6-7
後日仲間と集まった際、倫が布ナプキンの名前の事について話すと、皆揃いも揃って首を傾げた。
「確かに、よく考えてみれば、今まで名前を付けてこなかったね」
「でも、名前って言われても……何がいいかなんて考え付かないわ」
アリアとアーニャが顔を合わせて困ったように眉を寄せるが、リアンは納得した様子で呟いた。
「そういえば、名前が決まっていないから、今まであれだのそれだのこれだのと、皆明言を避けていた節があるな。今後の事も考えて、きちんと定めておくべきだろう」
「悔しいけど、これはクローデンスの言う通り。いくら商店街の端っこだからって、売るからには、ちゃんとした商品名が無いと!」
そう意気込む倫の様子に、アーニャが問いかけた。
「リンは何か考えているの?」
すると、倫は照れくさそうに笑った。
「えへへ……実はね?」
「なんだい、もう考えてあるなら先に言っとくれよ」
「だってさぁ、皆が考えたやつの方がセンス良かったら、なんか恥ずかしいじゃん」
「ねぇ、いいから早く教えてよ~」
アリアに言い訳をしているとベラに急かされて、倫は咳払いを一つすると、皆に見守られながら発表した。
「あたしが考えた商品名はねぇ……〝バンビ〟なんだけど、どう思う?」
「……バンビって、初めて聞いた言葉だけど、どういう意味だい?」
皆は聞いたことが無い様子で、不思議そうな顔のアリアが問い掛ける。その質問に、倫はしどろもどろになりながらも、なんとか答えた。
「えっとね、バンビっていうのは……あたしの生まれ故郷に伝わる童話に出てくる、小鹿の名前なんだ」
「へぇ、君の生まれ故郷には、そんな童話があるのか。俺は初めて聞いたな」
「う、うん。えっと、なんでこの名前かというと、あたしが王都に来てからずっとお世話になっている小鹿亭から名前の由来を貰いたかったのと、あとは、小鹿みたいに軽やかに飛び跳ねても快適に過ごせるように、って意味合いで付けてみたんだ。……どうかな?」
顎を引いて、様子を伺うように皆を見る。すると、アーニャが喜びに満ちた表情で言った。
「リン、その名前素敵よ! うちの店の名前を由来にしてくれるなんて、とても嬉しいわ!」
「そうだね、道具に込められた思いもちゃんとあって、いい名前じゃないか」
続けてアリアも微笑んで、それに賛同するように、皆が笑顔で頷いてくれる。倫はほっと胸を撫でおろすと、笑みを浮かべた。
「皆が気に入ってくれたみたいで良かったぁ。じゃあ、これからの正式名称は〝バンビ〟で決定ね!」
倫が宣言すると、誰が始めたわけでもなく拍手が沸き起こる。名前が付いたことにより、倫は、新たなスタートを切るのがますます楽しみになっていった。
* * *
「ねぇ、名前を書きなおしたら、あとは紙飛行機にして、本当に空に飛ばすだけでいいの?」
「ああ、今は風も無いし、真っすぐ商会まで飛んで行ってくれるさ」
「そっかぁ。よーし、それっ!」
「おお、中々筋がいいな。これなら迷わずに飛んで行ってくれそうだ」
「本当かなぁ? あの紙飛行機、あたしの所に着くとき、絶対頭に激突してくるんだけど」
「それは……多分、クローデンスがわざとそう仕向けているぞ」
「はぁ⁉ くそぉ、あたしもクローデンスにぶつかれって念じればよかった!」
* * *
露店エリアへの出店は、各々の生活や生産能力を鑑みた結果、週に一回に決定した。
初の出店予定は来週に決まり、それまでの間、皆はバンビ制作や店の設営の仕方、友人たちへの宣伝など、やることも考えることも山積みで、気づけば一週間などあっという間に過ぎていった。
朝、商店街はすでに朝市が開催されており、新鮮な食材などを目当てに訪れる客たちをかき分けて行きながら、倫、ベラ、ハンナはようやく城壁前の設営場所に辿り着いた。
「はぁ、疲れた。ここまで離れていると、店の所に辿り着くのも一苦労ね……」
今日も気温が低いが、荷車を引きながらここまで歩くのはなかなかの重労働で、三人共額に汗を滲ませていた。
「だね……よし、とりあえず、設営始めよっか」
倫は息を整えると、持ってきた道具をその場に広げて、早速作業に取り掛かろうとすると、不意に背後から声を掛けられた。
「朝っぱらからご苦労なことだな」
その声は、倫にとっては嫌な思い出しか無い声で、思わずはじかれるように振り向いた。
「クローデンス! なに、どうしたの?」
後ろには灰色のコートを寒そうに着込むクローデンスが、相変わらず不機嫌そうな顔で立っていた。
「出勤前に、ついでに寄ってみただけだ。……所で、何故、お前の後ろにいるご婦人方に、こんなに睨まれているんだ?」
「えっ」
