半透明と「魔法少女」

アキダカ

透き通る日常

 跳んだ。

 ビルからビルへ、難なく飛び移る。簡単だ。

 恐怖心なんて無い。でも最初はやっぱり、ちょっぴりの勇気は必要だったけど。

 ミルキーピンクのパンプスが、次のビルの屋上へ。この町の夜景には飽き飽きしていたけど、上から眺めれば案外綺麗なものだと、知っているのはたぶん、私だけ。

 高台の小さな展望台のてっぺんに着地。あ、これじゃ着地とは言えないかな?

 じゃあなんて言おう?でも、今の私にとってはどんなに高いところでも足がついたらそこが着地点だ。

 まあいいか。細かいことなんて気にしない。楽しければそれでいい。

 「相変わらず派手だよね」

 私の肩に乗ったうさぎが言う。

 「誰にも見えてないんだもん、いいでしょ」

 「そりゃ、そうだけど」

 ぱしゃ、と水音。降りたコンクリートのビルの屋上は、先日降った雨が微妙に乾ききらず、水たまりを保持していた。

 私の魔法があれば水や泥が跳ねたって、平気。フリルが連なったパステルカラーのスカートは汚れ知らず。

 「それを防いでるのは私のおかげだけどね?」

 うさぎ─私はこゆきと勝手に名付けて呼んでいるのだが─が私の考えを読んだようで、不満げに付け足す。

 「いいでしょ、私は魔法少女なんだから!」

 少女らしくぷうっと頬を膨らませて見せる私に、こゆきは黙って溜息をついた。

 満月は私のスポットライトで、華やかな私の衣装を輝かせるべく照らしてくれる。

 グリッターを撒き散らしたような夜空。こゆきは「田舎の夜空だし、こんなものでしょ」とつまらなさそうに言うけれど、私にとっては宝物。もしも裁縫ばさみで切り取れるものなら、すぐにでもお気に入りの宝石箱にしまって、眺めていたい。

 水たまりに振り返って、鏡代わりに身だしなみを確認する。

 痣のたくさんあった浅黒い肌は、絵本のお姫様みたいな白い肌に、

 臭いと言って乱雑に工作はさみで切られた黒い髪は、お日様に愛されたかのような金髪に、

 ご飯を食べさせて貰えなかった分伸びなかった身長は、普通の女の子より少しだけ高めの身長に、

 変えてもらった。これも実は、こゆきのおかげ。

 「もう、感謝してるってば。」

 「それはどうも。ねえ、ところで」

 こゆきが消しゴムみたいな小さな前足で、下方を指し示す。ビルの上から見下ろせる十字路の先、北に面する通りの踏切のそばに、真っ黒なもこもこと蠢く何かが居た。

 人の形を留めようとして、ぼろぼろと、砂で作った脆い城のように崩れては、また必死に人の形を目指し蠢く。一連の動きを繰り返しながら、時折踏切を渡る車に近づこうとして、素早く走り去る車に驚いたように脆い全体を竦める。

