第一章 地下ホームでの出会い

 キタルファの肉体年齢は、おそらく十五か十六になる。正確な数は分からない。

 さらに、飢餓で死を繰り返してからはおよそ五年になる。その頃から独りであるため、精神はずいぶんと死んでしまった。それでも死ねば肉体は再生される。これは再生能力が優れているわけではなく、転んで膝を擦り剥けば完治するまで数日から一週間はかかる。死ねばその傷もなかったことになるから、大怪我をしても死ねば回復する。そう言った類の使い勝手の悪い能力。

 彼女はその能力が特別なのか分からない。生まれた小さな集落にはほとんど人間がおらず、サンプルがとても少ないからだ。しかし、飢餓で人々が死んでいく中、彼女が急に元気になって生き返った姿は異端であったらしい。

 文字通り石を投げられ、場合によっては身を割かれ、キタルファは死のループから逃れるために上へ逃げた。地上ではない。

 空気の悪い深度二十メートル。キタルファは文字の読み書きができないため、案内板を見ても分からなかったが、伝え聞く知識から推測するに列車が通っていた駅と呼ばれるところだ。

 手元に唯一残った手回し懐中電灯を頼りに、広い空間まで出た。身体が先程からだるいのは、地上に蔓延るウイルスが漏れてきているせいだろう。

「人がいたところなら……なにか食べ物はないか」

 食べなくても問題はないかもしれない。死ねば元気になるのだから。

 少女は空腹の辛さを知っている。栄養と水分が身体から無くなり、指先が震える。胃は空っぽなのに吐き気がする。気づいたら、身体は動かない。まだ死ねない。意識もある。空腹で眠ることもできない。辛い。辛い。悲しい。切ない。だから簡単に死にたくなどない。

 橙色の瞳が、唯一照らされる点を追っていく。

 ふと、彼女は一段低いところに自分が置かれていることに気づいた。線路の上を辿っていたはずだから、隣にある高い方が駅と呼ばれる場所なのかもしれない。

 動くことくらいしか能のないキタルファが誇れるのは身体能力だけだ。

 身長の半分以上もある高さをよじ登る。そこには人類の遺物がたくさん並べられていた。

「自動販売機だっけ? 飲み物が入ってると聞いたけど……さすがに飲めたもんじゃないよな……」

 欲しいのは保存食。賞味期限が過ぎていてもある程度は食べられる。

「お、ラッキー」

 偵察隊がここに来たことがあるのかもしれない。小さな部屋にブロック状の保存食を見つけた。もったいないが、内一つは今食べることにする。

「タンパクな味だけど、なんの味なんだろ」

 一人で話すことにも抵抗がなくなった。黙っていると言葉すら忘れてしまいそうで、事あるごとに喋るようにしている。

 残った保存食はポケットに入れて、もう少し周りを散策することにした。

 来た道はもう戻りたくない。ずいぶん前に地下を除いたが仲間はみんな死体になっていた。何人かは食糧にされる途中で息絶えたようにも見受けられた。

 餓死するのも嫌だが、同族を食すにも抵抗がある。人間の肉は硬くて臭い上に美味しくない。それなら餓死してやり直したほうが数億倍マシだ。

 周りばかり照らしていたから足元に気づかなかった。何か硬く金属のようなものに引っかかる。

「棒?」

 キタルファの身長と同じくらい――百六センチというところか。素材は分からないが恐らく金属。硬くていささか重いが、この先役に立つかもしれない。

「よし、君は相棒だ」

 距離感が掴めずあちこちにぶつける度に、カランッと高い音を出す。キタルファの声は低いので、少し羨ましい音だ。

 地下に響き渡るのは、少女の足音と金属と石がぶつかる音だけ。鼻歌でも歌って気を紛らわせたいところだがエネルギーを消費するだけなので諦める。

「とりあえずここまでか」

 線路より高いところにあるホームはここまでだった。途中に地上へ続くであろう階段があったが、通れるかは分からない。なにより通れたとしても、であるキタルファには刺激が強過ぎる。

