二人の彼

崎田恭子

第1話


 あぁ…寒い…あのときからずっとだ…春が来ても夏が来ても…

俺は毎日、時計を眺めている…一日が早く終わらないかと…

  

「瑠衣、朝御飯を持ってきたんだけど…たまには顔を見せて…」

「煩いな!」

「ごめんね…ご飯、ここに置いておくから…」

俺は母さんがおいていった朝食を暫く眺めた後、再びベッドに潜り込んだ。


俺はあの日の光景がまだリアルに目の前に写る…まさか、あんな事になるなんて…

 

 

その日は突然、訪れた。俺が高校生の頃、教室にいる時に何の前触れもなく急激に目眩を感じた。しかし、それは目眩ではなく建物が揺れている事に気付いた。教室内は騒然として皆、パニックに陥っていた。教員達は生徒の安全確保の為に校舎内のグラウンドに誘導していた。

揺れが落ち着いた時に俺はある人の安否が気になり始めた…

逸る気持ちを落ち着けながらも心の中はざわめきスマートフォンを握る手は震えていた。コール音は鳴るが留守番電話に繋がり通話をする事は出来ない。何度も通話ボタンを押し通話口に耳を当てるが結果は同じだった…


教員の指示で自宅へ向かう途中、更に心はざわめき心拍数も上がってきた。

そうだ!直接、彼の勤務先に行ってみよう…

 

彼の勤務先に辿り着いた俺は呆然とした…建物は既に倒壊していたのだ…

嫌な予感が走った…俺が立ち尽くしているとこの建物の会社員らしき人が瓦礫の処理をしながら色々な人達の名前を叫んでいた。

俺は無意識に近付いていくとその中に俺がよく知る名前が耳に入った…

「あの…」

「この瓦礫の下に沢山の人達が埋まっているかもしれないんだよ!君、手を貸してくれないか!」

「はい!」

俺は会社員の言葉に弾かれるように必死になって瓦礫を排除しながら気付くと彼の名前を叫んでいた…


瓦礫の処理を始めてから30分程が経過した時…瓦礫の下で意識を失った人々の中に彼の姿があった…

俺は反射的に彼の名前を叫びながら身体を揺すった…でも、反応が無い…

会社員が直ぐに救急車を呼んだがこの混乱した状況の中ではなかなか救急車は到着をしなかった…

「早くしてよ!卓さんが死んじゃうよ!」

彼は卓さんの顔に手をかざして一言、告げた。

「もう、遅い…呼吸をしていない…」

「えっ…嘘だ…卓さんが死ぬなんて…」

俺は卓さんの口に自身のそれを当て息を吹き込んだ。

「卓さん!目を開いてよ!俺をおいていかないでよ!」

俺は何度も同じ行動を繰り返した。

だけど…卓さんの瞳は閉じたままだった…

「他の人達も同じだ…皆、呼吸をしていない…」

彼は他の人達の顔にも手をかざして落胆した様子で告げた。


あれから何分が経過したのかは定かではないが漸く救急車が到着をして卓さんや他の数人の人達が搬送されていった。

卓さんの身体に繋がれた心電図の画面に浮かぶ一直線のラインが現実を際立たせていた…

 

「既に呼吸も脈もありません…ご臨終です…ご家族の方ですか?」

搬送先の医師が告げるが認めたくなくて俺は叫んでいた。

「嘘だろ…嘘だって言ってくれよ!」

「君、落ち着きなさい。この惨状の中、彼だけが亡くなった訳ではないんだよ。他にも沢山の人達が亡くなっているんだ」

医師は俺の肩に手を置きなだめるように告げた。

「俺は彼の家族です。今、他の家族に電話をしてきます」

その後、俺は母さんに通話をすると一度のコール音で繋がった。

「何処にいってたの⁉なかなか帰ってこないから心配で何度もかけたのよ!」

母さんのけたたましい声が通話口から響いてくる。

「母さん、ごめん…卓さんが亡くなった…今、搬送先の病院にいる…」

「えっ…」

俺は天涯孤独で遺体の引き取り手が無い彼を家で受け入れて最後の別れをしたいと母さんに懇願した。何時も口煩い母さんだがいつになく物分りが良かった。

「分かった…家で見送りましょう」

と一言だけ告げて通話を切った。

 

「貴方はお世話になったものね…」

「うん」

「小さな墓になるが彼の遺骨を埋葬してやろう」

父さんも理解を示してくれて質素ではあったが葬儀を終え火葬をした後、近所の寺にある墓地に小さな墓を立てそこに彼の遺骨を埋葬した。

 