 「分かってる。出番だね」

 ビルから踏切近くのアパートの屋上へ、跳んだ。

 次に線路沿いの小さな公園に跳び移る。

 心もとない街灯が照らす公園と線路。ふと視界の端に、三十センチほどの木の枝を見つけた。小さな男の子が気に入りそうな、太く頑丈そうな枝。

 真っ黒なもこもこを、私はヴィランと呼んでいる。これは最近、隣町の魔法少女の子に教えてもらった言葉で、悪者という意味らしい。

 ヴィランとの距離は大体、二十メートル。

 脆い全体から恐らく手を出したつもりなのか、関節の概念すら知っていないような腕をにょきりと車に近づけることに必死で、こちらにはまったく気づいていない。

 今がチャンス。私は枝を手に取って、頭上に掲げ、真上にぶんぶんと弧を描くように振り回した。

 蛍のような淡い光が、枝のもとに集まり輝きだす。

 淡い光を吸い込んで、枝全体が、輝きだした。

 これがこゆきの、そして私の魔法の力。転がっていた枝は、あっという間に魔法のバトンになった。

 「見た目は枝のままだけどね。魔法で力を帯びただけ」

 「もう!こゆきってほんと、ロマンがないのね」

 「いや、私はこゆきじゃなくてウジガミだって何度も…おっとまずい」

 声に気づいて、ヴィランがこちらを振り向いた。ぼろぼろ、今も崩れ続ける全体は、人間の頭部を模したらしい部位にぽっかりと大穴を開けた。口、のつもりらしい。

 「えいっ」

 私は精一杯の力で枝を投げた。

 びゅんびゅんと回転しながら、大口を開けたヴィランの喉元に吸い寄せられ、

 音もなく食い込んだ。

 蒸気船の汽笛に似ていなくもない、何とも歪な叫びがこだまする。

 私がちょっと指を動かすと枝のバトンはまた回転し、勢いよく手元に戻ってくる。

 一撃必殺、とはいかなかった。ぐらり、バランスを崩しかけ、さらに人の形から逸脱する黒い全体。先ほどより体が脆くなったのか、重力に耐えきれずぐしゃぐしゃと部位を零す。

 もう一度。私がまた枝を振り回す。枝に蛍が集まって、吸い込まれる。

 ヴィランは固体であることすら断念した様子で、溶けきる寸前のアイスキャンディーみたいに地面に広がって這いつくばる。執念で、腕の部位をこちらに伸ばした。

 まるで蛇が鎌首を上げたよう。液状の腕がこちらにハイスピードで向かってきた。

 私はぐっと両足を踏み込んで、横っ飛びに避ける。

 どしゃっ!液状の腕は無残に公園の地面にぶつかって崩れた。

 避けて着地した地点から、私はさらに力強く踏み込んで今度は真上に跳んだ。

 手に持った枝のバトンがさらに強く輝いて、真珠のような光の粒を纏う。

 ヴィランを真下に見据えて、渾身の力で投げた。

 乾いた音と共に、光の粒が飛び散る。

 ヴィランの液状の全体が枝が直撃した箇所を中心に、放射線状に衝撃が走り、飛び散る。

 私が線路脇のフェンスに降り立ったころ、光の粒とヴィランは跡形もなく消えていた。

 ただの木の枝のみが、何事もなかったかのように、ヴィランの居た場所に落ちていた。

 「お仕置き完了だね」

 私が鼻を鳴らして言う。こゆきは溜息をつく。

 「はいはい、お疲れ様」

 「今日は一段とイケてたでしょ?」

 「わかったよ。ねえ、それちゃんと戻しておきなよね」

 「もー、もっと褒めてくれたって良いじゃない」

 木の枝は魔法の力などなかったように、道路に転がっている。私は枝を拾うと、ほの暗い公園の元に落ちていた場所に戻した。

 踏切の鐘が鳴り響く。赤の点滅灯がぴかぴか揺らめいて、アパートの窓のいくつかに反射する。

 「終電だ」

 人気のない電車がごうごうと走り去っていく。何となく人数を数えてみる。片手の指で十分に収まる数だった。

 ふっと、私の脳裏を掠める記憶があった。電車と同じぐらい早く頭の中を駆け抜けていったそれは、たぶん私の生前の記憶で、どこか懐かしさと、胸の痛みも伴っていた。

 「忘れなよ。今の君には必要ない」

 こゆきが耳元で冷静に囁いた。私が何か思いだそうとしていたことを察したのだろう。

 「…ごめん、思いだしちゃった。ちょっとだけ」

 こゆきと出会って2年目だから、きっと3年前の記憶。

 初めての電車、人生2度目の遠出、真昼間の人気のない車両。

 テレビで見た遊園地に行きたいと言って、珍しく出掛けた。けれど楽しかったのはほんの僅かで、胸が張り裂けそうなくらい楽しみにしていた私は感情を抑えきれず、大きな声でお喋りをした。次にはっきり思いだしたのは同じ場所に同じ時、大人の握りこぶしが頬とお腹に強く強く当たって、痛かったこと。

 それからどうなったんだっけ。おうちに帰った?遊園地には行った?