「線路はまだ続いているのかな……」

 当時の建築技術は優れていたのだろう。数百年経った今でも床、天井が大方健在だ。おかげで土砂に巻き込まれて圧死を繰り返さなくて済んでいる。

 次の駅までどのくらい距離があるのか分からない。

 ひとまず今いる場所が安全であるならば、早急に動く必要はない。誰も追ってこない。誰にも出会えない。下手なところで死んで脱出できなくても困る。

 終わりにならないのなら死にたくない。

――苦しむために生き続けるなんて皮肉だ。

「昔は寝るためのマットもかけるための布もあったって聞くけど、どんな感じだったんだろ」

 比較的綺麗そうな場所を探して横になる。太陽も星もないからキタルファには時間どころか、今が昼なのか夜なのかも分からない。寝たい時に寝て、歩きたい時に歩く。それの繰り返し。それしかやることがない。「おやすみ」と言っても誰も返してくれない。

――寂しい。


「え!? あれ!? カーフ、これって……」

「先程まで死にかけてご臨終したと思っていたら、生き返りましたね」

 話し声が聞こえる。ついに人恋しさにそんな夢まで見るようになってしまったのか。

「目覚めた!? ねぇ、聞こえる!?」

 可愛らしい女の子の声。

 身体が軽い。……そうだ、キタルファは水を確保できずに動けなくなって死んだのだ。今は蘇生したばかりなのだろう。

 夢から覚めるのは残念だと思ったが、やけに身体が揺れる。

「ぁ、えーっとおはよう?」

 目を開けたら、銀色の髪と蒼玉の瞳がついた整った顔がすぐそこにあった。自分以外の人がいることにも驚いたが、何十という明かりをつけたように周りが明るいことに衝撃を受けた。

「あなたもしかしなくても人間よね? うん、人間だわ。まさか本当にまだ生きてたなんて」

 綺麗な女の子が不思議そうにキタルファの顔を覗き込んだままだから、起き上がろうにも身動きができない。それにキタルファも驚いている。仲間は死に、他にも全滅した集落を見てきた。生物なんてここ何年もお目にかかれていない。

「ご主人様、そのままだとこの子が起き上がれないですよ」

 陽気な女の子の声。話し方は丁寧であるのに、フランクさが前面に出ている。「そうよね、わたし邪魔よね。ごめんなさい」と慌てた様子で銀髪の少女が引くと、薄い桃色の髪に水色がところどころ混じった派手な少女が視界に入った。

「あれ、起きない? どこか痛いの?」

 状況を飲み込めず、キタルファは混乱したまま上半身を起こした。「ぁ、起きた」「起きましたね」二人が顔を向かい合わせてから、もう一度金髪の少女を珍しそうに見る。

「あなた一人、よね? ずっとここにいたの? そもそもどうして生きているの?」

「えーっと……」

 嘘をつくつもりはなかったが、正直に話をしても嘘に聞こえてしまう。

「見たところ、わたしたちがあなたを発見した時は昏睡状態と言うか死ぬ寸前の衰弱状態でした。弔うべきか悩むくらいでしたから」

「そうよ。目の前で心臓が止まるのを視たもの」

「見た……?」

 銀髪の少女の発言は、まるで死を視認しているような言い方だ。今回のキタルファは餓死。死ぬ瞬間など呼吸の分かる近距離でなければ確認のしようがない。

「わたし、魔術師だから。あなたは人間?だから、魔術師の存在は知らないと思うけれど」

 生まれてこの方――むしろ親の代もその前の世代も地下に引きこもり、人間以外の生物に出会っていない。魔術師なぞ知るわけがない。

「人間と同じ見た目をしていますけど、この人――魔術師はすごいんですよ。物理法則とかいろんなもの無視しちゃいますし。地下が今こうして明るいのもご主人様の力だったりしますし。あとあと、地上でも全然へっちゃらなんですよ」

