7-5

「リン、君は何を言い出すんだ⁉」

「あんた、なにふざけたこと言ってんの⁉」

「ちょ、ちょっと……そんな、二人ともいっぺんに怒んないでよ」

 二人から同時に怒られて、倫はたじろぎながらも、手にしていた偽物のバンビを再び掲げた。

「ほら、見てよ。確かにボロ布だけど、姿形だけ見てみれば、本物と殆ど変わらないじゃん。この子たちには、偽物だと騙せるくらいの裁縫の腕があるってことでしょ?」

「た、確かにそうだが……」

「それにさ、今うちが抱えてる深刻な人手不足が、この子たちを雇えば一気に解消出来るんだよ。ねぇリアン、考えても見てよ。この子たち、勿論悪いことはしたけど、裁縫の腕は即戦力級だよ?」

「……う」

 思ったよりも正論をぶつけられて、今度はリアンがたじろぐ。今度は身構えているマギーの方を向くと、倫は語り掛けた。

「あのね、今言った通り、うちの最重要課題が、人手不足なんだ。本物のバンビを作ってる人たちは、皆家庭を持つ主婦だったり、ウェイトレスだったり、工房で働いていたりと、全員が兼業でやってるから、作れる数に、どうしても限りがあるんだよ」

「……それで、私たちを雇いたいと?」

「そういうこと。今、ありがたいことにお客さんがどんどん増えていて、このままだと出店回数を減らさないといけなくなるかもしれないんだ。それは避けたいから、あなたたちに協力を頼みたいの。勿論、ちゃんとお給金は出すよ」

「……」

 マギーの顔には、「そんな上手い話があるわけない」という疑心が滲み出ていた。だが、その瞳は揺れているようにも見えて、倫は、あと一押しかも、と胸中でぐっと拳をにぎった。

 だが、この提案に賛同しかけていたリアンが、突然ハッと我に返るように顔を上げて、大きな声を上げた。

「……いや、俺は反対だ。確かに労働力にはなるかもしれないが、この子たちには信用が無さすぎる。もし万が一、売り上げや技術を盗まれたらどうするんだ!」

 すると、マギーの顔がかっと赤くなって、これまた大きな声で言い返した。

「ふざけんな、あんたらの方こそ、私たちをこき使っておいて、まともな給金を払わないかもしれないし、下手したら働かせるだけ働かせて、最後に憲兵に突き出すかもしれないでしょ!」

 そういうと、リアンとマギーは睨み合う。いつの間にか出来ていた対立に、倫は呆れた顔をして、溜息を吐いた。

「はいはい、お互いまだ信用出来てないのはよくわかったから。逆にどうやったら信用してくれるの、契約書でも書く?」

「契約書なんて、文字が読めるあんたたちからしたら、いくらでも適当書けるんだから、信用できるわけないでしょ!」

 マギーの怒りの矛先が、急に倫へと向く。倫は確かに、とデリカシーの無い事を言った自分を恥じたが、その提案に、リアンは目を丸くしていた。

「……リン、その提案はありかもしれない」

「ちょっとおじさん、私の話聞いてた?」

「おじっ……⁉ も、勿論君の意見は聞いていた。その上で、魔法で契約書が作れるかもしれないと言っているんだ!」

「魔法で?」

 突然のおじさん呼ばわりにかなり動揺していたが、リアンはなんとか平静を取り戻すと、鞄から羊皮紙を一枚取り出した。

「この羊皮紙に、魔法で文字を刻んで契約の文書を作る。文章は俺が読み上げる文言が反映されるから、文字が読めない君でもその内容は理解できるはずだ。それに、魔法の契約により縛りを作れるから、契約に反することをすれば、お互いにペナルティを科すことも可能だ」

「あぁ、それならいいじゃん。マギー、それならどうかな?」

 倫は覗き込んで問いかける。マギーはかなり迷っている様子で、腕を組んで思い詰めた表情で黙りこくっていた。

 大人を信用できない世界に住む者として、倫達の言葉を簡単に鵜呑みには出来ないのだろうが、こちらの最大の誠意を見せた以上、マギーには信用してもらうしかなく、彼女の答えを静かに待った。

 長い沈黙の後、マギーは顔を上げて、倫の顔を見た。その表情には、敵意は感じなかった。

「……ちょっと、私一人では決められないから、仲間と話したい。いい?」

「勿論、どうぞどうぞ」

 マギーは頷いて、部屋の端の方で縮こまっていた少年たちの元へ行って、話し始めた。倫達は、彼女たちが何を話しているか聞き取れなかったが、話し合いは穏便に終わったようで、程なくして、マギーは倫達の元へ戻ってきた。