俺が卓さんと出会ったのは中学生の頃で彼は近所のアパートに住んでいた。よく顔を合わせるから何となく挨拶を交わしているうちに彼の方から声を掛けてくれるようになり徐々に親しくなっていった。その頃のおれは高校受験で苦手な教科があると話しをした。

「だったら教えてやるからうちに来ないか?」

「いいの…?」

「男同士なんだから気兼ねなんてする事ないだろ」

「そうだね。宜しくお願いします」

 


そして、卓さんのお陰で高校受験に合格をした俺はお礼を言いにアパートを訪れた。何時ものように卓さんの部屋に上がり暫く会話をして帰ろうとしたら卓さんの両腕が俺の身体を包んだ。

「もう高校生になるんだったら俺は我慢しなくていいよな。好きだ…男同士で気持ち悪かったら逃げても構わない…」

「気持ち悪くなんてない。俺も好きです…いつからだったの…?」

「出会った頃からだ…下心が無ければ部屋には入れてない」

俺も卓さんから告白をされて初めて自分の気持ちに気付いた。俺も卓さんに次第に惹かれていた事を…卓さんは身長が高くて顔のパーツも全体的に整っている。男の俺でも惹かれてしまう位、セクシーでシャツからチラッと見える鎖骨がそれを際立たせていて勉強を教えてもらっている時には目のやり場に困った程だった。

そして、卓さんは俺を自分の正面に向け唇を重ねた。最初は軽く徐々に深くなり卓さんは舌で俺の口腔を丁寧におかしていった。

 

その日を境に俺は勉強を教えてもらうという体でアパートへ行き卓さんと身体を重ねるようになっていった。。休日は二人で外食をしたり時にはテーマパークに連れていってくれたりと文字通り恋人同士になった。学校でも友人が出来て順風満帆な日々を過ごしていた。


その2年後に突然、地獄に突き落とされた…

 

それがきっかけとなり俺は学校には行かなくなった…

 

心配になった俺を母さんは心療内科へと連れ出した。医師の診断は「PDSD」心的外傷後ストレス障害と呼ばれるものだった。

 

殆どの時間をベッドで過ごす日々のそんなある日、母さんが部屋をノックして入ってきた。

「訪問診療の先生が見えたから起きなさい」

「会わないよ!出ていけ!」

俺の拒絶に母さんは困惑をしている様子で沈黙をしていた。

「瑠衣くん、ちょっと顔を見せてくれないか?」

あっ…あの声は…卓さん…

俺はベッドから飛び起きて開かれたドアに立っている人物を見た。

「やっぱり、卓さんだ…生きていたんだね…逢いたかった…」

「えっ…」

俺の瞳に涙が溢れ頬に伝った。俺はドアに近付き卓さんに抱きつこうとした。

「あっ…ごめんなさい!ちょっといいですか?」

母さんが卓さんから俺を引き離し邪魔をした。何故、邪魔をするんだよ!

「瑠衣、この人は卓さんではないのよ」

「何を言ってるんだよ!どう見たって卓さんじゃないか!」

そして、母さんが立ちはだかりドアを締め何やら話し始めた。

俺はドアを開けようとしたが滅多に使われる事の無いキーが掛けられていた。

「開けろよ!俺を除け者にして何をしてんだよ!何でそんな意地悪をするんだよ!」

卓さん、何でそんな事をするの…?何故、他人の振りをしてんの…?俺は訳がわからず脳内は疑問符でいっぱいになっている。

 

「突然、ごめんなさいね。貴方を見た時、私も驚きました。あの子がお世話になっていた方にあまりにも似てるんです。いえ…瓜二つなんです。姿形から声の質に至るまでそっくりなんです。それが…彼は二年前の大地震で急死をしてしまったんです…」

「そうだったんですか…あの…立ち入った事を聞きますが彼とはどのような関係性だったんですか?」

「あの子にとっては兄のような存在だった…平たく言えば友人関係だと…」

「あまり認めたくないと思いますが…彼の取り乱し方は尋常ではないんです…恐らく恋人同士だったのだと思います…」

「えっ…?」

「あの、僕に任せてもらえませんか?彼の回復への糸口が見つかるかもしれません」

「でも…あの子は先生の事を卓さんだと思っているみたいですが大丈夫なんですか?

