二階堂の決断

 アノマリアがシャワーに興味津々だったので、バスルームの使い方を教えてやると、彼女は狂喜して湯船を張り始めるという暴挙に出た。


 アノマリアは一番風呂に入った。家主である二階堂を差し置いて。「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」というおっさんっぽい声を上げながら。


 当然、せっかくタンクに溜めた水はご破算。船内の残水量がゼロに。もちろん循環浄水できるが、しかし時間はかかるのだ。


 二階堂は仕方なく、バスルームから届けられるアノマリアの鼻歌を聴かされながら、数回に渡って外とビヨンド号を往復し、ひたすら船内のタンクに水を入れ続けるという追加労働を強いられた。尖晶石スピネルは大きく、重く、結構腰に来た。


 ひと通り船内の水レベルが確保され、汗だくになってソファーに座った二階堂のコンタクトレンズに、早速とある映像が届けられた。それは――


「――おお~、これッスよきっと!」


 というアノマリアの声が、ジャバァという音と共にバスルームの方から聞こえてきた――あいつはどうしてドアを閉めないんだ?


 キノコの山。キノコの森。ごちゃっとキノコ。そんな印象だった。


 周囲の木々よりも頭ひとつ高いキノコが密生していて、鎮守ちんしゅもりみたいに、こんもりと森から顔を出していた。


「もう見つけたのか、ロンロン」


「これだけ目立っていればな。展開がサクサクで嬉しいだろう、カオル?」


 二階堂は唸った。ドローンで空中から回収しようという計画だったのだが、キノコが大きすぎ、アンド密生しすぎでドローンでは近づけそうにない。


「毒ガスか……船外活動用の宇宙服ならどうだ?」


正圧せいあつを保ち続ければ問題ないはずだが、それでも危険だ。森では攻撃を掠らせることも許されなくなる。実質、武器を封じられるも同然だ」


「掠るって、なんの話ッスか?」


 声のした方に二階堂が顔を向けると、そこには髪を頭の上にまとめてタオルでターバン巻きにしたアノマリアが。スウェット姿。二階堂のだ。


 ポイーンという音が鳴った。ニッとアノマリア。


 はぁと嘆息まじりに、二階堂が重大な事実をぶち上げる。


「ガウスライフルは、俺が攻撃を受けないと撃てない仕組みだ」


「攻撃を? どういう意味ッスか?」


 水を飲みながらアノマリアは眉をひそめた。


「つまり、そのまんま。俺が殴られたり、刺されたり、矢で射られたりしないと、あのライフルは撃てない」


「はぁ⁉ なんすか、その欠陥武器!」


 あきれ顔になったアノマリア。


「それな。言ってやってくれよ、ほんと……」


「カオル、別の方法を探そう。森はあまりに危険だ」


 ロンロンが言った。唸り声で返す二階堂。


「……アノマリア、森には敵がいるのか?」


「いねーはずッスよ。あの霧はヴォイデンスを排除するために、木々が発している毒霧どくぎりで、アブザードもイグズドもあの森では活動できないッス」


「カオル――」


「そのキノコまで距離は?」


 二階堂はロンロンに被せて聞いた。


「――直線距離でおよそ四キロメートルだ」


「手つかずの原生林を慎重に四キロメートル……日帰りなら、ギリギリの距離か」


 二階堂は逡巡し、テーブルの上に置いてある藁人形に向けて言う。


「――よし。明日、森へ降りるルートを作る。ロンロンは明日一日かけてルートを調査してくれ。二日後には黒水晶モーリオンを取りに行く」


 藁人形の口元から「<ラジャー」という吹き出しが飛び出した。


 二階堂は両膝をパンと叩いて立ち上がった。


「――それじゃあ! 俺も風呂入ってくるか」


 するとアノマリアが「あっ」と申し訳なさそうにした。


「自分、湯浴みなんてめちゃくちゃ久しぶりで、ちょっとお湯が汚くなってしまったッスから、湯船のお湯は捨ててしまったッス。二番風呂を期待していたところ、すまないッスね」


「……ロンロンに何を聞いているのか知らんけど、人を変態扱いするのはやめてくれないか? ……はぁ。俺、シャワーだから」


 小さく嘆息してから、二階堂はバスルームに向かった。後ろから「そういえばシャワーっていう装置、試してみるの忘れてた!」という悲鳴が聞こえてきた。






 アノマリアにつけてもらったあおい指環が、薄暗い部屋の光の中、左手薬指で輝いていた。二階堂はそれをベッドに横になりながら、眺めている。


 如何なる技巧によって生み出されたのか。それは透き通る紺碧こんぺきと、深い瑠璃るりの二本の細い素材が螺旋らせん状に絡み合ってひとつのかんを構成しており、その螺旋環を透明な素材が包み込んでひとつの指輪としていた。


 瑠璃色の素材は不透明できらきらと粒状の黄金が輝いていた。一方、紺碧の素材は涼やかに澄んでおり、随所に見られるひび割れクラックが内部に取り込んだ光を複雑に吐き出して閃めいている。


