7-10

 今日の夜は吹雪が王都を襲い、強い風が空き家に打ち付けられて、窓がカタカタ鳴っていた。

 昔、小さな子供たちは窓や風の音を怖がっていたが、以前よりも温かい毛布と敷物を買い、暖炉の薪も惜しまずに使っているお陰か、音で目を覚ますこともなく、ぐっすりと眠りについていた。

 だが、一人だけ起きていたマギーは、身体に毛布を巻き付けながら、暖炉の炎の灯りを頼りに、黙々とバンビを作り続けていた。

 アリアの家で生地をカットしておいたものを貰い、縫い合わせる所をひたすら行う。こうした淡々とした作業は性に合っていて、オレンジに照らされた子供たちのまろい頬を時折眺めながら続けていると、気づけばバンビが三つも完成していた。

「まだ起きてたのか」

 生地に落としていた視線を上げると、裏口の方からドニーが近づいていた。

「ドニー。見回りお疲れ。寒かったでしょ、ほらこっちきて」

 マギーが隣をぽんと叩くと、ドニーはそのまま向かってきて、隣に腰かけた。マギーは自分に巻き付けていた毛布をドニーの肩にも掛けてやると、また作業に戻った。

 触れ合う肩に体温を感じながら、ドニーはマギーの横顔を見つめた。

「帰って来てからも、時間を見つけたらずっと作業してるだろ。あんまり根詰めると、身体壊すぞ」

 マギーは手を動かしながら、くすりと笑みを零した。

「何で笑うんだよ」

「だって、リンとおんなじこと言ってるから」

 その声色は、マギーにしては楽しげだ。ドニーは一拍置いて言った。

「……あの人、いい人だよな」

「まあ、そうかもね」

 マギーは針を動かす手を止めた。

「リンと出会う前は、私達全員、冬の寒さと飢えで、春を迎えられるか分からなかったでしょ。偽造品を売りさばいて、なんとか生き延びていたけど、それも限界だったし」

「そうだな」

「それが、リンと出会ってから、何もかも変わった。一日に二回もご飯が食べられるようになって、燃料の薪もケチらず使えるようになって、服や毛布も、古着だけどちゃんとしたものを買うことが出来て……何もかも良くなった。もしかしたら、その内貧民街を抜け出して、どこかに家を借りられるかもしれない」

「だから、自分の服を買う金をケチってるのか?」

「何よ、あんたもアリアたちみたいにおしゃれしろっての? 私だって温かいマントを買ったし、これで十分だよ」

「そうじゃなくて……もういい。ほら、明日も早いんだし、もう寝ようぜ」

 ドニーは、マギーが手にしていた裁縫道具と作りかけのバンビを奪うと、完成品を入れていた袋の中に突っ込んだ。

「ちょっと、あと少しで出来るのに……」

「既に顔が眠そうだった。おやすみ」

 抗議の声を上げたが、有無を言わさずに、肩を掴んでマギーを無理やり寝かせると、ドニーは背を向けて寝転んだ。

 マギーは呆れたように笑みを浮かべて、溜息を吐いた。

「……おやすみ」

 既に寝息を立てているドニーに囁くと、マギーはゆっくりと目を瞑った。


 風で窓が一際揺れた音で、マギーは目を覚ました。

 燃料が尽きて暖炉の火が消えたのか、リビングは凍えるような寒さで、毛布から身体を起こすのが、かなり億劫だった。

 それでも、暖炉に燃料を追加して、部屋を暖めて、子供たちに食べさせる朝食を作らなければならない。

 今日はスープでも作ろうと、無理やり身体を起こして、欠伸を浮かべた。

(朝食を作り終わったら、昨日の続きをちょっとでも進めよう)

 未だぼんやりする頭で考えていると、ふと、マギーは疑問を浮かべた。

(……あれ、そういえば、バンビが入った袋は?)

 昨日、自身の枕元に置いておいたはずのバンビの袋が見当たらず、マギーは嫌な予感が背筋に走って、眠気が一気に覚めた。

(誰かが蹴飛ばしたとか……いや、それだったら近くには必ずあるはず。じゃあ、盗まれた? でも、一体誰が……)

