裸眼のあいつ

布施鉱平

裸眼のあいつ

 私には、変わった友人がいる。


 誰にだって一人くらいは、風変わりな友人が居るのかもしれないが、私の友人は特別に変わった奴だった。


 その友人は目立つのが好きで、人と話すのが好きで、知らない人とでもすぐに仲良くなれる。

 そんな奴だった。


 ここまでなら、明るくて社交的な普通の人間に思える。

 けどあいつには、ひとつ問題があった。


 目が、ものすごく悪いのだ。


 どれくらい悪いのかというと、三十センチより先の世界は、全てモザイクがかかって見えるくらい(本人談)に悪いらしい。


 それなのに、外では決して眼鏡をかけたり、コンタクトをつけたりしないのだ。


 家にいるときはちゃんと眼鏡をかけているのに、外に出るときには、必ず外してから出かけるのである。


 最初、私は眼鏡をかけている姿を人に見られるのが恥ずかしいのかと思って、


「外に出るときは、コンタクトにしたら?」


 と言ったことがある。

 だが、


「目に直接何かを入れるなんて狂気の沙汰だ。そんな恐ろしいことはとてもできない」


 と言われてしまった。


「なら、危ないからやっぱり眼鏡をかけて出かけたほうがいいよ」


 と忠告しても、絶対に眼鏡をかけようとしない。


 だからあいつは人と話しているとき、相手のことを『声を発するぼんやりとした何か』くらいにしか見えていない。


 誰なのか識別するのは、全て声で判断しているらしい。


 おかしな奴である。


 声で人が識別できたところで、日常生活に支障があるくらい目が悪いことには変わりないのだ。

 私がそのせいで、何度巻き添えを食ってきたことか。

 

 一緒に歩いていても、いつの間にか知らない人について行ってしまうので、私は目を離すことができない。

 足元の段差に気づかず、派手に転倒するあいつに巻き込まれたことも、一度や二度ではない。

 

 もちろん私は、その度に何度もこのセリフを言った。


「いい加減、眼鏡かけたら?」


 だがあいつははぐらかすばかりで、外では一向に眼鏡をかけようとしなかった。

 

 いつか、外で眼鏡をかけさせてやる。

 私は、そう心に誓っていた。



 ◇



 そのチャンスが訪れたのは、あいつの誕生日だった。


 私は、あいつと私の共通の友人を何人か誘って、外でパーティーを開くことにした。

 河原での、バーベキューパーティーである。


 その最中に、なんとしてもあいつに眼鏡をかけさせてやるのだ。

 友人たちも、もちろんグルだった。


 みんなあいつのことが好きだが、もっとも近しい私が、常日頃からあいつ迷惑をかけられていることを、誰もが知っていた。

 

 バーベキューの準備を友人たちに任せて、私は作戦を練ることにした。

 口元に薄く笑みを浮かべながら作戦を練る私は、傍から見ればかなり危ない奴に見えたことだろう。


 暗い情熱を心に宿し、どうやって眼鏡をかけさせてやろうかと、私は必死に考えた。


 そして、当日。


 運良く天気は快晴で、夜まで崩れることはないという予報だった。


 誕生日のバーベキューパーティーを企画したと伝えたら、あいつは大喜びでついてきた。

 もちろん、眼鏡はかけていない。


 バーベキューパーティーは何事もなく進行し、最後にケーキが出てきた。

 歳の数だけロウソクが立っている、大きなバースデーケーキだ。


 みんながクラッカーを手にして、あいつが火を吹き消すのを待っている。

 スマホで撮影の準備をしている奴もいた。


「せっかくだから、これを着けなよ」 


 私は、パーティーグッズの『鼻眼鏡』を取り出して、あいつに見せた。

 もちろん、ただの鼻眼鏡ではない。


 度入りの鼻眼鏡である。


 この鼻眼鏡を用意するために、私はかなり時間をかけていた。

 

○ステップワン:あいつの持っている眼鏡をこっそり盗み出し、同じ度数の眼鏡を作っておく。

 ちなみに、眼鏡の購入資金は自費だ。

 

○ステップツー:それとは分からないように、自然な鼻をつけた。

 

○ステップスリー:渡すときにわざとらしくならないように、何度も練習を繰り返した。


 最後のは鼻眼鏡にかけた手間というより、作戦自体にかけた手間だが、こうしてこの鼻眼鏡は完成したのだ。


 そして、罠はあいつの性格まで考慮した上でたてられている。

 目立ちたがり屋のあいつのことだ、鼻眼鏡を渡されれば、笑いを取るために必ずかけるに違いない。


 決行の時は来た。

 

 私は黒い下心を隠しながら、自然な笑顔で鼻眼鏡を差し出した。

 

