6-8

 商店街が一番賑わう昼頃。フランシスは、朝から店番をしている三人に昼食を届ける為に、闇市の最奥に鎮座するテントを捲った。

「みんなおつかれー、お昼ご飯持ってきたよ……って、ありゃま」

 元気よく声を掛けたが、飛び込んできた光景を目の当たりにすると次第に失速し、フランシスは不可思議なものを見たかのような顔をした。

「……誰も、こなぁい」

 椅子に腰かけながら、バンビが置かれたテーブルに顔を突っ伏して、倫は地を這うような低い声色で言う。他の二人も同様に、がっかりした顔でフランシスを出迎えた。

「ちょっと皆、レイスに生気を吸われたみたいな顔してるけど、もしかして、お客さん一人も来なかったの?」

 倫は生気のない顔をフランシスに向けて、頷きのような身じろぎをした。

「……クローデンスに、最初から客なんて来ないだろって言われたから、覚悟はしてたけど……実際一人も来ないとめちゃ凹む……」

「色んな友達に紹介したし、一人くらいは来てくれると思ったんだけどねぇ~……」

「やっぱり、彼の言う通り、最初の一歩を踏み出せる勇気ある人を、皆待っているのかしらね」

 三人が口々に零すと、一斉に深い溜息を吐く。

「あーあー、これは重症だ。これ以上悪化する前に、お昼ご飯でも食べて、切り替え切り替え!」

 フランシスはそういうと、小ぶりのバスケットをどんとテーブルに置いて、そこから紙に包まれたハンバーガーを三人に投げて渡した。

「わ、やったぁ。これ、老舗のロビンバーガーじゃん!」

 腹を空かせていた三人は、紙に包まれていてもわかるほどいい匂いを漂わせるハンバーガーに、一瞬にして目を輝かせ、ハンバーガーにかぶりつく。

「おいしー、生き返るー!」

 先程まで絶望していたのはどこへやら、ハンバーガーを頬張って喜びに満ちた表情を浮かべる倫達に、フランシスは笑って、水筒に淹れたお茶をマグカップに注いで差し出した。

「リンってけっこう単純だよね。まっ、そこが良い所だけどさ」

「あはは、それめっちゃ言われる~」

 フランシスにそう言われて倫はけらけらと笑うと、口元のソースをナプキンで拭う。

「そうだ、フランシス。ここに来る時、商店街にお客さんって居た?」

 ベラが問い掛けると、フランシスは記憶を探るように、天井に吊り下げられた魔法灯を見上げながら言った。

「んーと、商店街の方にはいつも通り沢山居たけど、露店エリアからここに来るまで、お客さんの数はかなり減っちゃって、ここに辿り着いた時には、それらしい人影は一つも無かったよ」

「ほら、やっぱりなんだかんだ言うけど、絶対立地が悪いのよ。いくらバンビが欲しいからって、こんな怪しくて人気のない所にぽつんとあるテントになんか、いくら友達の店だからってなかなか来てくれないわよ!」

「まあまあ落ち着いて。これから来てくれる人もいるかもしれないしさ」

 鬱憤が溜まっているのか、どんどん饒舌になっていくベラを宥めながら、倫は生姜シロップ入りのお茶を啜った。


 商店街の露店エリアには、朝の鐘が鳴った後に出店し、晩の鐘が鳴ったら店じまいを始めなければならないルールがある。

「あと五分で、晩の鐘が鳴っちゃうわ……」

 ベラは懐中時計の蓋を閉じると、気落ちした声で言った。結局あれから一人も客は来ず、バンビは一つも売れることなく、テーブルの上に置かれている。

「……さすがに、もう来ないわよね。そろそろ片付けの準備でも始める?」

 ハンナは倫の様子を伺いながら、問いかける。倫は難しい顔をして、頷きはするが、頭の中は今後の不安でいっぱいだった。

(はぁ、この調子で来週も来てくれなかったらどうしよう……あたしたちは、クローデンスの言う勇気ある人を、いつまでも待つしか出来ないなんて、歯痒いなぁ……)

 倫は押し殺そうとするが、結局溜息が零れて、二人を見ると、沈んだ表情で言った。

「……そうだね、片付けしよっか」

 ベラとハンナは小さく頷いて、皆無言で片づけを始める。テント内の空気はどんよりと重く、皆がこれから先の不安を抱えていた。

(駄目だ、あたしが暗い顔してたら、皆に暗さがうつっちゃう。笑顔、笑顔!)

