第26話 車いす少女の裏側


「勉強?」

「勉強です。勉強がしたいんです」


 意外なお願いで呆気にとられる。

 すっかり金銭的要求でもされるものだと思っていた。

 俺の周りの変人は、ろくでもない要求するから感覚が麻痺しているのだろう。

 

 でも、嬉しい。

 阿瀬さんが前を向こうとしていることが分かるから。


「私って、去年の夏から入院していて、そこから勉強していないんですよ」

「そうなんだ。でも、勉強の意味がないとか言ってたよね?」

「言いましたけど、あの時から考えて勉強しようかなと思ったんです」


 阿瀬さんはあの日のことを思い出すように、上を向いた。

 今まででは考えられないような笑顔。

 

 やはり、阿瀬さんは進もうとしている。

 小さな一歩だが、着実に進もうとしている。

 顔つきもどこか凛々しい。


「そういえば、夏から学校行ってないんでしょ? 進級できたの?」


 ふと疑問に思ったことを投げかける。

 普通の高校なら、半年ほど欠席すると留年になるはず。

 

 しかし、この質問は地雷だったらしい。


「失礼な! 進級できて、高校三年生ですよ! 久野さんはニュースとか見ないタイプなんですねっ」

「確かにあんまり見ないけど……」


 『心外だ!』とばかりに、反発する阿瀬さん。

 あまりの迫力に少し後ずさってしまう。


「今の時代、自治体単位で入院中の学生に学びの機会を確保してくれるんですよ?」

「例えば、パソコンを使った遠隔授業や、先生が来て直接の授業とか。私立高校なので少しは融通が利くんです」

「あと私が、優等生ってのもありますね! 学年上位の成績で、無遅刻無欠席、部活でも結果を残している者の特権と言えますねっ」


 前のめりになって早口で言葉を続ける姿は、もはや病人ではない。

 それほど『高校をだぶった』という烙印が嫌なのだろうか。


「分かった、分かったから、落ち着いてくれ。体調崩すぞ」

「分かってくれればいいんですけどっ」


 阿瀬さんを落ち着かせて、ベッドに寝かせる。

 言動とは真逆に、素直に言うことを聞いてくれて安心していると、首に腕を回された。

 急に美少女の顔が間近になってドギマギしてしまう。

 阿瀬さんが俺の耳に口を近づいて囁いてくる。




「こんなに変われたのも、全部久野さんのおかげ……いや、所為なんですよ?」

 



「だから、責任……取ってくださいね?」


 そう言って、阿瀬さんはベッドの掛布団を顔にかぶせてしまった。

 掛布団から出ている耳は、白い布団の中ではよく目立つほど赤かった。


 暑いなー、今日は。


 ◆◇


 すっかり夕方になると、久野さんが帰ってしまった。

 今日一日を振り返って、我ながら恥ずかしいことをしてしまったと猛省する。

 なんであんなことしたのかなー。

 久野さんがお見舞いに来てくれただけなのに、テンションが上がってしまった。

 うーん。


 そうして悩んでいると院長が部屋に入ってきた。

 いつ見ても白衣に貫録を感じるお爺さんだ。


「やぁ、阿瀬君。体調はいかがかな?」

「はい、おかげ様で今日一日の体調はすこぶるよかったです」


 そう言って、私はベッドの上で元気に体を動かしてみせる。

 院長はそれを見てほほ笑んでくれた。


「よかった。強力な薬が欲しいと言われたときは自殺するのかと思った」

「そんなことするわけないじゃないですか。半年前ならまだしも、もうしませんよっ」

 

 私の発言を笑って流す院長。

 私が言うのも軽く流せる発言ではないと思うんですけど。

 

 そう思っていると、院長の顔が哀愁漂うものになっっていた。


「でも、すっかり変わったな、阿瀬君は」

「? 何がですか?」

「いや、久野君と出会ってから変わったなと思ってな」


 予想外のところで久野さんの名前が出てびくっとしてしまう。


「なんで久野さんの名前が出てくるんですかっ⁉」

「今日の強い薬も、久野君に元気なところを見せたかったからじゃないの?」

「なっ⁉ ちっ、違いますよっ」

「しかも、先週あたりからリハビリも授業も真面目に受けているようだし」

「か、関係ありませんっ!」

 

 私は枕を手に取り、院長を威嚇する。

 『これ以上何か言うなら、投げるぞ』と。

 

その態度に、院長も恐れをなしたのか、手でまぁまぁと言ってくる。


「おっかないな。でも元気なことを理解したからよしとしよう」


 院長は私に背中を見せないように、入ってきたドアに戻っていく。

 隙があれば投げようと思ったのに。

 

「では、手術のことも考えておくんだよ」


 院長はそう言い残して、部屋を去っていった。

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