「このまま僕が姿を現さなくなったら余計、傷口が広がって悪化しますよ」

「私は専門家ではないからよく解りませんが…そう仰るなら…お任せします…」

「瑠衣くんが落ち着かない様子なので今日はこれで失礼致しますね。一つだけお願いがあります。瑠衣くんの前では彼に関する事は一切、触れないで下さい」

「はい…解りました…ありがとうございました。瑠衣の事、宜しくお願いします」

「瑠衣、入るわよ」

ドアのキーを開け母さんが入ってきた。俺は放心状態になりベッドの上に座り込んでいた。

「瑠衣、あの人は卓さんではないのよ。卓さんはあの時…」

「嘘だ!あんなそっくりな人間なんていない!二人でこそこそと何を考えてるんだよ!一体、何かしたいんだよ!」

「だから…あっ、ごめんね」

「何に対して謝ってるんだよ!」

「ごめんなさいね…何でもない…」

「はぁ?意味解かんない!ここから出てけ!」

俺が暴言を吐くと母さんは黙って部屋を出て行った。俺は母さんと卓さんが一体、何を企んでいるのか全く検討がつかず苛立ちからありとあらゆる物を手当たり次第投げ付けた。

母さんが泣いている…一体、何なんだよ!泣きたいのは俺の方だ!

 


あれから数日後、玄関のチャイムが鳴り直後に玄関のドアを開く音が聞こえた。時刻を見ると午後の2時頃だった。玄関から会話が聞こえてきた。

卓さん…?何をしに来たんだよ…俺に逢いに来てくれたのか…

俺はいても立ってもいられずベッドから飛び起きて部屋のドアを開けた。

「こんにちは。今日は元気そうだね」

「卓さん…やっぱり…俺に逢いに来てくれたんだ…」

俺が抱き付いたら卓さんも両腕で俺の背に回し応えてくれた。俺は嬉しさのあまり涙が溢れ出た。

だけどその瞬間、卓さんから信じられない事を告げられた…

「瑠衣くん、俺は卓さんて人ではないよ」

「えっ…?何でそんな噓をつくんだよ…?」

「瑠衣くん、落ち着くんだ!」

俺は卓さんの言葉に混乱をして暴れるのを卓さんは俺の身体を抑え込みベッドに座らせた。そして、俺が落ち着くまでこのままの状態を保っていた。

卓さんじゃなかったら…この人は一体…誰なんだよ…

「瑠衣くん、落ち着いて話しを聞いてくれ。俺の名は川崎春樹。君のカウンセリングに来たんだ」

「えっ…」

この島崎春樹と名乗った人はカウンセラーの免許証を俺に見せた。俺は免許証の写真とこの人の顔を交互に見た。

この人は嘘をついてはいないのかもしれない…でも、卓さんと瓜二つだ…」

「カウンセラーが一体、何をしにきたんだよ!」

「漸く別人だって解ってくれたみたいだね。君と…いや、お前と友人になりたい」

「はぁ?いきなりお前よばわりかよ!」

「建前上の口調は止めにしたんだよ。俺は元々、口が悪いんだ。いきなりで気を悪くしたか?」

卓さんと話し方も似てる…卓さんも口が悪かった。元ヤンキーで10代の頃は素行が悪くて高校には行かず中学を卒業すると直ぐに就職をしたらしい。身寄りも無く児童施設にいたが中学を卒業してから就職をして一人暮らしを始めて独学で高卒認定試験を受けたと言っていた。

「いや、別に気にならないよ」

「そうか、それで友人になるという件は?」

「別に構わないよ。てか、あんた何歳なんだよ?」

「今年、30になるが年齢差が気になるのか?」

「だっていい大人が10代の俺と何で友人なかなりたいんだよ」

「年齢なんて関係無いと思うが。色々な年齢層の奴と友人になるのも悪くないと思わないか?」

「まぁ…」

「それじゃ、宜しくな」

この島崎という男は手を差し伸べて俺に握手を求めた。俺も彼に応えるかのように手をかざし握手を交わした。

暖かい…卓さんを思い出す…

「あの…島崎さん…」

「春樹でいいよ。俺も瑠衣って呼ぶよ」

「春樹さん、何で俺と友達になりたいなんて…どうせ、仕事上での建前上だろ」

「いや、個人的に友人になりたいと思ったんだよ。だから今後は仕事抜きでお前と友人として付き合いたい」

「何でだよ…」

「友人になりたいとかって何か理由が必要か?お前は友人に理由なんて聞いてから友人になったのか?」

「無いけど…」

「だろ?友人になるのに理由なんて必要ねぇんだよ」

俺は通学をしていた頃に出来た友人達に想いを巡らせていた。確かに友人になるのに理由なんて聞いた事なんて無かった。皆、自然と波長が合う者同士がいつの間にかつるむようになっていた。

