トロール

 しばらく走ってから振り返った二階堂。彼の視線の先で、トロールが立ち上がっていた。腕が、ズモモモモッと再生しつつある。


「日光は? トロールは日光に弱いのでは⁇」


 二階堂がとがめる口調で言った。


『いろいろなタイプのトロールがいる。中にはカバみたいな顔をして、のほほんと太陽の下、谷でひなたぼっこをするトロールもいるらしい』


「それ知ってる」


『カオル、あのトロールは武器を持っていない。であれば、フレキは単純な衝撃には強いから、思い切って殴られてみてはどうか。刃物にさえ気をつけて、しっかり衝撃を地面に逃がせれば十分耐えられるだろう』


 とんでもないことを言い出したロンロンに、二階堂が大声を上げる。


「横から殴られたら⁉ 外に放り出されて死ぬか、あの巨大ウニの方に放り込まれて死んでしま――」


 二階堂が中庭の方を指差して上げた抗議が終わらない内に、彼の横にあった腰壁が爆散した。


 破片の勢いに押されて横に吹き飛ばされた二階堂は、のろのろと瓦礫を押しのけて起き上がりながら「……なに?」と言って頭を振った。


『ウニが中庭から射撃している。目をつけられたらしい』


「今のは? 口から血が出てるんだけど、駄目?」


『駄目だ。ライフルのロックは外れていない。トロールが来るぞ、走れ』


 二階堂は立ち上がって身を屈めながらトロールから逃げる方向に走った。すると、それを追って腰壁が次々とぜて追いかけてくる。さながら、機関砲で掃射そうしゃを受けているようだった。


「うひーっ‼」


 頭を抱えて走る二階堂。そこにロンロンの声が届く。


『弾道を見極めろ。グレイズだ、カオル』


「亜音速の弾幕に突っ込めと⁉ アホか――ううっ⁉」


 二階堂は、後頭部付近を唸りを上げて通り過ぎて行った未知の音を聞いた。ものすごい勢いで頭が後ろに引っ張られる感覚があった。


「――今、チッていった! チッていったって‼」


『いや、今のはだめだ。頭から数センチほど開いていた』


 後ろから聞こえてくる重い破砕音の連続に、うなじがぞわぞわと沸き立った。堪らず大声を上げる二階堂。


「――こ、これは、まじで、死ぬっ‼」


『これはな、オワタ式というのだ』


「オワタ式って⁉」


『一発もらったらゲームオーバーという意味だ。ゲーマー垂涎すいぜんの縛りプレイだな』


 二階堂の目前を、影がブォンという音を立てて瞬間的に通り過ぎていった。おそらく矢なのだろうが、二階堂の目には影が走ったようしか見えない。


 二階堂は頭を抱え、悲鳴を上げて走った。


 とにかく声を出していないと緊張ですくみ上がって、足が止まりそうだった。


「ひーっ」と顔面蒼白の二階堂に、ロンロンの妙に納得したような声が届く。


『なるほどな。大丈夫だ。ドローンの一件はホバリング中への不意打ちだったので撃墜されただけだ。やはり、あんなわけの分からない異形にとされる我らがビヨンド号のドローンではなかったのだ』


「何が大丈夫なのか詳しくっ‼」


『カオル――』と、二階堂の悲鳴にロンロン。


『グレイズだ。身体で覚えるしかない。あの程度の弾幕ならやれる。先ほどサソリでやって見せたあの感覚を思い出せ。あれこそまさに生命の第六感だ。自分の周りにあるジャケットの範囲をイメージするんだ。それより近ければグサーだし、遠ければスカーだ。チッチッチッ。カスってバズって撃ち返せ』


 ――狂気の沙汰だ。


「言ってることがわかんねーよ……この人工ゲーム脳がっ‼」


 いい加減ぶち切れた二階堂の絶叫が蟻塚城に響き渡った。


 その絶叫に誘われたのか、行く先の蟻塚城の切れ目から、例の首無しチンパンジーがぬっと現れた。近い――。


「――うげぇ……このクソ忙しい時に……っ‼」


 引き返せない。左右にも逃げられない。


 追い詰められた二階堂は、苦し紛れに首無しチンパンジーの身体の下にスライディングで滑り込んだ。


 目の前にチンパンジーの大きな身体が、屋根のように頭上に広がったと思った直後、その大きな影は横から何本もの飛来物の直撃を受けて軽々と吹き飛び、蟻塚城の下へと落ちていった。


 大の字で寝転んだまま呼吸に喘ぐ二階堂。黄色い空が見えた。穏やかな雲が漂っていて、空は場違いに平和だった。ウニは中庭の下から撃ち込んでくる。だから寝転んでいると、射角の関係で当たらないらしい。


 切れた息を落ち着かせながら、二階堂がぽつりと呟く。


「……いいこと、思いついたかも」


『奇遇だな。私もだ。先ほどから映像で見ていたが、あのウニは偏差へんさ射撃ができていない。動いていればまず当たらない。そしてあのトロールはもの凄くトロ~い』


 はぁはぁ、という二階堂の息づかいが続いた。


「……今? 今、親父ギャグ的なものを、ぶっ込むの?」


『緊張しっぱなしのカオルをリラックスさせたいだけだ』


「ありがたくて涙ちょちょぎれそう」


『先ほどからバイタルサインが大変なことになっている。君の心臓マークが爆発しそうだ。冗談ではなく、長引くと急性心不全を起こすぞ』


 二階堂は深呼吸し、身体を跳ね起こした。


 来た道を一路、引き返す。その先にはドスドスと歩み寄ってくるトロールが。


「蜂の巣にしてもらえっ!」


 二階堂は追ってくる致死性の飛来音を背負い、床を滑るようにせてトロールの股下へ殺到した。


 視界の奥にアノマリアが小さく見えた。指差しながら、何かを叫んでいるようだ。


 スライディングの姿勢を取った二階堂。


 ロンロンの『待て!』という警告は間に合わなかった。肩と後頭部に強い衝撃を受けて意識がしらんだ。


「かはっ――」


 二階堂は、ぼやけた視界の中で即座に状況を理解した。トロールの蓮の実顔から伸びた数本の触手が、自分の肩を貫いていたのだ。彼は仰向けのまま床の上に縫い付けられていた。


「んなの……ありか――っ!」


 完全に想定外の挙動。しかし二階堂は恨み節を吐きながらも、手に持ったガウスライフルの安全装置を外した。貫かれた肩は熱かったが、不思議と痛みは感じなかった。


 トロールが一歩前に踏み出す。


 二階堂がガウスライフルを構える。


 トロールが両腕を組んだ。


 ライフルのインジケータが灯り始めた。


 トロールがハンマーパンチの姿勢で腕を振り上げた。空から落ちてくるいわおの如き巨漢の影。その胸に、小さな赤いドットが浮いた。


『フルチャージだ!』


「トロいんだよ‼ 谷へ帰れ‼」


 二階堂はガウスライフルをはじいた。


 蟻塚城が恐ろしげに震え、広く土埃が浮いた。


 同時にトロールの上半身が消し飛び、残った下半身も爆風に押し出されて、城壁の下に吸い込まれていった。


 ガウスライフルの弾道は、アノマリアの檻の横を通過した。その光跡と爆煙を、彼女は檻の中で尻餅をついて、びっくり顔になって眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る