 派手な髪色の少女が自慢げに解説をしてくれる。

「それであなたは何で人間なのに、勝手に蘇生なんてしたの?」

「何でと言われても……私は昔からこうゆうなので……死んでも死んでも生き返るんだ」

「それはあなただけ? 一緒にいた人たちも?」

「私だけ。私以外はみんなふつうに死んでいったよ」

「なにかしら……突然変異?」

 魔術師がぶつぶつと独り言を呟き始める。それを無視してもう一人は、

「わたしはカーフって言います。このぶつぶつうるさいお方はサファイア様。あなたのお名前をお聞きしてもいいですか?」

「キタルファ」

「キタルファさん。覚えました」

「あぁ! なに勝手に自己紹介を済ませているの!?」

「大丈夫です。ご主人様のお名前も紹介済です。人間さんの方はキタルファさんとおっしゃるそうです」

「聞いてた! ちゃんと聞いてたもの。はい、改めてわたしが魔術師サファイアです」

「……キタルファです」

 悩んだ末、もう一度挨拶をした。

「えーと……」

 サファイアが次の言葉に迷っていると、

「キタルファさんですよ」

「名前くらいちゃんと覚えているわ! そうじゃなくて、えーっとキタルファはここで何をしていたの?」

「ウイルスの被害がない範囲で地下を放浪しているだけ。食べ物があればラッキー。なければ先程ご覧になったように飢えて死にます」

「ウイルス?」

 なんの話だとサファイアが首をかしげる。話が通じない中、間を取り持ったのはカーフだ。

「人類が滅びた理由は、人間が遺した書物の中でもいくつかの説があります。その中で有力な説が、地上を未知のウイルスが覆い、ヒトを滅ぼすというものでしたので、キタルファさんが言うのはそのことだと思います」

「そうだったのね。でも触れて死ぬのであれば、それは人間にとって一種のウイルスと言ってもおかしくない気がするわ」

 カーフはキタルファに向き直って、

「キタルファさんが言うウイルスはですね、魔術師が使う魔力と呼ばれる大きな力が犯人なんです。人間にとっては害悪なので、ご主人様が言った通りウイルスとイメージは変わりません」

「つまりわたしがいれば、人間であるキタルファもに出られるのよ」

「地上、に?」

 地上は地獄。地下ならまだマシと教わってきたキタルファにすれば、地上に対して興味関心より恐怖が強い。

「地上はいいですよー。なんせ空がありますからね。ご主人様の目のような青い色も、わたしみたいな水色も見れます。キタルファさんのような夕日も綺麗なんですよ~」

「わたしたちは旅をしているの。キタルファ、あなたもしばらくの間だけでも一緒に来ない? わたしはあなたの話をもっと聞いてみたいの」

 このまま一人で死を繰り返すよりは、誰かとお喋りをして死を繰り返した方がいい。明るさと温かさを知ったからには、それをやすやすと手放したくない。キタルファは孤独から逃れることを一番に選んだ。

「行く。連れて行ってください」

 地上は怖い。怖いけれど、言い伝えを確かめるくらいはしてもいいかもしれない。

「でも、私が地上に耐えられなかったら、地下に放り投げてほしい」

「投げはしないけれど……地下に送るのは問題ないわ。魔力についてはわたしから離れなければ大丈夫だと保障するし」

 人との付き合いなんて数年も前、同い年もおらず、キタルファ自身も一桁の歳だったから、彼女たちとの付き合いの解答は分からない。しかし、わくわくするような嬉しそうな表情を隠さないサファイアを見ていると、深く気にしなくてもいいのだと思い知らされる。

「パーティーメンバーが加わったところで出発しますか? ご主人様としては、早めに地上に出た方が楽ですよね」

 人間とは違い、魔術師は魔力が満ちた空間の方が生きやすいのだと補足される。

「それに……キタルファの前で言うことでもないのかもしれないけれど、わたし、暗くて狭いところはあまり得意じゃないの」

 改めて周りを見回す。サファイアを中心にして半径三メートルくらいは明るい。手回し懐中電灯で手元を照らすよりもずっと色が白くて見やすい。

「ご主人様は暗いところでも目が利きますもんねぇ。ただの怖がりで、わざわざ魔術を使用してるんですよ。ぁ、魔術と言うのは、魔力を使って人間世界のルールではなし得ないことをすることですよ」

「ちょっと! それだとわたしがズルしているみたいに聞こえるじゃない! 昔はともかく、今は魔術師に適した環境になったと言ってほしいわ」

「さて、行くと決まれば地上を目指しますか」

 カーフが立ち上がるのにあわせてキタルファも軽くなった肉体を立ち上がらせる。並んでみて分かったが、二人の身長は同じくらいだ。サファイアがそれらよりも十センチくらい高い。