 「そんなにいじめられたの?」

 はっとして振り返ると、視界は白い何かで覆われた。手ぬぐいだった。

 「ひとまず、拭きなよ」

 「…うん、ありがとう」

 いつの間にか、目の前にふわふわと宙を漂う、私より三つは年下に見える少女。

 肩まで艶やかに伸びる黒髪、紺色のシンプルな着物のお月ちゃん。彼女は隣町を長年守り続ける、私より先輩の魔法少女…

 「はいはい、退治人、ね」

 「良いじゃない、魔法少女でも…」

 「そのマホウなんちゃらが何か知らないけど、あなたが何を言おうと私たちの総称は退治人だしそのための力を与えてくれたのはウジガミ。ついでにあなたがさっき木の棒に込めていたのはマホウじゃなくて神力ね」

 「みんな、ロマンがないよね。やんなっちゃう」

 「退治人に、浪漫を求めてどうするの」

 「そうでもしないと、毎日つまんないの!」

 「こんなものでしょ、退治人って。ただでさえ生死の理から外れて今の世を謳歌させて貰ってるだけ感謝なさいな」

 「コトワリとかオウカとか言われてもわかんないよ。だいいち、可愛くない」

 「あなたの生きてた時代って、そんなに可愛さが大事だったの?」

 「女の子は可愛いし可愛ければ何にだってなれるの。日曜日の朝のテレビでそう言ってた」

 「てれび…テレビジョンのこと?随分お金持ちの家なのね。贅沢だこと」

 「タイショー時代はテレビ無かったの?」

 「あるにはあったわよ。ただ値段が高くって、庶民じゃ手が出せない代物だったの」

 「シロモノ…?ああ、お城にはたくさんあったってことね?」

 「え?ああ、いや…まあいいわ、似たようなものだし。全く、あなたが大人っぽいのは外見だけね。特に身長なんて欲張りすぎたんじゃない?まだまだおこちゃまなあなたには似合わないもの」

 「む、ひどい…お月ちゃんだって八歳のままじゃない」

 「そうね。でもあなたは子供。私はとうの昔に大人になっている。外見が変わっていないだけ。…やっと涙も引いてきたわね」

 お月ちゃんが手ぬぐいをフトコロにしまう。お月ちゃんは、時々生前の、足がすくむぐらいに酷く怖い記憶─トラウマと呼ぶらしい─を思い出してしまった時、いつの間にか私の前に現れては、慰めてくれる。正直、お月ちゃんはそこまで優しくはないし、寧ろ冷たすぎるくらいなのだけれど…でも、私を放っておくことはない。

 「思いだしたらいけないわ。折角、ウジガミが忘れさせてくれたのだから。違うことを考えなさい。」

 「うん」

 「私はそろそろ行くから」

 「え、まって」

 踏切を越えれば隣町、お月ちゃんが守る場所。お月ちゃんは長く長く魔法少女…退治人をやっているから、私よりずっと強力な神力を使える。本来、退治人は自分の守る町からは出られないけれど、お月ちゃんは有り余る神力で隣町までなら移動できる。

 と言っても、無理に長く居座りすぎると体が消滅してしまうらしい。私たちは肉体を持たない、普通の人間の目にも見えない幽霊みたいな存在。私たちが存在していられるのは、土地を守る神…ウジガミの力のおかげなのだ。