後ろを向くと、離れたところにいたはずのベラとハンナが倫の傍に寄ってきて、クローデンスに厳しい目つきを向けていた。
「……あなたが例のクローデンスなのかしら?」
「ふぅん、思ったより痩せてるのね」
ハンナとベラは、倫を守るように肩に手を置いて、クローデンスを見上げる。倫は、ベラとハンナに限らず、クローデンスに受けた仕打ちを彼女たちに包み隠さず話していたので、面識は無いにしろ、クローデンスの印象は倫と同じくらい悪く、そのため警戒しているようだ。
それにつられるようにしてクローデンスの表情が益々曇っていくので、倫は仲を取り持たなければと、慌てて口を挟んだ。
「あぁっ、ベラにハンナ、こちらが例のクローデンスだけど、今は目を合わせても噛みついたりしないから大丈夫だよ! だから落ち着いて!」
「おいお前、どんな説明してやがる」
「あたしが話したのはあくまで事実ですー。でも、今も意地悪ではあるけど、協力してくれてるから、本当に大丈夫だよ」
説明すると、二人は納得しきってはいないものの、矛を収める気になったようで、設営に再び取り掛かる。クローデンスは面倒くさそうに短く息を吐くと、倫に問いかけた。
「それで、随分荷物が多いみたいだが、設営はどうするつもりだ?」
「えー、教えてあげてもいいけど、じゃあ手伝って?」
「帰る」
「ちょっと嘘だってば、冗談通じないなぁ!」
倫は呆れた声色でそういうと、設営に加わり、慣れた手つきで支柱を立てていく。
「テント型か」
「そうだけど、他の露店とはちょっと違うんだ」
そういっててきぱきと作業を進めていき、テント生地を掛けると、ひとまず外側が完成した。
続いては内側で、天井に持ち運び用の魔法灯を提げると、灯りを灯し、正面以外の隅を囲うようにしてテーブルを置くと、その上にバンビを並べていった。
中はそれなりに広く、外側の暗い灰色のテント生地と打って変わって、内側は白をベースとした鳥柄模様のリバーシブルとなっていて、一気に明るい印象になった。
最後に、閉じられた入口の前に、小鹿の焼き印が押された看板を置くと、倫は満足げに頷いた。
「よし、出来た!」
「正面の入口は閉じたままなのか」
「そう、そこがポイントなんだ。普通は、テント型でも入口は開けておいて、中で何を売っているか分かりやすくするじゃん。でもうちは、あえて完全に閉じて、用のない人以外は入って来ないようにしてるんだ。外から見えない方が、お客さんもじっくり考えられるでしょ?」
「……へぇ、ちゃんと考えているわけだな。それで、値段は?」
「一つで、銀貨一枚」
「一つで外食三回分くらいってとこか。中々強気だな」
「これでも頑張った方なんだよ、布には全て魔法付与をしてあるから、材料費も馬鹿にならないし、皆のお給金のことだって考えなきゃ。でも、これ一つ買えば長く使える商品だし、まとめて買ってくれた人にはちょっと値引きするつもりだよ」
そう言い切ったあと、倫は少し不安げな顔をした。
「……ここまで頑張ってきたけど、お客さん来るかなぁ」
「来ねぇだろ」
不安を吐露すると、クローデンスがばっさりと言い切るので、倫は不安げな顔を泣きそうに歪めて、彼の腕を掴んで揺さぶった。
「ねぇ、ここは励ます所でしょー!」
「俺がそんなお優しい人間だと思ってんのか。大体、宣伝はちゃんとしてるのか?」
「宣伝っていうか、皆の友達にはこういうお店を開くから来てねって言ってもらってるよ。……そしたら怒り出した人も何人か居たみたいだけど」
「それは想定内だろ。俺が言いたいのは、最初は様子を伺って誰も来ないだろうが、その内一人や二人は勇気を出して買いに来るはずってことだ。女たちも表面上は避けているが、実際面倒ごとが楽になるものなら、是が非でも欲しいだろ」
「な、なるほど」
冷静な分析に思わず頷いていると、クローデンスが懐から懐中時計を取り出して、ぽつりと呟いた。
「……っと、こんな所で時間を潰してる暇はねぇ。俺はもう行くぞ」
白い溜息を吐いてクローデンスは踵を返すと、手をひらりと振ってその場を後にしようとする。
「そっか、わざわざ見に来てくれてありがとね」
灰色の背中に声を掛けると、クローデンスは振り向くことなく、歩きながら素っ気ない態度で言った。
「俺があそこまで大口叩いたってのに、お前らにコケられたら困るんだよ。だから見張ってるだけだ」
足早に去っていくクローデンスを見送りながら、倫は眉を下げて笑う。
素っ気ない言い回しがあからさまで、この男はひねくれてはいるが、優しさが無い訳ではないというのが分かり、倫は少しだけ、嬉しくなった。
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