第20話 秘密の場所
茂った草木に隠れているが、確かに水の流れる音が聞こえてくる。
私は茂みをかき分けて、音を頼りに前へと進んだ。
葉と葉の間から漏れ出る光。
私はそっと目の前に揺れる葉を取り払った。
途端、視界が真っ白になる。
眩しさに1度目を閉じて、もう一度見開くと、そこはもう別世界が広がっていた。
直打ちに置かれた飛び石。
周りを取り囲むように生い茂った草木。
その中心には白く湧き出た温泉があった。
硫黄の匂いはあまりしない。
「天然の、と言いましたけど、少しばかり手入れはしています。それと、近くの川の水を加えていますので、そこまで熱くはありません。まあ、日によって温度は変わるのですけどね」
少しと言っていたが、正直かなり人工的に施されている気がする。
勿論いい意味で。
天然の温泉と言ったら、虫の死骸が浮いていたり苔が生えていたり、あまり衛生的に良くなさそうな印象があった。
しかし、私の世界にある温泉は人工的なものが多いし人もいる。
この場所はどちらとも違った。
あくまで自然に溶け込むような、そんなお直しだけで、殆ど人の手を借りていないことがわかる。
お湯の温度だって、自然のものだからこそ一定じゃないのだろう。
それなのにお湯には虫1匹も、それこそ落ち葉ですら浮いていないのだ。
湯船の周りは敷石で固めてあり、座ることができる。
「綺麗……」
思わず言葉が零れ落ちた。
感想を言った訳では無いとわかっているのか、葉月さんは敢えてそれに答えることなく温泉へ近づいた。
「丁度良い時間帯ですし、お昼にしましょうか」
い草の敷物を敷いて、葉月さんが私を手招きした。
遠慮なく靴を脱いで上がると、私たちは早速バスケットの中身を取り出していく。
「なんか、ピクニックみたいですね」
私の言葉に、葉月さんは確かにと微笑んだ。
「たまにはこういうのも良いですね。心が癒されるようで」
森特有の爽やかな香りと、鳥のさえずりと、太陽の心地よい暖かさ。
本当にピクニック日和だ。
足袋を脱いで足元の着物を捲し上げると、私はそっと足をお湯に付けてみた。
何となく予想はしていたが、若干温目の温度設定だ。
35度くらいだろうか。
(温いけど……まあ足湯ならちょうどいいかな?)
チラリと隣を見ると、葉月さんがお湯加減を指先で確かめているところだった。
「……今日は少し温度が高いですね」
……そうなの?
人間と妖の平熱はどのくらい違うのだろうか。
このぬるま湯を熱いと感じるなんて。
(そういえば今朝、葉月さんの額に触ったとき、ひんやりしていたなぁ)
「結奈さん、結奈さん。このお弁当箱の中身はなんですか?」
「あっ、それはカニ雑炊です。疲れている時はお腹に優しいものを、と思いまして。もしよかった、食べてください!」
私は2人分のお茶とお皿を用意しつつ言った。
「わぁ!本当ですか?なんだか今日は至れり尽くせりですね」
「迷惑でしたか?」
照れたような顔をする葉月さんに、私はからかうように聞いた。
「そう見えますか?」
敢えて応戦してくる葉月さん。
もう顔色はいつも通りだ。
もしかしたら、この湯は薬湯の類なのかもしれない。
それとも私の煎じた薬が効いたのだろうか。
後者だったらいい。
それから私達は、ゆったりと流れる雲に時間を預けて、サンドウィッチと雑炊に舌鼓を打った。
多めに作ってきたにも関わらず、どんどんお弁当は空になっていく。
「そういえば、この温泉って町の人も入ったりするんですか?」
最後のサンドウィッチを半分に分けながら尋ねると、葉月さんは
「いいえ。ここは私の一族が所有する秘湯です。ですから、今この場所を知っているのは私だけです。あ、でも結奈さんも入れて二人になりましたね」
2人だけの秘密と言われているようで、私は少しの優越感を覚えつつ、私は何か言おうとして……辞めた。
どこからか音がしたのだ。
風を切るような音と、紙のようなものがはためく音。
聞きなれない音だが、明らかに自然のものではないことはわかる。
(人?!……にしては違和感あるけど、何これ?葉月さんは聞こえているのかな?)
