第15話 母親

「さぁ、どうぞどうぞ !

 おーい、いらっしゃったぞ〜」


 御主人の泉さんは俺たちを意気揚々と家に招き入れてくれた。


「お邪魔します」


「初めまして ! お邪魔しま〜す」


 すると、まず心春ちゃんが廊下を走ってきて、泉さんの足元に抱きついた。


「……パパおそい ! 」


「あはは。心春、それじゃ歩けないよ」


 心春ちゃんが俺たちを見上げる。


「あ、赤いお兄ちゃんだ ! 」


 ジョルを見上げて、物欲しそうな視線を向ける。懐かれてることに気を良くしたジョルは、パカッと笑うとしゃがみ込む。


「覚えてた ? 俺の事、覚えてた ? 嬉しいなぁ」


「遊びに来たの ? 」


「そう ! 会いたかったよ !

 お仕事する前に、少しなら遊べるよ ! 」


「じゃあこっち ! 」


「こら、心春 ! 」


「あ、いいんです泉さん。

 少し状況説明なんかもあるので、まずは華菜さんとお話を……」


「ああ、なんか……すみませんね。

 あんなに人懐こいなんて……成長したんだなぁ」


 単純にジョルが鳥頭の単細胞で、髪が赤いから子供には覚えやすんだろうけど……。


「子供は早いですよねぇ〜」


 俺は話しながらふと潜ったドアを振り返る。もうここはドアノブの無いドアじゃないはずだ。次に顔を出したのは華菜さんだ。


「いらっしゃい !

 何度も……ありがとうございます。さぁ、どうぞどうぞ」


 エプロンで手を拭きながら、パタパタと廊下を小走りで走ってきた。

 俺が皆の脱ぎ散らかした靴を揃えてる背後で、みかんとトーカが自己紹介を始める。


「初めまして、チームリーダーのトーカです。よろしくお願いいたしますわ。

 まずは前回。うちの社員が挨拶もなく突然、席を外したようで……大変申し訳ございませんでした」


「いいえ、そんな ! 主人には断ってましたよ ? 私たちは何も問題ありません !

 あの……。何か……やっぱり難しいんですか ? 」


 不安そうに聞いてくる華菜さんに答えたのは、泉さんだった。


「そんな事ないって ! なぁ。聞いてくれよ ! 彼らやばい ! 本当に ! マジで凄いんだ ! この目で見たんだ !

 さっきも、よく分からないけど ! 何もないところにドアが出てきて ! それで向こう側が暗くて ! 」


 すっかり興奮している。

 華菜さんはさっぱり要領を得ない様子で、ウンウン頷きながら聞き流す。


「あの、とりあえずどうぞ。立ち話もなんですから」


「ああ ! そうだった !

 さぁ、こっちこっち ! 」


 泉さん、すっかりテンション上がってんな。でも、普通の反応なんだろうな。

『霊媒師』とか『エクソシスト』なんてものを、心から信用している人は少ないだろうし。不安って言うか……視えない世界の話で勝手に解決されるモノだ。

 けれど、さっき何も無い路上に突然召喚された扉。その中に消えて行った俺たち。

 少なくとも専門家だとは信用してくれたんだと思う。

 これでどうにかなるって安堵したのかもしれない。

 けれど、問題はここからだ。

 華菜さんに事情を話さないといけない。


「紅茶でよかったかな。皆さんお若いのね。砂糖はここに。クッキーもどうぞ」


「あたしが最年少です ! 旺聖に通ってるんですよ〜。

 うわぁー ! 大きくて美味しそうなクッキー !! リーダー、こんなにチョコとナッツが入ってるよ ! 見て見て ! 」


「みかん、落ち着きなさい」


「いや、でも本当に美味しそうだよな。

 いただきます」


「うんまぁ〜 ! 手作りですか ? 」


 みかんががっつくもんだから、トーカは恥ずかしそうに顔を引き攣らせていた。

 まぁ、見るからに手作りだし、美味いもんは美味いって口に出すのは悪くないかな。


「ふふふ。嬉しいです。以前は料理なんて全然……。子供が出来て離乳食作りをきっかけにもう、楽しくて止まらなくて。今までそんな時間無かったから……」


「お仕事ですかー ? 」


「役者業を。……と言っても、再現ドラマの被害者役とかですけどね。刺されて倒れたりね」


「え〜 ? それって凄く重要な役じゃないですか ! 」


「顔も身体も映るし、大役ですわね。大変な業界とお聞きしますわ」


「女優さんかぁ〜。 綺麗ですもんね〜 ! 」


 何故か泉さんが「そんなことは無い」と照れ出す。

 隣に腰を下ろした華菜さんを見ると、確かに調査書にあった年齢にしては綺麗な人だ。第一印象も美人ながら清楚な方だったと思ったもんな。白い肌に、綺麗な黒髪。

 美魔女ってこういう人なのか ?


