空の支配者と七人の英雄たち
あまつか飛燕
はじまり
第1話 ハルピアの祝福
夕陽の射す平原に伸びる一筋の街道に、幌馬車が一台走っていた。急き立てられるように南へ、南へ。
馬車には夫婦と子の3人が乗っていた。母親の腹は膨らんでおり、殊更にそこに新しい命がいる事を強調している。
「ナーシャ、大丈夫か?」
馬を御する男は、ナーシャと呼ばれた女性の夫だ。必死に馬に鞭を打ち、馬車を走らせる。
「私は、大丈夫よ。オルグは大丈夫?」
オルグと呼ばれた男の子は3歳の誕生日を迎えたばかり。数日前は弟か妹が出来るとわかってはしゃいでいたが、今は只ならぬ雰囲気を感じてか押し黙っている。
「うん……だいじょうぶ。ねぇ、お父さん。あとどのくらいで着くの?」
「暗くなるまでにはな……もしまた襲われたら、今度はオルグがお母さんを守ってやるんだぞ?」
「うん! 任せて!」
オルグの屈託の無い笑顔に、お父さんと呼ばれた男、ウェルズは驚くと同時に頼もしさを感じた。強い子に育つ、と。
一行は自らの住む街であるアコーズから、国の西、テルルー海沿いにあるサンクトゥスと呼ばれる街を目指していた。新しく産まれる我が子に洗礼を受けさせる為だ。
この国、ミリウス王国を始めとして世界的に信じられている宗教である聖輝教。その総本山があるサンクトゥスでは、子供が生まれると"洗礼"と言う名の祝福を賜る事が習慣となっている。
普通は地元の教会であったりその国の一番大きな教会に赴くものだが、サンクトゥスは聖輝教の総本山でありアコーズから行けない距離ではない。その為ウェルズとナーシャは馬車を借り用心棒を雇い、遠路はるばる四日間の道程をかけてサンクトゥスに向かっていたのだ。
洗礼とは出産に教会の人間が立ち会って祓いの儀を行い、半月後に教会で行われる清めまでの一連の流れだ。つまりサンクトゥスに来て洗礼を行うという事はその間、サンクトゥスに滞在するだけの金が必要になる。
すると必然的にサンクトゥスに洗礼の為に向かう馬車にはまとまった額の現金か、金に換えられる品が載っている事になる。その為に賊の格好の的となり、襲われる馬車も少なくなかった。
そしてウェルズの家族の馬車も三日目の夜に賊の襲撃を受けた。何とかそれは退けたのだが、その際に雇った護衛を失ってしまったのだ。
「彼ら、無事に生きているといいが……」
ウェルズが馬車を走らせながらそう呟く。護衛は二人雇ったが、一人は足に矢を、もう一人は揉み合いの末に落馬し腕と足を負傷した。息はあったがこれ以上護衛を続けられないというので、護衛を雇う際の標準契約に従って報酬の半額を渡し近くの集落まで何とか連れて行って、そこで別れたのだ。
「あなた……馬よ! 矢を持ってるわ!」
馬車に乗っていたナーシャが叫んだ。
「なんだと!? クソッ、あともう少しだっていうのに……!」
彼方にはサンクトゥスの街灯りが見えている。だがこの場所では襲撃があっても街の見張りには恐らく見えないだろう。賊も取り逃がした獲物を襲う最後のチャンスと見たわけだ。
「幌を閉めて中の荷物を押さえててくれ! 飛ばすぞ!」
ウェルズはそう言うと返事も聞かず、馬に鞭を叩いた。馬車は加速していく、だが当然賊の方が早い。
「気付いてくれよ……!」
そう願いながら非常事態を知らせる信号弾を空に打ち上げた。赤い玉が空に打ち上がり、花火のように散っていく。
信号弾を見たからなのか、賊の放つ矢が荷馬車の幌を掠めていく。普通の馬で走っているだけならば、ジグザグに走ったりして敵に動線を読みづらくさせれば良い。大昔の船もそうやって敵襲を躱したそうだ。
だが馬車を牽いている状態では当然そんな事も出来ず、ただひたすら速度を上げてサンクトゥスの街の護衛が加勢しに来てくれるのを待つだけだ。
「アレを盗られては不味いんだ、アレを盗られては……」