 練習に練習を重ねた私の演技が功を奏したのだろう。

 あいつは、照れくさそうにしながらも、鼻眼鏡に手を出した。

 そして、なんの疑いも持たずに、それを装着した。


 よく似合っていた。


 あいつは一瞬不思議そうな顔をして、私を見た。

 それから、ほかの友人たちも見回した。


 さあ、何が起こるんだ。


 私たちは笑みを浮かべながら、あいつを見守った。


 十秒、二十秒…………しかし、特に変化は見られない。

 

 一体何で、あんなに眼鏡を嫌がっていたのか。

 大枚はたいて、結局分からないままなのか……。


 そう思ってまじまじと見ていると、突然、あいつは茹蛸ゆでだこみたいに真っ赤になって、座り込んでしまった。


 膝を抱えたまま、顔を伏せて細かく震えている。

 

 何が起こったのかよく分からないが、尋常ではない様子だった。


「大丈夫?」

 

 さすがに心配になって私が声をかけると、あいつは無言で首を振った。

 そして、何かをぼそぼそと呟く。


「なに、いま、なんて言ったの?」


 顔を近づけて、なんとか声を聞き取ろうとした。


「……か………い……」


 肩に置いた手から、振動が伝わってくる。


「ん、なに?」


 さらに顔を近づける。もう、肌が付きそうな距離だ。


 顔は耳まで真っ赤で、熱いと感じるくらいの熱を発していた。


「ほら、もう一度言って。もう、こんなことしないから」


 そう言った私の問いかけに、


「恥ずか、しい……」


 あいつは消え入るようなか細い声で、そう答えた。


 私も友人たちも、どう反応していいのか分からなかった。




 ◇



 あの誕生日の一件で、ようやくあいつが外で眼鏡をかけない理由がわかった。


 あいつが眼鏡をかけないのは、極度のあがり症&赤面症のためだったのだ。

 

 眼鏡をかけた自分を見られるのが恥ずかしいのではなく、眼鏡をかけて、相手の顔がはっきり見えてしまうのが恥ずかしい、というのである。


 舞台俳優なんかが観客を前にしてアガってしまう時、観客の顔をジャガイモだと思って乗り切る、なんてのはよく聞く話だが、あいつのもそれと同じようなものだった。


 眼鏡を外して、相手の顔がはっきり見えない状態なら、何も気負うことなく、堂々と振舞うことができる。

 しかし、はっきり見えてしまうと、途端に相手の視線が気になって、何も考えられなくなってしまうのだという。


 普段が目立ちたがりなやつだっただけに、そんな性癖があるとは思ってもみなかった。


 なんだ臆病なやつだな、とあの日集まった友人たちは笑っていた。

 

 でも、私は思う。


 あいつほど極端な人間はそうそういないだろうが、みんな、だれしもそういうところがあるんじゃないだろうか。


 人と話すとき、目を合わせない人がいるが、それも結局は同じことなんだろうと私は思う。

 

 別にやましいことがあるから、目を合わせられないわけじゃないのだ。

 相手に自分がどう思われているか、相手の目に自分がどう映っているのか、それを知るのが怖いのだ。


 あいつは眼鏡をかけないことで、それを乗り越えていたんだろう。

 

 それが分かってから私は、眼鏡かけたら、と言うのをやめた。


 だが、あいつの方には内面に少し変化があったみたいで、今では時々外でも眼鏡をかけている。

 ……といっても、裸眼よりはいくらか輪郭が分かるという程度の、度の合っていない眼鏡だが。


 結局人を間違えたりつまずいたりはするので、出かけるときは殆ど私と一緒だ。


 今日も私は、あいつと一緒に街に遊びに出ていた。

 

 あいつのバッグの中には、その度の合っていない眼鏡が入っている。

 だから、今のあいつは眼鏡をかけていない。

 

 本人曰く、徐々に慣らしていくつもり、だそうだ。


 それはもちろん、いいことだと思う。


 でも、私はすこし複雑な気持ちだった。

 

 世界がはっきり見えるようになったとき、あいつは、ぼやけていた世界の時と同じように、自分をさらけ出して生きていくことができるのだろうか。


 乗り越えなければいけない壁は、何枚もあるように思う。

 だから私は、心を鬼にしてあいつに試練を与えるのだ。


 私は、あいつがよそ見をしている隙に、バッグの中に手を突っ込んで、眼鏡ケースを取り出した。

 そして中身をちゃんと度のあったものにすり替えると、バッグに戻す。


 あくまでも、あいつの為を思ってやることなのだ。

 

 決して、顔を赤らめてうずくまるあいつを、もう一度見たいからではない。

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