十二年ぶりに顔を合わせた妹の様子が普通におかしい

鶏卵そば

第1話 妹はその瞳で嘘をつく

「ケンタ!こりゃなんだ!」


 朝、親父の声で、目が覚めた。


(ヤバい!)


 そういや、昨夜テーブルの上に生活状況報告書を出しっぱなしにしていたんだった。

 俺の名は小林ケンタ。

 この春、めでたく高校に進学した。

 学校には何種類もの書類を提出するのだが、その一つが生活状況報告書。家族構成や親の職業なんかを書くものだ。


 俺は慌ててベッドから飛び起きた。

 親父は仕事でしばらく帰ってこないはずだったんだが、朝っぱらから一体どうしたっていうんだろう。

 何はともあれ、あの書類だけは、親父に書かせるわけにはいかなかった。

 なぜなら、俺の親父は、とってつもない嘘つきなのだ。

 あいつに任せると、俺の家族構成がいったいどんなことになるか見当もつかない。


「父さん、おはよう。どうしたの?早いじゃん」

「ちょっと用があってな。父さんはまたすぐに戻らなきゃならないんだが。それよりこの書類はなんだ。これは親が書く奴だろ。」


(どうして、だって?)俺は、胸の中で、ふつふつと煮えたぎるモノを感じた。


「なんで、親父が書く書類を俺が書いてるかって? あんた、俺が中学に入学した時の書類に自分の職業をなんて書いた? まさか、忘れたわけじゃないよね」


 俺の剣幕に押されて、親父は口を尖らせる。


「父さんに向かって、あんたとかいうなよ。ああ、覚えてるって、あんときは父さんも学校に呼び出されて大変だったからなあ、いやあ、あの中学の校長先生、ちょっと禿げた感じの、今頃元気にしてるかな」

「ごまかすな。言ってみろよ。あのとき、自分の職業、なんて書いた?」


 しばしの沈黙の後で、親父は重い口を開いた。


「…武器屋」

「そうだよ、武器屋だよ。あんたは、あれか?トルネコか?」

「だって、あのころは、父さんほんとに、洞窟に入って武器集めて売るくらいのことしかしてなかったんだもん」


 俺が中学に入るまで、親父は特に仕事らしい仕事をしていない、いわゆる無職だった。

 それでも俺達が生活できていたのは、幸いにして親父の亡くなった両親が資産家で、今のこの家といくらかの預貯金を残してくれていたからだ。


「おっさんが、『だもん』とかいうな! 大体そりゃゲームの話だろ。学校に出す書類にゲームの職業書く奴がどこにいるんだよ!」

「だって、父さんが無職じゃ、ケンタも中学で肩身が狭いかなと思ってさ。やっぱ暗黒騎士の方が良かったか」

「そういう問題じゃないだろ。それに、母さんの事も、職業はなんて書いた?」

「…魔法使い」

「なんでそんなこと書くかな?」

「だって、あの書類はケンタも見ることになるだろ。ケンタには、お母さんは魔法使いで魔法の国に帰ったって話してたから、つじつまが合わなくなるとマズいなって思って、それで」


 親父と母さんは、俺が三歳の時に離婚した。

 離婚の原因は知らないが、この親父だったらまともな女の人はそうそう夫婦でいられないだろう。

 ともあれ俺は親父に、二歳下の妹のヒカリは母さんに引き取られた。


 俺はもう覚えていないが、母さんに会いたいとグズる俺に親父は、「母さんは魔法使いで、魔法の国を悪い怪物から守るために魔法の国に行った」という話をでっち上げていたのだそうだ。

 昨日は炎の竜を退治し、今日は水の妖精を助ける。

 幼かった俺は、魔法使い母さんの話を聞くのが大好きだったらしい。


「それは、俺が幼稚園の頃、昔の話だろ!」


 俺は怒りのあまり、テーブルにバンとこぶしを下ろした。

 親父は、そっぽ向いて、ぼそっとすねたようにつぶやく。


「中学の入学だって、もう昔の話じゃん」


 まったく、どっちが子供だかわかったもんじゃない。


「じゃあ、今はどうなんだよ。父さんの職業は?」

「ドキッ」

「ドキッって口で言わない。今は何の仕事してるんだよ? これに書ける様な仕事なのか?」


 ここ二年ほど親父は、仕事と称してよく出かけている。

 何の仕事か聞いても話をはぐらかすだけだったが、ちゃんとお金を入れてくれるので俺も深く詮索はしていなかった。


「ええと、そうだ、父さんもう行かなきゃならないんだった。あの、今日戻ってきたのには訳があってな。しばらく、ウチで預かることになったから。ヒカリちゃん、入っておいで」