 魔術師という種族がそもそも長身であるのか、たまたま彼女が大きいだけなのかは分からない。

「そちらの棒は持っていかないんですか?」

 つい先日相棒になったばかりの金属パイプ。三人で行動をするには存在感を放つため解雇しようと思っていた。

「ご主人様意外とポンコツですし、わたしもではないので護身用にあった方がいいと思いますよ」

「護身用って……地上には生き物がいないんじゃ……」

「うーん。そうですねぇ……生き物というか魔物がいます。問答無用で襲ってくるんですよー」

 キタルファの周りを照らしていた明かりが徐々に離れており、暗闇はすぐ後ろというところまで来ていた。

「二人とも何をぼーっとしているの? 置いて行っちゃうわよ!」

 明かりの中心はサファイアで、彼女が動くと照らされる範囲も変わる。

「あの人早く出たいんですよ」

「出るならちょっと後ろに階段なかった?」

「あそこは土砂で埋まってしまっているので、我々が通る隙間はないんですよ。ここからしばらく線路を歩くことになりますね」

 カーフが主人を追って歩き始めたので、キタルファも慌てて金属パイプを持ち上げて横に並んだ。

 サファイアは二人がついてくることを確認すると満足そうに進み始めた。いささかスピードが早く感じるのは種族関係なく、彼女の気持ちの問題だろう。

「地下が苦手なのにどうしてこんなところまで、わざわざ?」

「それはですねー、歩いていたらご主人様が人間の気配がするって言うんで探し回っていたんですよ。魔術師は魔力を伝わってなにか感じ取るみたいで。わたしにはよく分からないですけどね」

「それだけで地下に?」

「本人は絶滅した人間に興味があると言ってましたけど、単純にお人好しなんですよ。枯れかけていた花に、健気に水をあげるタイプです」

「私は枯れかけの花か……」

「いいえ。あなたは枯れていましたし、お花みたいな華やかさはないですね!」

――会ったばかりなのに言うこと辛辣。

 新たな駅を一つ通り過ぎる。先陣を切るサファイアの歩は止まらず、まだ先に行くことを示唆しているようだった。

「えーっと、これはどっちから来たんだっけ?」

 線路は大きく二つに分かれている。数メートル先は真っ暗であるため、進んだ先に何があるのかは分からない。

「データ検索しますか?」

「うん、お願い」

 サファイアがカーフの手を掴むと、うっすらカーフが手先から青白く輝き始めた。

「???」

 邪魔をすることもできず、キタルファは真剣な顔つきの魔術師と目をつぶって輝く少女を見つめることしかできない。

――綺麗だ。

 まるでカーフが氷の粒で覆われているよう。

「はい、検索完了しました。現在地から北西の方角――向かって右手側の道です」

「分かったわ。ありがとう」

「え、カーフは魔術師じゃないんだよね?」

「はい、違いますよ」

 今の作業で肩が凝ったのか、カーフは両肩を一斉にぐるぐると回してため息をつくような仕草をした。

「人間でも見分けがつかないものなのね。彼女はあなたたちの祖先が想像したAI搭載のヒューマン型ロボットよ」

「はい、ロボットでーす」

「ロボット?」

「機械よ、機械。この線路を列車が通っていたのは知っているでしょう? 似たようなものよ。人間自体は力を持たないから、その知力を使って自分たちが暮らしやすいようにいろんなものを創ってきた。挙げ句の果にできたものがこの子。人間を模した自立ロボット」

「造りもの? 私の周りにいた人たちと全然変わらないのに?」

「多分触ってみれば分かりますよー」

 カーフははめていた白色の手袋を外し、キタルファの骨ばった手に添える。

「ね? 皮膚は全然人間ぽくないんですよね」

「ほんとだ、硬い」

 温かさも感じない。無機質な触感。

「当時は人工皮膚の開発もされていたのに、皮膚は予算ケチられちゃったんですよ。ここまで完成させておいてひどいと思いません?」

 キタルファよりも人間らしく苦笑してから、カーフは手袋をはめ直した。五本指を通すのもとても滑らかな動きで、造りものには全く見えない。

「不思議よね。人間には生殖能力があるにも関わらず、わざわざ自分たちと同じモノを造るんだから」

「あまりにも多くの技術を持ってしまったことにより、人間さんたちは滅んでしまったのかもしれませんね。結果、キタルファさんのように特殊体質の方以外は死んでしまったようですし、こうしてのうのうと生きながらえているのはロボットのわたしですからね!」