ウェルズはそう呟きながら幌馬車の中に入っている一本の杖を思いやった。それは魔法杖と呼ばれるもので、使う人のイメージ次第で多種多様な攻撃や防御を行う事が出来ると言うものだ。昔はそれを"魔法"と呼んだらしく、今でもそんな名前なのだという。
「ナーシャ、杖はしっかり持ってるな!?」
「大丈夫よ!」
その声を聞いて更に馬に鞭打つ。魔法杖は現代でも作れるようだが、かつて程の威力は出ないのだという。大昔に作られた物は旧杖とも呼ばれ、売るにも買うにも極めて高価だ。
ウェルズの一家にも旧杖ほどでは無いにしろ強力な杖があり、それは家宝として大切に保管してあった。今回長く家を空けるので、長男が生まれた時と同じように持ち出していたわけだ。
賊の放った矢がウェルズの顔を掠める。頬から血が噴き出すより先にウェルズもまた、賊に向けて特別に携帯の許されている護身用の銃を乱射した。しかしろくに訓練も受けていないそれは賊を一人落馬させたに過ぎず、弾倉が空になった銃も騎乗中に変えられるほど器用ではない。
その均衡した攻防は、賊の放った矢が馬車を牽く馬の脚を穿った事で崩れた。反射的に馬と馬車を繋いでいた緊締具を外し馬車の転倒は防いだが、馬は悲痛な嘶きをあげてその場に崩れ落ちた。脚があらぬ方向に曲がってしまっている、もう走れないだろう。
「もう逃げらんねェぞ! テメェらが逃げ回るから馬が使い物にならなくなっちまったじゃねェか!」
野蛮な声を上げて馬車の周りを取り囲んだ賊の一人がそんな事を叫んだ。賊の馬は皆元気そうだ、そうなるとその言葉はウェルズの馬に対してか。
「サッサと荷物全部置いていけ! それともここで殺されたいか!?」
その言葉に周りの賊が笑い声をあげる。救援はまだ来ない、そうなれば取れる手は二つ。戦うか、従うか。
「あなた! 荷物はいいから、せめて子供だけは……!」
「ナーシャ! 馬車から出るな!」
居ても立っても居られず顔を出したナーシャを見て、賊達の顔が下品に歪んだ。
「女もいるのか……ほう? よく見りゃ上玉じゃねぇか、今夜は寝る暇もなさそうだ! おい、男。その女も置いていけ、さもなくばここで死ね」
そう言って賊がナイフをチラつかせる。料理に使うようなものではない、屠殺用のような大きく鋭利な物だ。
こうなってしまっては覚悟を決めるしかない。賊は五人、ここで戦えるのは自分のみ。そうウェルズは心得て、馬車の御者席からもう一丁の下賜された拳銃を取り出した。クラシックモデルで弾数は僅か三発、残りは何とか足止めして妻と子供を逃がすのだ。
「荷物は致し方ない、だが貴様らに妻と子供は渡せん!」
そう叫んでナイフを持っていた男に銃を向け、躊躇わず引き金を引いた。その弾丸は真っ直ぐに男の肩を切り裂き、ナイフを取り落とさせる。
「こんの野郎ッ!」
「ぶっ殺してやる!」
不意打ちは二度と効かない。激昂した賊がウェルズに向けて矢を向ける。ここまでかと覚悟した時、賊の一人が空を見上げ何かを認めると持っていた矢を取り落とした。
「お、おい! おい! あれは!!」
そう言って震える手で空のある一点を指差した。救援は空からは来ない、他の賊も訝しげな顔をして空を見上げすぐにそれを理解した。
「ハ、ハルピアだ!」
「逃げろ!」
そう言って賊はめいめいに馬に乗り指差した方角とは反対方向に逃げていく。
ハルピアと聞いてクナイは、賊に襲われるのとは別の意味で自分達の運命の行く末を覚悟した。ハルピアとは即ち巨体な鳥のような生き物だ。同じく大きな体で空を跋扈するドラゴンと共に、空の二大王者とも呼ばれている。
だが人間が使役できるドラゴンと違い、ハルピアは決して人に慣れないと言われている。硬い鱗で覆われ武骨な印象のドラゴンの一方で、全身に鳥のような柔らかい羽毛を纏い優雅そのものといったハルピアはまさに神の使いとまで言われる存在であった。