 親父が玄関のほうに声を掛けると、そこには女の子が立っていた。

 ショートヘアで、見かけない制服を着ている。

 肩から大きなスポーツバッグを斜めに掛けていた。

 その格好は、いかにも田舎の中学生という感じだ。


「じゃあ、あとはよろしくな」

「よろしくって、一体誰だよ」

「誰って、何いってるんだ。おまえの妹じゃないか。ヒカリちゃん、必要なものがあったら、なんでもお兄ちゃんに相談するんだぞ」


 そういうと、親父は脱兎のごとく家を飛び出していった。


(あいつ、逃げやがったな)


 あとに残されたのは、俺と、妹だという女の子。

 女の子は俺に向かって深々と頭を下げた。


「ふつつかものですが、よろしくお願いします、お兄様」


 親父と母さんが離婚してから、俺は一度も母さんと会っていない。

 当然、妹と会うのも十二年ぶりだった。母さんと妹が、どこでどう暮らしているのか、俺にはそれさえ知らされていなかった。

 だから、目の前の女の子をいきなり妹だといわれても全く実感がわかない。

 俺は頭をかきながら言った。


「ふつつかものって、嫁入りじゃないんだから。それに、お兄様って呼ばれても……もっと普通の呼び方ってないかな」

「普通ですか」


 女の子は、小首をかしげる。

 彼女が本当に妹なのなら、今頃は十三歳、中学二年生のはずだ。

 この辺の中学生と比べると、彼女は妙に大人っぽくみえた。

 もちろん色っぽいとかそういう意味ではない。彼女には、なんというか、子供らしい甘えたところがなかった。


「まあ、お兄ちゃん、とか?」

「お兄ちゃん」

「そんなカンジかな。とりあえず、上がりなよ。…ヒカリだよね」


 自分の名前を呼ばれて、ヒカリは大きくうなずいた。

 時計を見ると、朝の七時だ。

 俺の高校はチャリで十分圏内にあるので、時間はたっぷりある。


「バッグはとりあえず居間にでも置いといて。朝ごはん食べた? おなかすいてない?」

「もう食べました。おなか一杯です」

「じゃあ、俺朝飯食うから。ヒカリはそこに座って、何がどうなってるのか教えてよ。俺には全然話が見えてないから」


 俺は、昨日の残りご飯とオカズをレンジで温めると、味噌汁を火に掛けた。ヒカリは、ダイニングテーブルに座って、俺の一挙手一投足を目で追っている。

 どうしたのか、と思ってたら、彼女が目で追っているのは俺ではなくて朝ご飯だということに気が付いた。


「もしかして、腹減ってるんじゃないの?」


 ヒカリは慌てて首を横に振る。


「滅相もありません。大丈夫です」

「じゃあ、言ってみてよ。何食べたの」

「えと、満願全席とフランス料理のフルコースを少々」


 俺はため息をついた。朝七時前から、そんなものを食べる奴はいないし、食べさせる店もない。

 いくら血のつながった兄貴といっても、ヒカリにとって俺はほぼ初対面で赤の他人みたいなものだ。中学生といえばお年頃だし、そんな俺にお腹すいたなんて言い出せないんだろう。

 このとき、俺はそう理解していた。


「遠慮しなくていいんだよ。どうせ昨日の残りなんだから」


 ヒカリの分の朝食を用意すると、彼女は「いただきます」と頭を下げてご飯をがっつき始めた。

 この勢いだと、朝食はおろか昨日の夕食だってちゃんと食べていたのかどうか。


「親父は、ヒカリのこと、しばらく預かるなんて言ってたけど、母さんはどうしたんだ?このこと知ってるのか?」

「もちろん、知っています。知りまくりです」


 ヒカリは、茶碗から目を離さずに即答した。

 そのしゃべり方は、誰かに似ている。

 誰だろうと考えて、すぐ思い当たった。

 親父だ。

 親父が嘘をつくときにそっくりだった。


「母さんに教わらなかったのか?嘘をつくのは悪いことなんだぞ」

「嘘じゃないです」

「じゃあ、母さんはどうしてるんだ?」


 俺が詰め寄ると、ヒカリは箸をおいた。


「お兄ちゃん、これから私の話すことは誰にも言わないって約束してもらえますか」


 妹は真面目な顔で言った。俺は黙ってうなずく。


「お母さんは、魔法の国エセリスの女王として、国を外敵から守るために、日々戦っていました。でも半年前、魔法の国全土を襲った瘴気を払うため、みずからをイバラの森に封印したのです。私はお母さんがいなくなってから、伯爵のお城にやっかいになっていました。伯爵はとてもいい人だったのですが、やっぱりいつまでもというわけにはいかなくて」