 誇るように胸を張るポーズをするロボット。あまりに人間くさいところから、腕だけがサイボーグで他は人間ではないのかと疑ってしまう。

「ひゃっ!? 急に何ですか!?」

 同じ位置にあった見た目は柔らかそうな頬をつついてみた。手と同じく無機質で硬い。

「おぉ……ロボットだ……」

「そう言ってるじゃないですかっ! セクハラですよ、セクハラ。いや、ロボットだからロボハラ?」

「カーフって面白いでしょう? わたしも初めて彼女を動かした時びっくりしたもの」

 昔を思い出しているのか、サファイアがくすくすと笑う。

 魔術師が人間とまったく異なる種族であるのか、同類になるのかは分からない。しかし、サファイアも見た目同様人間らしい振る舞いをする。

「ねぇ、キタルファ」

 少し緊張が取れた様子のサファイアが腰を少し捻り、上半身をキタルファの方へ向けて目を輝かせた。

「地上に出るまでもう少しかかるわ。どうせ歩くしかないんだもの。キタルファの話を聞かせてちょうだい」

「わたしも聞きたいです! データベースに保存しておきます」

「ぇ、それはやめて……」

 キタルファ自身に起こったイベントは大して面白くもなければ、いい気分になるものでもない。

 ただ、久しぶりに自分以外の生物が好意的に関わろうとしていることが嬉しくて、おとぎ話を話すように口から言葉が溢れていった。


 キタルファが生まれたのは、当然至極当たり前の地下だ。酸素を確保するため火を使うことはできず、先人たちが遺していった手動で電気を蓄える明かりを頼りに過ごしていた。先祖が文明を発展させてくれたおかげで、意外と技術面では苦労をしていない。

 しかし、この時代の人間たちにとっての生活水準はとても低く、毎日の目標が生きること。何百年と動き続けている時計を頼りにして、一日を乗り越えられたのかを確認していた。

 時計はあったものの、人類が地上から消え去ってからどのくらい時間が経ったのかは正確に分からない。なぜなら数えていたはずの人が、面倒くさくなってやめてしまったのを周りに隠していたからと伝えられている。


「結構適当なのね?」

「毎日確認したら頭痛くなるかもしれないから……そんなわけで、私は自分の生年月日も分からないんだ」


 人間が生きる次に目標としていたのは遺伝子を残していくこと。絶滅を避けるため、近親相姦をしてでも子孫を残してきたという。キタルファの時代までくると、人も少なく、なにより物資が底をつきかけていたので、数よりも質を優先された。

 その名残もあって、キタルファには異父、異母兄弟姉妹が何人かいた。家系図におこすとなかなかカオスである。年の離れた兄と姉が子供を作っていたり、父親と姉が結ばれていたり、おそらく血のつながりはなるべく薄いところで繋がっていたと思うが、兄弟の血縁関係が複雑過ぎて真偽は分からない。


「ロボットを造るよりは建設的だと思いますけどねぇ」


 子供ができれば、次に授けるものは知恵や文化。人類が確かに存在した証拠を残すための歴史等を学んだ。キタルファは読み書きを教わっていないので、全て口頭で伝えられた。

 口酸っぱく言われたのは当然地上のことで、

『決して上へ行ってはいけない。地上には先祖を滅ぼしたウイルスが蔓延しているんだ。お前が大人になって探窟に行かなければならなくなっても、探すのは下だ』

 キタルファも子供ながらこれ以上下に行っても何もないことは知っていた。周りの大人たちは幾度も食料を求めて出かけて行ったが、成果はマイナスであった。


「元々地上で暮らしていた生物ですから、そりゃあ地下にある資源は有限ですよねぇ」

「うん。私の時はすでに食料はまともになくて、多分大人の中には同胞を食っている人もいたよ。その手の人たちは病に侵されて死んでしまったけどさ」


 ついに餓死で亡くなる人が出てきた。……キタルファも例外ではなかった。

 おそらく十歳になった頃、餓死をする。水だけは近くに水源があり確保ができていたので、栄養失調からくるものだろう。初めは目眩から始まった。空腹感がいつもあるようでないものだったので気にはならなかった。