「率直に聞くがお前の恋愛対象って同性ななのか?」

俺はその問いに正直、戸惑った。初めて好きになった相手が卓さんしかいなかったからだ。

「卓さんが初めてだったからよく解らない…」

「女性を見てどう感じる?」

俺はドキリとした…そういえば女子には全く関心が無かった。それってもしかすると…俺ってゲイ…

「正直に言うとあまり関心がない…春樹さんはどうなんだよ?」

「おれの恋愛対象は女性だけだと思う。俺自身はどんなイケメンを見ても欲情はしないからな。実際、お前と二人きりで個室にいても何も感じない。お前は俺といてどう感じる?」

「卓さんには似てるけど別人だから何も感じない」

「ほう。だったらこうしたら?」

春樹さんはいきなり俺の顎を掴み唇を重ねてきた。

「いきなりなんなんだよ!止めろよ!あんたの恋愛対象は女じゃないのかよ!」

俺は心拍数が上がり身体が震え過呼吸気味になり反射的に春樹さんを突き飛ばした。

「試しただけだよ。何も感じないか?」

「ドキドキしたけどやっぱり、卓さんじゃないから嫌だった…」

「それじゃ、ゲイだって確定した訳でもねぇみたいだな。お前位の年齢だと欲情してもおかしくはない」

「そうなのかなぁ…」

考えてみたら卓さん以外の男性に興味を抱いた事も無かったような気がする…

「お前は奥手なだけなんだよ。今後、色々な人と出会う中でお前自身の感情の動きが自分で解ってくるはずだ。だから今は焦るな。そして、一時の感情に身を任せるような事はするな。さっきのは試しただけだから忘れろ」

「解った…」

「久々に他人と会話をした感想は?」

「うん…楽しかったかも」

「素直じゃねぇなぁ。それじゃ、今日は帰るな。また、来るからラインの登録を宜しくな」

春樹さんはそう告げると俺に名刺を手渡した。正直、俺は久々に他人と触れ合えて気分が晴れたかもしれない。

渡された名刺をベッドに寝転びながら暫く眺めていた。

やっぱり…卓さんじゃなかった…別の人物だった。

俺は起き上がり名刺に書いてあるスマートフォンの番号を登録しようとしたら既に春樹さんらしき名前を視認した。ローマ字でHarukiと新しい友人に追加をされていた。俺は驚いて慌てて春樹さんにラインのメッセージを送った。

「既にライン登録してあるじゃないか。誰から聞いたんだよ」

「帰り際にお前のお母さんから聞いたんだ。宜しくな」

母さんかよ!勝手な事しやがって!でも…まぁ、いいか…


 

その翌日、春樹さんからラインのメッセージが届いた。

「今度、外に出てみないか?」

「えっ…どうしよう…」

「なんだ、外が怖いのか?」

「そんな事無いよ!普通に出られるよ!」

春樹さんに外が怖いのかと問われ俺は咄嗟に否定をしたが怖くないと言ったら嘘になる。あれから半年間、一歩も外に出なかったからだ。

「それじゃ、決まりだな。近所の公園で待ち合わせだ」

おいおいおい!待て待て待て!勝手に決めるなよ!

えっ〜マジかよ〜

「分かった。何時だよ?」

「明日はどうだ」

はぁ〜⁉心の準備が…必要…

俺は暫し思考を巡らせ意を決して返信をした。

「了解」

 

 

今、俺は久々の外出に戸惑っている。何を着ていけばいいのか…それと近所の友人達に会う可能性が高い…正直、怖い…あれから俺は一番、親しかった斎藤智也とも連絡を断っている。もし、会ったら何て話せばいいんだ…

もたもたしているとラインの着信音が聞こえてきた。春樹さんだ…

「今、何処にいるんだ?」

「まだ、家だけど直ぐに向かうよ」

俺は久々に外出着に着替えて二階の部屋から玄関へ向かっていった。

「あら、瑠衣、外に行くの⁉」

「あぁ」

「そんな服装じゃ風邪をひいてしまうわ。ちょっと、待ってなさい」

母さんは二階へ急いで駆け上がって俺の部屋からダッフルコートとマフラーを持って降りてきた。ずっと部屋にいた俺は季節感が皆無だったが今は冬真っ只中なのだ。なるほど、こんなトレーナーとデニムだけじゃ風邪をひいてしまうか。