「……」


 真面目に聞いて損した。

 間違いない、こいつは親父の直系だ。

 思い返してみると、これまでヒカリが言ったことの、そのほとんどが嘘じゃないか。


「それ、親父にそう言えって言われたのかよ。何が魔法の国エセリスだよ。制服の校章に、はっきり『武中』って書いてあるじゃないか。どこの中学かは知らんけど、バリバリ日本の学校だろ」

「エセリスは、日本の平行世界にあたる世界で、地形や生態系や文化は類似点が多いんです。お兄ちゃん、信じてくれないんですか?」

「誰が信じるか!信じて欲しいんなら、俺の目の前で魔法でも使って見せてよ」


 せっかく十二年ぶりにあった妹が、なんだってこんな嘘つきの田舎娘なんだ。

 いまどきの中学生なら、もっと大人っぽいお姉さんでもいいはずだぞ。


「わかりました。じゃあ、今から魔法を使って見せます。そうですね、私を、お兄ちゃんが期待してたような色っぽい女の人の姿に変えて見せます」

「え?」


 こいつ、なんで、今俺が考えてたことがわかったんだ?

 ヒカリはうろたえる俺を見てクスリと笑った。


「今のは、魔法じゃなくて女のカンという奴です。本当の魔法はこれからです」


 そういうと、ヒカリは立ち上がり大きく深呼吸をして両手を胸の前で合わせた。

 それから、なにやら呪文のような言葉を唱える。

 そのあまりに真剣な眼差しに、俺は思わず息を呑んでいた。


(いったい何が始まるんだ!まさか、ヒカリの奴、本当に魔法使いなのか?)


 しかしそんな俺の心配とは裏腹に、呪文を唱え終わったヒカリは椅子に座りなおして、再び朝食をがっつきはじめた。


「な、なんだったんだよ。今のは?」

「魔法ですけど」

「何にも変わってないじゃないか」


 ヒカリは、茶碗から目を離さずに答える。


「言うの忘れていましたけど、エセリス以外の国では魔法をかけてから効果が出るまで少し時間がかかるんです。ご心配なく、後二‐三年もすれば、お兄ちゃんの期待通りのナイスバディなお姉さんに変身していますから」


 俺はがっくりと肩を落とした。

 決してナイスバディのお姉さんを期待していたからではない。

 ふと見ると、時計は八時を回っていた。


「もうこんな時間か」


 俺は、とりあえずこの妹との不毛な会話をいったん切り上げることにした。

 始まったばかりの高校生活だ。

 くだらないことで遅刻したくはない。


 洗濯物を洗濯機に放り込んで、お急ぎコースのスイッチを入れる。

 それから晩御飯用にお米を研いで炊飯器のタイマーをセットした。

 次に朝ご飯の食器を洗おうとすると、ヒカリが「自分がやる」と申し出てくれた。ラッキーだ。これならゆっくりシャワーを浴びる時間がある。

 シャワーから出て着替え終わる頃に、洗濯が終了した。

 テレビで天気予報を確認して今日は室内干し。

 洗濯を干し終わって、八時四十五分だった。

 我ながら、朝の俺には無駄がない。

 今日も予定通りに御登校だ。


「ヒカリは学校どうしてるんだ?」

「しばらくお休みすることになってます。こう見えても私、成績優秀で、十歳の時に飛び級して中学生の授業は全部済ませちゃってるんで、行かなくても大丈夫なんです」

「……俺も疲れてきたから、いちいちツッコまないぞ。とにかく俺は、学校行ってくる。新学期始まったばかりだから、三時過ぎには帰ってこれると思うけど…、昼ごはんはこれで食べておいて」


 俺は、ヒカリに千円札を一枚、そしてちょっと考えてもう一枚渡した。

 我が家の金銭の管理はもちろんすべて俺がやっている。

 それから、さらにもう少し考えて、俺用の家の鍵を渡した。


「出かけるときは、戸締りを忘れないこと」


 ヒカリは、鍵を受け取ると、下を向いたままぼそぼそとつぶやいた。


「……んですか?」

「ん?」

「私、この家にいてもいいんですか?」


 正直、俺は返答に困った。

 彼女が本当の妹だとしても、それだけで急に愛情が湧くほど俺は単純な人間じゃない。今まで、自分が生活するのに必死だったから、母さんに会いたいと思うことはあっても、当時一歳だった妹については思い出したこともなかった。

