第14話 覚醒

 久我 愁弥くが しゅうやは聴く。

 

 薄れゆく意識の中で2つの声を。

 

 全身が斬り裂かれ、本来なら激痛が彼を襲っている筈なのだが、この身体は最早麻痺しているのか痛みを感じなかった。只、その声だけは聴こえた。何処からともなく2つの声が。

 

 最初に聴こえたのは、美しい声だった。耳に頭に響く透き通る様な不思議な声だ。けれども、今はとても悲しそうに響いた。

 

 『愁弥! 何故だ! なぜ私を呼ばなかったのだ! 愁弥! 言うたろうっ!? 私を呼べとっ!』

 

 (……レイ……ちゃん……?)

 

 戦いの女神レイネリスであった。その声が聴こえた時、彼は少しだけ笑ったのだ。

 

 そしてもう1つの声が直ぐに響いた。頭に耳に…そして心に。

 

 『愁弥、いま行く、直ぐに傍に行くから。』

 

 まるで耳元で囁いているかの様に響く。

 

 (瑠火るか………。)

 

 疑うことなくそう思った。優しく響く声に。

 

 美しく凛々しく、それでいて直ぐにカッとなって怒るし、何処か無邪気な所があって無防備で、見ていて危なっかしくてヒヤヒヤする純粋無垢な人……、最初は確かに一目惚れに近い感情だった、顔がどタイプだった。

 

 けれども今は………。

 

その声を聴いて彼はまるで眠りにつくかの様に、自然と目を閉じていたのだ。 

 

✢✢✢✢✢✢

 

 さっきまで地響き、地揺れが続いてこの塔全体がまるで揺れているかの様であったが、不思議な事にぴたり。と、止んだ。

 

 土職人ドワーフカプノスはその状況を確認する暇も無く、自身の両刃の斧を自然と降ろしていた。たった今迄、強く感じていた怒り、悲しみ、そして“闘争本能”それらが降ろした腕と同じ様に、心からすぅっとぬけていたのだ。脱力感に近い感覚であった。何故なら……。

 

 ふわり、ふわり、目の前で浮いているのは人間なのか? それとも? などと考えつつも只、その背に生える美しい両翼。ばさっ、ばさっ、と、自身の目の前でそれは大きく広がり羽ばたく。

 

 何よりも目を惹くのはその輝きだ。虹色の光が両翼を覆っている、いや細身でいて小柄な少女の全身を覆っている。まるで自ら発光しているかの様に。けれどもカプノスにはその彼女の全身の光よりも、大きな両翼の光に目が奪われていた。少女の身体など包んでしまう程、大きな翼だ。

 

 虹色の光を輝かせ羽ばたく翼、そして自身よりも高い所に浮く身体。その両手に握り締める双剣。彼女の持つ双剣はとてもシンプルな物で、短剣とは少し違う。形状が刀、小刀に似ているのだ、柄も握りやすそうなグリップ形式で、装飾など何ら施されていない。戦う為だけにある刃物、それである。けれど、短剣よりもやはり長さはある、不思議な剣なのだ。

 

 それ以外特に変化はない、ブラウンのニーハイブーツを履く細く長い両足も見える、黒い布地のミニスカートの様なものを履いた細身の腰元もしっかりと。更に両翼の生えた背には彼女が纏うブラウンのマントも。

 

 「瑠火殿か?」

 

 カプノスは聴いていた、いや背を見ているのだからその髪色を見ればその答えなど直ぐに出るのだが、それでも彼は聴いた。すると、少女は振り返る。

 

 さらり。と、流れる黒髪。けして長くは無い、肩まで掛かるか、掛からないか程度の前下がりのボブヘア。シースルーバングは、目元まで少し掛かる程度の長さだ、そこから見えるのは美しく煌めく宝玉、真紅のルビーを思わせる輝きを放つ眼だ。

 

 カプノスはその瞳を見つめる。そして届く、少女にしては少し低い中性的な声が。

 

 「カプノスさん、大丈夫?」

 

 彼女は笑ってはいない、けれど、優しくて穏やかな声は響いた、まるでカプノスの頭の中に直接、語りかけるかの様に。

 

 「あ……ああ、ワシは大丈夫じゃよ。」

 