 幻覚が見え始めた時点で、先人たちと同じ道を辿ることを知る。母親が見知らぬ食べ物を持ってきたが、拒否したのを覚えている。


「数日前に死んだ妹の肉だったと思う。そうじゃなくても、肉が出てきたら食べてない」


 意識が薄くなり、動けなくなり、必死に考えた。


「私は何のために生まれてきたんだろうって。子孫は残してないし、読み書きが出来ないから記録も残せない。なにかを発明したわけでも、新しい拠点を見つけたわけでもない。このまま死んで、私は家族に食われるしかないんだ。家畜なんだって」


 本当に最後の最後、なるべく人気のないところまで移動して息絶えた。せめて家畜にはなりたくなくて。

 それは正解の行動だった。


「次に目が覚めたら。地面を這ってできた擦り傷も全部治って」

「すぐ生き返ったの?」

「分かんない。大した時間は経ってないと思う」


 混乱したキタルファは身動きが取れないでいると、母親に見つかった。母親は元から幻覚を時々見ていたので、キタルファのこともその一種だと思ったらしい。体温を取り戻した我が子を抱き締めて、泣いていた。


「いい話ですね。ここまでは」

「ここまではね。結局母さんの行動で周りの人に、私の存在がバレて、兄に殺されたよ」


 母の「この子は生き返ったの!」という妄言に痺れを切らした兄が、キタルファを殴り殺した。

 初めは拳で。しかし、自分の手も痛くなることに気づいた兄は途中から石を使い始めた。石で頭を二回殴られたところで、キタルファの意識は飛び、


「また目が覚めたら、真っ青な顔で腰を抜かした兄さんが目の前にいたよ」


 例のごとく怪我は綺麗さっぱり完治。

 兄の他にも何人か人がいたが、皆恐怖しており、誰かが「化け物」と言った。……いや、誰かではない。


「母さんが言ったんだ。「化け物だ、出ていけ」って」


 弟から石を投げられ、友人から罵倒され、母親が混乱して投げてきた手回し懐中電灯だけ持ってキタルファは必死に走った。

 それでも追ってきた仲間に見を引き裂かれ、このままでは捕まることを予期したキタルファは人生で初めて人を殺めた。

 二度も死んでいるのに怖かった。死ぬことがたまらなく怖かったのだ。

 しかし、三度目の死はすぐにやってきた。内蔵を裂かれてしまい、失血死。身体が氷漬けになったように寒かったのをよく覚えている。


「相手の血がまだ温かったから、きっと蘇生は早いのかな。お腹に開いた穴も綺麗に治っているよ」

「別にお腹見せなくていいですよ!」


 三度目の蘇生を終え、手回し懐中電灯だけを持って、とにかく集落から離れた。蘇生できる回数が限られているのか分からないからむやみに死ぬわけにはいかない。

 一度死の恐怖を味わってしまうと、たとえ生き返ることができると分かっていても死にたくない。

 地下を徘徊しても人と会うことはほとんどなかった。一度数人が生きている集落に辿り着いたことがあるが、最後の水を奪い合うデスバトルの最中であったため見つからないように逃げた。