 かといって、この頼りない田舎の中学生にかける情けがないほど薄情な人間でもないのだ。


「まあ、いいんじゃない?親父もそういってるんだし」


 俺は素直に感想を述べた。

 ヒカリは、ほっとしたように顔を上げる。


「ありがとう、お兄ちゃん」

「じゃあ、行って来る」


 玄関を出ようとした俺の背中に、ヒカリの声が届いた。


「いってらっしゃい、お兄ちゃん」


 自転車のぺダルが心なしかいつもより重く感じられる。

 ヒカリが、しばらくうちにいるということは、母さんに何かあったのだろうか?

 病気やケガで入院でもしてヒカリの面倒を見れなくなったというのが、もっとも考えられる線だ。

 まさか、死んだなんて事はないと思うが。

 いくら親父でも、それなら俺にちゃんと話をするだろう。


(まあ、いまさら母さんがどうなろうと俺には関係ないけどな)


 そう自分に言い聞かせて、俺は学校への道を急いだ。



 学校が終わると、俺は大急ぎで家に戻った。

 家に帰ったらヒカリがいなくなっているような、そんな気がして焦っていた。

 自分でも、なんでこんなに急いでるんだろうと思う。

 よく考えたら、妹がいなくなっていても、特に俺が困ることはないのだ。

 なんといっても今朝十二年ぶりにあったばかりだし。

 嘘ばかりつく田舎娘だし。


「ただいま、ヒカリ!」


 俺の心配とは裏腹に、ヒカリは今のこたつに入って、テレビを見ていた。

 今朝と同じ制服を着たままだ。

 俺が帰ってきたのを見るとヒカリはニコリ微笑んだ。


「お帰りなさい、おにいちゃん。今日テレビみてて、すごい情報を手に入れたんですよ」

「へぇー。どんな情報?」


 俺はなぜだかほっとして答えた。


「『笑っていいとも』が再開するそうです!」

「なんだそりゃ」

「司会がナカイ君で、初回のテレフォンのゲストがタモリさんだそうです。なつかしいなぁ」

 真面目な顔をして、でたらめを言うヒカリに、俺は思わずふきだしていた。

「懐かしいって、ヒカリは元のヤツ見たことないだろ」

 最初はびっくりしたけれど、ヒカリの嘘つきに俺の方で慣れてきたのかもしれない。

 見ると、こたつの上には俺の渡した二千円が、そのまま乗っかっていた。


「なんだ、昼飯食わなかったのか?」

「食べました」

「お金はどうしたの?」

「千円使ったんですけど、残った千円がニューって分裂しちゃったんですよ。別に鍵が心配だったわけじゃないです」


 そう言われて、気がついた。

 たしかに、俺は自分がはっきり何時に帰ると言わなかった。

 鍵を預かったヒカリは、自分が外に出ている間に俺が帰ってきたら困ると思ったのか?

 

「朝も言ったけど、いちいちツッコまないぞ。それより、ずっと制服着てるんだな、着替えとか持ってないの?」

「普段は魔法で着替えるんで、持ってこなかったんです。さっきも変身の魔法を掛けたんですけど」

「ああ、効果は出るのが二年後だもんな。じゃあいまから服とか必要なものを買いにでかけるか。どうせ晩御飯の買い物にも行くし、合鍵いるしな。そこで、ちょっと遅めのお昼でも食べたらいいよ」

「いいんですか?」

「ああ、でも服買うといっても近所のショッピングセンターだぞ。それで、いいか?」


 ヒカリは、買い物が余程嬉しいのか、笑顔で何度もうなずいた。



 俺とヒカリは、近くにあるショッピングセンターに出かけ、そこでヒカリが食べたいというたこ焼きを食べ、服や身の回りのものを買った。


 ショッピングセンターといってもスーパーに毛の生えたようなものだが、それなりに年頃の女の子の着るような小洒落た服も売ってある。

 しかし、ヒカリが選んだのはエンジ色のジャージだった。


「遠慮するなよ。もっと、可愛い服もあるだろ」

「じゃあ、わがまま言って、こっちの紺のもいいですか」

「またジャージかよ」

「こっちは、寝る時用です」

「パジャマならパジャマで、可愛いのが向こうにあっただろ」

「あんまり可愛い格好をしてお兄ちゃんが変な気を起こしたら困りますから」

「だっ、誰がおまえなんかに!」

「冗談ですよ。いちいちツッコまないんじゃなかったんですか? 私ジャージ好きなんです。それに、髪も短いから女の子らしい格好似合わないし」


 それからヒカリが下着なんかを買っている間に、俺は合鍵コーナーへ行ってヒカリ用の家の鍵を作り、ウサギのキーホルダーを買って鍵にくっつけた。

 それをヒカリに渡すと、彼女は俺に飛びついてきた。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 そういって、俺の頬にキスをする。