 踏切の反対側に、こちらを見つめる犬の姿が見えた。柴犬の姿になっている、お月ちゃんの町のウジガミ。ウジガミは、退治人と違って何があっても町を出ることはできない。

 「待たせているのだけれど…?」

 お月ちゃんが、踏切の傍で待つ柴犬に目線を送る。

 「あー、えっとあのね」

 お月ちゃんにお礼が言いたかった。でも何か、かっと胸が熱くなって、恥ずかしくなって、言葉が詰まる。どうしよう。

 視界の隅に展望台がちらついた。

 「朝日が一緒に見たいなって。どう?」

 展望台を指さして早口で言った。


 「確かに綺麗ね」

 お月ちゃんが言った。朝日を少し眺めるだけなら、消滅の心配はないらしい。

 「私たち、普通に登ってきたお客さんよりも高いところから見られるし、オトクだよね」

 「まあ、そうかも知れないわね」

 「でしょ」

 お月ちゃんの目に陽光が映り込む。真っすぐ、雲間に隠れる朝日を見ている。

 「…この景色に似つかわしくないのだけれど、ちょっと話をしても良いかしら」

 「もちろん。なあに?」

 「隣町…あなたからしたら、隣の隣の町ね、そこの退治人と少し話をしたのだけれど」

 「うん」

 「そこの町は、私やあなたの町より、人口…人の数が少ないでしょう。学校も小さくて、五年もしたら私の町の学校と統合…一緒にされて、その町の学校は無くなってしまうと言われてる。当然、子供の数も少ない。私達のような不幸な子供が出てこない。そうすると…」

 「魔法少女を辞められないんだね、その子」

 私が言葉を引き継ぐと、お月ちゃんはちょっとだけ笑った。

 「そう。退治人を辞められない。」

 「辞めたい理由は何なのかな」

 「さあ、そこまでは聞いてないけれど。でも恐らく…輪廻に戻りたいのでしょうね」

 「リンネって、生まれ変わること?」

 「ええ。たくさんの人が、生まれて、生きて、死ぬ。死んだら次の世代へ、生まれ変わる。そして生きる。こういうのを輪廻転生って言うの」

 「へえ。リンネテンセー」

 「その子は私ほどじゃないけど、だいぶ長く退治人として務めてきた。ただ、昔から他の退治人と交流しようとしなかった。だから…これも私の予想だけれど、彼女も記憶に苦しんでいたと思うの。ウジガミの記憶消去は、完全ではないから。今日のあなたのように」

 「正しくは、昨日、だけどね?」

 私が朝日を指さして付け足す。

 「生意気になってきたわね、あなたも…」

 「ナマイキ?それ、悪い意味?」

 「それは置いておいて。…で、あの子は生まれ変わって新しい人生を歩みたい。でも、次にその町を守ってくれる退治人がいない。ウジガミは、幸せな環境で育つ子供を拾う訳にはいかないから。…それだけの話。」

 「えっとつまり、その子は誰も助けてくれないの?」

 「…言い方は悪いけど、まあそうなるわ」

 「どうしてえ。私たちは毎日、悪鬼…じゃなかった、ヴィランを倒しているのに!」

 「悪鬼ね。仕方がないわ。どうしようもないことだってあるのよ」

 「納得いかない」

 「やっぱりあなたが相談相手じゃどうしようもないわね」

 「む、なにそれえ。」

 途端に視界が眩さで満たされる。太陽のお出ましだ。長いようで短い、一日の幕開け。

 「……どうしようもないけど、この空を見たら、どうにかなる気がしてきたわ」

 眩しさに目を細めながら、お月ちゃんが言った。

 「じゃあ、お月ちゃんは困ったら何でも私に言ってね。そんで、ここで一緒にお日様を見ようよ」

 「何でも、は少し厳しいわね」

 お月ちゃんがふふ、と笑った。

 朝日が半透明の私たちの体を射抜くように町を照らす。

 ピンクの夢に溢れた衣装に身を包んだ少女と、素朴な和装の少女を、これもまた半透明な、うさぎと犬が見上げて、見守っていた。

 誰の目にも映らない日常がそこにあった。


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半透明と「魔法少女」 アキダカ @uisame26aki

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