秋桜の家

尾八原ジュージ

家出

 ユイナが人生五回目の家出をしたのは、高校一年生の夏のことだった。


 発端は母親の彼氏を殴ったことだった。無理やりキスされそうになったと訴えたのに、母親はちっとも信じてくれなかった。あのロリコン野郎、警察に通報する、と叫ぶと、母親は彼女からスマホを取り上げた。


 もうこいつの顔なんて見たくないと思ったユイナは大きめのバッグをひとつ持ち、制服のままアパートを出た。


 歩いて行ける友達の家まで、夜道をぶらぶらと歩きながら考えた。


 急に押しかけて、泊めてもらえなかったらどうしよう。


 ふいにユイナは心配になった。家の場所は知っているけど、スマホがないから連絡がとれない。自分では仲良しだと思っている子だけど、突然家に来られたら迷惑かもしれないし、うざったい奴だと思われるかもしれない。


 そう思うと足取りは重かったが、かと言って野宿をするのは嫌だった。


 すっかり暗くなった道を歩いていると、向かいから自転車に乗った若い男がやってきて、彼女の目の前で止まった。


 うわ、嫌だな、と思って顔を伏せたところに、思ったよりも明るくて優しそうな声が飛んできた。


「ユイナちゃんじゃない? どっか行くの?」


 名前を呼ばれて驚いたユイナは、男の顔を見た。彼女よりいくつか年上の、どこかで見たような、でも思い出せないような顔だった。


「覚えてないかな~。俺、コウジだよ! ナオちゃんの兄貴の友達で、一回会ったことあるじゃん」


 ナオはユイナの友達で、これから会いに行こうと思っていた子だった。そういえば彼女の家に行った時、ナオのお兄さんが友達を連れてきていたのに出くわして、一緒にしゃべった覚えがあった。結構かっこいいな、と思った記憶はあるけれど、いざ会ってみると顔にピンと来ない。


「ナオちゃん家に行くの?」


「ううん……」


 なぜ否定したのか、後になってもユイナはわからなかった。たまたま出会った年上の人に、甘えてみたかっただけかもしれなかった。


「家出した」


 そう言って彼女はちょっと笑ってみせた。


「あ、そうなの?」


 コウジは驚いたりはしなかった。


「どっか行くとこあんの?」


「ない……」


「じゃ、俺んちくる? なんつって」


 そう言って笑う。ユイナも笑い返した。


「ホントに行っていい?」


「いいよ。一人暮らしだし。でも俺んち、きったないよ」


「全然平気」


 ユイナがそう答えると、コウジは自転車を降りた。歩き始めた彼の後ろを、少しどきどきしながらついていった。

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