 何故か狼狽えていた。ドッドッドッ…心臓が煩く激しく鼓動を放つ。けれどもそれが何の感情から湧くモノなのかは解らない、身体は正直なもので感情が追いつかなくても教えてくれていた、自身の心臓は激しい鼓動で教える。

 

 カプノス、お前は今、限りなく緊張に近い状態にあると。

 

 (緊張じゃと? このワシが?? いや……しかし、近いその感覚に、この少女を前に、ワシは今……緊張しておる…のか?…、何故じゃ? この感覚は……、恐怖? せぬ。)

 

 自身の身体の答えに問うが答えは出ない。更に届く、少女の声が。

 

 「そう? 良かった。」

 

 くすっ。と、優しげに笑う。

 

 ドクン…鼓動が1つ、跳ね上がった。ドッドッドッドッドッ…鼓動が激しく鳴り響く。ようやくカプノスは理解した。

 

 (“緊張”じゃ。コレは。この感覚は……圧倒的に自身よりも強大な力を持つ敵を前にし、死を直ぐ近くに感じる緊張とは異なる、それとは違い……“逆らえない、抗えない”その感情から来る緊張じゃ……、この者は“何者”じゃ? 何よりもこんな大きな翼を持つ人間など見た事も、聴いた事も無い。)

 

 瑠火は前を向いていた、自身の事は見ていない。それでも緊張の鼓動は止まらない。カプノスはその後ろ姿を見ていた、いや只眺めていたに近いだろう。何故なら彼の脳内は巡っている、自身の感情の正体を探る為に。

 

 (……月雲の民ではないのか? 伝承でも聴いた事がないぞ? 解らぬ……、ワシの記憶では理解が出来ぬ。)

 

 「酷い状況の様だね? ああ…“カプノス”さん。」

 

 ビクっと身体がわかり易く跳ね上がったのだ、更に鼓動も激しく鳴り響く。まるで、“圧倒的支配者”を前にしているかの様に。それは、身も心も己の生涯そのものを、目に見えて解る様に掴み取られている感覚だった。

 

 名を呼ばれただけで。

 

 「な……なんじゃ?」

 

 声が震えていた。初めてだった、強大な力を持つ敵を前にしている訳ではないのに、只の人間の自身から見て可弱く映る少女を前にしてるだけなのに。その者が放つ優しい声で名を呼ばれただけなのに。

 

 名を知られていると言う“恐怖”を彼は初めて知った。

 

 「私の仲間が傷ついているみたいだけど? アレは……“氷憐ひれん”だよね? ったのは。」

 

 ビクっ……またもや跳ね上がる、身体が。ドッドッドッドッドッ、鼓動の激しい脈打ちも最早止まらない。緊張から来る身体のわかり易い連鎖の反応が止まらない。カプノスの脳裏に過るのは“速く終われ、この刻が。”であった。

 

 生か死かを問われ“審判”を待つ気分であったのだ。

 

 「あ……ああ、そうじゃ……お主と同じ民…、月雲の民の生き残りじゃ。」

 「それは知ってる。」

 「え?」

 「姿を見れば解るし、私は彼に会っている。」

 (は?? 何と?)

 

 カプノスが酷く驚いた時だった。ふわりと、瑠火の身体が少し浮く、するとばさっ、ばさっ、虹色の両翼を羽ばたかせ彼女はそこから、飛び立ったのだ。

 

 ゴトン!

 ガシャン……。

 

 その瞬間であった。両刃の斧が手から落ち地面に転がった、また、自身の身体は酷く脱力し崩れ落ちる様に地に膝をつけた。カプノスはわかり易く地に両手を着き、四つん這い状態だった。

 

 (疲れた……、何なんじゃ? この感覚は……感じた事の無い疲労感、脱力感……戦ってもないのに……、解らぬ、こんな者にはおうたことがない、この世界にこんな者が潜んでおったとは……。)

 

 ✢

 瑠火が舞い降りたのは鮮血の海の中に倒れ臥している愁弥の元であった。ばさっと1つ翼を羽ばたかせるとその翼は止まる、折り畳む訳ではなく翼は広げたまま、ふわりと愁弥の俯せで倒れる身体の脇に降り立ったのだ。

 

