時は過ぎ
目覚めた時、僕は小さな腕に抱かれていた。
泣いている……心配してくれたのだろうか? というか、よく僕は目覚められたものだ。
「良かった……あなたまでいなくなってしまうのかと思ったわ……ごめんなさい」
ぽたぽたと、水滴が落ちてくる。泣いているのだろうか? 顔はぐるぐると歪んでいて分からない。
服は真っ黒で、首からは螺旋を描く三本の黒い線と、その中央に輝く赤い球を組み合わせた装飾品――絡まる螺旋と太陽の神アステオの姿を模した
僧侶でない人がこれを身に着ける日は決まっている。自分が死んだ時と、身内が死んだ時だ。
「本当にごめんなさい。全部あたしのせい。ママ、ごめんなさい……あたしは何にも出来なかった……」
この時、漠然とだけど察した。アルフィナ様があれほどの本を読んでいた理由を。そしてそれが、間に合わなかった事も。
「あたしのせいだ。あたしが子供なせい。なにも知らないせい。なにも出来ないせい。ママ……ママ…………」
そんなことは無いと言ってあげたかった。
この小さな体を抱きしめてあげたかった。
だけど僕には……それこそ何の知恵も力も……体すら無かったんだ。
□ ■ □
未だに、この屋敷の旦那様が閣下と呼ばれている理由が分からない。
僕が目覚めた時、本格的な葬儀は終わってしまっていた……と思われる。
遺体は何処かに運ばれた後で、弔問客も誰一人として来なかった。話によると火葬にしたらしい。
父親が戻って来たのは、それから2か月が過ぎた頃。
だけど、互いに簡単な挨拶をするだけ。父親はいつも居間にいて、アルフィナ様は2階。
そして数日後には、公務だろうか出かけてしまった。
偉い人たちは家族関係が希薄とは聞いていたけど、これが普通なのだろうか。
母親がいなくなって以来、ほぼ毎日をお手伝いのシルベさんと過ごす。
でも二人は仲良しという訳でもない。やはり会話は少ない。なんだろうか……お屋敷から光が消えてしまったかのようだ。
でも、アルフィナ様は勉強を止めなかった。
毎日本を読み、たまに野外で植物や石、果ては虫なんかを採取をしては実験に励んでいる。
時折シルベさんと一緒にお屋敷から出かけるが、夕方には帰ってくる。どうやら買い物らしい。一人では出かけないようだ。
さすがに町までは連れて行ってもらえないけど、その位は我慢だ。
買って来るのは日々の食料品の他、色々な薬品、実験器具、そしてたまに新しい本。
アクセサリーやおしゃれな服なんかは無い。あまり女の子らしからぬ飾り気の無さにちょっと心配になる。
でも何人か、女性っぽい名前が話題に出ることがある。町に友達でもいるのだろうか?
だとしたら嬉しい。
僕も会ってみたい気はするけど、なんとなく無理っぽいな。
ここが世間と隔離された場所である事は、いくら僕でも薄々分かってきていたんだ。
――そんな生活が、4年間続いた。
今は新連合歴115年3月2日。
お嬢様の成人の儀式があってから、およそ2か月。
女の子は11歳で成人を迎える。これは男よりも早く村から村へ、町から町へと移動できるようにするためだ。その理由は単純明快。
そう、お嬢様はもう結婚できる歳になったんだ。
でもまあ、旦那様にその気はないようだね。もちろん、本人にも。
だから今も当時も何も変わっていないと言える。
そして屋敷勤めのシルベさんの見た目も変わらない。化け物なんじゃないかな、この人。
4年もすると、僕はこの体の使い方にだいぶ慣れてきた。
最初の頃はもじもじするだけだったけど、今は這いずることはもちろん、直立して歩く事すら可能になっている。さすがに長時間は難しいけど。
限定的ながらも、移動は可能って事だよ。
それにしても、もう115年だという事実に多少のショックはある。
確か僕が徴用――というより半ば自発的について行った日。あの時は確か新連合歴103年。
大規模な宗教戦争でバラバラになった国内が統一されて103年って事さ。
あの日からもう11年かー……僕は死んでから、7年間とちょっと
今考えても本当にひどい。よく精神が保てたものだと思う。
――みんながいたからだよなー。
そうでなければ耐えられなかったはずだ。
なのに、僕だけがこうして今も生きている。
「テンタ、今日は裏の林で昆虫の採取よ」
そう言って、ひょいとアルフィナ様に抱えられる。
あれから背も伸びて、今では142センチくらいだろうか?
顔は今でもぐるぐると歪んでいて分からないけど、すべすべの肌、弾むような声、それでいて、父親の前で見せる優雅な佇まい。主人びいきかもしれないけど、きっと可愛いと思う。
ただ衣装はちょっと味気ない。今日も綿のシャツに革で補強したベストとハーフパンツで近くの林へお出かけだ。
ドレスとかで着飾ればきっと素敵だと思うんだけど、どうにも男の子の様なラフな格好を好む。まあ、野山を駆けて収集するにはこの方が良いんだろうけどね。
今日も太陽の光は温かく、小鳥のさえずりが聞こえてくる。いつもの日々。平和でのんびりとした日常。
いつの間にか、こんな日がいつまでも続くと思っていた。
でも世界はそんなに甘くはない。ましてやアルフィナ様は、普通の人ではなかったんだ。
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