 それだけではない。それらを包み込む傷ひとつない無色透明な素材さえもが、光を受けて虹色にちかちかと煌めきファイアを放っており、こちらも断じて硝子やプラスチックなどという、ありふれた素材ではないことを物語っていた。


 寝室に入る前のこと――。


「ポイント溜まったッスか?」


 と聞いてきたアノマリア。


「そのポイント、俺は見えてないんだが……」


「あ、そうなんスか。失敬失敬。ロンちゃん、どんな感じッスか?」


 沈黙があった。


 ――こいつ、適当に音だけ鳴らしてたな。


「まだだな」


「そっかー。なかなかまどろっこしいもんなんスね。せっかく身体が綺麗になったんスけど……まぁ、ビヨンド号ならいつでも簡単に湯浴みできるからいっか。ここはほんとにユートピアっすねぇ〜」


「……一応言っとくけど、風呂もロンロンの命削ってるんだからな」


 その一言に、「うそ……」とショックを受けていたアノマリア。


 そんな会話を最後に、今日は解散となった。


「アノマリアはカオルに気があるのではないか」


 ベッドでぼけーっと寝そべっていた二階堂に、ロンロンが声を掛けた。


「ある、感じだねぇ」


「では、明日にはポイントが溜まったことにしていいか?」


 ロンロンの言葉に、二階堂は唸った。


「――そんなに単純じゃねーよ。正直、積極的すぎて戸惑ってる。アノマリアとは、倫理観も道徳観も根本から違う気がする。文化がちがーうってやつだ。あの女のことも、ここのルールのことも、なんにも知らない状態で下手なことはしたくないんだよな……後で街に行った時に犯罪者扱いされたらヤバい」


 二階堂は「病気とかの可能性とかもあるし」と付け加えた。


「それは彼女に失礼なのではないか」


 ロンロンが珍しくとがめる口調で言った。


「そうだよ。俺がそんなこと言ってたなんて、絶対言うなよ」


 二階堂はそう言って身じろぎした。そこにロンロンの声がかかる。


「だが確かに、性病に限らず病気はあり得る。今、カオルは未知との美女と一緒に、未知の病原体と遭遇している可能性もあったのだな。過去、そう言った邂逅かいこうで滅んだ文明が多数あったとは歴史の教訓だ。それとなく彼女のメディカルチェックをしておこう。ところで――」


「ん? なんだ」


「カオルはアノマリアがのことが好きか? セックスしたいか?」


 ロンロンにはオブラートで包むという概念がない。それは半年にわたる共同生活でよく分かっていた。だから、二階堂も回りくどい言い方はしない。


「顔は、好みだが……まぁ、抱きたいとは思う」


「そうか、ではそう伝えておこう。アノマリアが気にしていた」


「それも絶対やめろ!」


 はぁぁと長い嘆息をついた二階堂。


「――あのポイント制も、どうにかフェードアウトできないのか?」


「あいにく、あれは彼女が相当気に入っているようで、今から取り下げは難しい状況だ。今、急いで彼女のために数値化作業を急いでいる。隠しパラメータも準備する予定だ」


 もう一度、はぁぁと嘆息をついて二階堂は目を閉じた。


「カオル」


「なんだ」


黒水晶モーリオンの件だが、やはり下の森は危険だ。やめた方がいい。幸い、アノマリアが来てくれた。信頼できそうな人物に見える。私の電源が切れても、もうカオルはやっていけるはずだ。だから――」


「――っ! お前っ‼」


 二階堂は上半身を跳ね起こした。腹から湧き上がってきた声は、自分でも止められないほど大きなものだった。


「――今さらそんなの許さないからな! 黒水晶モーリオンは必ず手に入れる。分かったな‼」


「分かった」


 そう言って、ロンロンは静かになった。


 二階堂はバタンと力なくベットに倒れ込み、ゆっくりと息を吐いて目を閉じた。自分でも驚くほど、腹が立っていた。


 かつて、二階堂が手に入れたものは、自分ではコントロール不可能な大きな流れの中で、するすると彼の指の隙間から逃げていった。


 親の愛。家族。友人。夢。


 そんな人生で二階堂の心がもっとも熱く輝いた時があった。全てをかけてもいいと思える女。


 だが、その女もまたはかなかった。


 彼女との離別は二階堂の魂を完膚かんぷなきまでに打ちのめした。


 地球を脱した時、彼には何も残されていなかった。しかし全くの偶然から手に入れた友人――今、自分の手の中に最後に残っているロンロンが、自ら去ることをあっさりと認めたことが、ショックだったのだ。


 二階堂はもう一度熱の篭もった息を吐き出して、目を強くつむった。するとそこに浮かんで来たのはアノマリアだった。


 彼の瞼に映ったアノマリアの笑顔は、かつての妻に似て眩しかった。


 ――少し、戸惑っているだけだ。


 昔のこと、今のこと、これからのことに思いを馳せていると、やがて二階堂の意識は、ゆっくりと夜の静寂に溶け込んでいった。

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