「な、何やってんだ、やめろよ」


 俺は慌てて、妹を振りほどいた。


「えー、ホッペにチューくらい、魔法の国エセリスではあいさつがわりですよ」

「ここは日本だぞ。日本では、兄弟でそんなことはしないんだ」


 正直に言って、俺は今まで彼女などというものがいたことはない。

 もちろん俺はロリコンではないので、中学生の、しかも妹相手に恋愛感情を抱くなどということはありえない。だが、突然の柔らかい感触に頭の中はパニックになっていた。


(落ち着けよ、相手は子供じゃないか)


「ちぇー、そうですか。じゃあ、鍵のお礼に晩御飯は私が作ります。食品売り場へ、急ぎましょう」


 ヒカリの方は、本当にあいさつがわりなんだろうか、気にも止めていない様子だった。

 固まっている俺をおいて、スタスタと歩きはじめる。


「なあ、ヒカリの住んでた、そのなんだ、エセリスだっけ、そこってアメリカみたいなところなのか?」


 俺は、慌てて妹の後を追いかけた。


「えっ? なんでですか?」

「いや、だって、キスがあいさつがわりって」

「ちがいますよ、ほとんど日本です。日本と大きくちがうのは、魔法があって、便利なんだけど、その分、魔法エネルギーからうまれたモンスターが出てくるところですね。キスがあいさつとか、細かいところはちょこちょこちがいますけど……あ、あと、もう一つちがう所がありました」

「何?」

「エセリスでは、兄と妹では結婚することができるんです」

「はあ? お前何を、」


 言いかけて、俺は口をつぐむ。

 いかん、いかん、危うくツッコんでしまうところだった。

 ヒカリのやつ、お兄様をからかうとはいい度胸だ。

 しかし、それだけ、俺に慣れてきたということなのかもしれない。

 ここは一つ、大人の余裕を見せねば。


「晩御飯って、何作ってくれるんだ? エセリスにも名物料理みたいなのがあるのか?」


 ヒカリは振り返ると、ニッコリ笑った。

 田舎の中学生でも、さすが俺の妹だけあって笑顔は結構可愛い。

 俺の心臓が、一つ大きく鼓動を打った。何を考えてるんだ、俺は?


