掌編小説集
野々花子
二次元の水蜘蛛
たかしくんは顔にタトゥーを入れていて、右頬のちょうど涙を流れる道筋に、漢字で「二次元」と書いてある。それは、縦長に引き伸ばされた流れるようなフォントデザインなので、パッと見、文字には見えない。どこかジャングルの部族とかがしてそうな模様に見える。そうでなければ、まだらなシミか、傷みたいに見える。たかしくんが笑ったり、顔をしかめたりすると、「二次元」の文字はもういっちょぐにゃりと歪んで、そこだけシミだらけの老人みたいに見えるから、気味悪がる人も多い。そもそも顔にタトゥー、それも漢字、よりによって二次元なのだ。たかしくんによると第一印象は、気味悪がる人、ドン引きする人、面白がってからかうけどすぐ飽きる人、説教する人にだいたい分類されるらしく、残りの人はきっと見なかったことにしてんとちゃう? と言っていた。私は例外で、面白がるけど飽きずに気に入ってしまって、果てはたかしくんの彼女になってしまった。何事にも例外はあるのだ。
そんな例外女なので、ちょっと変な性癖みたいなやつがあって、私はセックスの時にたかしくんの頬の二次元を舐めながら騎乗位でするのがたまらなく好き。ぺろぺろぺろぺろしながら、ああ、ずっと舐めてたら薄くなったりしないのかな、二次元が一次元になったりしちゃうのかな、などと考えながら腰を動かして、私の下で、あ、あ、と低く吐息をもらすたかしくんにめちゃくちゃ欲情する。昔からそういう一風変わった性癖があったかというとそんなのは思い当たらない。これまで付き合った人、好きになった人、誰も顔どころか身体のどこにもタトゥーを入れている人なんていなかった。それに、騎乗位だってこれまでの人とはほとんどしたことが無かったのに。そう考えると、たかしくんだって例外。
たかしくんに、「何で顔に二次元ってタトゥー入れたの? アニメ好きなの?」と聞いたのは、もちろん初対面の時で、つまりたかしくんが今のところ人生で一度だけ参加した友人主催のバーベキューの時で、そこでバーベキュー常連組だけど肉だけじゃなくて野菜も食べたい派の私と、初参加で知り合いも少なく野菜好きだったたかしくんは二人で喋る感じになって、そりゃもうやっぱり顔に二次元って入ってるのが素直に気になったから聞いてしまった。
「アニメは、ジブリくらいしか見んなあ……。二次元、って入れたのは、アメンボ……みたいに生きたいと思ってるから」
ぼそぼそ答える姿が、嫌々インタビューに応じる口下手なミュージシャンみたいで、いわゆるロッキンオン系の音楽が好きな私はけっこうそれだけでぐっときてしまった。
「アメンボって、なんなん? どういうこと?」
失礼かな、と思いつつも私は魅せられてしまって、それに本当に全然意味分かんなかったから続けて聞いた。
「アメンボと二次元、何の関係があるん?」
「あー、えっとな……」
たかしくんは私を見ずに、焦げかけているかわいそうなカボチャを裏返しもせずに見つめて言った。
「俺らが生きてる世界って、三次元やん? あのー、縦と、横と、奥行きがあって……。で、二次元の世界は平面やん? 縦と横しかなくって、そこには。……昔、なんかで読んだんやけど、アメンボは田んぼの水面とかで生きてて、でも水に潜ったり、空を飛んだりそういう……、奥行きの世界は知らんくて。あいつらには面しかないんよね。それって二次元の世界やなあ、と思って。すぐそこにある空も水の中も知らんくせに、アメンボは見た感じスイスイ生きてて。……それって、なんかめちゃくちゃ我が道を行ってるっていうか、世界に自分の軸をぶらされてへんっていうか……すごいな、と思って。そんで、俺、アメンボ好きやねん。で、それで二次元って入れてん」
ぜんっっっっっっぜん、意味が分からなかった。
「えっ……と、それは、アメンボって字入れたり、アメンボの絵を入れたりするんじゃ、あかんかったん?」
私のかろうじて出した質問に、たかしくんは笑って答えた。
「ふふっ。いや、ヘンやろ。顔にアメンボって書いてたら。それにアメンボの絵とか、たぶん彫り師さんも困るやろし」
いや、顔に二次元って書いてるのも十分変だし、彫り師さん戸惑ったと思うけど?
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