 彼女の真紅の瞳はその近くに転がる蒼い神剣に目が行く。片手剣と呼ばれるモノであり、刃の長さは通常よりも長く長剣に似て刃も大きい。それは愁弥の手にある時は、蒼く美しく宝石の様に光り輝く剣であるが、今はその光を失い刃は白い石の様になっていた。まるで、“主”を喪失し光を無くしたかの様である。これでは剣としては役に立たないであろう、完全な置物である。

 

 「お前……瑠火か?」

 

 彼女はその声に反応しない、愁弥の身体の傍にしゃがみ両膝を地に着けた、愁弥と瑠火の少し前に居る黄金騎士氷憐の声である。彼は瑠火同様に黒髪に真紅の眼をしている、その瞳は小さくなり彼女を驚いた様子で見ている。

 

 全身を酷く切り裂かれ、何処から血を流したのか解らない程に傷つけられた愁弥の身体を見つめ、瑠火はその身体を抱き起こした。彼の肩を掴み腰元から腕を通し俯せの身体をぐるりと、反転させて地に仰向けに寝かせたのだ。大きな身体だ、彼女の小柄な身体からすると。彼女の手が離れる。

 

 瑠火は愁弥の身体を眺める、酷く憂いた眼で。長い手脚までも傷ついていた。彼の着ている白い厚手のシャツも紅く染まっていた。更に、顔も傷がついていて誰だか解らぬ程に切り刻まれていた。咄嗟に庇ったのか、両眼だけは無事だった。鮮血に塗れたその顔を瑠火は眺める。

 

 「愁弥……こんなに傷ついて……。」

 

 憂いた眼で見つめ優しい声が響く。瑠火は愁弥の顔の傍に手を着き身体を屈めると血だらけの彼の顔に近づける。自身の顔を。

 切り裂かれて傷のついた唇に近づける、自分の唇を。

 

 「愁弥、“覚醒めざめて”。」

 

 瑠火は囁くと愁弥の唇に唇を重ねた。それは文字の通り“口づけ”であった。

 

 それを驚いた様に眺めているのは氷憐だ。

 

 (何だ? この女の身体は? 虹色の光を放つ両翼? 人間なのか? 翼だけ生えてて後は変わったとこは無いが……こんな姿をした人間は見た事がない。)

 

 だが氷憐のその眼は更に驚きを増した。口づけをしている瑠火の身体と愁弥の身体が、虹色の光に包まれたのだ。カッ! と、その光は強くなった。色濃く虹色の光が強く放たれ辺り一面を覆ったのだ。

 

 「!」

 

 氷憐は腕で眼を庇う、余りにも眩しく強い光だった。失明しそうな程の。腕で庇う様にしながら彼は動向を伺う、2人のその後を。

 

 瑠火は愁弥から唇を離し、虹色の光に包まれながらまだ同様にその光を放つ彼を見つめながら身体を起こし座る。ぺたんと、地に。愁弥の左手を掴むと自身の胸元まで起こし握った。両手でぎゅっ。と。

 

 「愁弥、覚醒めざめて。私の愛しい人、まだ死ぬ時じゃない。」

 

 彼女は愁弥の顔を見つめながら囁く様にそう言った。色濃く虹色の光が放つ中、愁弥の身体から目に見えて解る様に傷が、血が消えて行く。

 

 「は??」

 

 氷憐はその状況を見つめ声を発していた。

 

 (“生還”させる気か?? バカなっ! 俺の“力”は絶対的な死を与える力だ! この世界で罪を犯した人間が堕ちる“冥門ダークプリズン”に、確実に逝かせた筈だ!)

 

 けれども、氷憐の思考とは裏腹に、虹色の光に包まれた愁弥の身体が起き上がったのだ。

 

 瑠火は目の前でむくり。と、起き上がった愁弥を見つめていた。もう既に彼の身体はすっかり癒えて傷ついた服ですら綺麗に整っていた。目を閉じたままの彼は光の中でその目を開ける、ゆっくりと。

 

 愁弥の顔が瑠火に向く。

 

 「瑠……火……?」

 

 酷く驚いた顔をした彼に瑠火は微笑む。

 

 「お還りなさい、愛しい人。」

 

 2人の身体は虹色の光の中だった。

 

 

 

 

  

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