だがハルピアに関しては個体数が少なく、使役出来る人間がいない為にその生態がよく分かっていない。それ故にハルピアに出会ったら殺される等の流説が流れ、もし遭遇したら真っ先に逃げろと言われているのだ。
「あれって、ハルピア……」
同じく空を見上げたナーシャも自らの運命を悟った。ハルピアは賊より遥かに異質で恐怖を感じる存在なのだ。
ハルピアは賊が逃げて行くのを待っていたかのように、ウェルズ達の馬車のすぐ近くに降りてきた。その身体は夕陽を反射し、鳶色の羽根を神々しく光らせている。まさに神獣と呼ばれるのも頷けるほどに。
おもむろにその翼の先端の鉤爪で器用に羽根を一枚抜くと、馬車の外に出てきていたナーシャに近づいた。
「ナーシャ……!」
ウェルズはそう言いつつも恐怖で足が言う事を聞かない。神獣と呼ばれる鳥に対して、一人のちっぽけな勇気がどれほどの効果になろうか。
そうしている間にハルピアは触れられるほどナーシャの近くに寄り、その大きな翼でその膨らんだお腹を二回さすると持っていた羽根をその上に置いた。
その、ともすれば儀式めいたものが終わるとハルピアはまた飛び去って行く。ウェルズもナーシャも、そして馬車に隠れていたオルグも信じられないと言ったような顔をしてハルピアを見送った。
*
それからややあってサンクトゥスから駆けつけてきた救援隊が見たのは、未だに信じられないといった顔で本を読む男と安心しきった表情で眠る母子だった。
「おーい! 助けに来たぞー! って、どうした大丈夫か?」
「あ、ああ。俺も家族も大丈夫だ」
「賊は、賊はどうした」
救援隊の声掛けに自分が答えようとした事があまりに非現実的すぎて、でもそれが真実だと意を決して口を開いた。
「追っ払ってくれたんだ……ハルピアが」
ウェルズの言葉を聞いた瞬間、救援隊全員が体を強張らせて空を見上げた。
「もういない、どこかに飛び去ってしまった」
「……本当なのか?」
疑われるのも無理はないと思った。ハルピアは遠目に見れれば幸運、近くで見れば不運とさえ呼ばれ、そう言った実例がほとんど上がっていないにも関わらず人やその他の種族に害をなす存在と言われている。そんなハルピアが助けてくれたなんて言って、普通は信じてもらえる筈も無いのだ。
代わりの馬を馬車に繋ぎ、サンクトゥスの門をくぐったのはもうすっかり暗くなった頃だった。
救援隊に礼を言って事前に予約しておいた宿に投宿するともう夕餉という気分でも無くて、身重のナーシャと育ち盛りのオルグだけ外に食べに行かせてウェルズは読んでいた本の内容を思い返していた。
あれは間違いなく"ハルピアの祝福"と呼ばれているものだった。家にあった古い文献を持ち出していて幸いだった、第二子が産まれるので少しでもお金になればとサンクトゥスで売るつもりで持ってきたのだが、こんな形で役に立つとは。
文献によればハルピアは世界に騒乱が起きそうな時に人の前に現れ、救世主になり得る人に祝福を与えるのだという。
だが記録に残っているのはただ一例のみ、かつてどこかの国が過去の遺物とされる物を乱用としようとした際だという。
「おとうさんは夕ごはんはいいの?」
いつの間にか夕餉から帰ってきたらしいオルグがそう言って膝の上にちょこんと座った。ウェルズも本を置いて構ってやる。
「お父さんは大丈夫だよ。それよりほら、近いうちに弟か妹が出来るんだ。いつまでも甘えてちゃダメだぞ?」
「まだいいもーん!」
考えるのはやめようとウェルズは思った。ハルピアからの祝福の事はなかなか言える事では無いが、どんな子が産まれようと私とナーシャの子であり、オルグの良き遊び相手になるはずだ。
まだ見ぬ、だが数日中に出会う事になるであろう我が子を思って、ウェルズは古い文献をしまった。とりあえずこの本は売れないな、などと思いながら。
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