「何処に行くの?」

「あの、例のカウンセラーって人が公園で話さないかって」

「あら、そうなの!それは良かったわ。漸く瑠衣も外に出られるようになったのね…あの先生のお陰だわ…もう、夕方だから自動車には気を付けるのよ」

「近所の公園なのに大袈裟だよ」

「母さん…嬉しくて…」

母さんを見るとハラハラと涙を流して喜んでくれていた。俺が半年間ずっと部屋から殆ど出なかったからかもしれない。食事も朝から晩まで部屋で食べトイレと風呂のときだけ一階に降りて会話を振られても無視をして部屋に戻るという体たらくな生活をしていた俺が外に出るなど母さんにとっては一代ハプニングなのだ。

「じゃ、行ってくる」

俺は踵を返し玄関のドアを開け半年振りに外気を吸い込んだ。

何か…悪くないかも…

公園は自宅を出て左折をした十字路の角にある。

公園に入るとまだ、小学生位の子供達がブランコやスベリ台で遊ぶ姿が見えてくる。春樹さんは公園の入口から近いベンチに座りながら煙草を吸っていた。

「煙草を吸うんだ?」

「あぁ…第一声がそれか。お前って不器用そうだな。俺と同じだ。真っ直ぐで取り繕う事が苦手なタイプ」

「でも、母さんとは上手く会話を交わしていたじゃないか」

「あれは社会人として当然の行為だ。瑠衣も社会人になれば自然と身に付くぞ」

「でも…俺なんかに出来るのかなぁ…」

「大丈夫だ。お前、学校で先輩や教師と接する時はどうだったんだ?」

「まぁ、一応は目上の人だからそれなりに接していたけど…」

「それじゃ、大丈夫だ。お前だったら出来る」

そして、俺達は他愛もない会話を交わし夜に差し掛かった頃に春樹さんは家まで俺を送り届けた。母さんといい春樹さんといい俺を子供扱いしすぎだ。

「カウンセラーの島崎です。遅くなってすみません。瑠衣くんを送り届けにきました」

春樹さんがインターフォン越しに告げると母さんが直ぐに玄関のドアを開いた。

「先生、ありがとうございます。もう遅いからお夕食を召し上がっていって下さい」

「いえ、以前にも似たようなケースがありましたがお断りをしているんです。お気持ちだけ頂きます」

「あら…そうなんですか…残念ですが仕方ないですね…」

母さんはがっかりしたよう様子だったが春樹さんは「失礼致します」と一言だけ告げると踵を返し去っていった。

「母さん、先生の代わりに俺が一緒に食うよ」

「えっ…瑠衣…本当に!…お父さんも喜ぶわ。もう帰ってるから手を洗ってリビングに行きなさい」

また…母さんの目に再び涙が溢れてる…

俺は今まで本当に親不孝をしてきたのだと改めて気付いた瞬間だった。

 

 