「お待たせ。一応、こっちで話はついた」

「そっか。で、どうする?」

「……あんたたちと契約することにした。でも、条件がある」

「条件?」

「もし、私と下の子たちを酷い目に遭わせたら、問答無用であんたらにも同じ……いや、もっと酷い目に遭わせる。子供だと思って舐めないでよ」

「……分かった。そんな事絶対にしないけど、肝に銘じておくよ」

 倫は微笑みを浮かべると、リアンの方を向く。リアンは頷くと、マギーと倫と近くに呼んだ。

「二人とも、この針で指を刺して、羊皮紙に血を一滴ずつ垂らしてくれ」

 差し出された二本の針を見て、倫は驚いた。

「えっ、血がいるの?」

「そうだ。先ほどは説明を省いたが、この魔法は、契約者双方の血を魔法によって文字に編み込むことで、縛りを科すことが出来るんだ」

「うさんくさ……マルクに言ったみたいに、適当に喋ってるんじゃないでしょうね?」

「それは、信じてもらう他ないな」

「……チッ、わかった。血を垂らせばいいんでしょ」

 これ以上疑っても埒が明かないと判断したのか、溜息を吐いて、マギーは針を取る。

 倫も恐る恐る針を手に取ると、人差し指に針を突き立てた。鋭い痛みと共に血が滲み、倫は思わず顔を歪めるが、マギーは眉一つ動かさず、お互いの血を羊皮紙に垂らした。

「それでいい。では、契約の儀に入る」

 リアンは目を瞑ると、羊皮紙を二本指でなぞるように滑らせた。すると、二人の血液が羊皮紙の上でひとりでに混ざり合うと、紫と白のまだらな光を放った。

「……リアンの名によって、この契約を始めとする。血の持ち主が一人、リンは、もう一人の持ち主、マギーに、正当な労働環境、正当な給金を与えることとする。それを破った場合、痛みを持って償う縛りを科す」

 リアンが言葉を発すると、紫と白のまだらな光が、まるでインクのように、羊皮紙に文字を刻んでいく。初めて見る光景に、倫もマギーも言葉を失って、目を奪われていた。

「次に、血の持ち主が一人、マギーは、売り上げを盗むこと、技術を他所に持ち出すことを禁じ、もう一人の持ち主、リンの元で働くこととする。それを破った場合、痛みを持って償う縛りを科す。……二人とも、合意できるか?」

 二人はばらばらに頷くと、リアンは羊皮紙の上をなぞっていた二本指を、空で何かを描くように動かした。すると、文字の上で踊っていた光は、弾けるようにして消え、代わりに、血の色をした文字が残された。

 いつの間にか額に大粒の汗を滲ませていたリアンは、短く息を吐くと、いがらっぽい声で言った。

「……両者合意により、この契約は締結された。これで君たちは縛りによってお互いに不利益になることが出来なくなる」

「ありがとう、リアン。てか汗凄いよ、大丈夫?」

「ああ、気にしないでくれ。この魔法は、なかなか消耗が激しいんだ。初めて授業で使った時は倒れてしまったから、今回も倒れないかとひやひやしたが……俺も少しは成長したんだな」

 手を握っては開いてを繰り返して、リアンはすっきりした顔で言った。そして、マギーの方を見た。

「マギー、少しは信用してくれたか?」

「……さぁね、どうかな」

「なっ……」

 素っ気ない言い方でそっぽを向かれて、リアンは面白くなさそうに眉を寄せる。倫はそれを宥めるように肩に手を置くと、マギーの顔を見て言った。

「じゃあ、いつから働くかとか、そこら辺はまた後日にしようね。こっちも話さないといけないことがあるし、マギーも皆と話したいでしょ?」

 マギーは黙って頷く。細かい調整はまた今度として、倫とリアンは空き家を去った。


 帰宅途中、倫は気になっていた疑問をリアンにぶつけた。

「で、実際あれはちゃんと効果があるの?」

「なんだ、君まで疑ってたのか。細かい所で言えば、これは魔法というよりもまじない寄りではあるが、きちんと効果はあるぞ」

「そっか、良かった。なんか、リアンって普段は優しいのに、あの子たちには妙に厳しい所があったから、もしかしたら今回もそうなのかなって……疑ってごめん」

「別にいいんだ、事実だからな。……二十年も前の事だが、どうしても、あの子たちと、あの時の自分を重ねてしまうんだよ」

 どこか遠い目をしているリアンに、倫は心配そうな目を向ける。すると、リアンはそれに気づいたのか、苦笑いを浮かべた。

「それに、ただ優しいだけの大人なんて、孤児たちは一番信用しないからな。君があの子たちに寄り添おうとするなら、傍にはこれくらい疑り深い大人が居た方が、バランスは取れているさ」

「そうなのかなぁ?」

「そうだよ。まあ、厳しく当たってはいるが、こうやってあの子たちにチャンスを与えてくれたこと、俺も感謝しているんだ。ありがとう、リン」

 倫は照れくさそうに微笑む。

「別に、そんな感謝されるようなことはしてないけどさ。今度からは、あの子たちにもバリバリ働いてもらわないとね!」

 腕を叩いてそう意気込みながら、二人は帰路を進んでいった。

  

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