第88話 俺と親友の中学時代 ~喧嘩~
「そう……なんだ」
「ごめん」
俺はそう一言言って口を閉じ、何も言わなくなった。
どんなに彼女がショックを受けていても、呆然と握りしめた自分の手を見ていても何も言葉をかけない。
そうしてしばらくの間、俺たちにしては珍しい、いたたまれない空気が場を占めた。
「ど、どうして付き合えないのか、教えてよ」
「有峰さんのためだ」
その沈黙を打ち破るように、彼女の喉の奥から搾り出た疑問の声。
一抹の救いを望む彼女の表情は、『儚い』という形容詞が一番よく似合う。
ただ、俺はそれをよく理解した上で拒絶した。
「どういうことっ!」
さすがに俺の理不尽、というよりも理解不能な言動に彼女はついに怒りを示した。
机を叩いた拍子に湯飲みに入ったお茶は零れ、立ち上がった際に椅子も倒れた。
「ずっと、ずーーーっと、お兄ちゃんの言っていることが分からない! 分からないんだよ……。どうして私を突き放すの? どうして私を慰めてくれないの? どうして私を受け入れてくれないの?」
彼女はそれらに目もくれず、ただただ一直線に俺を見て逃がさない。
俺は椅子に座っている状態ので彼女の顔を見上げる形になるが、彼女の顔は真っ赤に赤面し、目じりにはたまった涙が頬を伝っていくのが見える。
ここにきて初めて見るような彼女の表情、声色を前に、俺はこの状況をどこか俯瞰的に見ていた。
そうしなければ、第三者の目線からこの件には触れ合わなければ、俺はとても冷静にはいられない。
「どうして……、親みたいに私から離れようとするの……。私を一人にするの……。」
……。
家の外では土砂降りの雨が降り始めた。
それはさながら、小説の情景描写のように有峰さんの心情を表していた。
◆◇
やはり、この家に来てから彼女は色々と思いだしたらしい。
お茶の場所を知っていたことや、お茶への突っ込み、家に着いてからのしおらしさから分かってはいたことだが、彼女の発言から裏を取ることができた。
だったらここからの話は単純だ。
彼女が折れないように優しく、されど厳しく話をして立ち直ってもらおう。
その際、俺は嫌われてしまうかもだろうが、あの頃の彼女が帰ってくるなら安い犠牲だ。
むしろこんなもの犠牲ですらない。
「有峰さんはもう分かっていると思うけど、有峰さんの親は出て行ったらしい」
「……」
「今も連絡は取れないから帰ってくる見込みもない」
「……」
俺は立ち尽くしながら泣いている有峰さんに、現実を無情にも伝えていく。
できるだけ無機質に、機械のように感情を込めず、私情が入らないように淡々と。
もちろん、そんな有峰さんが返答するはずも、反応するはずもない。
「そして家族を失った有峰さんは、俺を家族として――」
「もうやめて! もうやめてよ!」
彼女は俺の言葉を遮るように、胸ぐらをつかんで揺らす。
しかし、その力はとても弱く、ちょっと力を入れたら離すことができる。
女子で泣いていたらそりゃそうだ。
彼女はいつも自信に満ちていて、活気にあふれているところが印象的だが、本当はか弱い乙女だ。
それを今回の件で知っていたのに、突き放すように言う自分が嫌になる。
「全部思い出した……。親が一ヵ月以上家で喧嘩していたことも、その中で私の親権を押し付け合っていたことも」
「……」
「賢太くんに分かるの? ある日起きたら、親が自分の物を持って家からいなくなった気持ちを! どんなに苦しんでいても友人に心配かけたくないから言えないこのじれったさを!」
「分からない!」
ついに本音をぶちまけた有峰さんに、俺は逆切れをかました。
まさか逆切れされると思ってもいなかっただろう有峰さんは、少し勢いがそがれたように見える。
今は久野くん呼びに戻ったこととかどうでもいい。
「言って欲しかった! 確かに様子から察することができなかった俺も俺だけど、
友達だろ!」
「っ……! 友達だったらなんでも言えるわけじゃない! 友達に家庭の問題なんて言えるわけが無いじゃない!」
「それでも俺は言って欲しかった!」
俺も椅子から立ち上がり、真正面から彼女と向き合う。
お互いに譲り合うこともなく、子供のように言い合った。
そこには正当性もへったくれもなく、ただ感情の赴くままに主張を無我夢中で言い合った。
「言えるわけないもん! だったら久野君にも非はあるよ! いっぱいある!」
「なんだよ! 言ってみろ!」
「久野君が優しすぎるんだもん! いつもいつも試合して、応援してくれて、好きにならないわけない! そんな好きな人に家庭の事情を言って引かれたくない、嫌われたくないよ! 乙女心分かってよ!」
「なっ……!」
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