春樹さんは再び、俺を公園に呼び出して会話を重ねた。

そんなある日、帰宅途中で見覚えのある人物に声を掛けられた。

「あれ、瑠衣じゃないか!久し振り!元気だったか?暫く姿が見えないしラインの返信も無いからみんなお前の事を心配してたんだぞ!」

声を掛けてきたのは智也だった。智也は相変わらず元気そうで以前と同様で甲高い声を上げて話し掛けてきた。

「ごめん…体調が悪くて暫く家にいたんだ」

「そうか…もう、大丈夫なのか?あのさ…卓さんて生きてたのか…?」

「違うよ。この人は卓さんじゃないよ。カウンセラーの先生なんだ。この先生のお陰で大分、回復してきたよ」

「卓さんと似すぎじゃねえ…?俺、幽霊かと思ってビビったよ」

「俺も最初は卓さんかと思った位だよ…」

「ハハハ!そんなに似てるのか?まぁ、世の中に自分と似た人間て三人はいるっていうからな。ところで瑠衣の友達なのか?」

春樹さんは智也に対し微笑を浮かべながら問う。

「はい、こいつとは幼馴染で物事がついた頃からずっと仲良かったんです」

「そうか、それじゃ、瑠衣の事を宜しく頼むな。俺、今日はもう帰るから久々に友達と語り合うといいよ」

春樹さんは智也の肩に片手でポンと軽く叩き告げた。

俺の中でモヤモヤとした物が胸中でざわめく…智也に邪魔された…

その後、俺達は近況や他の友人達の事で話しが盛り上がったがまだ俺の胸中はモヤモヤとしたままだ…

「良くなってきたんだったらまたゲームとかやって遊ばねぇ?」

「あぁ、でも今って大学受験のシーズンじゃないのか?お前、大丈夫なのか?」

俺は智也と遊ぶなどという気にはなれず話しを反らすように問う。

「たまには息抜きも必要じゃねぇ?俺、まだバイトもやってるし」

「まぁ、そうだな…」

俺に反論の余地は無し…

春樹さんともっと一緒にいたかった…


俺は自室に入ると即座に春樹さんにラインのメッセージを入れた。

「今度はいつ会えるの?」

「まるで恋人に送るメッセージみたいだな」

「いや…間違えた…いつ来るの?

 」

「また来週だな」

今日は水曜日…来週までかなり日にちがある…

「友人だったらさぁ、個人的に会ってもおかしくないよね?」

「まぁ、そうだけど…そんなに俺に会いたいか?」

「うん、会いたい」

「仕方ないなぁ。だったら日曜日だな。平日は仕事があるから無理だ」

「仕事が終わってからじゃ駄目なの?」

「ご両親が心配するから駄目だ」 

「子供扱いするなよ」

「まだ未成年じゃないか」

「それじゃ、家に来てよ」

「そうきたか…まぁ、少しならいいだろう」

「それじゃ、明日は?」

このメッセージを最後に暫く返信が途絶えた。

 

そして、夕飯を食べて風呂に入りながら春樹さんの事を考えていた。

卓さんに似ている年上の素敵な男性…久々に腰の辺りがうずく…

風呂から上がって自室に戻りスマートフォンでラインのメッセージを確認する。

「明日は特に予定は無いからいいよ」

やったー!春樹さんにまた、逢える!

「何時頃になるの?」

「5時頃かなぁ」

「了解。待ってる」

その日の夜はなかなか寝付けなかった。春樹さんと会ったら何を話そうとかそれ以上の事も想像をしてしまった…そのせいか…久々に自分で性欲を紛らわせてしまった…


 

翌日も俺はソワソワとして時計を見ては落ち着かなかった。

「瑠衣、さっきから落着かないみたいだけど一体、どうしたの?」

「別に何でもないよ」

「先生がいらっしゃるから嬉しいんじゃないの?それとも智也くんと約束でもしているの?人と接するようになってから随分と明るくなったわね。お母さん、安心したわ」

「智也とはラインでやり取りするようになって今度、ゲームで遊ぼうって言ってるんだよ。先生が来るのは嬉しいよ。でも、医師と患者のような関係だから友達とは違う」

「そうね。同年代の友達の方が気が合うし話しやすいものね」

俺は春樹さんに対する感情を押し殺し隠すようにカモフラージュした。

母さんと話していたらいつの間にか時刻は夕方の4時半になっていてリビングも薄暗くなってきた。母さんはリビングの明かりを着けてキッチンへ向かいクッキーを焼き始めていた。そろそろ、小腹が空く頃でキッチンから漂う甘い香りが空腹を刺激する。

俺がリビングのソファに寝転んでいるとラインの通知音が聞こえてきた。

「これからそっちに向かうよ」

「了解」

そろそろ、春樹さんが来る…俺はワクワクしながらその時を待った。

「お母さん、6時頃になったら町会の会合に行ってくるわね。お父さんも今日は残業だって言ってたからお腹が空いたら自分で用意して食べててね。おかずはここに置いておくからね。」

母さんがキッチンカウンターを指で示して俺に告げた。

チャンス到来…不穏な感情が胸に過る…

そのような事を考えていると玄関のチャイムが鳴り響いた。母さんがモニターを確認して玄関へと向かう。

「先生、このような時間に瑠衣がわがままを言ってすみませんねぇ。さぁ、どうぞ、上がって下さい」

「いえ、瑠衣くんとはもう、友人になりましたのでお気になさらないで下さい」

「そうだよ。春樹さんと俺は友達なんだから気にしなくていいよ」

「えっ、友達って…先生、建前上ですよね…」

母さんが春樹さんに小声で尋ねている。

「いえ、違いますよ。友人申告をしたのは僕の方からなんですよ」

「あら…そうだったんですか…でしたら今日は夕食を瑠衣と召し上がって頂けますか?私はこれから町会の会合に行かなければなりませんので。友人と一緒でしたら瑠衣も寂しい想いをしなくてすみますわ」

