第3話 この世界について

 ドアの開閉音が聞こえ、私はほっと息を吐いた。

(とりあえず、あの横暴な男どもはいなくなったのね。なんだか不穏な空気だったけれど)


 しばらくして、葉月さんが畳を持ち上げた。

「遅くなってすみません」

「いえ」


 私達はそのまま部屋を出て、居間へと移動した。

 葉月さんが広縁ひろえんへと私を案内し、お茶を用意してくれる。

 障子から差し込む日光の暖かさが心地よい。

 向き合う形で座ると、私達はようやく一息ついた。


「まずは、常世と現世との違いについて説明しますね」

 葉月さんはそう言って、お茶とともに持ってきていた和紙の巻物を広げた。

 繊細な字と図で埋め尽くされた巻物は、どうやら葉月さんのお手製らしい。


「大きな違いは、まあ見てわかる通り、様々な種族がいるということです。霊狐、烏天狗、ろくろ首……ざっと数えて200はいるでしょうか」

「200?!多いですね……」

 素っ頓狂な声を上げた私に、葉月さんはふふっと笑った。

「本当に。そして、またその中で二つに分けられます。それが【黄泉】と【高天原】です」


「黄泉っていうのは、地獄のことですか?」

 私の世界でも小説などに出てくる名前だ。

 何となくは知っている。

「簡単に言ってしまえば、そうです。ただ地獄というのは、死者が罪を償う場のこと。現世で言う牢屋のようなものなのです」

 なるほど、牢屋か。

 現世の地獄への認識には、若干のズレがあるようだ。


「じゃあ、地獄には針山とか、血の池とか、そういうものは無いんですね?」

「はい。なかなか面白い発想ですけれどね。あ、でも閻魔大王様はいらっしゃいますよ。勿論、神様も」

 ファンタジーすぎる。

 私の常識がガラガラと崩れ去ってゆく音が聞こるのは気のせいだろうか。


「その神様が管轄しているのが、善良な死者の住む国である天国とここ、桃源郷とうげんきょう。この二つを合わせて高天原といいます。地獄や黄泉を含めたそれらを合わせて、常世とこよと呼ばれるのです」


 図を指差し、丁寧に教えてくれたことで、段々わかってきた。

 ここは高天原といい、神様よりの妖たちが住む国だということ。

 桃源郷の隣国を天国といい、死者たちが生活していること。

 分かりにくいのは、桃源郷と天国は高天原という、国より大きな何かで括られていることだ。


「高天原と黄泉は、国という枠ではないんですよね?」

「そうです。現世にはそういった概念がないので、あまりピンと来ないかもしれませんが、我々妖からすると、高天原と黄泉には大きな境があるのです」

 葉月さんは巻物の終わりを指さした。

 二つの丸が書かれ、その間に線が引かれている。


「高天原は神力、黄泉は妖力で満ちています。先程私は、種族が高天原と黄泉とで分けられる、と言いましたが、それはこの二つの力が関係しているのです」

「えっと、つまり高天原に住む種族には神力があり、黄泉に住む種族には妖力がある、ということですか?」

 私の要旨に、葉月さんは頷いた。


「この境を越えてしまうと、我々の身体に少なからず影響が出てしまいます。故に、黄泉と高天原を行き来することはほとんどありません。ですがこれは、妖の場合です。人間にはあまり関係ないでしょう。……さて、これで大体の説明は終わりです。本題に入りましょうか」


(あ、まだこれまでのは序章なんだっけ。なんだかもう、お腹いっぱい)

 そんな思いが顔に出ていたらしく、葉月さんが立ち上がった。


「少し頭の整理をした方がいいかもしれませんね。もうお昼の時間ですし。私は昼食の準備をしますので、結奈さんは休んでいてください」

 その言葉で、私は自分が空腹であることに気づいた。


(そういえば、もとの世界ではお夕飯時だったわね。ん?あれ、ちょっと待って、私ってここの食べ物って食べても大丈夫なのかな?)