 どこに行っても死体にしか行き着かなくなった頃、思い出したように生まれ育った集落に戻ってみた。


「みんな死んでた。母さんも兄さんも……みんな。弔いもできなくて、走って逃げた」

「駄目よ! そんなの!」

 いきなりサファイアが方向転換して、キタルファの肩を掴む。

「自分を殺した人間を弔えとは言わないわ。でもせめてお母さんくらい弔わないと」

「話聞いてた? 母さんも私を集落から追い出したんだよ」

「それってあなたを逃がすためにしたんでしょう。手回し懐中電灯だって限られた資源のはずよ。そんなものをいくらなんでも投げつけないわ」

 サファイアは、キタルファのズボンの尻ポケットにしまってある手回し懐中電灯に視線を向ける。

「母さんは錯乱状態だったんだよ。私のことなんて分かっちゃいない」

「あなたがそう思うならそれでもいいけれど、わたしは今から行ってくるわ」

 意気揚々と来た道を戻ろうとする少女に、後ろから冷静な声がかかる。

「人間さんの集落の場所分かるんですか? ご主人様」

「うっ……」

 明かりの移動が止まる。

「キタルファさん、このお人好しはなかなかに頑固なんです。嫌なら集落の中まで入らなくていいので近くまで案内していただけますか」

「お人好しでも頑固でもないわよ!」

「はいはい。優しさを拗らせているだけですもんね」

「ちーがーうー!」

 二人のやり取りを見ていると、どちらの立場が上なのか分からなくなる瞬間がある。

 顔を赤くした魔術師を見ていると、キタルファ自身が大人になった気持ちになった。

 初めて死んだ場所、初めて殺された場所、初めて殺した場所に戻るのは気が引けるが、

「別に一人でも探せるわよ」

と強がって突っ走ろうとする女の子を放っておけない。

「サファイアさんたちと出会ったところよりももっと先です」

 意思を示すつもりでサファイアより前に出る。

「ご案内します」

 キタルファに華麗さは出せない。サファイアの真似をしてもみっともないだけだった。

「ふふ、身なりがあってないわね。地上に出たらちゃんと整えてあげる」

 故郷までの道のりは遠い。到着するまでにキタルファの体力が持つか。不安があった。

 そして不安は現実のものとなる。人間にとって、何も口にしない状況でひたすら歩き続けるには限度がある。

「大丈夫? 水ならあるから飲んで」

 魔術師は水を生成できるようだったが、栄養にはならない。

「このまま進んでも効率が悪いわ。ここら辺で休みましょう」

「私のことは気にしないで。死ぬまで動けるから」

 眠って回復する体力と進み続けて失う体力を考えると、後者を取った方が時間の節約になる。

「他人の心配ばかりしてー。ご主人様だって睡眠いるじゃないですか。ほら、お二人共、今日は休みましょう」

 カーフの力には反抗できず、小さな駅で休むことになる。

「ごめんなさい、食べ物は持ち合わせていなくて」

「全然。魔術師って食べなくても生きていけるの?」

「えぇ。基本大気中の魔力を力としているし、眠れば自己生成できるわ」

「わたしはもちろんのことロボットですので、エネルギーがあれば永遠と動けますよ!」

「つまりカーフはわたしが眠ったり、魔力の届かない範囲にいくと使い物にならなくなるの」

「言い方ひどいですねぇ。動かしてもらっている身なので反論はできませんが」

 サファイアが地下を嫌うのは閉所と暗所が苦手というのはもちろん、エネルギー補給に支障が出るからである。

「さぁさぁ眠りましょう。子守唄でも歌いましょうか? 音楽データも豊富にありますよ」

「無駄に魔力使いたくないからいいわ」

「ノリ悪いですねぇ」

 サファイアとカーフが言い合っているBGMが心地よく、いつもよりはっきりとした眠気がやってくる。

――出会ったばかりの他人なのに、一人でいるより安心できるなんて変なの。


 数日間歩き続け、故郷につく前にカーフに背負われる形で、再びキタルファは死亡した。今回も餓死である。

「背中で生き返られるってのも不思議な感じです」

「すみません、おぶってもらっちゃって」

「ご主人様に引きずっちゃ駄目と言われたので仕方なくです」

「当たり前でしょう! いくら治ると言っても痛いのは駄目なの」 

 今は線路の上ではなく、人の手で掘られた補整もされていなければ岩肌が現れている地面。引きずられ続ければキタルファの肌が削り取られてしまう。

「この先です」

「魔力がまったく漏れてきていないのね」

「むしろ空気すら薄いですよ。よく複数人がくらしていましたね」

 ロボットの眉間にしわが寄る。

「わたしとカーフで行ってくるから、キタルファはここでお留守番してて」

「……私も行く」

「そう」

 実際のところ母親がどんな気持ちで娘を化け物呼ばわりしたのかは分からない。

 しかし、今後はもうこの場所に戻ることはない。一緒に眠ることができない以上、ここで立ち止まっても後悔するだけだと思った。

「うわぁ、骨ですね」

「近くに水源があるようだし、湿気がすごいわ」

 死体たちは白骨化しており、腐敗臭はしない。それでも風通しの悪い空間は臭う。サファイアは眉を少しも動かさずに手を合わせた。

「……この感じだと全て埋葬は不可能ね。お母さんはどちら?」

 あちこちに骨がちらばっている。隅々まで探して埋めるには手が足りなかった。これが地上であれば、サファイアの魔術で一発であったかもしれないが、魔力供給が制限された空間ではカーフを動かして明かりをつけることで精一杯だ。

