流れに乗って歩いていいよな」

「……」


 俺は十数分間つねられた背中を軽くさすりながら、後ろを歩いていた紗季に判断を委ねる。

 しかし、紗季は心臓の上に片手を当てたままのポーズで顔を上げて答えてくれない。

 これは駅のホームに降りてからずっとで、どこか心ここにあらずと言った感じだ。


「おい、紗季?」

「……」

「紗季!」

「へっ、な、なに?」

「なにじゃなくて、ここからどうする。俺ここら辺よく分からないし、任せたいんだが」

「あっ、その話ね。任せて、下調べしてあるからっ」


 俺が紗季に近づいて少し大きめな声を出すと、やっと紗季の飛んでいた意識が戻ってくる。

 

 紗季の挙動が不審なのは気がかりだが、どうやら道案内は任せていいらしい。

 いや、大丈夫だよな?

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