『それは、高天原の物が我々にとって有害なものであることを知っての提言か?』

 さっきの客人の発言を思い出し、目の前の空になった湯呑み茶碗と、昼食を作る葉月さんを見る。


(まあ、お茶を飲んでも何ともなかったし、葉月さんも何も言ってないし、大丈夫かな。それより、お昼ご飯が終わったら聞きたいことを考えておかないと!……ん?)


 気合を入れたところで、私の目に予想外の物が飛び込んできた。

 丸っぽくて、ピーピー五月蠅くて、隙間から蒸気の出るアレが。


「……家電って、この世界にもあるんですね」


 私が見た光景は、丁度葉月さんが炊飯器のボタンをポチっとしたところだったのだ。

 服装が服装なだけに似合わないのが残念である。

 是非ここはかまど火吹竹ひふきだけを使って欲しい。

 そんな私の心の内を知ってか知らでか、葉月さんは微笑んだ。


「これは電気ではなく、神力を使って動いているのです。現世では電気を使って動いていた物のほとんどがそうです」

「へぇ、すごいですね。でも神力って、どうやって作り出されるんですか?」


 葉月さんが冷蔵庫のような場所から肉の塊を取り出し、捌き始める。

 本当に手際がいい。


「神力は、私のような神様よりの妖から作り出されます。そもそも私達妖の収入源は、神力の納入から来ているのですよ」


 またまたファンタジーな事実。


「えっ、お金とか存在しているんですか?!」

 自給自足が当たり前、という勝手なイメージを持ってしまっていたので、少し驚いた。

「勿論!町へ行けばお店だってありますよ。ただ、妖によって貧富の差はあるのですけど。神力の量が違えば、当然収入額も変わります」


 最後のほうで葉月さんが苦い顔をする。

 もしかしたら葉月さんは、あまり神力がないのかもしれない。


(お金があったり、電化製品を使ったり。あまり私の世界と変わらないのね。……あれさえなければだけど)


 家の旅館っぽい雰囲気と相まって、ちょっと旅気分になってきた私の目に移るのは、葉月さんの耳と尻尾。

 モフモフしていて、とても手触りが良さそうなそれに、私は恨みがましい目を向けた。


(あれさえなければ……。うーん、でも一回だけ……モフりたいなぁ。ちょっとだけでいいから……って、今はそんなこと考えている場合じゃない!私は帰る方法を聞きたいんだもの。きっと、さっき葉月さんがこの世界について説明したのも、帰る方法に関係があるんだよね。あぁ、早く帰らないと。明日の講義の予習が……)


 私は薬学科を専攻している。

 今年二年目とはいえ、まだまだ慣れないことばかりだ。

 加えて、不器用な私は他の人よりも先に行かなければ追いつかれてしまう。


 焦る気持ちに悶々としていると、台所からピーピーと音がした。

「お待たせしてすみません」

 葉月さんが昼食の準備を終えたらしい。

 襷を解いて、食器に盛り付けていく。

 私は何か手伝おうと立ち上がった。


「あの、なにかお手伝いをさせてください」

「ありがとうございます。私は座卓を持ってきますから、それが終わったら料理を運んでください。……本当はお客様にそんなことさせてはいけないのですけどね」


 苦笑する葉月さんに、私は微笑んだ。

「二人の方が早いですから。急がないと、ご飯が冷めてしまいます!」

 びしっと言い切った私に、葉月さんは一瞬目を見開き、そして笑った。

「そうですね」


 葉月さんが持ってきたテーブルに二人係で料理を運ぶ。

 ホカホカの白ご飯、生姜焼きとキャベツの盛り合わせ、きゅうりと梅肉とツナのサラダ、そしてベーコンと玉ねぎのコンソメスープ。

(……普通だ)