 瞬間、マギーは目を見開いた。床に、子供たちのものよりも、明らかに大きな靴跡を見つけたのだ。

「……あのバカ共!」

 それを見た途端、マギーは誰の仕業か分かり、顔を怒りに染めて叫んだ。叫び声で目を覚ましたドニーとヤン、ラウはびくりと身体を揺らして、寝ぼけ眼をマギーに向けた。

「なんだ、どうした……?」

「バンビが盗まれた! 取り返してくる!」

「えっ、おい! 取り返すって、どこにだよ!」

 ヤンが声を掛ける間もなく、マギーは飛び出して行ってしまい、ラウと共に顔を合わせた。

「っ!」

「ああっ、ドニーまで! ったく、行くぞラウ!」

「お、おう!」

 今度は、飛び起きたドニーがマギーの後を追って家を出て行ってしまい、慌てたヤンとラウは、二人の後を追った。


 空き家を抜けて細い裏路地を抜けたマギーは、廃屋の倉庫に辿り着くと、厳しい顔で叫んだ。

「出てこいっ、ジャン!」

 辺りにマギーの声が響くと、倉庫の木製の扉が開いて、にやけた顔の青年が数人出て来た。真ん中に立つ一際大きな男は、盗み出したバンビが入っていた袋を手にしていた。

「どうしたマギー、そんな血相抱えた顔して。いつもの小生意気にすかした顔はどこいったんだ?」

「黙れ。私の仕事道具を奪ったのはあんたでしょ。さっさと返せ!」

「仕事道具だぁ? そんなもん知らねぇなぁ?」

 ジャンは取り巻き連中と顔を合わせると、下品な笑い声が上がった。マギーは不快さを隠さず、ジャンをきつく睨みつけた。

「おおっと、怖い怖い。折角、最近仕事が見つかって羽振りがいいのに、仕事道具を無くしてクビになるのが、そんなに怖いのか?」

「……!」

 やはり、以前からちょっかいを掛けられているだけに、仕事が見つかった事を知られているようだ。ジャンはマギーの顔色が変わったのに目敏く気づいて、更に口角を上げた。

「マギー!」

 ここでようやくドニー達が合流したが、ジャンは一瞥すると、蔑むように目を細めた。

「はっ、前から偽造品作りなんて狡い真似してたが、お前らも落ちる所まで落ちたよなぁ。まさか、穢れの日の商品を作るなんてよぉ!」

 ジャンが馬鹿にしたような声色で言うと、マギーから盗み出した袋を持ち上げて、中からバンビを取り出した。

「うわっ、きたねー!」

「そんなもん持つなよ、手が穢れるぞ!」

 取り巻き連中が囃し立てるように言うと、マギーは拳をきつく握りしめ、ぶるぶると震わせた。

「……今すぐ侮辱するのをやめて、返せ」

「なんだよ、そんなにコレが大事なのか? おらっ!」

「おいっ、こっちに寄越すなよっ!」

 ジャンはバンビを取り巻きの一人に投げて寄越すと、取り巻きはヘラヘラとした笑みを浮かべて受け取ると、もう一人の取り巻きに投げ渡した。

 それは最早子供の遊びで、様々な人間がこれに関わって、沢山の壁を乗り越えて作られた道具に対する敬意などまるで無く、ジャン達の中で、コレは弄んでもいいモノだという認識が透けて見えていた。

「ははは、おらあっ!」

 最終的にバンビがジャンの元に返ってくると、地面に投げつけて、踏みつけた。

 その瞬間、マギーの頭から、何かが切れる音がした。

「……馬鹿にするなぁっ!」

 ついに我慢の限界が来て、マギーは拳を振りかぶると、ジャンに殴りかかった。

「ぶはっ!」

 普段は冷静で直接的な攻撃を好まないマギーが殴りかかるとは思わなかったのか、ジャンはもろに攻撃を食らい、背中から地面に倒れこんだ。

「おいジャンっ! てめぇ、女だからって容赦しねぇからな!」

 取り巻きは頬を押さえているジャンを起こすと、マギーに向かって駆けていく。マギーもすっかり頭に血が上った様子で、その場で待ち構えていた。

「あの馬鹿!」

 様子を見守っていたドニーは、急いでマギーの傍に駆けていくと、ヤンとラウも駆け寄った。

 そこから乱闘が始まり、あまりの大きな騒ぎに、人気のない通りだと言うのに、いつしか沢山の野次馬が集まっていった。

 喧嘩の強いドニーが加わったことで、戦況は劣勢という訳でも無かったが、力よりも策謀を重視していたマギーは、喧嘩が上手い訳でも、特別力が強い訳でもない。

 それはドニー達も分かっていたので、マギーを出来るだけ庇っていたものの、一回りも大きなジャン達の攻撃と戦い続けて、頬や口から血を流しながら、痛みに顔を歪めていた。

「……っ、バンビを、返せ……!」

 だが、それでも諦めることなく立ち続けていて、ジャン達はその執念深い姿に怯んでいったのか、段々と戦意を失いつつあった。

「おい、お前達! そこで何してる!」

 すると、誰が呼んだのか、騒ぎを聞きつけた憲兵が、野次馬を掻き分けて乱闘現場にやってきた。

「やべぇっ、憲兵だ!」

「逃げろ!」

 憲兵の姿を見るなり、ジャン達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ドニー達も逃げようとしたが、マギーには逃げるだけの体力がもう残っておらず、その場に倒れこんでしまった。

「マギー、起きろ! 逃げるぞ!」

 ドニーは倒れこむマギーをなんとか起こそうとしたが、既に気を失っているようで、呼びかけには答えない。

「ドニー、俺たちも逃げないと! 一緒に捕まったら、リンたちに助けを求められない!」

 ヤンに肩を掴まれて、ドニーはかなり躊躇していたが、ぐっと顔を歪めると、憲兵が駆け寄る前に、三人は逃げ出した。

「おい待て! 全く、ガキ共が……」

「おい、一人だけ取り残されているぞ。死んだのか?」

 倒れているマギーの傍にしゃがみ込んで、髪を引っ掴むと、微かに息をしているのに気づき、憲兵はもう一人に声を掛けた。

「気絶してるだけだ。連れていけ」

「はいよっ、と。このガキ、貧民街の出にしちゃ、こぎれいにしてんなぁ」

 気絶したままのマギーを俵のように片手で抱き上げると、憲兵たちは貧民街を後にしていった。

  

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