「あぁ…そうですね…でしたらご遠慮なく…」

「春樹さん、後で俺と夕飯を食おうよ!」

「そうだな。それじゃ、腹が減ったら二人で食うか」

「あら、本当に友人同士のような会話ね」

母さんは少し笑いながら安心をしたような様子だった。

 

「それじゃ、お母さんはいってくるわね」

「いってらっしゃい」

その後は春樹さんとリビングで二人きりになった…

俺は心拍数が増加し自分の耳にも鼓動が鳴り響く程、高鳴っていた。

しかし、俺は勇気を振り絞り春樹さんの顎を捉え唇を重ねた。

「うっ!なにっ…!やめっ…!」

「やめないよ」 

俺は一度、離した唇を再び重ね舌で春樹さんの口腔を侵した。春樹さんは最初は抵抗をしたものの徐々に力が抜けておれにされるがままになっていた。俺は卓さんに教わった事を思い出しながら色々と施していった。そして、春樹さんの狭い中に打ち付け昇天に至った。

「春樹さん、俺で感じてたよね?悪い気はしなかった証拠だよね?」

「確かに…お前だったら悪くないと思ってしまった…だがこれは今だけだ。俺の恋愛対象は女…んっ!」

俺はこれ以上は聞きたくなくて春樹さんの唇を自身のそれで塞いだ。

「瑠衣、お前は俺を好きな訳ではない。卓さんて人と俺を重ねてみているだけだ。冷静に考えてみろ。俺は暫く此処へは来ない」

「違うよ!俺は春樹さんが好きなんだよ!」

「いや、違わない。自分の事を客観視してみろ。お前自身が自分の気持ちを整理できたら俺はまた、ここに来る。それじゃ、俺はもう帰る」

俺は春樹さんの言葉を呆然としながら聞いていた。春樹さんは衣服を整え玄関へと向かっていった。俺は見送りもせずにソファに佇んでいるだけだった。

 

 

卓さんと重ねている…本当にそうなのか…俺は卓さんとツーショットで収めたスマートフォンの画像を眺めながら暫し考えた。瞳に水滴が溢れ止まらなくなりそれはやがて頬に伝った。

卓さん…俺…解らないよ…どうしたらいいんだよ…

そんな日々が毎日のように続いた。食欲も無くなり部屋でパンを少し噛じる程度になっていた。

「瑠衣、最近、元気が無いけど何かあったの?」

母さんが俺の様子が心配になったらしく部屋に入ってきた。

「何でもないから放っておいてくれよ」

「先生に電話して来てもらおうかしら」

「止めろよ!余計な事はするな!俺だったら大丈夫だから暫く放っておいてくれないか」

「分かったわ…話たくないのなら仕方ないわね…」

母さん…ごめんなさい…こんな事、誰にも相談なんて出来ないよ…

色々と考えを巡らせているとラインの通知音が聞こえてきた。画面を確認すると智也だった。

「今日、大学のセンター試験で今、うちにいるんだけど俺んちに来ないか?久々にゲームでもやろうぜ」

智也のメッセージに一瞬、戸惑ったが気分転換を兼ねて行く事にした。

そうだ…!智也にだったら話せる…


「俺、今悩んでるんだけど聞いてくれるか?」

俺は意を決して智也に先日の春樹さんとの一連の出来事を話た。

「それってその人の言う通りだと思う。瑠衣は勘違いしてるんだよ。卓さんと重ねて見てる」

普段、軽いノリで開け透けにものを言う智也にしてはいつになく神妙で重い口調だった。

「お前もそう思うのか…」

「俺もお前は暫く冷静になって考える必要があると思うよ」

「でも…どうやったら冷静になれるのかがよく解らない…」

「お前さぁ、卓さん以外の人に恋愛感情を抱いた事はあるのか?俺が知っている限りでは無いと思うけど…」

「無いかも…大体、俺自身、恋愛対象が男なのか女なのかも定かじゃない…」

「それじゃ、お前は俺と今二人きりだけど興奮したり欲情したりするか?」

「お前は幼馴染だからそんな感情は湧かねぇよ」

「幼馴染でも性的欲求が湧く事もあるんじゃねぇのか?」

「そんなもんか?」

「たぶん、そんなもん。俺じゃなくても雑誌のイケメンとか見て性的な興奮とかしないのか?」

「した事が無い…」

「そんなような事を冷静になって考えてみろよ」

「分かった…」

 