「普通でしょう」

 私の心の声と葉月さんの声がピタリと重なる。

「あ、いえ、そんなこと」

 失礼なことを考えてしまった、と反省しつつ否定すると、葉月さんは肩をすくめた。

「顔に書いてありますよ。あなたはわかりやすいですね」

 拗ねたような顔をしつつも、金色の瞳は笑っていた。


「桃源郷の食べ物は現世と大差ないですよ。安心して食べてください」

「はい。では、いただきます」

 しっかり合掌し、まずはスープを一口。

 温かくてコクのあるスープが喉を通り、お腹をじんわり温める。

 市販のコンソメスープと若干味が違い、あっさりとした口当たりだ。

「美味しい」

 そう呟いた私に、葉月さんは破顔した。


「よかったです。私、現世の物をちゃんと食べたことはないので、お口に合うかどうかわからなくて」

「そうなんですか?てっきり葉月さんは現世に行ったことがあるのかと思っていました。だって、こんなに詳しいんだもの」

「いいえ。こちらから現世へは行けないのです。まあ、人生で一度くらいは行ってみたいものですけどね」

 眉を下げ、茶碗をテーブルに置くと、真剣な顔で葉月さんは話し始めた。


「現世へ行くことができるのは、神様と黄泉の貴族だけなのです。ですが神様はそう簡単にお目にかかれません。ですから、帰るには黄泉の貴族に掛け合う必要があります」

 黄泉に行き、掛け合う……。

 パッとしない。

 まず、貴族などの階級があることに驚きを隠せなかった。


(まるで人間社会ね)


「では、私はこれから黄泉へ行けばいいんですね?」

 戸惑いながらそう尋ねると、葉月さんは頭(かぶり)を振った。

「そこが問題なのです。……良いですか?今から言うことを、よく頭に入れておいてください」


 一呼吸置き、葉月さんは真っ直ぐ私の目を見た。

 口を開いて声を発するまでが、いやに長く感じた。


「黄泉の妖は人を食べます」


 聞き間違いかと思った。

 さっき口にした食べ物は、どれも普通だった。

 それなのに……。

(妖が人を食べる……?)


「結奈さん」

 真っ青になった私に、葉月さんは悲しそうな微笑を浮かべる。


「これはあなたがここにいる以上、とても大切なことです。無理だと思ったら止めてください。ただ、こちらから話を止めることはしません」

 葉月さんなりの気遣いに、私は頷いた。

 伸ばし伸ばしにしていても仕方ない。

 いずれ聞かなければならないことだから。

「お願いします」

 手を握りしめながら、私は続きを促した。


「あなたがこの世界へ来てしまった理由は、黄泉の貴族が呼び寄せたからです。彼らは数カ月に一回、人の魂を食べるために人間を攫います。本来でしたら、攫われた人の着く先は貴族の住むお屋敷です。しかし結奈さんはここへ来てしまった。これ自体はまあ、よくあることなのです。転送術は針の穴に糸を通すような作業ですから、経験の浅い者がやると思わぬ所へ送ってしまう」

「それじゃあ、私は誤ってここへ送られてしまったんですね?」

「そういうことになりますね……」

 やっと自分がここへ来た理由がわかった。


 しかし、知ってよかったと思う反面、知らない方がよかったとも思えてしまう。

 今の私は、水槽に放されたいきそのものなのだ。

 とても生きた心地がしない。


「こういっては心ないですが、結奈さんにとってはかなり幸運だったかと。もしお屋敷に着いていたら、すぐに食べられてしまっていたでしょうから。ですが、危険なことには変わりありません。今頃黄泉では、従者たちが血眼になって貴方を探しています。人間を放つ行為は禁止されていますので」

「……つまり打つ手なしってことですよね」

 桃源郷にずっといたら勿論帰れないけれど、黄泉に行ったら帰るどうこうの前に殺されてしまう。

 本当に打つ手なしだ。


「すみません。……ですが、できる限りのことはします。結奈さんも諦めてはなりませんよ。人生は意外と何とかなるものなのですから」

 話は終わったとばかりに、葉月さんは立ち上がった。


 空になった食器を片づけ始めた葉月さんを手伝いつつ、私はこれからのことを考えていた。

 この世界にいる間、ただ葉月さんを頼ってばかりはいられない。

 それに何よりやることがない。

 ネットも携帯もないのだ。

 何かできることはないだろうか。


 しかし、思い悩んでいるのも束の間だった。

「結奈さん。私はこれから地下の作業場で仕事をしなければなりません。簡単な作業なのですけれど、何分量が多くて。……お手伝いしていただけませんか?」

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