『小説公募の当落』についてつらつら書きました

ナツメロダン

第1話

 マクドナルドで少し買い食いをしながら、エッセイつらつらです。


 カクヨムさんをみてましたら

 『通過作品発表』とありました。


 ほう、と思い内容を見ると中間発表で

 沢山の方がおそらく通過、または落選したものと思います。


 自分小さい範囲ながら絵画公募を中心に芸術活動しておりましたので

 こうした時の自分の気持ちというのはよくわかります。


 ここからはあくまで個人の意見です。


 昔、フランスである絵画運動が起きました。


『印象派』です。

 この絵画分野は日本でも人気のある分野です。


 絵画運動が始まった理由をシンプルに述べると

 当時アカデミック画壇の選考から落選した画家たちが、自ら絵画作品発表をおこない、

 市民に評価を問おうとしたのが始まりです。


 モネ、ルノワールなどなど、今ではよく知られている方々がいました。


 ですがね…

 実は結果は散々で、『お前ら、画家やめろよ!!』

 みたいなレベルの反応でした。笑



 しかし時代が下るにつれ

 段々評価を確立してゆき、今では人類の遺産になるまでに

 なっています。

(ちょっと大げさかな笑)



 芸術に於いて

 線を引いて当落を決めるには

 本来疑問があります。


 それは『美』についての判断なので

 数字で理由がはっきりして当落が出るような『試験』『認定』とは

 それらと判断が本来異なるので、違います。


 なので、文学もまた然りです。


 だからこうした公募を見るたび思うのです。

 選外になれば

 普通に『選外展』もあればいいのに…。


 と、言うのは

 選外にも例外無く『良い』作品はあるのです。


 常に当選が絶対的にいいと言うことは

 経済的な資本回収にはいいかもしれませんが

 それは『美』に於いては絶対的に無く

 また、

『ひょっとしたら』これから漫画をはじめとして、

 ソングライター、アニメーター、映画監督を目指そうとするクリエイター側から見れば

 こうした選外作品のなかに、

 自らがこれからコンビを組みたいと思う人がいるかもしれません。


 まぁそんなことしたら

 判断した方の賛美眼を疑われてしまいますかね。


 常に『価値』は誰にでもusefulであるはずだから

 『発見』されて使われなければ

 良い『創造』は生まれない、

 そんな思いから

 マクドナルドでハンバーガー食べながら

 エッセイつらつら書きました。



 @ナツメロダン

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