俺は自宅へ帰り自室で色々と振り返ってみた。確かに卓さん以外の人間に対し恋愛感情が湧いた事など無かった。春樹さんや智也の言う通りかもしれない。

春樹さんに卓さんを重ねてみているのかもしれない…俺は卓さんとのツーショット写真を見ながら泣いていたじゃないか…

 

 

暫く春樹さんからのラインのメッセージが途絶えていたが突然、ラインの通知音が聞こえ画面の確認をすると春樹さんだった。

「久し振りだな。最近はどうだ?」

「先日はあんな事をしてごめんなさい」

「どうやら冷静になったらしいな」

「友達からなアドバイスで色々と気付いた事があったんだよ」

「そうか。今日、そっちに行こうと思ってるんだが大丈夫か?」

「元々、予定が入っているなんてアクティブな行動はしていなからほぼ毎日、暇だよ」

「分かった。2時頃に行くよ」

「了解」

実際、友達と会うといっても智也くらいで以前、親しかった友達とも連絡を断ってから久しい。学校にも行ってないしバイトをしているわけでもないし…文字通り引きこもりだ…

 

2時頃になり玄関のチャイムが鳴る。春樹さんが来たらしいから俺は母さんに告げ自分からドアを開き彼を招き入れた。

「あれからどう気持ちの変化があったんだ?」

「俺は…やっぱり、春樹さんと卓さんを重ねていた。春樹さんは卓さんとは別の人物だって気付いた時にこれは恋とは違うって気付いたんだ。それと今のままの自分じゃ駄目だって事にも気付いた。バイトでもしてみようかなぁなんて考えていたんだ」

「そうか、もうお前には俺は必要無いな。もう、充分に立ち直ってる。バイトを始めるのもいいと思うぞ」

「友達として繋がっていたいって思ってるんだけど駄目かなぁ」

「友達として…それは出来ない…」

「何故…?」

「個人的な理由だ…俺はもうお前とは会ってはいけない…」

「よく解らないけど…最後に夕飯を食いに行かない?」

「それだけだったら別に構わねぇよ」

 

そして、駅前にあるファミレスに俺達は入った。春樹さんは生ビールと簡単な酒の肴のような物、俺はセットメニューを注文した。

「お前が未成年じゃなきゃ酒を勧めたんだけどな」

「それじゃ、成人したら二人で呑みに行く?」

「あぁ、2年後か…そうだな。成長したお前を見るのも楽しみだな。」

「それじゃ、2年後までさよならだね」

「あぁ、2年後までさよならだ」

 

 

あれから俺は智也から紹介してもらい飲食店でバイトをする事になった。

「瑠衣、完全に立ち直ったみたいだな」 

「あぁ、お前のアドバイスのお陰でな」

そう、春樹さんと智也のお陰で俺は普通の10代の少年に戻る事が出来た。覚える事が山積していて大変だが何もかもが新鮮でやり甲斐があった。店長からも元気があって感じが良いと褒められ嬉しかった。こんなにも人の役に立つ事が楽しいとは今まで気付かなかった。勿論、今まで俺のせいで大変な想いをさせた両親にも恩返しをする為に食費の足しにと幾らかバイトの給料を手渡している。


そして俺は、人の役に立つ仕事に就きたくて高卒認定試験を受ける為に勉強をするようになった。今の俺の姿を見て両親も喜び安心をしている。漸くこの家庭に光が差し込み明るさを取り戻した。

 

 

あれから2年後…

俺は春樹さんと再会をした。俺が成長したせいか春樹さんと身長が対等になっていた。以前のように長身には見えなかった。

「お前、2年しか経っていないのに随分、デカくなったな」

「だって成長期だったからね。」

「まぁ、そうだな。お前、今は付き合っている奴はいるのか…?」

「いないよ…今も誰とも付き合う気が起きなくて…春樹さんは?」

「正直に言うとあの頃、お前に惹かれていた…だからお前と会うのを止めていた…俺も誰とも付き合う気が起きなかった」

春樹さんはそう告げると俺を抱き締め唇を重ねた。

「今だから言える…俺と付き合ってくれ…」

「了解」

その後はどちらともなくクスクスと笑みを浮かべながら恋人繋ぎをして街中を歩いた。




 



 


 




 









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二人の彼 崎田恭子 @ks05031123

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