割れた瞳
そこからアノマリアは、エントリオがまずは知るべきだという、最低限のことを語ってくれた。
この螺鈿大地には星が降る。その星が大地に落ちると、それは大地に飲み込まれるか、あるいはその場に凄まじい力を宿した道具となって残る。それを
一方、星が偶然〈
つまり彼女の言うところによると、二階堂達は星で、赤い実から生まれたことになる。結局意味は、よく分からなかった。
エントリオは、そのままだと自分が誰かも分からない状態で、まるで幽鬼のように、ぼんやりと辺りを
「吻合環にはママの一部が入っているッス」
アノマリアが誇らしげに言った言葉の意味は分からなかった。彼女の言うことにいちいち質問していると話が進まないので、二階堂は流した。ロンロンにも質問は最小限にするよう言い含めてある。
螺鈿大地には〈
ザナドゥの中心には〈
一端そこで話が途切れると、次は当然、二階堂達の矢継ぎ早な質問がアノマリアに浴びせ掛けられた。
「――こりゃあ、長い講座になりそうッスね」
そう言ってアノマリアは困った顔になった。
「カオル、アノマリア。食事にしよう。そこでゆっくり話すといい。カオルはいい加減服を替えた方がいい。血まみれだぞ。シャワーはまだ無理だがタオルならば準備できる」
「ああ、分かった」と言って二階堂は欠伸をしながら立ち上がった。
彼が奥の洗面台に向かうと、後ろからひょこひょことアノマリアもついてくる。
「――どうした?」
「このビヨンド号っつー船は……めちゃくちゃおもしれーッス! 全部教えてもらおうと思って」
「教えてやるけど、俺、今から着替えるんだぞ?」
「構わねーッスよ。
二階堂は洗面所に入ると、フレキスケルトンをパチパチと外した。チョーカーを取って、ウェアの上半身も脱ぐ。アノマリアがその度に指を差してこれは何、それは何と聞いてくる。まるで子供だ。
初めは
鏡に映った自分の身体は、平均的な身体よりは肉付きも良く、アラフォーとはいえまだまだ引き締まっていたが、しかし所詮は衰えの見えた一般人。よくこの程度の肉体で昨日今日の地獄を乗り切れたものだと、自分でも感心し、同時に少し怖くなった。
――やっぱり、死にたくはないな。
強烈な死に
タオルで血の跡と汚れを拭き取ってみると、肩に受けたはずの傷は見当たらなかった。傷痕ひとつ残っていない。一方で、頬には大きな傷痕が残っていた。昨日ミノタウロスに殴打された時に付いた傷だ。
その傷を手でさすっていると、いつの間にかアノマリアが隣で一緒に鏡を見ていた。手には歯ブラシが握られている――珍しいのかも知れないが、ブラシを指でザラザラするのはちょっとやめて欲しい。
「――頬の傷、どうしたんスか?」
「昨日、ミノタウロスにぶん殴られた傷だ」
「ああ、ミノちゃん……カオルおじさまが
「逃げに逃げて、偶然斧が木に引っかかって、最後はたまたま死なない程度に殴られて……我ながらよく生きてたと思うような戦いっぷりだったよな? ロンロン」
ロンロンは答えなかったが、アノマリアはクスクスと笑っていた。
「――今日も、逃げに逃げまくってたッスよね? 上から見ていたッスよ。橋渡ってくるところも。トロちゃん相手にしている時も。すげー危なっかしい身のこなしだったッス。見てるこっちがハラハラしたッスよ」
そう言ってアノマリアは二階堂の頬にそっと手を置いた。彼女の身長は二階堂よりも低い。自然と身体は密着し、彼女が下から見上げる形となった。
「てっきりその傷。渋いオジサマ然として、かっこつけてるのかと思ってたッス」
「そんな、中二病的な……」
「多分、その殴られた時の傷、
そう言ってアノマリアは二階堂の頬の傷をのぞき込み、指で撫でた。
「ワイルドなのも嫌いじゃないけど――」
アノマリアがそう言って目つきを鋭くすると、足元から七色の粒子が立ち上り、またあの時と同じくして、二階堂の身体にまとわり付いていく。
近くで見るアノマリアの顔。彼女の瞳はふたつに割れている。
「――おわり。綺麗に治すなら、やっぱこっちッス」
「これは?」
二階堂がアノマリアの目を見つめたまま聞いた。
「〈
「そういえば、お礼を言ってなかった。あの時は傷を治してくれてありがとう。本当に助かった。後でロンロンに聞いたら、動脈が切れていて、かなり深刻な状態だったみたいだ。あのままだとビヨンド号に帰る前に失血死していた」
「いいってことッス。あのイグズドを仕留めてもらって、むしろ大もうけッスよ」
そう言ってアノマリアは身体を離した。空気がひんやり二階堂の腹を撫でた。
アノマリアが挑発的に表情を崩し、自分の目を指差してみせる。
「――それにしても、さっきからジロジロ見て。自分の目になんか付いているッスか?」
「ああ、いや――」
「ふふふ……分かってるッスよ。目が割れてるからッスね? これはね、〈
アノマリアは人差し指と親指で
「生まれつきなのか?」
「いんや。これは螺鈿大地の、生きとし生けるもの全てが患う可能性がある
ふっと笑って視線を逸らしたアノマリア。
その横顔を見た二階堂は、この女の本当の瞳を見てみたいなと思った。
彼女は両手を頭の後ろに回して、つまらなそうに口を開く。
「あーあ。こんな目じゃなきゃ、おじさまをメロメロにできたんスけどね」
「いや、君は綺麗だよ」
二階堂は、言ってから
アノマリアはといえば、きょとんとして二階堂を見返していた。
「ふーん……カオルおじさまも、よく見ればなかなか男前じゃないッスか。……さっ、自分もディナーの前に身体くらいは拭くッスかね。ロンロン、自分にも拭くものもらえないッスか?」
「それでは先ほどの部屋に来てくれ、アノマリア。君の部屋を紹介しよう」
アノマリアはロンロンに
二階堂は鏡を見て、綺麗になった自分の頬を居心地悪そうにさすった。
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