「……」


 ティーカップをそっと持ち上げたその茶の水面の中、華菜さんをジロジロ見てた俺を睨むトーカが写ってた。


「ひっ…… ! 」


 思わず悲鳴を上げかける。

 怖ーよ !! ただ美人だなって見てただけだろ !!


 四角い炬燵で俺たちはしばらく自己紹介や、サタンが居たドアの話なんかをした。


「それで……。家の事に関しては…… ? 何か分かりましたか ? 」


 来た。

 一瞬の静寂。


 口を開いたのは泉さんだった。


「華菜、彼らの話を先に聴いてきた。かなり気遣って下さってね。

 でも、正直に最初から話して貰おうと思う」


「やっぱり……何かこの家にいるのね ? 」


 トーカとみかんはティーカップを置くと、改まって座り治す。そして俺に向けられる視線。

 話すのは俺だ。

 ジョルもママゴトスペースで擬似秋刀魚を握ったまま、心配そうにこっちを伺っている。


「実は……。前回、相棒のジョルはこの家で、俺は霊がいる別の世界で……女の子に会いました」


「……」


 一瞬にして華菜さんの表情が曇る。


「ジョルは訪問した時から視えていました。あまりにはっきりしていたので、生きている人間かと混乱したとの事でした」


「今も……居るんですか ? 」


 俺はジョルに答えるよう視線を向ける。


「あ、あー。居ると思います。ここには居ませんが、気配は二階から感じます」


「様子を伺っているのかもしれませんわね」


 思わず全員が天井を見上げる。


「話を戻します。

 ジョルが視た女の子と、俺が別の世界からこの家で視た女の子は同一人物だと思われます。

 活発な感じの子で、とても……心春ちゃんや華菜さんと顔付きが似てると思いました」


 華菜さんは額を手で覆い、思い悩んだ様子だった。けれど、取り乱すような感じでは無かった。


「不躾な話題で申し訳ございません。一度こちらで霊視も行ったのですが……デリケートな話になると思いましたので、先に旦那様にお話させて頂いたんです」


「いえ……。

 そうですか……あの子が、まだこの家に……。

 そう……なんですね……」


 そのまま、華菜さんは自分から何かを問いかけてくるような事は無かった。それどころか……なにか……。


「まずお伝えするは……。

 心夏さんがこの家に居るという事で、これは確実に言える事なのですが……。

 心夏さんが所謂、悪霊や怨霊になっていると言う事では無いのです。

 成仏しないままとどまって居るだけで、供養は十分ですし、心夏さんも悪気があってここにいる訳では無いんです」


「悪霊じゃない ? 本が落ちたり、コップの水が減ったりしたのは…… ? 」


「心夏ちゃんが、まるで生きてる状態でこの家に居るからなんですが、その理由が華菜さんの生霊の存在なんです」


「生霊…… !? わたしの !? 」


 華菜さんは心当たりを探すように、泉さんと目を合わせる。


「え…… ? 生霊って……よくストーカーが飛ばしたりするやつですよね ? 」


 う、うーん。そうだけど……。それだけじゃ無いかな。


「まずは生霊について明確に説明致しますわ。

 生霊と言うのは、霊魂……つまり死霊と違って、生きている人間から出るエネルギー体なのです。それが人の形をしているか、煙の様な見た目なのか千差満別です。けれど、人型の方がエネルギーが強い事は確かですわ。

 そして生霊と言うのは、嫌いな人にも好きな人にも飛ぶんです。言わば『執着心』が形になって生み出されるんです」


「そんな……つまり、私から私の生霊が出たという事…… ? 」


「俺が霊の世界に行った時、心夏ちゃんは怯える様子もなくて、怖がったり困ってたりしてる様子はありませんでした。

 このままじゃ良くないから、明るい場所……えっと、正しい成仏のことですけど、行こうと言ったら二階にママが居るからって言ったんです。

 それで追いかけてみたら、華菜さんの生霊が居ました……。攻撃的ではありませんが、心夏ちゃんを連れていくことに、激しい抵抗があるようで……それで一旦、引き上げたんです」


「……」


 無言だ。

 無理もない。自分の生霊が亡くなった娘を足止めしているのだから。


「ちなみに霊は鉄や銀を嫌います。旦那さんは鉄工所勤務で趣味は銀細工。旦那さんの部屋に霊障が起きなかった理由はそれです」


「私は……心夏に成仏して欲しくないなんて思ったことはありません……」


 そりゃそうだろう……って言いたいけど……。実際の本音はあの生霊だ。


 〈出てってよ ! 〉


 二人の世界。邪魔されない、精神の繋がり。

 どう言えばいいか……。


「ですよね。えーと……華菜さんを責めている訳では……」


 そこへトーカがスっと手を挙げ、改めて泉さんと華菜さんに向き直る。


「そう構えないで下さい。

 生霊が出ることは、珍しい現象では御座いません。寧ろ、私達のような者からするとよくある状況なんです。

 例えば以前、店に来た依頼例ですが…。

 母親の生霊が出る子を除霊した事がありました。それでも生霊は本体の母親が生きてる以上、再び飛んでくるんです。除霊をしてもキリが無いので……。母親を対処しなければ、いたちごっこになるのですわ。