 気落ちする自分をなんとか奮い立たせようとするが、それもあまりうまくいかず、また溜息が喉にこみあげる。

「……あの、すみません」

 すると、重苦しい静寂を破るように、テントの外から、か細い女性の声がした。

「えっ!」

 それにいち早く気づいた倫はハッとして、片付けようとしていた手を止めると、急いでテントの入口に駆け寄って、外に出た。

「──わっ!」

 いきなり倫が飛び出てきて、外に居た女性は小さく悲鳴をあげる。入口の傍に居たのはふっくらとしたおさげの女性で、知らない人が出てきて戸惑っているようだった。

「あぁっ、ごめんなさい! お客さんが来るとは思わなくて、つい!」

 勢い余って驚かせてしまったのが恥ずかしくて、倫は焦りながら謝っていると、続いてベラとハンナがテントから出てきた。

「ねぇ、お客さんなの……って、ヒスティ!」

 ベラは驚愕した様子で名前を呼ぶと、ヒスティは丸みを帯びた顔を真っ赤にして、口元に人差し指を立てた。

「しー、しーっ! そんな大きい声で名前を言わないで……!」

「と、とにかくここじゃなんだし、中に入りましょうか!」

 急な来客で混乱し通しの三人を、ハンナは急いでテントの中に引き込んだ。すると、中の様子が大きく変わったことに、ヒスティは驚いていた。

「わぁ、外はあんなに地味だったのに、中はこんな風になっているのね……!」

「ヒスティ、まさかあなたが来てくれるとは思わなかったわ。あたしの友達の中で、一番の引っ込み思案だから、てっきり来てくれないかと……」

 ベラがそういうと、ヒスティは恥ずかしそうに笑った。

「勿論、すっごく悩んだわ。だって、け、穢れの日の道具なんて……見たことも聞いたことも、考えたことすら無かったもの。でも、そんな夢みたいな道具、あったらどんなにいいだろうって、今日一日、そのことで頭がいっぱいで……夫には内緒で来ちゃった」

 ぺろりと舌を出すヒスティに、皆つられて笑顔になる。特に倫は胸がはち切れそうなほど嬉しくて、早く自信作のバンビを紹介したくて堪らなかった。

 すると、ベラがくすりと笑って、倫の肩を抱くと、いたずらっぽくウインクした。

「ヒスティ、紹介するわね。この子がリーダーのリンよ。なんだか既に説明したくて仕方ないみたいだから、是非聞いてあげてね」

「まぁっ、じゃあお願いするわね」

「ちょっとぉ、そういわれるとなんか恥ずかしいって!」

 照れながらも、倫はヒスティをテーブルの前に案内すると、バンビを手に取りながら、使い方、性能、洗い方など、何度も頭の中でシミュレーションした説明をした。

「凄い……こんなに小さいのに、そんな機能が詰まっているのね。それに、こんなに沢山の魔法付与布を使った商品は初めてだわ」

「そうなんですよ! なんたって、うちの内職魔術師と職人はとっても優秀ですから!」

 バンビを手に取って感心しているヒスティに、倫はまるで自分の事のように胸を張って自慢する。ベラとハンナは、それを一歩離れた所で、微笑ましそうに見守っていた。

「まず使用感を試したいということでしたら、単品での購入がおすすめですが、三個まとめて買ってくだされば、本来であれば銀貨三枚の所を、銀貨二枚と半銀貨五枚に値引きしますよ!」

「あら、そうなの。でも、どうしようかしら……」

 値段を聞くと、ヒスティは悩ましそうに口を噤んだ。それは無理も無く、いくら値引きをするといえど、平民の平均月収は決して高くなく、中々手を出せるものではない。

 ヒスティは、暫くバンビを手に取って黙っていたが、やがて顔をあげると、単品の方ではなく、三個セットの方を手に取った。

「決めたわ。私、この三個の方を買います」

「えっ、本当にいいんですか?」

 倫は思わず声が大きくなる。ヒスティは頷いて、まるで期待に胸を膨らます少女のように、バンビを見つめた。

「だって、これは長く使えるものなんでしょう? なら、どうせ一つじゃ洗って使いまわせないんだから、値引きしてもらえるセットを買った方があとあとお得じゃない。今日はこの為にへそくりを持ってきたんだから!」

「……ありがとうございます!」

 倫は深く頭を下げてお礼を言い、ベラとハンナも、ヒスティの勇気を讃えるように手を握ってお礼を言う。ヒスティは照れくさそうに笑うと、お代を受け渡して紙袋に入ったバンビを胸に抱くと、最後に、

「ここに来たことは、誰にも言わないでね……!」

 と念を押して、そそくさと帰っていった。

 テントの中でヒスティを見送ると、三人は目を合わせて、歓声をあげながらハイタッチを交わした。


 すると、ヒスティという第一陣が来たのを知ってか知らずか、次週には三人、二週間後には五人、三週間後には十人と、訪れる女性達がどんどん増えていった。

 お試しとして単品で買って行く人も居たが、大体は値引きという言葉に釣られて三個セットの方を購入していき、このまま客が増えていけば、生産が追い付かないかもしれないという、想定外の嬉しい悲鳴があがる程だった。

 そして、来る客の殆どが、帰り際に口止めをしていくので、倫達は急遽「私達はあなたの秘密を守ります」と書かれたカードを制作し、会計時に配ると、皆安心した顔をして帰っていった。

 やはり、穢れの日などと呼んで不浄視し、避けて嫌っていても、女性にとっては生きていれば必ず訪れるものだ。皆口を閉ざしていても、きちんと関心を持っていることが分かって、倫はそれが、何より嬉しかった。

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