6-3

 その日の夜、仕事終わりのクローデンスは、いつものように、行きつけの酒場で酒を飲んでいた。

 観光客や一見の客が中々入ってこない、入り組んだ路地の先にあるこの店は客が少なく、隠れ家としてぴったりで、騒がしいのが嫌いなクローデンスはよく利用していた。

 店の端には、男が椅子に腰かけて楽器を奏でていて、その緩やかなメロディを聞きながら、カウンターでビールを飲んでいると、背後からドアベルの音がした。

 わざわざ振り返ろうとは思わなかったが、足音が段々と自分に近づいてくるような気がして、嫌な予感がしたクローデンスは、ふと横を向いた。

「隣、いいか?」

「いいや、駄目だね」

 リアンはクローデンスに却下されて笑みを浮かべるが、特に気にすることなく隣に座った。

「結局座るなら聞くなよ」

「一応礼儀をと思ってね。マスター、エールをひとつ」

 カウンターでグラスを拭いていた中年くらいのマスターは頷いて、エールをそっとリアンの前に置いた。

 クローデンスは頭をがしがしと掻きむしりながら、心底うざったそうに聞いた。

「なんで俺がここに居るって分かった。まさか魔法でも使ったのか?」

「まさか、君の同僚に行きつけを聞いただけだ」

「……ちっ」

 舌打ちをして、クローデンスはビールを煽る。リアンがどんな用で来たのか分かっているようで、不機嫌が表情ににじみ出ていた。

「それでなんだ、あの女じゃ飽き足らず、今度は俺も口説きに来たのか? 悪いが、いくら女嫌いと言っても、男と寝る趣味もあるわけじゃないんでね」

 嫌味たっぷりに言うが、リアンはクローデンスがどういう性格なのかを知っているので、さして気にした風でもなく、話を切り出した。

「賢い君なら分かると思うが、昼の話の続きをしたいんだ」

「昼の話なら、アレでもう済んだだろ。ったく、あんなに酷い昼休みを過ごしたのは商会に入って初めてだ」

「まあ……リンも君も売り言葉に買い言葉で感情的になってしまったせいで、話が全く進まなかったのは残念だな」

 リアンはエールに口を付ける。

「君がどういう主義をしているのかは知っているが、理由は知らないし、聞くつもりもない。プライベートなことだし、そもそも聞いても答えてくれないだろう?」

 返事の代わりに、クローデンスは空になったグラスを、音を立てて置いた。

「そして、君の審美眼が本物であることも知っている。ただ、それが個人の主義で曇ってしまう所を見るのは、聊か悲しいんだ」

「おい、言いたいことがあるならさっさと言えよ。相変わらず回りくどい喋り方しやがるな」

「はは、手厳しいな。じゃあ本題に入らせてもらうが、君は、リンが持ってきたあれを見て、どう思った?」

「答える義理はねぇ」

 問いかけに即答されて、リアンは笑みを深めた。

「正直な所、俺は、君とリンの相性よりも、俺たちが持ってきたものを見て、君がどういう反応をするかの方が怖かったんだ。以前、仕事で一緒になった時、魔術師でさえ気づかない魔法付与のミスに、君だけが気づいたのを、俺は今でも覚えている。君はそれほど目利きが上手く、売れない品だとすれば真っ先に指摘したはずだが、あの時君は、ものを見せた時、何も言わなかった」

 クローデンスは、空いたグラスを弄ぶ手をぴたりと止めた。

「あの時既に、君はリンに対して攻撃的だったと思うが、その商品が半端なものだとすれば、それは彼女に対する一番の攻撃材料になっただろう。だが、君はそうしなかった。君は、これが売れる商品だと、一目見て分かったんじゃないか?」

「……マスター、おかわりくれ」

 空いたグラスをマスターに差し出して、クローデンスは低い声で言った。マスターが頷いて、グラスにビールを注いでいるのを眺めながら、リアンは続けた。

「君は馬鹿じゃない。これが画期的な商品だと、もうとっくに気づいているんじゃないか? それなのに、私情が邪魔をしているのが、俺はとても勿体無く感じる。君はもっと賢い人間のはずだろう?」

 クローデンスは黙ったまま、マスターが注いだビールを手にすると、一気に飲み干した。

「……帰る」

 そして、呟くと、背もたれに掛けていた灰色のコートを羽織りながら、ふらふらと出口へ足を向けた。

「もう帰るのか?」

「てめぇが居ると酒がまずくなんだよ。マスター、支払いはコイツにツケとけ」

 振り向きもせずに言い捨てられ、リアンはその背中に声を掛ける。

「気が向いたらでいい。もう一度、リンと話してみてくれ。俺は、君が最善の選択をしてくれると信じているよ」

 だが、クローデンスは一言も喋ること無く、酒場を出ていった。


 本格的な冬が訪れ、ミンデルンの石畳や屋根には、真っ白な雪が積もるようになった。

 倫は朝早くに目を覚ますと、アリアに貰った手作りの温かいケープを身に纏って、扉前の雪かきを始めた。

「ううー……風が顔に当たって冷たいというか、むしろ痛い……」

 強風というわけではないが、顔を通り抜ける風がとても冷たく、顔や耳に、痛みにも似た感覚がじんじんと広がっていく。

「さぶさぶ……あぁ、早く終わらせてアーニャの温かいスープ食べたいなぁ~……っていたぁ⁉」

 必死に手をこすり合わせてから、スコップを持ち上げて雪を払っていると、突然、後頭部に蜂に刺されたかのような鋭い痛みと軽い衝撃を受けて、短い叫び声をあげた。

「な、何⁉ 蜂⁉ 今冬だけど⁉」

 頭を押さえながら周りを見渡すと、ふと顔に影が落ちた。

 見上げると、紙飛行機が、着陸場所を探しているように、頭上をくるくる飛んでいた。明らかに、風で飛ばされたような自然な動きではなく、商会で見たような、魔法によるものだとすぐわかった。

「なにこれ、もしかしてあたし宛て……?」

 呟いて、掌を差し出すと、紙飛行機は意思を持っているかのようにするりと高度を下げて、綺麗に着地した。途端、ぴくりとも動かなくなった紙飛行機を手に取って、紙を広げると、そこには一言だけ書かれていた。

「えーっと……〝もう一度チャンスをやる。今日の昼、以前の部屋で待つ〟……クローデンス」

 多少突っかかりながらも書かれた文字を読み上げると、最後に嫌な思い出を蘇らせる名前が書かれており、倫は顔を顰めた。

「何コイツ、なんでこんな上から目線なわけ? てか、チャンスって何よ、あたしはもうあんたの顔も見たくないっての!」

 気分が悪そうに一人吐き捨て、勢いに任せて紙をぐしゃぐしゃと丸めようとすると、その瞬間、名前の下に、今まで無かった緑の文字がじんわりと浮かびあがった。

「うわっ、なに……これも魔法? ええと……〝逃げるならそれでいいがな〟……」

 淡々と書かれているようで、煽りと嘲りがふんだんに含まれた一言に、倫はぐしゃぐしゃと力任せに紙を握りつぶすと、額に青筋を立てて息巻いた。

「な、に、が逃げてもいいがな、だよ……! いいよ、やったろうじゃん。最初あたしを無下にしたこと、絶対後悔させてやるから!」

 最早紙の塊となった手紙を握ったこぶしをぶるぶると震わせながら、倫は怒りとリベンジに闘志を燃やした。

  

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