「母さん、ただいま」

 骨とぼろぼろの布。数年前まで動いていたなんて想像できない姿。

「キタルファさん、鉄パイプ貸してください。穴掘ります」

 カーフが金属パイプを奪い取り、湿った地面をガリガリと掘り始める。

「気になったんですけど、キタルファさんって生き埋めとかされたらどうなるんですか?」

 この見た目派手なロボット、死体を前にして残酷なことを口にしてくる。

「死んですぐ蘇生するのを見るに、やっぱり生き地獄を永遠と繰り返すんですかね」

「試そうとか言わないでよ」

「まさかー。わたしはそこまで人でなしじゃないですよ。まぁ、そもそも人じゃないんですけど」

 戦闘用でなくともロボットは人より力がある。あっという間にキタルファが丸まれば埋まる穴ができた。

「入ります?」

「入りません」

「二人共ふざけてないで手伝って」

 恐れる様子もなくサファイアは骨を素手で拾う。

「キタルファ、ここまできたならちゃんと最後までやりなさい」

 サファイアに丸い塊を渡される。母親の頭蓋骨は思っていたより小さかった。

「親子ね。骨格があなたと似ているわ」

「分かるもの?」

「わたしは人よりものが視えるのよ」

 埋葬はあっという間に終わった。数日かけてここまで来たのに、一時間と経たずに作業は完了した。

「キタルファ、他にやり残したことはある?」

「……ないよ」

 家族はどこまで家族なのか分からない。どこまで信じていたのかも分からない。思い出は全て朽ちた。

「手記が残っていますね」

 いつの間にかいなくなっていたカーフが、奥から数冊の本を抱えて戻ってきた。

「何が書いてあったの?」

「伝記みたいです。地上で人間が生きていた頃の話が語り継がれているみたいです」

 キタルファも見たことがある。文字が読めないので中身に何が記されているのかは知らなかった。

「貸してちょうだい」

 黄ばみ汚れたページを白くて長い指がめくる。

「こんなにも湿気った場所で駄目になっていないなんて、随分上質な紙なのね。カーフみたいなロボットを作ったり、人類の技術には感嘆するわ」

 カーフは「ですねぇ」と適当な返事をして、またふらふらと暗闇の中に姿を消した。

「学校制度や流行ったアイドルのことまで書いてあるわ。暇つぶしにはなるかもしれないけど、世界が終わるなら必要のないことばかりね」

 本を閉じると塵のようなものが舞った。

「行きましょう。カーフ!」

「はいはーい、終わりました? どうやらこの先に地上へ通じる道があるみたいなんですよ。もしかしたら塞がっている可能性もありますけど、どうします? 行きますか?」

「そうね、戻るには時間がかかるし、近いなら行ってみましょうか」

「片道半日くらいです。駄目だった場合は往復一日分損ですねぇ」

「数日が半日になるかもしれないなら行った方がいいの。キタルファもそれでいいでしょ?」

「うん。サファイアの楽な方でいいよ」

 近くに地上へ続く道があるなんて知らなかった。大人たちが隠していただけかもしれない。

「では行きましょう。地上にさえ出れれば、何かしら食べるものも見つかるはずだわ」

 再び少女三人は歩き始める。途中懐かしい水の音もした。上手くいけばもうすぐこの地下を出ることになる。未知の世界。広大と聞く地上の世界。

「そう言えば聞いてなかったけど、二人は何のために……どこに行くために旅をしているの?」

 心のざわめきが落ち着いてきたところで、キタルファは、この旅の行き着く先を知らないことに気づいた。

「そうそう。そう言えば言ってなかったわね」

 サファイアも思い出したように相槌を打つ。人差し指を口元に当てながら、

「わたしは、この世界を終わらせるために旅をしているの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人類が滅亡した世界を終わらせるために。 汐 ユウ @u_ushio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