「じゃあ、今日は腕によりをかけて、エセリス名物を作りますね」



 エセリス名物というのはオムライスだった。

 夕食のテーブルに供された俺の分のオムライスには、ケチャップで「萌」と書かれていた。おまえの魔法の国は秋葉原か!と、俺は心の中だけでツッコミをいれた。


「冷めないうちにどうぞ」


 味の方は、予想以上に美味かった。


「このオムライス、美味いな」

「嬉しいです。あ、でも、これオムライスじゃないですよ。エセリス名物ベンジャルドーザです」

「へー、どうやって作るの」

「内緒です。お母さんの得意料理で、教えてもらったんです」


 そう得意げにいったが、スーパーの本屋で妹が熱心に料理の本を覗き込んでいたのを俺は知っている。


「お母さんがこれを作るたびに言ってました。お兄ちゃんにも食べさせたいって」


 ヒカリは、ニッコリと笑った。

 その笑顔を見て、俺はすっと気持ちが引くのを感じた。


「……それは、嘘だろ」


「えっ?」

「さっき言ったこと、嘘だろ」

「嘘じゃないです。母さんは、いっつもお兄ちゃんに食べさせたいって。ていうか、ツッコまないって言ったくせにずるいです」

「食べさせたいと思えば、いつでも食べさせに来れたはずだ。でも、母さんは十二年間一度も俺に会いに来なかった。だから、おまえの言った事は嘘だ!」

「嘘じゃないもん!」

「いいや、おまえは嘘つきだ!」

「嘘じゃないもん!」


 ヒカリの目に涙があふれていた。

 だが、俺はそれを見ても別段かわいそうだとは思わなかった。

 俺には母親はいなかった。

 妹もいなかった。

 今目の前にいるのは、赤の他人、それも頭のイカれた嘘つき女だ。


「出て行け! この家に嘘つきはいらない! いますぐ出て行け!」


 俺は、目をつぶって大声で叫んだ。

 ガラガラという玄関が開く音に続いて、ズックの鳴る音がする。やがてそれは遠くに消えていった。 



 しばらくして、俺のスマホが鳴った。

 目を開けて、辺りを見まわす。食べかけのオムライスの乗った食卓の上で、スマホが光を放っていた。

 見たことのない番号だ。

 ヒカリか、と慌てて通話ボタンを押す。


「もしもし、」


 親父だった。


「どうだ、ケンタ、ヒカリと仲良くやってるか?」

「やってない」

「どうした、ケンカでもしたのか? 頼むぞ、父さん今週一杯はそっちには戻れないから、おまえが妹の面倒見てくれないと」

「何が妹だよ! あいつちょっとおかしいぞ、嘘ばっかりつきやがって」

「ヒカリは、おまえに嘘をつくか?」

「ああ。あんたより嘘つきがこの世の中にいるとは思わなかったよ」

「じゃあ、ヒカリはずいぶんケンタのこと気に入ったんだな」

「えっ?」

「ヒカリ言わなかったか、『笑っていいともが再開する』って」

「……言ってたけど、」

「アレはな、ヒカリが生まれてはじめてついた嘘なんだと。母さんが言ってたよ。あの子がはじめて嘘をついたとき、母さんは可笑しくて大笑いしたんだそうだ。それ以来あの子は、誰かを笑わせたい楽しくさせたいと思うと、つい嘘をついてしまうんだな。育て方を間違えたって、母さんはこぼしてたけど」

「親父からの遺伝だから、育て方は関係ないんじゃねえの。っていうか、親父は何でそんなに母さんと話してんだよ。母さんは、いまどうしてるんだ?」

「まあ、いろいろあってな。ケンタ、お前、母さんに会いたいか?」

「別に、いまさら会いたいなんて言わないよ。でも普通心配するだろ。自分の母親だぞ。具合でも悪いんじゃないかとか、病気で入院でもしてるんじゃないかとか」

「母さんは元気だよ。安心しろ」

「親父が言っても全然説得力がないんだよ」

「すまないな。だが、ヒカリのこと頼んだぞ」


 言いたいことだけを言って、親父は電話を切った。

 あいつはいつもそうだ。

 ヒカリを頼むって言われても、妹は五分前にスポーツバッグ一つ持って出て行ってしまった。


(いや、違う。俺が追い出したんだ)


 ヒカリに悪気がないのはわかっていたのに、母さんのことで、ついカッとなって……。


 俺は、あわてて家を飛び出した。

 あいつは、このあたりの事なんか何も知らないはずだし、スマホ一つ持っていない。治安が悪い町じゃないけれど、女子中学生一人でうろついてたらどんな目にあうかわかったもんじゃない。

 自転車で、駅へ向かう道をたどる。

 エンジ色のジャージ姿の女の子。

 地味すぎて逆に、目立つはずだ。

 しかし、見当たらない。

 ショッピングセンターまで行ってみる。

 そこにもいなかった。


 四月も半ばだが、夜になると結構寒くなる。

 散々走り回って、近所の公園でやっとヒカリをみつけた。

 ヒカリは、スベリ台の中にうずくまるように座っていた。俺は声をかけた。


「おい、ホームレス中学生! もう帰るぞ!」

「お兄ちゃんがマザコンだからヤだ」

「マザコンじゃねえし!」

「マザコンだもん、お母さんのことだとすぐキレるし」

「うっせいな、いいじゃないかよ。早く帰って、母さんのオムライスの続き食おうぜ」

「オムライスじゃないもん。ベンドネジャーラだもん!」

「さっきと名前違うじゃん」

「また、ツッコんだ。ツッコまないって言ったのに」

「ああ、ツッコむさ。どんどんツッコむ」


 俺は手を差し出した。


「だから、ヒカリもどんどんボケな」

「私、ボケてないもん」


 ヒカリは、俺の手を握って立ち上がった。


「でも、お兄ちゃんがどうしてもっていうなら帰ってあげる。で、お母さんの代わりをしてあげるよ」


 いつの間にか、ヒカリの口調から敬語が消えていた。

 そうして俺達は、はじめての兄妹ゲンカを終えて、二人で家に帰った。

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