ぱっと隣に顔を向けると、葉月さんもやはり聞こえているようだ。
耳が音の方向を定めているのか、忙しなく動いている。
「葉月さん……」
思わず葉月さんの着物の裾を掴むと、葉月さんはようやく視線をこちらへ向けた。
「恐らく、連絡符の音だと思います。こちらに向かっているということは、私宛なのかもしれません」
連絡符とは、高天原内で使われている連絡手段だ。
これは術者でなくとも利用でき、特殊な機械を通して送るのだとか。
因みに元術使いの葉月さんは機械無しで送ることが出来る。
音を捉えてからものの数秒で、雪の結晶の形をした紙切れが舞い降りてきた。
葉月さんの手元に触れた途端、それは折っただけの手紙へと変わる。
「結晶か……」
意味ありげに呟いた葉月さんは、暫くの間手紙に目を通してから、バスケットの中を探り始めた。
取り出された風呂敷の包みには見覚えがある。
文が来る度に葉月さんが出してくる物。
硯と筆だ。
携帯電話が存在しない為、こうして外出の際は持ち歩くことが当たり前なのだ。
「結奈さん、夕方にお客さんがいらっしゃいます。薬師の……まあ同僚のようなものなのですが、お会いになりますか?お部屋で休まれていても構いませんが」
どうやら仕事仲間からの連絡符だったらしい。
何となく興味が湧いた私は頷いた。
「葉月さんが良ければ、会いたいです。これでも一応薬師見習いですし」
「そうですね。会っておいて損は無いかもしれません。でも、なかなかの曲者なので注意しておいてくださいね」
どういう意味なのかは、怖くて聞くことが出来なかった。
そして私は思う。
今まで会ってきた妖も十分曲者だったのでは、と。
特にタウフィークさんと華陽。
あの二人はなかなか印象深い。
ともあれ、お客様をお迎えするのだ。
私たちはあっという間に仕事モードへ切り替えた。
手ぬぐいで足を拭き、帰り支度を済ます。
私がバスケットに荷物を詰め込んでいる間、葉月さんは返事を書いて術をかけた。
「妖よって形が違うんですね」
先程は雪の結晶の姿だった紙が、今度は手のひらサイズの狐の姿に成り代わっている。
「ええ。神力は種族と似通ってきますから」
紙でできているとは思えない立体感で、心做しかモフモフして見える。
気のせいだろうけど。
ミニ狐は軽々と葉月さんの手から離れて、空へと駆けていった。
「すみません、結奈さん。休日と言いながらあまりゆっくり出来ませんでしたね」
バスケットを持ちながら申し訳なさそうに言う葉月さんに、私はブンブンと首を振った。
「そんなことないです。こんな素敵な場所を教えていただいて、嬉しかったです。ありがとうございます、葉月さん」
私の言葉に、葉月さんはホッとした顔で微笑んだ。
「また時間を作って行きましょう。私、休養の大切さを身をもって知りました」
今まであまり気にしてこなかったが、自営業が主なこの世界に働き方改革なんてものはないのだろう。
週にどのくらい休み、一日に何時間働くかなんて決まっていない。
だから真面目な人達は身を粉にして働いてしまうのだ。
(そうなると……葉月さんのところも、現世で言えばブラック企業なわけだ)
そう思うとなんだか可笑しくなった。
他人を気遣うことのできる葉月さんが、ブラック企業の上司……。
「ふふっ」
「結奈さん?何かありました?」
口から漏れ出た笑い声に、葉月さんが不思議そうな顔をしていて。
私はますます笑いたくなって、口を引き結ぶ。
「いえ、なんでもないです!」
「……箸が転んでもおかしいお年頃って、よく言いますものね」
うんうん、と1人で納得している葉月さん。
年といえば……
「そういえば、葉月さんって何歳なんですか?」
今の今まで聞いたことがなかった。
気になってはいたが、聞くタイミングがなかったのだ。
一瞬目を瞬かせたあと、葉月さんは
「確かに言ってなかったですね」
と言った。
「私は今年で22になります」
つまり現在21歳。
「えぇ、私とそんなに変わらないんですか!?立ち振る舞いからして、もっと年上だと思っていたのに……。ちょっとショックです」
21にしてこの落ち着き様。
自分の子供っぽさが年齢差ではなく本質の違いだと知ってしまった。
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