第25話 完全体車いす少女


 病院に着くと院長を見つける。

 本日も白衣がとても似合っていて、ダンディでよく目立っている。


 院長は俺を見つけると、手を挙げながら近づいてきた。


「やぁ、久野君。今日は非番じゃなかったかね?」

「はい。今日はお休みです」

「じゃあ、なんで来たんだね? ボランティア労働かい?」

「お金が出ないなら働きたくはないですね」


 軽口をたたいて、院長と笑い合う。

 院長とも冗談が言えるほどの仲になったと実感する。

 

「阿瀬さんのお見舞いに来たんです」


 気を取り直して言うと、院長はえらく驚いた顔をする。

 驚いた顔もかっこよくて、腹が立つ。


「びっくりしたな。いつの間にそんなに仲良くなってたんだい?」

「多分、先週くらいですかね」


 最近周りがわちゃわちゃしていたので、あまり覚えていない。

 というより、恥ずかしい言動が多かったので忘れようとしていた。

  

 院長の顔を見ると、驚愕と笑顔が入り混じったような顔でこちらを見ている。


「すごいな……。君より付き合いが長い看護師ですら、あまり打ち解けられていないのに」

「そうですよね。とても大変でしたよ」

「でも、やっぱり君が最初に打ち解けたか……」


院長がうんうんと頷く。

まるで、俺が打ち解けることを予想していたかのように。


「分かった。そんな久野君にご褒美をやろう!」

「な、なんですか、いきなり」

「まぁ、今日は行きなさい。阿瀬くんもきっと待ってるよ」


 そう言って、院長は俺の肩を押して病室に向かわせる。

 いろいろと釈然としないが、時間もあまりないので素直に向かうことにする。

 

結局、院長は俺を階段まで押しやって、やっと手を離した。


「阿瀬君がかわいいからって、手を出すんじゃないぞ!」

「誰が出すかよ!」


 院長が俺を指さしながら、冷やかしてくる。

 何言いだすんだこの人は、手を出すはずがないだろうに。

 年下の少女を、病気につけこんで手を出すとか最低じゃないか。


◆◇


 もはや見慣れた病室の扉を開けると、阿瀬さんはいつも通り窓から景色を眺めていた。


「こんにちは。阿瀬さん」

「こんにちは。久野さん」


 阿瀬さんははっきりとした声で、こちらを向いて言ってくる。

 その目は、しっかりと瞼が上がっていた。


 ……。


「どうしたんですか? 久野さん」

「……い、いや、何でもない」


 首傾げながら訊いてくる阿瀬さんの顔には、はてなマークが浮かんでいた。

 これもすごい破壊力ではあるが、何よりも彼女の完成された顔に思考が停止した。

 初めて瞼が上がった姿を見て、見惚れてしまって俺の方が言葉に詰まってしまっっている。


「あっ、もしかして、私の顔に見惚れてしまったんですか? うふふ、久野さんって意外と初心なんですねっ」

「そ、そんなことないわ!」

 

 阿瀬さんにからかわれてしまう。

 精一杯の抵抗をするが、どうしても手の上で転がされている気がする。

 いや、それも仕方がないことなのかもしれない。

 今までは、冷たく静かな印象しかなかったのに、今日は明るく元気な印象があるからだ。

 正直言って、このギャップは心臓に悪い。


「そんなに元気で大丈夫なのか? 声も目も」


 心配になって訊いてみると、阿瀬さんは胸を張って答えた。


「今日は調子がいい日みたいです。午後になっても元気があるなんて我ながら珍しいですっ」

「空元気じゃないだろうな?」

「いえいえ。今日は正真正銘に、元気な日ですよっ」


 阿瀬さんは余程機嫌がいいのか、敬礼しながら答えた。

 いつもと違いすぎる態度にいくらでも不安になってしまうが、阿瀬さんに嘘や空元気な素振りは見えない。

 

 実際、重症筋無力症は日差変動や日内変動という、日によって症状は変わる。

 簡潔に言うと、阿瀬さんにとって今日は大当たりの日ということだ。


「前回、泣いていたから元気なのが噓っぽく見えたからさ」

「や、やめてくださいよ! 泣いてないですもんっ」


 阿瀬さんは頬を膨らませて、窓に視線を戻してしまった。

 先ほどからかわれた分、からかい返してやると想像以上に動揺したようだ。

 年下の少女を辱めるのは楽しい。


「ばっちりと覚えてるんだけどなー?」

「記憶違いですよ。それか薬の副作用ですっ!」


 これ以上阿瀬さんをいじめると泣いてしまいそうだ。

 本当に重症筋無力症の薬には涙や唾が増える副作用があるので、納得してあげよう。

 

 まぁ、すでに機嫌が悪そうだが。


「悪かったから、機嫌直してくれよ」

「……もうしないって、誓ってくれますか?」

「しないよ」


 あまりにもかわいかったので、絶対またやると思う。


「だったら、言うこと一つ聞いてくれるなら、許してあげます」

「なんでもどうぞ。お嬢様」


 無茶なことは命令されないだろうと、安易に承諾する。

 ついでに、冗談交じりに執事っぽく答えた。


 すると、お嬢様扱いが気にいったのか顔をにやけながら言ってくる。




「私にっ」





「私に、勉強を教えなさいっ!」


 口調がお嬢様っぽくなっていた。

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