 けれど尋ねた母親からよくよく話を聴けば、依頼人は学生でありながら突然家を出てきたと。

 依頼人は、未成年の家出少女でしたの。

 母親が生霊飛ばす程、心配なさっていたのですわ。その時は少女を家へ帰らせて、母親に無事を知らせることで生霊は徐々に薄れていきましたの」


「なるほど。つまり、心夏に対しての未練や後悔って事か……。

 でも、どうして妻は出るのに俺が出ないんでしょう ? 俺の方が気持ちが小さいんですか ? 」


「いいえ、それも複雑で。

 強い思いで出ることは確かですが、生霊を飛ばしやすい体質の方と、影響を受けにくい方、それぞれ人によるんです。

 決して気持ちの大きさじゃないんです」


「そ、そうか」


「誤解しないで頂きたいのですわ。

 華菜さん。貴女のせいではないんです。心夏さんへの執着心……それは普通の、母親として当たり前の感情だから」


 華菜さんは涙を浮かべると、下を向いてしまった。


「……心夏をちゃんと供養したいです。お願いします……」


「勿論ですわ」


「あの、余談なんですけど……その……。

 普通、成仏してない霊ってどんどん悪い霊になったりすることが多いんですけど、心夏ちゃんは霊体がまだ新鮮というか……凄く満たされてる状態なんです。それは華菜さんの生霊が一緒だったからなんです。

 矛盾してるんですけど、母親がいた事で、不安や恐怖がなく過ごして、魂に深刻なダメージが無いように見えました」


「そうですか……寂しい思いをしていないのなら、少し安心しました。

 それで……心夏と私の生霊はどうすればいいのでしょうか ? 」


「心夏ちゃんの場合は、実は簡単なんです。

 よく『御迎えが来た』って言うじゃないですか ? 大抵の場合先祖や親族です。宗教によっては天使なんかも。

 その『御迎え』と引き合わすことは、俺が出来ます」


「心夏はついて行くでしょうか …… ? 」


「『御迎え』には、特別な力があります。行きたくなるような、行かなくちゃって思うような、そんな空気が伝わるので」


「そうなんですね……。

 じゃあ、私は……私の生霊はどうすれば…… ? 」


「心夏ちゃんを引き止めてる事を自覚して頂きたいんです。

 執着心が無くなれば、今出ている生霊を消すだけで済むのですが……」


 俺は簡単に考えてたんだと思う。


 この提案に華菜さんが「善処します」と答えるとタカを括っていた。


 でも、違った。


「……執着心を無くせなんて……無理ですよ」


「え…… ? 」


 華菜さんは悲しくも儚い笑みで紅茶の湯気をジッと見つめている。


「今、私に視えなくとも……私の生霊と心夏は一緒にこの家に住んでるなんて…… !

 正直に言うと、嬉しいんです。


 そっか……ここに心夏も居たのね ! あぁ、気付かなくてごめん…… !

 でも ! ここに居てくれてたなんて !! 」


 まずい。

 そういう解釈をして欲しいわけじゃなかった。

 母親は、死んだ娘が霊だろうがなんだろうが関係なく母親なんだ。


「あの……」


「もう分かれば怖くありません ! 心夏だったのね ? なぁーんだ ! 私ったら、ふふ」


 狂喜する華菜さんには、さすがに泉さんも絶句していた。

 これが。まさにこれが執着心なんだ。

 死霊でも自分の娘なら可愛い……否定はしたくない。俺がもし大事な人を失ったら……。そうだよ。俺も……もう一度母親と会うことを望んだ。アカツキで。

 でも、結果見たくないものも見た。


「華菜さん。俺は子供とかいません。けど、小さい頃、母親が死んで……。

 でも、俺のそばにいて成仏してないとしたら、俺はやっぱり成仏して欲しいと思います」


 俺が何を言わんとしたか、華菜さんは解ってると頷いて見せたが、どうも「除霊してください」と言うとは思えなかった。


「華菜、心夏をちゃんと拝んでやらないと。ここにいるからいい……とかじゃないんだぞ ? 」


 泉さんは冷静だけど、しかし華菜さんは引き下がらなかった。


「わかってる。私も両親や親戚ならそうかもしれない。

 けれど心夏は……。まだ五歳だったわ……。

 執着心をどうにかしろなんて……無理だわ。理屈じゃないのよ。

 私はこの気持ちを一生持ち続けると思うし、あの時、同じ状況になった母親は皆んなそうだと思う。

 ごめんなさい。

 執着心や後悔の念を無くせと言うのは、無理なんです」


 そういうと、華菜さんは俺との間に壁を作るように、そっと頭を下げた。

 拒絶感を感じる……。


 でもこのまま帰ることは出来ない。

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